なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

朝から暑いゾ

2010-07-17 03:13:42 | Weblog
 金曜日の朝、5時ごろに目を醒ましまてレースのカーテン越しに朝焼け雲と青い空が輝いて見えまして、今朝の第一感「今日も暑い一日が始まる」。
 大雨に見舞われているところもあるのですから、何とも贅沢で我がままな感想だと我ながら思いながらも、しかし「暑くなりそう」。
  『言うまいと思えど今日の暑いかな』なら素直ですが、『この暑さはどうなってるんだ?』『梅雨はもう明けたのか?』『気象庁は何やっている!?』と言う半ば自棄気味、半ば八つ当たり。
 しかし現実を超オーバーに言えば「どんな条件でも”今日一日”生きていかねば」・・・イヤ今日が特別な日では無くて、毎朝そう思うのです。
 何ともオーバーだけど。
  夏は未だ本番とは言えないのですから”先が思いやられる今日この頃”。

 ところで朝5時起床は、早いと言うよりは、、、この年のジイサマでも中途半端な早さかも。
  昨夜確か9時頃に自分の部屋に引き揚げて来て、『なんとなく疲れていて眠い』と感じながらもネットで一局、、その後観戦した筈ですが・・・その後の記憶が曖昧。
 と言う事は10時過ぎには寝ているかも知れないので、起きたのが朝5時なら「話の辻褄が合う」。
 話が飛びますが、前の晩にTV番組で再放送の「ドクターG・・・」を見ましたが、昨晩の番組の患者は「主訴=眠れない」。
 御蔭さまで私にはそういう経験が・・・マアこれを公言するといかにも「ノーテンキ」な性格であるかを宣伝しているようなものですが・・・無い。
 現実にねむければ寝るし目が覚めたら起きるみたいな・・・これでも勤め人ですからそれほど野放図でもありませんが、主として「流れで生きている」ので囲碁が強くなれない以外では悩まない、、、実際には「生かされている」と言う感じ。

 そうそう、夏と言えば夏休み、夏休みと言えば宿題、宿題と言えば作文、、、こういう風に連想が繋がって行って、作文のテーマとか読書感想のテーマ?”人は何のために生きる?”チョット重すぎ”ますが。
 たいていの作品の究極のテーマはそこのところ・・・そこのところに行く、、、答えによってなんの評価もされなくて本心を言っても良いなら・・・「生まれてきたから生きている」と答えるでしょう。
  点数評価をされる場合、テクニック上これは禁句。
 いかにも無気力な感じだし、いい加減な感じですが、自我と言うか気がついたら生きていたと言うのが本音ですから、私としてはそれ以上の理由を探す方が「恣意的」な感じがする。

 先日朝ドラの「ゲゲゲ・・・」で、漫画の話で「気がついたら猫の餌を買うために働いていた」という下りがありました。
 見方を変えると面白いと言うことです。
  私の最近の見た光景でもそういう経験がありました。
 例の公園での光景。
  大きな芝生広場があって多目的というかサッカー・野球など以外は何でも良いので、巨大ドッグランになって犬たちが走り回る事も有る。
 そういう光景を見ていると・・・
   「飼い主が普段家で飼っている犬たちを自由に走らせている」光景は見方を変えると、中には「犬の先頭を飼い主が走っている」場合もある。
 そこで一句「ドッグランは人が走るところなり」・・・オソマツ。