なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

徒然なるままに・・・

2008-07-16 16:44:56 | Weblog
 いや、何時だって徒然ばかりなので、別段のことは無いが、さしずめ今なら「ひぐらしパソコンに向かいて」となりそう。
 今日も今日とて、、、パソコンのキーボードの手を休めて、届く範囲で手を伸ばして手近な本を取っただけのことです。
 その本は「囲碁名言集」、書いた人はプロ棋士ではありません。
 榊山潤さん・・・何冊か本を書いておられるようですが、勉強不足のためまだ読んだことはありません。
 ですから、氏の書いたものは社会思想社のこの小さな文庫本だけです。
 まさにズボンの後ろポケットにスッポリト収まってしまうくらい小さいのと、2,3ページで1つの項目が終わるので、出かけるのに持っていくのに便利です。
  かなり日焼けしていて表紙カバーも少しスレている
  というのも、この本は確か古本屋さんで買ったものです。
 それも裏表紙に鉛筆で値段が書いてないところを見ると、100円均一のワゴンセールだったのでしょう。

 普通の諺と言うと、言葉のリズムがあって、話す方も聞く方にも調子が好いのですが、この本は「名言集」ですから、特にそういうリズムは重要視していない。
 そういう意味では少し、取っ付きにくいというか、愛想が無い感じがしないでもありませんが、逆に世に流布している諺を採取したのでは無くて、著者が自分で気がついた物を集めた感じがする。
 ですから、何回か読むほどに味わいが出てくる感じがする。
  もっとも、私は真面目な読者ではないしこの本は物語でもないので、最初から最後まで通読しないで、適当にページを開いたところを拾い読みします。
 そして、氏の選んだ言葉から、自分の経験から思い出など・・・

 「勘定あって銭足らず」
 イメージとしては小商いで、別の言い方をすれば”机上の理論と現実とのギャップ”でしょうか。
 私はこの言葉からは囲碁ではなくて、若い頃に勤めていた小さな商事会社を思い出します。
 会社と言うより「商店」です。
 例えば入り口の敷居を踏むと大怒られするのです。
 「敷居は商人の頭だ。それを踏むとは何事だ!」となるわけです。
 万事その調子で、昔であってもそういう習慣とは無縁な育ち方をしたものにとっては、新しいような古いような経験を積ましてもらいました。
 ですから今でも、他所様の家の敷居は踏まない習慣がついています・・・良い悪いではなく習慣なだけですが・・・
 さてその商事会社で「余るは、足らないの元」という言葉を刷り込まれた。
 銀行の〆と同じことで、余るのなら良いということにはならない・・・
 1円余るのはどこかで計算が違うのだから、不足を招く恐れも充分にある。
 「勘定あって銭足らず」は何故かその時の「・・・足らぬの元」を思い出させます。

 「君死にたもうことなかれ」
 勿論元は与謝野晶子ですが、これが碁会所ともなると・・・熱戦の結果一方の石が死に掛かっている場面です。
 それは心配をしていうのではなく、、、九分九厘相手の大石を葬った方が、相手が起死回生の手をひねり出そうと考え込んでいる姿を見ながら言う台詞なのです。
 言外に、『今更考え込んでもイササカ遅いですよ』というニュアンスがこめられていて、同情と皮肉たっぷりに言われる言葉です。
 そうであるだけに、余程親しい間柄で無いと使えませんね。

 「消えたものに意味がある」
 これはかなり深い意味がありそうです。
 著者は「何もしない」という選択肢というような意味で話をしています。
 また岩本九段の言葉「先手先手とそんなに先手が取りたければ、何も打たなければ先手ではないか」とか前田九段の「碁を負けない秘訣は、碁を打たないことである」などの例も引いて話が書かれています。
 私の連想は・・・「子供の頃には大きくなったら何にでも成れると思っているもの。なりたいと思いさえすればね。でも結局は一人でいくつも選べないわけで、、、何かを選ぶ訳だけれど、実際には選ばなかったものの方が多いものなんだよ」を思い出す。
 いや、全くたいした意味の無い言葉です、私が進路に悩む息子に言っただけですから・・・しかも何のアドバイスにも救いにもなっていない。

ある日飛躍出来るか!?

2008-07-15 18:03:12 | Weblog
 この間の土曜日は図書館に行って来ました。
 その日は月に一度の内科検診日・・・このお医者さんは4週間分の処方箋を出すので、薬が無くならないようにするので結局は月1です。
 この他に生活習慣病が4,5週間間隔で、更に総合病院の循環器が3ヶ月毎。
 よく、「生かされている事に感謝しなさい」と言う言葉を聴くたびに、『ハーイまさに、私はその見本です』と手を挙げたくなるくらいです。
 もっともお釈迦様にではなくて、もう少し世俗的なお医者のおかげではありますが、、、
 この日の病院は予約制ではないので、まずは順番取り、、、早く出かけたおかげでこの日は2番、、、囲碁の本を持っていって、座るところがあれば少々の待ち時間は文句を言いません。
 その次に調剤薬局、そして図書館の手順です。
 更にディスカウント薬局に、雑貨を扱う店と忙しく回りました。

 さて今週の図書館で借りた碁の本
『趙 治勲の 次の一手』 趙治勳 平成9年 棋苑図書です。
 図書館に置いてある囲碁の本はハードカバーの日本囲碁大系のシリーズ以外の半分は読んでしまった・・・実は図書館のこの方面の蔵書が少ないだけですが・・・ ともかく選択肢は非常に少ないわけで、”どれを選ぶか”と言うより”借りようかやめようか”と言う感じですね。
 したがって新しく本が入ってくればすぐ借りるのですが。
 ともかく、この本はまだ読んだことが無かったので借りました、、、例によって「裏表紙」・「前書き」が気に入って借りたのです。
 そこの一文に「・・・自分より強い人に『何でそんなことがわからないの』と叱られながらアドバイスされ・・・」というところがあります。
 強い人には当然のことが分かってなくて、何度も叱られる・・・
 何で趣味の世界で叱られなければいけないのだと思いつつ、一方で叱ってくれる人が居ることはありがたいことに違いないと思いながら・・・修行時代は複雑?
 そういう事を思い出しました。
 そして「ある日突然二階級特進している」のが碁だ・・・そうなれば嬉しい。
 イヤ一般論としては、昔からそういう風には思ってきました。
 努力の量に応じて比例的に伸びるのではなく、階段を跳ね上がるように”伸びる時は伸びる”・・・伸びない時は伸びないのですが。
 問題は私には既にそういう時期は過ぎてしまっているか否か。
 気がつかない間に既にありがたいお札見たいな効果は使ってしまっていて、もう今後は二度と起こらないのに、中国の「切り株の故事」みたいに待っているだけなのか?。
 そういう可能性は100%に近いような気がしますが、もしかしたら奇跡的に・・・果報は寝て待てと書かれている。
 マア、寝転がって読めるようにしたということです。
 大先生に寝転がって読んで好いよと言われると、それだけで嬉しくなってしまいます・・・そこがアマちゃんの所以でしょうね。

 私の苦手の序盤については三つのポイントが挙げられています
① 大場の価値を判定。
② 右か左か、大筋の石の方向を判断する。
③ 拠点(根拠)に関する要点は見逃さない。
 成る程、分かっているつもりの事柄なのに、序盤が苦手と感じるのは、言葉として聞けば分かっているつもりになっているのに、実際には分かって居ない証拠ですね。
 まづはこの本の問題に取り組んで、後は意識しながら実戦を打つことなんでしょう。

 中盤の心得として挙げられている二点
① 戦う前に彼我の強弱を判断。強い方面では強く戦い、弱い方面では戦いを回避する。
② 拠点(根拠)に不安があると強く戦えないので、拠点の要点は見逃さない。
 ごく当たり前のことだと思えるのですが、もしかしたらこういう事が心と囲碁の技術の隙になっているかも知れません。
 つまり、ごく基本として分かっているつもりになっていること・・・実はそれが単に言葉の知識に過ぎなかったら、きっとどこかで破綻する局面があるでしょう・・・イヤ実際ある。
 ですから基本であることは、それを意識しながら繰り返すことでしょうね。
 非才なザルにはそれしか道は無さそうです。

 最後に終盤に関して「ヨセは実力の証明」とか 
 これは尊敬する趙先生にですが、やや疑問を呈するものです。
 私が考えるに、定量化が難しい序盤より、数値化しやすいヨセの方が取っ付き易い気がする。
 もっともそれはアマの、しかも低レベルでの話で、ハイレベルの世界を知らないから言えるのでしょうね。
 いずれにせよもう「或る日突然」は無いでしょう・・・ね。
 
 

コーチ屋?

2008-07-14 18:23:12 | Weblog
 最近でもこういう商売はあるのだろうか。
 私が若い頃はしかるべきところに行けば必ず居た・・・困ったものだけれど居た。
 暮れの中山が有馬記念で終わるとその年の中央開催は終わりで、年明けの金杯までお休みとなります。
 しかしレースファンにとってはそのせいぜい10日が寂しいわけで、暮れと年明けは「地方」の船橋に通うことになる(行かなくても良いのに)。
 私の場合も1年でこの時期だけは船橋に行ったものです。
 当時の馬券発売窓口は、まだ機械化が進んでいなくて馬券ごとに違う窓口で買う事になります。
 薄い紙にパンチで数字が分かるようになっている。
 そして3種類の馬券を買おうと思ったら3箇所の窓口に並ぶのです。
 したがって人気サイドの券は窓が2つとか3つに増設・・・そんなですから時間一杯になると大変な忙しさ、そんなところに私設馬券なんていうのが付込む隙があった。
 藁半紙を小さく切ったメモ用紙を渡されて・・・突き返すのも恐いから受け取ります。
 側にバスの車掌さんみたいな、ひも付きのカバンをに札束を一杯持ったお姉さん・・・地方競馬の印象は私設馬券と、いかにも知り合いみたいに声を掛けてくるコーチ屋でした。
 馬券は、何処の窓口に並んだかを見ればその人が何を買ったかが分かる・・・そこで件のコーチ屋が登場します。
 「山ちゃん元気にしてる?」突然肩を叩かれてこういう風に声を掛けられます。
 もし私の知っている山ちゃんのことをイメージして、その知り合いかと思って返事をすると、そこから話が繋がって行き、結局は「教えるとおりに馬券を買いなさい」となる筈です。
 もしその通りに馬券が当たると、レース後にコーチ料の集金に来るらしい。
  ですから返事をしないに限る
 プロのコーチ屋はいろんな人にいろんな馬券を教えるらしいから、誰に何を教えたのか憶えるだけでも”凄い”職業?・・・マア困った商売ですが。
 今は電子化が進んだから、この職業?も成り立たないでしょうね。

 これが囲碁の場合・・・馬券のコーチみたいに勝手に教えて料金を請求する人はいませんが、自分より1ランク2ランク下の人に教えるのが好きな人はいますね。
 ”居る”と言うかよく見かけます。
 きっとお金を払ってでも教えたい口でしょうね。
 まるで自分が打つより、人の面倒を見るのが趣味みたいな人。
  よく、対局しながら隣の盤が気になってしょうがないというような・・・自分の碁はそっちのけで隣の碁の解説を始める人・・・
 それでも一概に迷惑だと片付けられない面もあります。
  例えば下手の中にはこういう人にお”お世話になっている”と感じている人もいるようですし・・・こういう人が居るからその碁会所に通ってくると言うこともある。
 少なくとも、その碁会所に来てその人が居れば放って置かれる心配は無いわけですしね。
 教える方も、教えている間は”先生”であるし、少なくとも”先輩”ではあるわけですし・・・人間は本来教えるのが好きかも知れないし。
 ともかく”自分より一寸強い人”と言うのが良いのかも知れない。
 感覚的には分かり合える共通点が多いのかも。
 
 さてこういう”教える”と言う事は、場合によっては嫌味な感じを含む押し付けになることが怖い。
 それに棋力が大きく違うと、”別世界”の人ではありませんが、教わるほうもかなり腰が引けてしまうようなところがあります。
 少なくとも私はそういう風に感じてしまうので、基本的態度としては黙って見ているわけです。
 観戦して感じたことはあっても横から口を出すことは無い。
  これは何かを言うのが嫌なわけではなくて、逆の方向からの遠慮なのです。
  それに、周りに拒否されたくないという臆病な態度でもあります。
 但し、局後に聞かれれば別です・・・この場合は「私はこう思う」と言うカッコつきですが感じたことを話します。
 ですから、普段は黙って見ているわけですが、困った時もある。
 もし「先輩格」の人が”弟子”に間違った解説をしていたら・・・
 どう考えても間違った解説をしてたら、、、あるいは戦いの場面で結果が入れ替わるような、、、
 さてその場合、横から頼まれもしないのに訂正を入れるとしたら、先生の顔を潰して、弟子との関係を壊すことにならないだろうか?
  イヤ、私の想像では両者から「頼まれもしないのに余計な事を言うオヤジ」という烙印を押されそうな気がします。
 それでも、そういうことより”真実”が大事なのかハムレットになってしまいます。?
 イヤ。もしかしたら横で見ている私の方が間違って居たら・・・
  黙って出来るだけ無表情で見ているようで、結構嵐が吹き荒れている場合もあるのです。
 それと黙って、かの先生の説明を聞いていることが「肯定」となるかも知れない・・・などなど。
 観戦は好きだけれど、リアルの観戦はなかなか大変です。

知らない間に分かれ道?

2008-07-13 16:09:17 | Weblog
 私は若い頃はほぼ毎日碁会所に通っていました。
 最近は勤め先から真っ直ぐ家に帰ることが多くなった分、碁会所からは足が遠のきましたが、その頃は土日は言うに及ばず平日でも勤め先の帰り道に家に帰る前に必ず碁会所に顔を出したものです。
 アフター碁で酒の付き合いはなかったのですが、碁会所の隣が雀荘だったので誘われれば・・・そういうことで子供たちにとっては碁は親の仇に近かったかも知れませんね。
 ともあれ、そういう生活リズムを四半世紀続けまして、、、金儲けも出世も名誉も無縁な人生で、、、尚且つその大好きな碁で何かしら頭角を現したかといえば全くそういうことは無く、ただひたすら好きな碁に関することをやっていただけ。
 マア、大きな目で見れば家族・とりわけ女房殿にそうさせて戴いていたということなのでしょうから、もしかしたら孫悟空を手のひらで遊ばせていたお釈迦様みたいな感じ?、、、時々角を生やしますが。

 ところで、私の通っていた碁会所・・・条件として毎日寄れるためには車で寄れ無ければならないので、そこに通ってくる人の中に所謂”強豪”が居るかどうかということは考えませんでした。
 通い始めた時は入段前くらいですから、そんな視点から見れば初二段なら当面の目標で、三、四段なら充分強い人たち。
 それ以上なら”かなり強い人”ですから雲の上の人たちです。
  当時は今と違って囲碁関係の出版も少なく、指導碁やプロによる囲碁教室なども少なかったから専門棋士なども殆ど無かった。
 特に地方ではそうでしたから、東京の隣の県でも条件はほぼ同じ。
 もし希望するなら、市ヶ谷に行くか八重洲に行くかしなければ、プロ棋士と出会う可能性はまず無かった。
 初めてプロ棋士なる人を拝見したのは、、、東京寄りの隣の市にある大きな碁会所にプロ棋士が出稽古に来ているのを見かけた時です。
 初めてプロ棋士の置き碁を見た・・・少し離れたところから遠慮がちにですが。
 碁会所の人から「あなたもどうですか?」と誘われたけれど、人前で教えてもらう勇気は無かったですね。

 もしかしたら、ここが大きな分かれ道になっているかも知れませんね。
 当時の指導料がそれほど高かった記憶は無いので、ただ人前で打つ勇気が無かっただけですね。
 それも大きな勘違いをしている。
 もしかしたら、プロに7つ置いてボロボロにされたら恥ずかしいと考えていたに違いない、、、それも人前で。
 しかし、自分の碁の悪いところを指摘してもらえるというメリットは見えていないわけです。
 
 この指導碁のコーナーである若い人(当時の)の指導碁を見ていました。
 イエ、本当は終局辺りだけですが・・・
 どうやら多子局の指導碁で黒はかなり酷い結果で投了したらしい・・・多分教えて貰う側から見ると「よもや」の敗戦だったらしい。
 恐らく若者から見れば「これだけ置けばいくらプロでも・・・」あるいは「この碁は頂き」気分が覆された一局だったに違いない。
 先生が「では、初めから並べて見ましょう」という声に答えずに、若者は無言で席を立った。
 私はそれを見て流石に若い人の行為に「無礼な」とは思ったものの、自分が指導碁を受けた場合もしかしたら似たような状況になるのではないかと想像してしまった。
 
 要するに指導碁の意味が分かっていなかったのですが、ともあれ「指導碁を受ける勇気」が無かった。
 あるいはおなじ勘違い・間違いにしても、「負けても負けても先生にぶつかっていく」覇気が無かった。
 いずれにしても、どちらも無かったのが今でも悔やまれることです。
 その時から十数年後にはプロの先生にボロボロにされながらも懲りずに指導碁を受けたのですから、、、それも人前であろうがそういうことは感じなくなって。
 しかし、植物に肥料をやるのに時期が大切なように、丁度良い時期というものはあるでしょう・・・ですから「やらないよりは良いとしても、遅きに失した」感があります。
 初めに出会った時、それが大きな分かれ道だったかも知れません。
  そうすれば今とは2ランクくらいの差?・・・イヤ、もしかしたら50歩100歩?。
 「もしも」「たら・れば」ですが、いずれにしても悔いの多い人生です。
 
 

そろそろ負ける頃

2008-07-12 16:19:47 | Weblog
 ここのところ調子が好かった・・・これが単に相手のミスに助けられただけの錯覚なのかどうかが難しいところ。
(実際には相手に助けられているのを「強くなった」と勘違いできるから幸せな瞬間があるのだと思いますが・・・)
 よもや基礎体力が上がったということはあり得ない・・・それは間違いないと自覚しています。
 上がれば叩かれるのが点数制度なので、お約束どおりと言うか見事に吹っ飛ばされました。
 私の今の点数は自己MAXの点数より10点近く下ですから、本人としてはあと5点くらいは上(MAXより5点程度下)でバランスを取りたいとは願っている。
 ですから、最近好調とは言っても暫定目標より5点くらいは低いところでウロウロしているから、何とか後5点上には行きたいとは思っている。
 そうは言っても現実には、この点数より7,8点低いところがMINみたいな感じなので、「結構頑張っているじゃない」という気分も無いわけではないけれど、ともかくMAXより下だから満足するわけにもいかない。

 さて、この時の相手は、、、私の仮想の平均点より高いところに暮らしていた筈なのに、その時見ると私より10点近く下になっている。
 ということは、手合いは向こう先で白からコミ3目半出し。
  普通ならせめて互い先、それでも苦しいのに逆コミですから至れりつくせりの大サービス。
 対局前からこれですから、結果は火を見るより明らか。
 対局待ちリストに彼の名前と点数が表示されているのですから回れ右すれば良さそうなのに・・・それもせず、かといって「何するものぞ」と鉢巻姿で行けば良さそうなものを・・・
 「やっぱりダメだろうな」と思いながら申し込みボタンを押しているのだから、無気力と言うか情けないというか。
 そして対局してみて、やっぱり相手は現在の表示点数以上に実力発揮。
 もしかしたら、対戦相手の名前と点数を見て「ラッキー!」と叫んでいたかも知れませんね。
 相手に充分に実力を発揮されてしまい、私の方も実力を晒したというところ

 ともかく序盤から打ちにくく、1手30秒の早碁なのに10手も打たないうちに考え込んでいる。
 そこだけ見たらまるでプロみたい何だけれど、実態は単に「分からない」だけであり、且つ迷っていて決断がつかない状態ですから情けない。
 しかも迷いながら「最上級のプロと、下のほうのアマのヘボが見てくれだけは似ているぞ」などと他人事みたいに喜んでいるのだからわれながらアホ。
 相手の言い分に真っ向から対決した途端に潰されました。
 マア、潰されないように打てばもっと惨めな敗戦でしょうから、仕方ないといえば仕方ない。
 それにしても、相手が強い・自分が弱い・・・それに相変わらず序盤が悪い

予想外?の次の手

2008-07-11 17:49:23 | Weblog
 このところ毎日1局のペースで対局しています。
 平日も週末もおなじペース。
 平日は一風呂浴びてから寝るまでの間の時間、土日は時間がある割りに対局が少ない感じもしますが、本を読んだりスポーツ観戦したりの時間の合間で、且つ囲碁の観戦もありますから、結構これでバランスは取れているようです。
 さて、平日水曜日に休暇がありまして、この日は昼間に1局・・・夜、暇だったら特別にもう一局打てば良いだけですね。
 相手は顔なじみのK氏、大学時代の同級生と同姓同名で、、、彼の出身県とK氏の在住県が同じです。
 同一人物の嫌疑?濃厚ですが・・・果たして
 私の方は同姓同名が少ない名前なので、もし彼が同級生なら知っていながら知らない素振りということになる。
 私の知っているK君なら、そういう事を楽しむ性格もあったから、何とも真実は分かりません。

 さてそのK氏には囲碁では相性が好いらしく3連勝中
  彼は早碁が好きらしく、今日もその条件で、向こう先で白からコミ五目半出し
 中盤で、彼の弱い石を捕獲したのは好いけれど、私の弱いところを狙われて・・・大石が分断され逆に攻め立てられる展開となりました。
 考えて見れば彼との碁はこういう展開が多いようです。
  今日もそういう展開ですから、私が相手の大石を捕獲したまま自分の石を凌げば逃げ切り勝ち。
 しかしシノギが無ければ黒の勝ちとなります。
 ただし黒が白の石の苛め方が半端だと以外に細かくなる可能性もある。
  そういう中盤戦で1手30秒の早碁
  私の方は考慮時間10の内9分は残っていて黒さんにも7分くらいはある。
 さてここで、私の方に何とか凌ぐ灯りが見えてきた。
 白は最低限コウ含みで生きに行く手がありそうで、しかも白が生きると黒に危ない石が出てきます。
 ということは、黒としてはかなり大きな負担があるコウ
  早碁ですが、黒さんここで長考・・・そして次の一手は
 「打ち掛け要請」でした。
  急な来客が来たか、体調が悪いのか・・・しかしタイミングが悪すぎる
 この碁で尤も決定的な瞬間のはずです
  マア、そうは言ってもプロの名誉と生活を賭けた闘いではないのですから、どちらでも構わないようなもんですが、何故か私はこういうとき鬼になる。
 自分では絶対に打ち掛けは要請しない、、、それなら投了すればよいだけです
 ですから答えは一つ、「要請拒否」
  次の瞬間黒氏は「投了」
 マアそれで好いとは思うのですが、いざ「投了」されると何だか悪いことをしたみたいなホロ苦さが残る対局となりました。

これも見落とし?

2008-07-10 17:50:42 | Weblog
 今回図書館から借りた本を読んでしまっていたので、手近にあったNHK囲碁講座7月号をめくっていると、全部読んだつもりが見落としがあったことに気がつきました。
 所謂本文ではなくて、CMのページです。
 それも、囲碁関係の本の紹介ページ以外は素通り状態なので、こういうことが出ているのは全く気が付かなかったのです。
 週間碁会員スペシャルキャンペーンと言うタイトルのページがあります。
 この期間内(7月31日まで)に新規会員申し込みをすると豪華賞品が当たる
 A賞が2寸盤セット・・・これは椅子席などの碁会所でおなじみだし、家でもテーブルの上でも使えるし、ベッドサイドのキャスター付きテーブルの上でも使えそう。
 B賞は一流棋士指導碁ご招待・・・2名様
  定期購読の契約をすれば当たるような気分になっている自分に気がつきます。
 全くCMの好いターゲット、普段はかなり悲観的な気分で生活しているのに、突如超楽観的に大変身している。
 しかし高尾紳路の顔写真が付いているのだが・・・但し(指導棋士は変更になる場合があります)とまさにカッコ書きが付いている
 記事を見た時は『おッツ!』と言う感じでしたが、この辺りから心が徐々にクールダウンしてきました。
 大雑把に考えると新規開拓による利益増から経費を差し引いた範囲内の予算でしょうから・・・さてどの程度の見込み?などと考えたり。
 募集期間が3ヶ月余りでA賞1にB賞2、、、さて一般の商品の懸賞とは違うのですがどういう倍率なんでしょうね。
 当たれば嬉しいのは間違いないけれど、商品目当てで会員になるのは・・・
 しかもカッコつき・・・高尾さん以外の可能性がかなり高そうで・・・一流棋士というけれど、たいていの懸賞商品は[高級]商品ですし。
 それ以外のC賞は張名人の直筆色紙(2名)、D賞は梅沢由香里さんの写真パネル(2名)、E賞2008年囲碁年鑑15名・・・
 さて、当たれば嬉しいけれど、当たりの数がかなり少ないようなきがしますから、入会したものの当たらないという可能性のほうが高そう・・・ですから、景品目当てでの入会・定期購読はどうも・・・。
 確率はともかく新聞勧誘的センスみたいな気がします。
 昔、新聞契約をすると洗剤とか・・・新聞代3ヶ月無料とか・・・後楽園のナイターチケットをくれるとか

 さてこのCMページの裏は関西棋院の「アマ囲碁段級位紙上認定」があった。
 1から12問まで問題が並んでいます・・・関西棋院からNHK囲碁講座に出張販売といったところでしょう。
 驚いたことに、問題に応募すると・・・9級から7段まで認定とある。
 初段までは6問で2段以上は全12問に答えるのですが・・・7段までを紙上問題で認定してしまうというのは・・・絶句ものです。
 死活と手筋以外の[布石][中盤][終盤]の問題は5択です
 確かに出鱈目に答えて当たる確立は4択よりは低いし、3問全部成果の”確率”は125分の1ではあるけれど・・・
 難しい問題が含まれていたとしても、やはり5択。
 自分でやってみてどれだけの成績を取れるかはわかりませんが、何だか釈然としない。
 紙上テストで認定と言うこともあるし、もう一つ全問ノーヒントでは無いのに、、、5択と言ういわばヒントを貰って良い成績なら7段とは。
 7段て県の代表クラスの力があるはずでしょう。
  ですから、出来たら実戦・あるいは指導対局、せめて何かの大会の公式戦(予選も含む)の棋譜などで審査をしないというのは納得いかない気分。
  尤も認定されたとしても免状を希望すると、それは有料らしい・・・やっぱり
 相当の負担金を払ってでも免状を欲しい人に、有料で免状を発行しているだけだから「貧乏人は口を出すな」みたいなものかも知れません。
 まさに出る幕は無いのですが、しかし何時までこんな馬鹿げた(と私は思うのですが)ことをやっているのでしょう。
 マア、世の中のインフレ物価のように生活には響きませんが・・・。
 

得意技封じに返し技?

2008-07-09 16:26:22 | Weblog
 相撲では得意技が、、、押し相撲、四つ相撲などがあって、押し相撲にも突っ張りとかぶちかましとかあるし、四つ相撲にも右四つ・左四つ・もろ差しなどあります。
 利き手・利き足の類もそういう部類かも知れませんね。
 例えば幅と跳びとかジャンプでは必ず左足で踏み切る。
 野球なら必ず右手で投げる。
 もっとも打つ方はどちらでもやるので、相撲で言えばナマクラ四つみたいなものかも知れない。
 どちらも上手と言うのではなく、どちらでも大して変わらないといレベル。
 普通バットを振る時、右バッターなら左手で振って、右手は舵の役目で微調整するわけです。
 これが右手の力が強く関与し過ぎると捏ねるようになる。
 子供の頃この話を聞いて、私は子供ながらに考えたものです。
 『自分は右利きですから多分右手の力が強いはずだから、力のあるほうの手がバットを振る方がパワーを出せる。後は左手の舵は慣れでなんとかする』
 以来草野球レベルですが、右打席はアヴェレージヒッターで左の場合はパワーヒッター・・・。
 もっとも体力測定では、右手の握力より左の方がはっきり強いのですから、なんだか訳が分からない感じです。
 性格もナマクラなら、体もナマクラですから、、、辻褄が合ってはいる。

 ところで囲碁でも、あるプロの先生によると「得意の形を持ちなさい」・・・
 得意の作戦だったか、得意の定石の間違いか定かではありませんが、ともかく得意パターンを持つことで、その周辺の理解度を深める・広げるという意味で「まず得意の形を作る」ことを勧めているのですね。
 何が何でも一つのことに拘る「○○の一つ憶えと」という意味ではなく、自信を持って打てる形を大事にするということでしょう。
 これは気持ちの余裕も違うでしょうから、心理面でも大きな差がありそう。
  尤も私の場合は、先生にそういわれる前から「・・・一つ憶え立ったかも」
 ともかく地を稼いで逃げる・・・その上で、相手の大模様が大きすぎれば消しか打ち込みか・・・そういう碁です。
 打ち込んで凌ぎ形に持っていくあのスリルはたまらない・・・ロッククライミングみたいな・時々墜落しますが。

 そう言うジイサマなので、ネットで顔なじみは二つの作戦のどちらかで来るわけです。
 ①、地を与えるが、代償で得た大きな模様を消しに来た時にとっちめて致命傷を負わせる。
 ②、相手の得意技を封じるために、先に地を稼ぐ作戦で相手に”模様”に回らせる。
 大体この二つが多いのですが、先日は②の作戦で相手が打って来ました。
 向こう先で白からコミ1目半出し
 そして足早に地を稼ぐ・・・ひさしぶりに模様の側に回りました。
  この場合少し矛盾することを考えることになる。
 「模様を地にしようと思うと小さく囲わされて地が足りなくなる可能性大、、、さりとて、相手は確定地を既に持っているわけですから地を無視することは出来ない、、、これは何も目印の無い大海原に国境線を引くみたいな感じですね。
 ですから地を作りたい方も、地を制限したい方も、何処に仮想国境を置くか難しいところがある。
 先日の黒さんはそこのところが慣れていなかったかも知れません。
 つまり「程ほど且つ・黒有利な交渉」ではなく、白の財産を一切認めない作戦
 マアそれが巧く行けば一番話が早いのですが、それはあんまり強欲な作戦。
  きっと私の得意形を意識しすぎて勇み足だったのでしょうね。

 さてこの頃は地とか模様ではなく、なるべく序盤から相手の石の形を少しづつ崩して歪めていくことを意識しています。
 口で言うほどカッコ好くは出来ませんが、意識としては心掛けている。
  もしかしたら、こういう事が小さなステップになっているかもしれないとも意識しています。

今だけの対局があるかも

2008-07-08 17:29:28 | Weblog
 金曜日、勤めの帰りに途中のベーカリーにふらりと寄りました。
 私はパンがすきなんです・・・食事は一応米食なんですが米食党と言うほどではなく、仮にご飯がパンに置き換わっても一向に構わない。
 ファミレスのランチなどではライスでは無くパンを指定する方です。
 外国のホテルでの食事でも、焼きたてのパンなどがあると喜んで食べるのです・・・冷めないように白い布巾で包んであったりすると何とはなしにムードを感じたり・・・マア早い話がライスだと日本人離れを感じるくらい箸の操作が下手だし、持ち方が美しくないし、パンなら手でちぎって食べれば良いわけで、、、
 パンが好きなのと、ライスをたべるのが下手なのが競合している。
  パンを好きなのにはもう一つ理由があります。
 母の実家が卸売りを兼ねたベーカリーだったのです。
 母の兄と弟・おじさんたちがやっていて、祖母や伯母が手伝っていたから、おやつSOSならば「おばあちゃん居る?」と覗くのが定石。
 これは小学校から高校まで続いた
  特に高校の時など、このベーカリーがお昼に販売に来ていたから随分世話になったものです。
 当時は昼休前に大体お弁当は終わっていましたから、、、安心して早弁出来たものです。
  
 そういえば高校時代オジサンのベーカリーでアルバイトをしたことがあります。
 冬場のことであり、当時の担当が蒸かしたパンとブドウパン。
 蒸し器の蒸篭は熱いし、かなりの高さがあったから緊張したけれど、ブドウパンは楽しかった。
 叔父が定量に計った生地を私が干しブドウが入っているバットに叩きつける役。
 そんなにムキになることも無いのですが、叩きつけるのが面白くて・・・力いっぱい叩きつけるとパン生地に一杯干しブドウがくっつきます。
 ですからこの時期のブドウパンは大サービス品だったはずです。
 そういう思い出と関係があるのか、今でもブドウの入ったパンは好きですね。
 イチジクや胡桃なども好きですが、ともかくブドウが入ってるのが良いです。
  ですから、立ち寄ったベーカリーでいくつかパンを買うとして、必ずブドウ入りのパンを買います・・・それで、この日買ったブドウパンの中に一杯ブドウが詰まっていた・・・食パンの形で半分に切って売っているから、中身を見せている。
 中身が一杯あることが売りらしい。
  これは私が高校時代に勝手に作ってしまったブドウパンときっと同じだと思いました。
 
 さて件のブドウパンを一口齧って、夕方ネット碁に。
 居ますね、熱心な囲碁ファンが・・・ちらほらと女姓と思しき名前が見えます。
 この頃少し増えたのだろうか?・・・もっとも未だ1割には程遠いですが。
 それでも、オジサンととしては何故か女性の名前がリストにあるだけで嬉しくなってしまいます。
 よくお客に若い女性が多いと、店が流行るみたいなことを言いますが、ネット碁でもきっとそうでしょう。
 そうだとしたら面白いですね。
 男性は女性囲碁ファンが居るとなんとなく楽しくて、女性ファンは同じ女性が居るとどこか安心するらしいから、結果として商売繁盛ですね。
 IDネームで打つところは、ネームがいくら女性っぽくても、それは必ずしも性別を表していません。
 アレは記号ですから性別とは関係の無いもののようです。
 寧ろ女の子みたいな名前で相手を油断させておいてバッサリなどと言う意図があるかも知れません。
 実名サイトの場合は、分かりにくい名前もありますが、まずまず常識的に考えて判断できるでしょう。
 それと時代を感じるネーミングもありますし。
 もっとも、現代女性風の可愛らしい名前の方が、囲碁も可愛らしいとは限らないのがオジサンの泣き。
 相撲用語で言うと、こちらが可愛がられてしまうことになりかねない。
  名前からして、多分若い人でしょうから、あちらは登り調子で、互い先で相手をしてもらうのは今だけかも知れない・・・
事実過去にそういう事がありました。
  その時は知らなかったのですが、ネットである人と対局しました。
  互い先で確か1勝2敗だったはず・・・その相手がドンドン強くなってしまいました。
 後で分かったのですが、私と対局した時は中学生で、今ではもし対局すれば確実に2つは置かなくてはいけない・・・多分4局目は無いでしょうね。
 そういう一期一会もありそうです。
 
  

思い込み

2008-07-07 17:47:49 | Weblog
 私のネットでの対局成績・・・ここ2,3年の200局程度ですが・・・を見ていてかなり偏りがあることに気がついたのです。
 白番の対局が多いのです。
 自分より強い人と打つと苛められて相手を楽しませるだけとか、逆に白番だと下手イジメみたいに苛めて楽しい?とか、そういうことは無い。
 第一先か向こう先くらいの手合いで、上手とか下手みたいな意識はお互いに無いでしょう。
 それでも対局数にするとはっきりと差があるので、やはり「対局待ちリスト」に強そうな名前が出ていると気後れしているのでしょうね。

 そういうこととは別に、自分としては白番のほうが得意みたいな勘違いをしていたらしい。
 性格とか気分では白番の方が好きであることは間違いないのですが。
 つまり、白番ですと序盤であれこれ考えなくても良い様な気がする・・・あくまで”気”だけですが。
 先番の黒さんがコミを意識してやってくるのを、白は考えればよいような、、、
 黒さんのプレゼンを白は吟味して、気に入らなければ突き返せば良いというような気分ですね。
 別の例えで言うと、きっとバレーボール感覚です。
 相手のサーブが強烈であろうと、キチンとレシーブできればまず初めの攻撃権はこちらが握れるみたいな感じです。
 ですから黒が描いた絵に沿って碁盤が進んでいるように見えても、実はそれは黒のみの意志ではなくて、白の承認があってのことだと考えているところがある。
 尤も、白の意識が無視されることも多くて、これが乱戦のきっかけとなりますが

 ともあれせっかく、対局記録があるので例によって拾って見ると
 白番で、互い先など半目でも黒からコミが出る対局では36勝33敗
 逆に向こう先で白がコミを出した時は32勝27敗
  確かに白番合計で68勝60敗・・・マア勝ち越してはいるけれど、”得意”といえるような数字ではありません。
 対して黒番の場合
 私が先番でコミを出した時、20勝13敗
 逆に先番でコミ貰いでは、14勝8敗
  これは合計で34勝21敗、勝率0.618・・・マアそこそこ優勢の内?
 ともあれ自分の感じ方とは違って、データは少ないけれど先番の方が勝率が良いではありませんか。
 と言うことはもっと先番で打つ相手を見つけて挑戦するのが”お得な作戦?”
 マア、同じ相手でも点数が上になったり下になったりで、先後が入れ替わったりしますから先後だけでなくて、相性みたいなものも影響するかも知れませんから一概には言えないとは思いますが、、、自分でも驚くデータでした。
 但し、黒番であっても自分で序盤構想みたいな絵を描けないのが悩み・・・多分白さんが多少無理して主導権を握りに来る時にチャンスがあるのでしょうね。
 

アリバイ証明?

2008-07-06 21:14:03 | Weblog
 日曜日の午後良い気持ちでまどろんでいるところを、突然起こされてしまいだいぶ不機嫌状態になりました。
 蒸し暑い天気ですが、私の部屋は北東向きなので午後は日が当たらず、風通しも良いので気持ちよく囲碁を打てると思いネットに繋いだのですが、、、アテと褌の類で思惑が外れました。
 どういうわけかタイミングが悪くて対局できません。
 対局待ちリストに自分の名前を載せて・・・待つことしばし・・・マア相手が現れず。
 こういうときは寝て待つに限るということで(対局待ちを取り消して)良い気持ちでお昼寝・・・マアそういう年です。
 ところが車のエンジンの音と、子供たちの甲高い声、母親らしき人たちの話し声で眠りを醒まされた。
 そういう町の中で暮らしているのだからある程度の生活音は仕方が無いとは思うのですが・・・しかし、これがどういう状況かと言うと、、、
 ご近所の住民家族がどこかに遊びに行って、親戚か知り合いの人に送ってきてもらったらしい。
 そして、我が家の窓の下の路上で下ろしてもらい、そこでなにやら話しこんでいる・・・子供は大きな声ではしゃいでいる・・・車のエンジンはこの間かけっぱなし。
 日曜日ですから子供を含めて家族の楽しい場面は、傍迷惑でも多少は我慢するとして、車のエンジン音はちと困る。
 こういう停車中エンジンかけっぱなし状態は、先日ニュースでやっていた運送用のトラックの休憩など、夏にクーラーをかけたままで停車をするために起こるらしい。
 話が終わってから車に乗り込むときにエアコンが効いていないのが嫌なんですねきっと。
 エンジンをかけたままの車の近くで子供たちははしゃぎ、運転者らしき人は車を降りたところで携帯でなにやら話しをしている・・・(走りながら携帯も問題ですが)、しかし、彼らの家族団欒に水を差すのも嫌なんだけれど、いかにも『他人の迷惑は眼中に無い』という感じです。
 思わず「車のエンジンは止めて置いてくれ!」と叫んでしまった。
 これでまた、ご近所では小うるさい意地悪ジイサンという悪名が高くなるでしょう。

 ところで今日は(も)酷いニュースが流れていました。
 「大分県での教員採用に関する贈収賄事件」
 教員の親が子供のために教員採用試験に受かって採用されるように担当方面の有力者に100万円を贈ったとか・・・それもこれ1件ではなく慣例化されていたような、、、
 私らの若い時代には「でも・しか先生」という言葉があったように、教員はそれほど人気のある職業ではなかったのでこういう酷い事は無かったように思う。
 寧ろ「聖職の碑」ではないけれど、教員の親の姿を見て育って、親と同じ教員を目指すなんて美談に近いような気がしたものです。
 昭和40年代の後期くらいには「採用試験には受かったものの、実際の採用通知は来なかったので、翌年も再び採用試験を受け直す」などということも起こって来ましたね。
 そして最近では教員養成数に較べて実際の採用数のバランスが取れないので、大学の養成課程の学生を減らす時代です。
 時代が変わって、採用通知を得るのは楽では無いと言える。
 そこにコネをフルに使ってもぐりこもうとする人が出てくる。
 しかも1度なってしまえば余程のことが無い限り首にはならないし、末は教頭・校長になる気が無ければ、ほぼ出世とは縁のない世界だから、寧ろ100万円は安すぎる?かもしれない・・・1年で元が取れますから・・・
 それはともかく「教員の子供が教員になっている」場合、この県ではきっとこの種の事件との関連性を疑われるに違いない。
 警察とか関係方面での調査が進んでいて、関与がある人は処罰されるとは思うが・・・他人事ではあるけれど風評被害と言うものが心配。
 私のこの事件を聞いた時の第1感はそれです。
 悪いことをした人が処分されるのは当然として、教員の子供が教員になる時に全員が贈賄に関与したとは思えない。
 寧ろ一部の人間だと思いたいが、、、悪いことをした証拠が見つかれば処罰されるとして、「やっていない事を証明することはほぼ不可能」ですね。
 警察とか教育委員会で問題のある人を公表するのは当然として「Aさんは教員の子供ですが、採用に当たって悪いことをしていません」などとは言わないはず。
 ですからAさんは本当は白なのに、一般社会からは灰色にされかねないような。
 マア取り越し苦労だし、大分に親戚も無いけれど、まずは感じました。
 やったという証拠があれば有罪性は証明できますが、やっていないという証明は難しい・・・そこへ持ってきて状況証拠(本当は証拠ではないはず)みたいなもので噂になったら・・・

 それにしても、食品偽装など「見つかっちゃったら御免なさい」が多すぎます。
 大手の保険屋さんも・・・一流企業のトップ連が並んで頭を下げれば少しは罪が軽くなるんでしょうかね?
 あれって犯罪ではないのでしょうか?
 見せしめに晒されると見るか、それとも一流企業だからあの程度で許されると見るか。
  ともあれ、お金を使って我が子を教員にした影で、本来採用されていたはずの人が押し出されているんですよね・・・同時に二人の人生が変わったのかも知れませんね、ここが辛い。
 

久し振りの3連戦

2008-07-05 16:45:07 | Weblog
 3連戦と言っても、一日で3局打つわけではなくて、毎晩1局ずつ3日続けたということです。
 実際に対局はしない日もネットには接続して観戦はしていましたので、接続リストには私の名前も載っていたし、お馴染みさんたちも変わらず打っていましたから、リアルで言えば石を持つのが久し振りということです。
 少しずつではあるけれど、メンバーも変わっていくようです。
 私が入会した頃のお馴染みさん以外に新しい名前が入っています(嬉しいですね)、いや正しくは動いていくという感じだと思う。
 新しい名前を発見すると、思わず在住県とか対戦成績を確認してしまいます。
 マア、同じ碁を打っているわけですし、県によるお国柄と言うものが無いとしたなら余り意味の無いことでしょうが、つい確かめたくなってしまいます。
 (実際には”方角が悪い”県があるようなので・・・)
 そして対戦が100局以下などでは、「もしかしてまだ点数が落ち着くところに行っていないのか」などを調べてみたくなるのです。

 自分でもどうでも良いことを気にするような感じですが、例えば100戦60勝40敗の人が居たとして、、、この人は入会して登録した点数から20点アップしているのですが、その内容のパターンとして初めに20連勝して、その後40勝40敗なのか、あるいは6勝4敗ペースを維持しているのか・・・ここが気になるところ。
 つまり、彼は今の点数が一応の落ち着きどころ・例えば対局数が増えても500勝480敗(+20)なのか、マダマダこのペースで上に行く可能性が強いのか・・・
 マア気にしたってしなくたって結果は変わらないとは思うのですが、性分というものは仕方の無いものです。

 ついでに言うと、逆の場合もあります。
 初期登録より下がってきている場合・・・もしたまたまそうなら・・・もしかして単にネットに慣れていないというだけの理由であった場合、何時実力が覚醒するか分からないわけで・・・
 それと普段は置石1つ分くらい上の感じの人が、点数が下がってきている場合
 もしかして、私と対戦して、そこをバネに浮上していくかも?
  マア、せこいことをチマチマ心配するもので、自分でも呆れるほど。
 よく言えば細心の注意を払っている?のですが、やはり単に気が小さいだけでしょう。

 さて毎日1局の3局目・・・何故か幸いしてしまいました。
 序盤で相手のミスかあるいは、思い切りの良い振り替わりが私の実利・・・相手は外勢を地に変えなければ足りない状況。
 自分で言うのも変ですが、私はこういう展開が好きで得意?パターン。
  当たりを緩めず、きつく言うわけでもないけれど仕事もさせないという形
 つまり、相手に何処の線まで地にさせて良いのかを考えて作戦を立てるのが好きです。
 一見すると相手も大きな地が出来ていくから景気が良いのですが、実は初めの利益が物を言っている・・・そういう展開でした。
 数えると20目以上の差
  対局が終わって、一風呂浴びてネットに接続すると、対局室リストに私の名前が残っていて、誰かまだ一人在室中。
 さてさて私みたいな人が居て、『観戦しながら寝てしまったのだろうか?』
 『いや、そんなはずは無い』、、、『途中2人観戦者は居たけれど、数える時には観戦者は誰も居なかったはず。』
 一体誰が残っているのか興味があったので、私も再度入室すると、それは対戦相手でした。
 当たり前といえば当たり前でしょうが、、、きっと納得がいかないところがあったのでしょう。
 それにしても終局してから既に30分以上は経っている・・・。
  次にこの人とあたる時は心してかかる必要がありそうですね。

コウが好き

2008-07-04 17:34:13 | Weblog
 昨日に続いて今日も1局打ちました。
 一寸前までは毎日碁を打つのは当たり前だったんですけど・・・それも2局ぐらいは日常的に。
 それがいつの間にか、1日1局ペースになり、そのペースも守れなくなってきたのはやはり寄る年波でしょうか。
 イヤ、本当は1日1局というペースを守らなくてはいけない理由も無いのですが、昔と違って自分で打たなくても、観戦でもなんとなく満足してしまうところがあります。
 昔なら、食事で腹いっぱい食べなくては食べた気がしなかったものが、腹7,8分で満足するようになるのと似ていますか。
 若い頃なら、質はともかく量が重要だったのが、いつの間にか質のほうにウェイトを置くような年になったということでしょう。
 と言っても食事で、高価な素材を楽しむようなリッチさではなく、自然な味を楽しむとか、出来るだけ旬の物を食べるとか、過度にカロリーを含むものは敬遠するとか、、、その程度ですが。
 見方を変えると簡素な素材で出来るだけ薄味で食べるので、質素を絵に書いたような食事で、まさにジイサマとバアサマの二人暮しの食事です。

 さて碁の話に戻って
 30代、40代では平日でも碁会所で1日に3局くらい打っていた事もありました。
 夕方会社を出て、家に帰る前に必ず碁会所に寄るのが日課でした。
 仕事シンドロームとかお酒を飲み歩くわけではありませんが、これもやはりマイホームパパとは対極の存在。
 そして土日は半日は碁会所にいたでしょうから、1時間に1局として平均5局くらいとすると土日で10局で、平日と合せるとほぼ1週20局。
 すると、1ヶ月で80局前後で、年間1000局近くは打っていた時期があったことになる
 場合によってはもっと打ったかもしれませんが、年間1000時間を碁のために費やしていた時期があった!、、、その割には・・・という嘆きも無いわけではないですが。

 ともあれ碁会所で打つということは、しかも毎日、、、これは席料・飲食代・交通費に加えて、囲碁仲間との交際費などもかかるし、囲碁関係の本・新聞代から棋院の会費までかかるし、当時はヘビースモーカーだったので碁を打ちながら煙になった代金も馬鹿になりません。
 ですから考えようによっては、出世も家庭も考えず、囲碁で時間とお金を消費してきたわけですが、自分にはそのくらいの価値があったということです。
 尤も、「亭主は元気で外が良い」というか「悪い遊びでは無さそうだし」ということで遊ばして戴いていたのかも知れません。
 放し飼いの一種でしょうね。
 尤もバアサマは囲碁を知らないので、「囲碁は高尚な遊び」という固定観念と言うか思い込みがあって、少々のことは黙認状態なのでしょう。

 ところで今日の1局は久し振りの会心の1局だった。
 手合いは私の先で、白コミ出し・・・こういう手合いが好きです・・・先でコミまでもらえる。
 但しもう少しで2子の手合いになる相手ですから、キチンと打たないといけません。
 それでも、白さんには「白でコミも出さなくてはいけない」と言う意識があるに違いない(私も立場を変えれば、まず考えることです)、序盤からヤヤ無理をしてきているように見えました。
 黒としては五分五分の別れで打てれば良いわけで、、、
 序盤から白の薄みをついて主導権を握れました。
 白さんのちょっとした無理を捉えて、形を更に歪めるとか、コウを含みにして打つとか。 
 こういう、イヤらしい攻めは大好きです・・・性格がそうなのか。
 中盤の75手目辺りで,コウを仕掛け戦線を拡大し更に大きなコウを仕掛け・・・
 マアこういう時の戒めとして、「決して損コウを打たない」「決して譲れないコウなのか、条件闘争的なコウなのか見極める」のようなことでしょうか。
 
 そういえば私はコウが好きだと自分でも思います。
 ザル仲間では、コウを怖がるとか避ける人の方が多いようなので、これも一つの武器なのかも知れません。
 もっとも強い人には通じないというところが悩みです。

腕前を見直す場面

2008-07-03 17:25:35 | Weblog
 今朝勤め先のロッカールームに農家出身の人がいたので、先日の敷地内の枇杷の話をしてみました。
 流石に餅は餅屋。
 彼は田舎の所謂大百姓の跡継ぎ息子・・・農作業は全く手伝わないから、日本農業の先行き不安の一つのサンプルみたいな人ですが、それでもすぐに「あの枇杷には鳥が集まって騒いでいるよね」との返事があった。
 農業は手伝わなくても、屋敷周りには実のなる木もあるだろうし、見るところは見ていると言うべきか・・・知らなかったのは私だけだったのかも。
 いずれにしても、鳥が集まるということは不味くは無いという証か?
 今ならまだ鳥が味見をしていない実が残っている可能性が・・・しかし我が身がヤヤ浅ましい感じがしますね・・・こういう時「高楊枝スタイル」をとるように育てられたせいか、「エーカッコしイー」か「実効あるのみか」揺れる。
 さて、優柔不断なジイサマに来年はあるだろうか。

 ところで日曜日に「腕前が分かる」と言う話をしましたが、私の経験でいうと、「見た感じで概ね分かる事が多い」のと「序盤の20から30手で完璧に分からされるような時がありました。
 見た感じというのは一種のオーラみたいなものでしょうか、それとも目に宿る自信みたいなものでしょうか、いずれにしてもこちらに伝わってくるものがあるように思います。
 また、初対面の人に「とりあえず互い先」で打ち始めたものの、20から30手で『手合いが違う』と思ったことがありました。
 何処がどうと説明はしにくいのですが、ともかく隙が無い感じで、相手は何もしなくても『相手(私)が勝手にコケる』あるいは『相手のことなど考えていない』と言うか・・・こういう時勝敗は勿論手合い違いと感じます。
 マアこれはあまり多くは経験で、今のところ二人かな

 普通「腕前が分かる場面」というと、例えば対局していて、私が「ごく普通の流れの中の手」と思って打った手に相手が考え込む時。
 勿論私の大チョンボに、相手が腰を落として考えているのかも知れないけれど、そうではなくて、私には『何気ない手』が相手には問題の場面となる時。
 私には何が問題なのか分からないのに・・・
 これは私の単なる見落としの場合のほかに相手の思考レベルあるいは碁盤上の視力にレベルの差がある場合もある。
 それは下された次の一手で分かる場合と・・・現実に盤上に現れないこともあるけれど・・・
 いずれにせよ、「男児(女性でも同じです)三日会わざれば、括目して見よ」という言葉を思い出す。

 相手が若い人の場合・・・私が今より若い時代に若い人だったということで、今ではそれほど若くはないのですが、囲碁の場合も始めた時期とか、実年令で先輩後輩みたいな関係があります。
 しかも昔はいくつか置かせて打った相手。
 彼にとっては、私などもいづれは乗り越える・上達の一里塚みたいな存在な訳で、、、逆から見ると乗り越えられるべき存在?
 私自身も途中で何人かの先輩を乗り越えたように、私もいずれ乗り越えられる運命!
 こういう後輩と打つとき、彼の目つきが変わってきています
 ギラギラとかそういうものではなくて、変な表現ですが目線に芯が入っているような感じというような、、、
 ですから気分で押されるとうようなところは無くなって、寧ろ先輩の方がタジタジな場面が、、、先輩の意地でそ知らぬ顔で打ちますが。
 お互いの読み合いと言うか、呼吸があってくると・・・「向こう先はせいぜいここ1,2年で、その先は恐らくひっくり返されるだろうと覚悟する。

いろんなお祭り

2008-07-02 17:13:30 | Weblog
 今NHKでやっている朝ドラのドラマが展開される中心は東京の月島で、主役の西田敏行はじめ地元の人は概ね祭り大好きで神輿を担ぐのが好きと言う設定です。
 マア、ドラマの設定ですから文句があるわけではないのですが・・・どうも私はこのお祭り・神輿で血湧き汗が飛び散るというか、揉み合うというか・・・それが苦手というか性に合わないらしい。
 父親の出た家が代々神主ですから、お祭りとは縁が深い血筋?ではありますが、性格だからしょうが無いのか、TVなどで報道される・・・例えば博多流山、岸和田のだんじり、東京の神田祭りなどなど所謂”勇壮な”お祭りは苦手のようです。
 イヤ”勇壮”も少し違って、例えば相馬の野馬追いのような祭りは若くて地元に住んでいたならば参加したかったお祭りの一つ。
 要するに、接触系が苦手のような気がします。 
 もっとも今となってはやりたくても出来ない・・・ドクターストップですが。

 同じパレード系でも山車を引く方は見るのも参加するのも好き。
 それに踊りながら練り歩く方も嫌いでは無い・・・どちらにしても夏のお祭りですから汗はかくはずですから、キーワードは”汗”ではなくて”接触”だと思う。
 ところで、最近は派手なパフォーマンスを競うようなお祭りが盛んです・・・それも嫌いではありませんが、性格上?”地味な盆踊り”が好きです。
 見方によっては地味かどうかは難しいですが、例えば郡上踊りとか、地蔵を背負って朝まで踊る盆踊りとか・・・一気の盛り上がりは無くても、押さえた感じで延々と続く、光も薄暗い部分もある・・・そういうのが好きなようです。
 ですから、胡弓の調べで踊る八尾の風の盆とか、、、そうそう最近ポスターで見かけた山鹿の千人灯篭踊りとか、、、
 灯篭を頭に載せた女性が千人も踊るのですから、あでやかとも思いますが、でも底を流れる”お盆”と言う感じが好きですね。
 要するに”派手”で”力強い”のがダメで、”ヤヤ暗く””トーンダウン”した感じで続くものがあっているということです。
 これは、やはり性格を表しているような気もします。
  普段でも一気のパワーでは負けていますが、(短気な割には)細く長く続く方のようです。

 ところでこういう性格は囲碁にも現れるのだろうか?
  ”続く”と言うことに関しては、囲碁のようなゲームを憶える事からして”続く”方の系統の性格が向いているような気はします・・・何を続けるのかと言うこともありますが。
  囲碁に関して言うと、初めに訳が分からない遊びに見えるのに、分からないながらも続けていると入り口に辿りつくような感じがあります。
 ですから”入り口まで行くかどうか”、その時期に”続くかどうか”が囲碁を憶えられるかどうかの分かれ道のような気がします。
 「分からないながらも、始めてしまったのだから続けてみる」でも良いし、「続けて入れば、きっと何かがあるに違いないと思い込む」でもいいし・・・ともかく”続けられる”かどうか。
 
 さて、久し振りにネット対局をしました。
 リアルの方も職場では同好の人が見つからないし、碁会所も遠のいているしコミュニティも素通りなので、要するに対局そのものが久し振りです。
 多分1週間は打っていなかったとは思います。
 それでも、観戦は毎日していましたから丸っきりのブランクでもないですが、やや対局感としては不安といったところ。
 こういう時に、対局開始前から観戦者がいましたので少し緊張。
  「相手の方はともかく、私の碁で良いのかな?」「まあ、ともかく1手目から観戦するつもりなんだろうな」とか考えました。
  それでも、ジイサマのキャリアと言うか、見られること自体はそれほど気にはなら無いので、対局が始まればもう観戦者の存在は気になりませんでした。
 相手の人がやや不調だったか、私が今日は運が良かったのでしょう。
  さて内容ですが、今日はお祭り神輿系ではなくて、押さえ気味の盆踊り系・・・意味が通じるでしょうか?。
 大きな盛り上がりは無かったけれど、逃げ切り成功。