なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

謎のT.Hijikata

2010-07-29 00:04:35 | Weblog
 火曜日に故郷のスタジアムでのサッカーの試合を観戦・応援に行ってきました。
  東京駅から高速道路をバスで行きまして・・・これは新幹線に比べ多少時間がかかりますが、平日でも有りほぼ予定通りに現地到着。
 なんと言っても料金がほぼ半額で済むのが魅力です。
  試合時間までに余裕があるので女房殿と息子をスタジアム近くの(現地では)有名なお寺に連れて行きました。
 鉄舟寺と龍華寺(リュウゲジ)子供時代に何度か行ったところ。
  着いたのが4時半と言う事で、鉄舟寺は閉門時間と言う事で断られ、残念・・・200メートルほど離れた龍華寺だけ参観することが出来ました。
 片方だけと言うのは少し残念でしたが、長年疑問に思っていたことが少し分かった事があり、少しだけ疑問が解消されました。

 私が小学校だったか、、、イヤ中2だったような気もします。
  このどちらなのお寺で変わったお墓を見つけたのです。
 ここは日本平の麓で、やや高い場所にあり、墓地はそれより更に高いお寺の裏手にあるので、非常に見晴らしが良いのです。
 あの年代の少年が墓地歩きと言うのも変?、あるいはシブイ趣味?
 港や街が見下ろせるポイントでもあると思っています(今回は庭の木が茂りすぎてヤヤ見晴らしが悪かったけれど)。
  そこに変わった墓石があった。
  先ず色、、、通常の御影石と違って少し黄色い、、、天然大理石なのか黄色の砕石を白セメントで固めてグラインダーで研ぎだしたかのどちらかだとは思いますが、他の墓石に比べるとまさに異色。
 墓誌名がアルファベットと言うのも他の墓とは違う。
  そこには「Mr.T.Hjikata」とあった・・・この記憶は鮮烈で今でも記憶に残っている。
 思い込みでは「土方歳三?」、、、しかし北海道で戦死した人の墓がここに?
  更に黄色の墓石の意味?
 何故アルファベット表記?
  誰がここにお墓を作った?(こういう有名なお寺の墓地に埋葬あるいは墓石を建立出来るのは??、、、直ぐ近くに高山樗牛の墓も有るのです)
 こういう疑問を半世紀近く持っていたことになりますから我ながらしつこい。
 
 記憶が曖昧なので墓が鉄舟寺なのか龍華寺なのか、二つのお寺並んでいるようなものなので記憶も曖昧になってしまっていました。
 鉄舟寺なら幕末の山岡鉄舟関連でここにT.Hijikataの墓がある可能性も0ではないでしょう・・・
 しかし今回の訪問でその墓は龍華寺のある事が確認できました。
  更に墓誌名の先頭に1912と言う数字を発見!
 (何と言う見落とし!、こういう肝心なところを見落としてはいけません)
 1912年は明治45年もしくは大正元年・・・土方歳三は明治2年(5月11日)1869年6月20日に戦死、、、となるとT.土方氏は歳三とは限らないでしょう。
 
 これは墓石なのか、あるいは記念碑なのか?
  何故こういう変わった色の石なのか?
  何故その時代にアルファベットなのか?
 何故名前をTだけの表記にしたのか?
  その人は地元の人?どんな人物?
 今でも子孫はこの地に居る?
  依然謎のままの事も有るし、新たな疑問も生まれるし・・・
 アレッ!?謎が増えた?謎はなかなか解けません。
  お寺の過去帳を見せて貰うしかなさそうですが、素人の興味本位にしては行き過ぎかな?。