なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

できたら避けて通りたい

2009-09-15 01:26:17 | Weblog
 処世訓のような立派な物で無くて、何かにぶつかったときの性格的反応のようなもので、私の場合は言葉にすると,たいていなことに「マアいいか」と反応する性格のようです。
 これは以前に一緒に仕事をしている人に指摘されたので、自分でも「ああそうか」と自覚したりしましたが、自分ではそれほど悪いとは思ってはいませんが・・・その人にはかなりネガティブな性格に映るようです。
  (本当は少し違うと思ってはいますが・・・)
 その点についてはそうかもしれないし、そうでないかもしれませんが、他人様の指摘にも「マア好いか」みたいなものです。
 良く言えば(ずーずーしく)大陸的スケールの大きさ?何が起こっても動じないような・・・本当は単に鈍いだけで、何かが起こった時にとっさの反応についていけないだけだったり。
 そういう意味では、何が起きても一旦はじっくり受け止めなくては次の行動には移れないわけで、この受け入れる際に、起きたことに対して「マア好いか」という段階があるのでしょう。
 実際、良くても悪くても起きたことは消せないわけで、その点は現実として受け入れるしかない。
 でも本当の性格としては断固血液型B的主張として「嫌なことは絶対にやらない!」・・・どうしてもダメな場合は『女房殿にSOS』。
 消極的対策としては「出来たら避けて通りたい」・・・周りと積極的にトラブルを望まないならこの一手?かもしれません・・・ムムッ!今でもダメおやじのままです。

 そういう自分の性格を考えてしまうような凄い碁を観戦してしまったのです。
  これは素人が素人の碁を観戦した時の雑感であって良い悪いの批評ではありません・・・そういうのはやりたくても出来ないし。
 さて対局室に入ると自分とは同じくらいの両者が対局を開始したところ。
  黒1天元、白2星、ここまでは少ないけれどたまにはアル進行、黒3白の星に下ツケ、白三3オサエ・・・ここから息もつかせないような戦いの始まりでした。
 もうそれは表現として戦いと言うより、出会いばなの殴り合いに始まって取っ組み合いの連続と言うイメージ。
 こういう時って不思議と消費時間が少ない。
  プロと比較するのは変ですが、例えばプロが結果としてこういう形で戦うとしたら持ち時間を一杯に使うと思いますが、アマの場合はそうではありません。
 相手が打った手に、即反応しないと気合いで負けるかのように反射的に打たれる、相手も負けていないわけで恐ろしいほどの戦いが猛スピードで繰り広げられていくのです。
 170手辺りでも両者30分以上時間を残している・・・ということは、各85手を15分以下の消費時間で打ってきたという事です。
 これは概ね1手平均で10秒以下8,9秒という事です。
  マア打てないことも無いとも言えるし、こんな一歩先は真っ暗闇みたいな道をこのスピードでは進めないとも言えます。
 ところが不思議なことに、碁が大寄せに入る辺りでスピードが緩んでくるらしい。
 だんだん消費時間が増えるのが分かる・・・
  勝手な解釈ですが、この辺りになると形勢の指針である地合いが見えてくるし、一手の大きさも数量化しやすくなって来る為ではないのだろうか?。
 もうひとつ勝手な想像ですが、序盤の方はそういう形勢判断が難しいし、数量化はしにくいので、打つ手の主テーマは気合い・「それも一局」と言う事で進めていて、終盤近くなると計算機のスイッチが入るのだろうか?。
 多分そんなところのように感じる・・・私だって「マア好いか」ですから
  もっともあのスピードにはついていけない。
 もし対局すると巻き込まれそうな怖さを感じる・・・つまり私だって当事者になればあのスピードで、あの気合いに「負けるものか」と打ちそうな。
 そういう意味で私としては非常に危険を感じるので「これは出来たら避けて通りたい」。
 その碁の結果は残念ながら見届けていませんが、両者のお名前はしっかりと憶えておいて、今度打つ時は「ゆっくり、ゆっくり」という念仏を唱えるつもりです。

 

終局後に投了!?

2009-09-14 02:18:51 | Weblog
 深夜に目を覚ましてしまいネットで囲碁観戦しましたが、そういう時間帯は置き碁の対戦が多いようです。
 流石に入場者が少なくなって、接続している人も自分で打つより他人の碁を見る方に回っているという感じですから、対局希望者の数が減るために、対局相手の枠を拡大して「置き碁OK」となるようです。
 勿論そういう人は普段でも置き碁を避けているのではないのでしょうが、普通の時間ですと互い戦とかの手合いの方が早く決まる可能性が高いようです。
 さて対局は2子局で白番からコミ1目半出し。
  名前を見ると二人ともネットで対局したことがある人です。(後から考えるとコレが良くなかったのかも・・・)
 確か二人とも互い戦か向こう先くらいの対局だったと思うのですが、黒の人の方が最近不調のなんでしょうね、だいぶ点数が下がっているためか2子となっている。
 マア、いろんな変動でそういうこともあるでしょう、数ヶ月後には逆に白番になることだって無いわけではない。

 さてネット観戦に入場すると、そこは「大変な局面」、大戦闘の真っ最中でした。
 大石同士が切り結んで、死ぬか生きるかの瀬戸際で、カケ目とかダメ詰めなどで結果が左右されそうな場面で、両者長考の応酬と言ったところ。
 あくまで相手を取りに行くのか、あるいは生き生きで好しとするか?
  そう言う局面でしたので、対局者と一緒に考えさせていただきました。
 マア当事者でないから、不謹慎ながら半分楽しませて頂いた。
  そこは結局黒さんの判断で生き生きで解決・・・そうせざるを得なかったわけですが・・・そうなると中盤から大寄せに移る。
 ですから、大まかに数えると(当事者でも無いのに・・・)どうも白の方が盤面で10目以上は良さそうに見えます。
 しかし両者、淡々と寄せて行く。
  多分少なくとも白氏は自分がはっきり優勢なのは分かっていた筈です。
 半コウなどは争わずに黒に譲っていたのですから・・・

 最後に両者カケ目を継いで「終局ボタン」(=地合い計算)を押したところ・・・ここで画面に「終局して計算中」の言葉が表示されます。
 その時観戦者には見えませんが両対局者には結果が表示され「同意するかどうか」のサインが求められている筈です。
 観戦者としては「どの程度の差だったのかな?」と見ていたのですが、画面に出てきたのは「白中押し勝ち!」。
 つまり同意を求められた結果に同意せずに「投了」を選んだという事です。
  終局後に投了できるシステムもおかしいけれど・・・実際には一旦終局を止めて対局再開の手続きを取ればそこで投了は可能ではある。
  しかし、ここで「投了」する心理状況は?
 「自分の思っていた目算と大きく違っていた」・・・それはあるでしょう。
 問題は勘違いで計算が違っていた場合と、ろくに数えもしないで結果として突きつけられた事を心理的に受け入れ難い場合。
 どちらにしてもマナーという点では困ったものです。
  二百数十手打って終局したところで投了!
 「結果は勝ち負けが入れ替わることは無いから良いだろう」と言う感じでしょうか・・・。
 でも、自分でも不利なのは認識していて「投げる気にならなかった」とか「もしかしたら自分の数え間違いかもしれない」と打っていたとしたら・・・。
 それとも知っている名前の観戦者がいて、ちょっぴり恥ずかしかった?
 でも、結果を甘んじて受け入れない方が恥ずかしいというか困ったものだと思うのですが。

 先日私も終盤で大ミスをやってしまいましたが、何故か投げる気にならず最後まで相手に付き合って貰いまして、結果は34目半負け!。
 流石に「エッ!?」でしたが、マア打ってしまった以上は「ボロクソに言われようが」「石を投げられようが(そんなことは起きませんが)」「晒しものにされようが」これはいたしかたないことです。
 逆にそういう覚悟(というとオーバーですが)が無くて局面を数えないで打ち続けると言うのは「良い度胸」と言えますね。
  
 

思わずビッグトト!

2009-09-13 03:43:56 | Weblog
 ここのところ本当に病医通いで、自分のことも嫌になりますが、病院で見かける人は医師と看護師さんたち以外は皆病気を持っている人たちばかり。
 入院病棟の場合は例えば外科ですと比較的明るい・・・厳しい食事制限は無いでしょうし、傷とか術後の経過が良ければOKなわけですから目に見えて快方に向かうのが分かる。
 そこへ行くと私の抱えている方は、入院では無いが慢性とか生活習慣・体質なので完治・快方と言う事が分かりにくい分明るく成りにくいだろうし、状況的にも力が出にくいとも言えます。
 マア私みたいに「取り敢えず不具合が無ければ良い」くらいに開き直っていくしかないようですが、それでも明るくはなりません。
 さて水曜日に定期検診+検査、金曜日に部分的な検査、土曜日は循環器系の定期検診・・・クリニックによって4週おきとか、5,6週間隔とかでスケジュールが決まりますが、たまに4日で3回みたいに集中してしまいます。
 これで来週の水曜日は歯科診療・・・マアこちらは病気ではないので気楽ですが。
 それでも医療費負担で見ると結構大変。
  マア来年からは女房殿が医療費の還付手続きをするという事で「”張り切って”領収書係」をやっています。
 医療費の大きい部分は診察の方では無く、薬代金ですね。
  担当の医師と調剤薬局に頼んで出来るだけジェネリックにして貰っていますがそれでも大変。
 
 さて、そういう事情で飲み忘れるわけでもありませんが、たまに手持ちの薬の量を確認して調整する必要があります。
 概ね就寝前の薬が忘れることが多い、ついで昼食後の薬が危ない。
 これは急用で出先で昼食の際に持参するのを忘れる。
   今日は2種類の薬の4週間分を削って貰いました・・・マアいつもとは差額は2000円程度でしたが、それでも安くなった。
 考えてみると微妙な感じはあります。
  飲み忘れていたということは体調維持にどうだったのか?、安くなったと喜んでばかりでもいられない。
 飲み忘れても大丈夫ということなら、処方されている量と言うのはどういう基準なのでしょう?、、、マア、素人が深く考えても結論が出るわけがない問題とはいえそれはどういう意味か気にはなります。
 ともあれ、安くなった分!
  薬局の帰りに囲碁の本でも買おうかなと近所のビッグスーパーに寄りました。(ここは朝9時オープン)。
  本屋さんは3階のフロアーですが、エスカレーターのそばで臨時停止。
 そこにはトト売り場がある。
  ビッグトトキャリーオーバー○○億円・・・本日12時まで発売。
 そこを素通りできるほど私の意志は堅く無い・・・しかも囲碁の本と言ってもお目当ては無いのですから。

 と言う事でささやかではあるけれどスポーツ進行に協力してしまいました。
  僅かな金額でMAX6億円!?・・・確率は0では無いと言うところが魔力的な誘惑。
 昔はこういう籤は好きではなかったのですが、これも寄る年波?でしょう。
  つまり、競馬など出走馬の血統とか体調、稽古の時計、あるいは当日予想される馬場状態とか出走馬の性格あるいは作戦によるレース展開予想・・・そう言う事を考えて(考えることが楽しい)、更にこれを馬券にしてどう配分するかをの作戦実施・・・その結果当たるとか外れるとかならある程度納得がいくわけで、誰かが勝手に選んだ当選番号と一致しないので外れというのはどこかあっけないし不条理だと思っていました。
 今でもそう言う感覚は残っていますが、だんだん考えることに耐える力が衰えてきたようでもある。
 ですから、宝くじみたいに既に番号が印刷された紙を買って、誰かが当選番号を決めたものでも「マア良いか」みたいに・・・。
 ナンバースみたいな自分で番号を選んで籤を買う物は微妙・・・選ぶ楽しみはありますが、これとて誰かあるいは機械が当選番号を決めているのでしょうし。

 ビッグトトの場合も結果をアトランダムに機械が勝手に選んでいるというところは全くあなた任せ、通常のトトとは違います。
  でも、通常のトトをかなり考えて購入してもそれほど当たった事が無いし、当たっても10万円を越えたことが無い・・・であるなら、ジャンボ宝くじより配当が高い方・・・自分で選ぶ楽しみは無いものの「取り敢えず買っておけ」みたいな感じです。

 さてさてこれだけいろいろ書かせて貰ったビッグトト、数時間後には小さな紙切れになることでしょう・・・マア騒音も煙草の煙もないしパチンコよりは好いか。

 PS 土曜日の初めの3試合であっけなく散る。夜の試合が天候アクシデントで再試合になりましたが、その結果を待つことも無いほど酷い結果。これでは本の方が良かったですが、マア数時間楽しませて貰った言う事で、もしかしたら来週の週末になったら、どうしようか迷っている自分が想像できます。

現状を維持せよ!

2009-09-12 00:44:06 | Weblog
 嘗て私が30才台の時代は先輩連の背中を追っていた。
  誰しも碁会所などで碁を打っていれば、他人より強くなりたい、あるいは強い人みたいになりたいと思うものです。
 但し私がその頃感じた事ですが、碁会所などでは曖昧な表現になりますが「楽しみ中心」で打っている人が多かったと思います・・・当時通っていた碁会所では一番若かった私から見てオジサンたちの多くがそういう風に見えました。
 確かに楽しく囲碁を打つのは良い、でもオマケの結果として強くなると言うよりは(訊けばだれだって「強くなりたい」応えるにきまっています)、なるべく強くなるような近道的な接し方もあるのではないかと考えたものです。
 その割には自分自身の結果が大したものではありませんが・・・でも仲間と「打つ」=「楽しい」だけでなく、今よりも「強くなりたい」、「強く成れると楽しい」という要素を感じながら接していたということでしょう。
 具体的には、「なるべく局後に出来るところまで並べ直して、対局相手から悪い手などを教えて貰う」「強い人に意見を訊く」「強い人に打って貰う」「出来るだけ本などを読んで、囲碁との接触を密にする」・・・特に目新しいものはありません。
 でも、碁会所などでは「楽しみ専科」的な初二段の人が多いので、まずそこを乗り越えようと考えたのですが、そう言う叔父さん達からも多少煙たがられたようなところはあります。
 もしかしたら、同じ囲碁仲間と言うよりも、やがては自分たちより強くなるに違いない若い奴と言う感じで「みにくいアヒルの子」だったかも知れません(多少仲間はずれと言うか、人種が違うと言うか)。
 ハクチョウには未だ成れず終いですが・・・
  師匠格の人に初めは5子で教えて貰っていたのが3子になり、いつかは先で打てる日が来ることを夢見ていたものです。
 その頃はザルはザルなりに何か自信らしいもの、”以前よりは強くなったかな”というか碁盤が見えるようになったと感じたり・・・錯覚にせよそう思うのは、ますます囲碁に入り込んでいく推進力にはなった筈です。
 年を重ねて、アマチュアの世界で、県の代表格のレベルとは程遠いものの、そういう人と面識が出来たり、かなりローカルレベルではあるが小さなサークルでは上の方にランクされるようになると、満足とは言えないけれど、年令的にもこの先の伸びは無いだろうから「こんなところ」かなとも思うようになる。
 要するに己の限界点を自覚すると言うか・・・
  マア「限界は自分で作る」とも言いますが、それは努力するかなりパワーのあるエンジン搭載の人か、既にアマの領域とは程遠い高みに登った人の言葉のような気がします。
 「諦めるのは寂しい」から「諦めるわけではないけれど」しかし「遥かかなたの到達点には着きそうもない」とも思っている・・・マアそんなところ。

 こうなると、上ばかり見ていると躓いて転ぶ危険がある。
  嘗て私が30代の頃に上の人を追いかけたように、40代の頃師匠の背中が見えたと思ったように、背中をつかめると感じたように・・・きっと若い人に追いつかれて抜かれて行くに違いない。
  いや、既に嘗て置かせた若い人に置かなくてはいけないかもしれません。
 せめて出来ることは、できるだけ長く並走状態を維持できるか。
  おかげさまで囲碁の場合は他のスポーツのように単純な体力比較では無いところで、実年令より自覚する年令感覚の方が大事ですが。
 それにしても、いつまで並んでいけるかは分かりませんが、ペーパードライバーでは無い囲碁ファンを続ける以上は続けようとしなければいけないようです。

 「現状維持」問題と言うと、個人的には健康問題がある。
  二つのクリニックのお世話になっていて、毎月一つで検診、もうひとつで検査・指導、さらに総合病院で3カ月ごとにチェックがあり、ホルター24時間とか心臓超音波撮影とか、首の血管造影とか・・・まさにサイボーグ一歩手前の心境です。
 それでいて嘗ての主治医からは
 「完治と言うことは無いです」
 「出来たら仕事で無理しない方が良いですが・・・」
 「将来必ずバイパスが必要となる筈ですから、何かの事故が起こる前に早目にやっておいた方がいいかも知れません。」という診断結果が耳を離れない。
 要するに精一杯頑張っても現状維持で、将来はどこかの時点で必ず機能がレベルダウンする筈という御託宣。
 気持ちは「頑張る」「現状維持」でも、気持ち通りにはなりませんと言われているが、ともあれ趣味でも健康でも「現状を維持せよ!」と言うのが至上命令と言う事です。
 それにしても至上命令とはいってもレベルが低いところなので、そこが悲しい。

自分を検索

2009-09-11 05:42:30 | Weblog
 昨日に続き名前遊びみたいなものです。
  ネットで昔の知り合いと同姓同名な人がいたり、同郷の人でそれらしい名前の人がいると気になるものです。
 私は静岡の出身で大学に入る時に故郷を離れて以来40年以上は経ちますが、静岡県に住んでいて高校時代のクラスメイトと同じ名前だったり、お隣の愛知県に住んでいる人・・・。
 高校時代の同窓会には毎年ハガキを貰いながら一度も出席していないのに変ですかもしれませんが気になる。
 大学時代の旧友と同姓同名の人が彼の出身県に住んでいてネット碁に登場する時も、これは果たして彼だろうかと気になるものです。
 イヤ気になるからどうだということも無いのですが、どうしているのかなといろいろ想像したりします。
 (これは実名サイトのおかげかも知れませんね)
 向こうから見れば、実名ですから私は分かる筈です・・・それでも何の連絡もないところを見ると単なる偶然かも・・・。
 でも、実際にネット碁で打っている人で、同じ地元の人で顔も知っているし、リアルで打ったこともあると言う人も2,3人いますが、だからといって特に連絡があるわけでもないのですから、知っているから連絡するかどうかは別のようです。
  むしろ連絡しない方がマナーに適っているような感じもある。
 ということは連絡が無いからと言っても、全くの偶然で他人とは限らないとも言える。

 さて今日(木曜日)夕方帰宅して夕食前に一局打ちました。
  ネットに接続すると懐かしい名前が出ていたので、つい打つ気に。
 懐かしいと言っても、実は私の勘違いかもしれない。
 昔の知り合いと、定かではないけれど同じか、かなりよく似ている名前なのです。
 昔碁会所にK君兄弟が通って来ていました。
  彼らのお父さんが関西でお医者さんをしていましたが、その人の学生時代の親友が当地で病院の院長をしていて、碁会所の常連。
 父親自身も囲碁を打つ人で、彼らは院長先生に顔を見せるためにも碁会所に通うように言われていたらしい。(良いお父さんで、彼らも言いつけを守る良い息子たちです)
 兄弟のお兄ちゃんの方は医学部の学生でもあったし、忙しい筈なのに碁が好きと見えて熱心に通ってきたものです。
 彼は学部での囲碁部の部長を務めていましたが、当時はまだ棋力よりも面倒見。
  弟の方が強かったですが、碁会所では兄弟では打ちません。
 弟の方が当時で私と2,3子、お兄ちゃんは4子から3子。
  それから10年以上経っているので、さて今も同じかどうか?
 私も先輩方に追いつくように頑張った時期があったのですから、弟の方が向こう先くらいで、お兄ちゃんが2子くらいだろうか?

 ネットで対局したK氏は向こう2子、白からコミ1目半出し・・・これはもしかしたらお兄ちゃんかも。
 マア、誰と打つにしても、2子は難しい・・・それだけに面白い面もあると思います。
 つまり白からはゆっくりと勝負を長引かせるように辛抱強く打たなくてはいけないし、且つ少しでも相手の弱点をチェックしておいて傷には塩を塗るような感じでしょうか?
 置き碁とは言え棋力差は僅かですから白が急いだらつぶされるような気がします。
  この対局では終盤でコウがらみで大きなヨセが勝負の分かれ目になった。
 黒はかなり地合いが良さそうに見えるので安心していた節がある(そこが問題だった筈です)、でも白からはコウがらみですが勝負手があるので、白はコウ材が勝負であると意識して打ってきた・・・。
 さて、白としては予定通りの開戦。
  激しいコウ争いではあったけれど、コウでの白有利の別れの結果・・・白半目勝ち。
 最後は運ですが白からコミを出していることでもあり、Kさんからは「参りました」のメッセージが入りました。

 この時、やはりあのK君だろうかと思ったりしましたが、さてKさんは、本当に昔のK君兄弟のどちらかだろうか?
  ふと思い立ってグーグルで人名検索してみると・・・神奈川方面で科学・パソコンでの仕事をしている人がヒット。
 どうも良く分からない・・・これは多分人違いの気がします。
  ところでヒットした項目の中にネット碁のランキング表がありました。
 600位から900位の中に彼の名前があると言う事です・・・ということはネットでのランキングが確認出来るようになったらしい。
 自分のランキングを調べるためにネットで自分の名前で検索。
  私の名前では何かしら社会に役立つことなど無いので、悲しいかなヒットする事柄は一つのみ・・・ランキング表だけ。
 ともあれランキングを調べる方法は分かりました。
  同じ点数に20人以上いる激戦区だと言う事も分かりました・・・1点の変動でかなり順位が変わるようです。
 尤も少々順位が上がっても棋力アップとも言えそうもない、ザルの世界ですから、常に”暫定”順位みたいなものです。
 

延々と局後のシュミレーション

2009-09-10 05:34:08 | Weblog
 今日(水曜日)は平日ですが私は休業日。
  朝予約の生活習慣病クリニックに行って、その後近所に戻り調剤薬局に寄り、大型スーパーで昼ご飯を買って、(女房殿から言いつかった)持参のペットボトル2本においしい水を給水すれば本日の業務は全て終了となる。
 お昼前に全て終了はチト寂しいところもありますが、マア午後は”好きにせい”と言う感じです。
 そう言う事で勿論午後はネット碁三昧。

 但し、悲しいかな意欲と結果は必ずしも一致しない。
  きっと相手の人も意欲満々で私のやる気を遥かに上回っていたかもしれないし、そもそもそういう気持ちの強さと内容・結果がどの程度比例するかも難しいが・・・ともあれネットでは相手が見えない悲しさですね。
 これが碁会所ですと、身も心もすっきりとした感じの人に「久し振りに、一局どうです?」と声がかかれば、瞬時に碁仇の状態の良さに気がついて警戒警報発令となる筈です。
 「静かな闘志で満ちている・・・」と言うことは直ぐに見て取れる。
   この場合でも”様子”と結果が一致しない場合もあるけれど・・・
 対局に及ぶにしても、事前の気持ちが違う。

 ネットでは相手が見えないのですから、常に相手が良い状況だと思っていれば間違いはない筈ですが、、、人間それは分かっていてもそうはいかないもののようです。
 イヤ、油断していたから負けたという言い訳を延々述べているのではありません・・・マア結果は同じ人に連敗でしたが。
 その方は、多分女性(名前からして)・・・おそらく囲碁好きでネット接続している事が多い。
 対局も多いが、待機室に登録されていることも多い。
  そして、多分家族か親戚の人が何人も登録されているはず・・・。
 つまり囲碁に熱心で、多分かなり勉強家だし家庭での囲碁環境がすばらしい。
  従って今回は私が白番でしたが、いずれは白黒をつけられそう、イヤ白石譲渡と言うことになりそうな人。
 マア、相手が強い・比較的オーソドックスな感じに対し今日も当方はハチャメチャで情けない負け方。

 連敗を喫したので、しばし休憩の後再度入場して見ると件の女性は別の人と対局中なので、勉強のため観戦。
 相手は・・・私の高校時代のクラスメイトと同姓同名のMさん・・・住んでいるのも故郷方面。
 以前にもその彼とは対局したことはあるけれど、いつも名前を見るたびに「若しかしたら?・・・」と考える。
 ともかく、結果は彼が勝った・・・つまり、きっとMさんには私とは違う何かがある筈。
 それが分かればひとつの勉強になるのに・・・

 暫くすると今度はそのMさんが対局希望リストに載っています。
  もしかすると、さっきの対局に私が観戦していることに気がついて(観戦者の名前が出て来ますから)、誘ってくれている?可能性があるのかも。
 棋力を考えると互い戦か私の先かというところですから、昔の手合い表示ですと[互・先・互]と言うところでしょう。
 さてその対局は私の先でコミ2目出し。
  互いに2連星で始まりましたが序盤の折衝でヤヤ有利になったかなと言う局面で・・・99手で白投了。
 確かに打ちにくい状況ではあるのですが、ここで投了する人はザル仲間には少ないような気がする。
 Mさんの性格・棋風なんでしょうか?。
  あるいは旧友に花を持たせてくれたのだろうか?(マア私には人に花を持たせるような思想はありませんが)。
 こういう時は棋譜を見直すに限りますから棋譜倉庫から今打ったばかりの棋譜を持ち出して一人で検討会。
 本来なら99手までの局面での問題点を探すことが肝心ですが、この場合は「もしも最後まで打っていたとしたら」というシュミレーションをしなくてはいけません。
 それによって投了が必然だったのかどうか検証したい。
 100手目以降を打ち継ぐとして、概ねどういう進行になるかを考えながら一手一手想定して進めます。
 実戦なら途中で勝負手なども飛んでくる可能性はありますが、マア普通の進行として進めて見ます。
  それで、仮にヨセまで打ち切るとしたら・・・延々とシュミレーションの結果約280手完となりそうで黒28目半勝ち。
 で、あるならば投了も已む無しとも言えます。
  これでこの日の対局は3すくみ状態・・・まずは平和的な解決?

 Mさんの名前を見るたびに高校時代のクラスメイトを思い出します。
 彼は確か美術部で、背が高くてすっきりとした体型、いつも穏やかな表情だった。
  その頃のクラスでは少ない坊主頭・・・本職のお坊さんになっていても似合いそうな人でした。
 
  名前だけで言うとMさんは同姓同名の人がいる可能性が高そうな名前。
 私の方は姓は珍しくないが名前に使っている文字は珍しいから嘗てのクラスメイトなら相手からは気がつく筈。
 本人かどうか謎のままです。

 
 

いつものように幕が開く!?

2009-09-09 02:17:57 | Weblog
 9月に入りまして,既に1週間過ぎました、、、私の若い頃”ちあきなおみ“さんと言う歌手がデビューしましたが、その人のヒット曲「いつものように幕が開き・・・」を思わず口ずさみたくなるようなスタートとなりました。
 要するにまたまた連敗で幕が開く。
  一局目は対局希望者リストに強そうな・どこかで名前を聞いたことがあるような人が載っていて、その方は手合い条件なしで対局可能。
 仮に対局となれば私の2子局。
  久し振りに置き碁で教えて貰うのもいいし、上手に揉んで貰う良い機会だし、仮に負けても月明けの初めだし・・・この最後の「どうせ月明け」みたいな甘い考えがよく無かった(頑張れば勝てるとは限りませんが)。

 流石に相手は強い、それに引き換え当方は考えがたるんでいる。
  序盤2,30手で酷い手を打ってしまい、45手目で完璧に劣勢。
 部分的な不利とも言えなくもないけれど、その影響は全局的に及んで、こんな短手数なのに置き石の有利性どころか、情けない状況に陥って投了。
 余りの酷さに、ここで一人で反省会を行えばよいのに、そこはザルですから、江戸の敵は長崎でみたいに、相手を求めて連戦体勢。
 今度は向こう先で黒がコミ半目出し。
  これは、内容はマアマア・前局の反省を生かして粘り強く戦ったとは言える・・・両者ファイトしながらも大きな失着もなく終盤。
 かなり細かい碁で何度も数え直すのですがどうも少し足りない感じがある。
  ですから最後の半コウ争いも絶対に譲れない。
 結果はシロ1目半負け。
  要するに盤面で2目足りなかったのですから、数え方が不正確でした。
 マア互い先の相手にコミ半目しか貰えないのですから、結果としては仕方が無いような気もしますが、初めからハンデ戦であったのですから、それはイソップ的な慰めでしょうね。

 ともあれどんな負けでも負けは負け。
  かくして今月も連敗のスタートとなりまして、次の3局目が私としては大勝負となる筈です。
 対局相手とか碁の内容の問題はあるにしても、結果を考えると連敗はともかく3連敗は出来ません。
 もし負けたら点数的に最短で3連勝しなければ元に戻らないわけで、3連敗は簡単に出来ますが、元に戻るための3連勝はなかなか大変。
 2勝1敗ペースで回復するとしたら、概ね9局打たなくてはいけない・・・これでは「対局物語」みたいなストーリーで考えると、”元の場所に戻るために頑張る”みたいで、気持ちが小さくなりそうな感じ。

 ともあれ運動会でスタート直後転倒の感じで、毎度お馴染みの場面になっています。

一○○金

2009-09-08 00:35:58 | Weblog
 例によってジイサマの昔話から始まります。 
 私の就学前くらいではTVの放送が始まっていませんからラジオが主役の時代、それも真空管ラジオですから、スイッチを入れてから機械が温って調子が出るまでに時間がかかる。
 どこかに不具合が生じて雑音が入ったりすると、特定の場所を適度の力で叩くと直ったり・・・しかも人により相性があったり。
 ともかく5才頃のお気に入りラジオ番組ベストスリー(順番はつけられないビッグスリーです)は
 ① 落語や漫才の寄席中継
 ② 徳川夢声の朗読によるドラマ(吉川英治の宮本武蔵など・・・)
 ③ お昼の前の朗読番組「私の本棚」
  4番目以降は「ニュース」「尋ね人の時間」「野球などの実況中継」と言う感じですから、今から考えると変な5才児だったことでしょう。
 ともかくベストスリーは全て話を聞く番組(マア、ラジオの機能通りですが)
①から③は順番はつけ難い。
 ③などは今でも耳に残っている感じです。
「モンゴメリー作・村岡花子訳・朗読は白坂道子・・・赤毛のアン」
(こういう読み聞かせの影響か、娘には「大草原の小さな家」シリーズは全部寝る前に読み聞かせました。)

 この辺りからソロソロ本題に入ります。

 その当時「本棚」の時間だと思いますが・・・はっきりとはしないけれどアメリカの作家の話だったと思う。
 「今、3秒間の出来事を300ページくらいの話にしようと構想を練っている」という趣旨だったと記憶しています。
 それは西部劇みたいな決闘シーンで、背中あわせのところから3歩歩いて振り返り、拳銃ホルダーから銃を抜いて弾を発射する3秒間の物語り。
 いきがかりの話、回想シーン、関係者の思い・・・そう言う物を全て盛り込んでも300ページは大変。
 それに、読者が話にのめりこむように読ませるとなると・・・
  今でもそう思いますが、当時の5才児だって驚いた。(量が中心ですが)
 その後構想話はどうなったかのかは分かりませんが。

 サテやっとTODAYにたどり着いて
  ほんの数秒間で頭を過ぎった物語。
 3秒間を300ページにするのは無理ですが、2,3ページにはなりそうな感じでした・・・才能が100分の1とすれば話の辻褄が合いますね。

 朝いつものように自転車で通勤の途上・・・最近は暑すぎず快適に走っていると思ってください。
 歩くにも良い季節になってきたようで、このごろウォーキングの人が増えてきたようで、丁度前を黒いTシャツにハーフパンツの年配の人が歩いている。
 ふとTシャツを見ると筆文字で白く染め抜かれている・・・文字は縦に「一○○金」
  ○は私が目が悪い(メガネなしでは適度の距離以外は)ので判読しにくい。
 仮に四文字熟語だとして・・・「一定賃金」は?・・・クロスワード的にはありとしても、なんの教訓でも無いし、そんな文字を書いたTシャツなど存在しない筈。
 もう少し近づくと「一○千金」であることが分かりました。
  成程これなら「一攫千金」という言葉がある。
 納得しかけて、「待てよ!」言葉はあるけれど、あまり教訓では無いし、欲望剥き出しの本音みたいな・・・こういう文字を背中に書いたTシャツを着たいと思うものだろうか?。
 競馬・競輪用?それとも宝くじを買いに行く時にでも着たいとは思わないだろう。
 冗談・シャレ・本音で笑いの種になら着ます?
  
 いよいよその人を追い抜く時見るとその文字は「一歩千金」だった!。
  これなら将棋の先生が扇面に揮ごうしそうな言葉だ。
 このオジサンは将棋ファンだったのかもしれない。
  確かに将棋では強い人は歩の使い方が巧みだし、指していて1歩あると無いでは大違いだろう。
 そうなると「一攫千金」とはほぼ反対みたいな意味になると、一人で大笑い。(もちろん自転車通勤途上ですし、周りが無人では無いですから、声を出さず無表情で頭の中で大笑い)
 きっと専門棋士の座右の銘に違いないと勝手に納得して通り過ぎたのだが・・・暫く行って、再び「待てよ!」
 仮に「一歩千金」を言葉通りに解釈出来ないだろうか?・・・それはウォーキングの人が着ているTシャツではないですか。
  一歩を「イップ」ではなく「イッポ」とすると・・・
 毎日歩く習慣も初めの一歩が大事とか
 水前寺清子ではないが「一日一歩・・・」が大事、あるいは「千里の道も一歩から」
 物事を成し遂げるには、初めの一歩を踏み出すことから始まる・・・もっともらしく聞こえるでしょう。
  
 ほんの数秒間の出来ごとで、300ページの物語にはなりませんが、こういう事に出会うのですから退屈はしません。
 私の頭の回路はこういう風に出来ている・・・世の中のお役には立ちませんけど。
 
 
  
 

 

ゴー・ストップ

2009-09-07 00:58:55 | Weblog
 先日管内の立ち入り調査で行ったところは、(遥か昔)大学のキャンパスの近くで学生時代に暮らし(タムロしてと言うか棲息と言うか)ていた懐かしい街。
 流石に40年以上も経てば道路の形は同じでも、建物とかお店が変わってきていて一種の戸惑いを感じました。
 ここには、街の角の小さなビルの3Fに小さな雀荘があったのですが、ビルはそのままありましたが店は今は見当たりません。
 その店は私の母親ぐらいのオバサンがやっていて、学生の常連を息子みたいに可愛がってくれていた・・・そうそう私らと同じ年の一人息子がいたっけ・・・時がたてば変わるのが当たり前ですが、浦島太郎的な気持ちです。
 当時は学生が多い街でしたので、雀荘とかビリヤードとかがあった筈で、それに昭和40年代の初めごろなので、闇市の流れをくむような市場とか、ここの駅前にはラーメンとコップで飲ませる一杯飲み屋の屋台が多かった。
 当然、そういう物は跡形も無いし、駅前はきれいに整備されています。
  変なノスタルジーより奇麗な方が良いことですが、一方でよそよそしい感じもある。
  
 昔の話、、、学内に居たら、先輩たちが三人でやって来て「一人メンバーが足りない」と、拉致されて連れて行かれ、生まれて初めて麻雀パイなるものを触ったのが当時ここにあった店。
 全くの初心者で、自分たちの都合で人数合わせで卓に着かせているのに、席料は割り勘だし勝負の結果についても負けたら賭け金を取られるという事だし・・・。
 これでは単なる親善試合では無いから、知識・技術も初心者であっても真剣にならざるを得ない(負けてお金を取られたら、「連れて行かれたのが運の尽き」と諦めるのも癪な話です)。
 ところがにビギナーズラックというものがあって、この時何かの弾みで一人勝ち。
  ただ、その時考えたのは『これで、次もまた誘われるに違いないし、次はメッキが剥がれた状態でサンドバックになるに違いない』・・・
 従って次回以降の誘いは断固断るか・・・さもなければ先輩連に少しでも太刀打ちできるように知識などを用意する(麻雀のルールとか、役の形、作戦とか、点数の数え方が出ている本を読むくらいですが)。
  次の日から雀荘通いが始まったのです。
  本で麻雀の勉強は勿論ですが、麻雀をやっている後ろで黙って観戦。
 まるで碁会所で観戦しているのと同じですから、性格・趣味に「各種観戦」という項目を記録した方が良いかもしれません。
 ともかく学業より、そちらを優先させたのですから、ここからて転落人生が始まったとも言えます。

 それはともかく、今の学生さんも若いサラリーマンも麻雀をやらなくなったのですね。
 あの頃大学周辺に十数件あった筈の雀荘が一軒も無い。
昔は手軽に楽しめる遊びが少なかったのでしょう・・・それに引き換え今は何でもアリの時代だし、4人揃わなければ出来ないなんて言うのは現実生活に合わないかも知れません。(そういう意味ではフリーの人が4人になったら遊ぶというところは今でも続いているような・・・)
 ともあれ麻雀は賭け事の遊びで、現実には一定のレートを越えると賭博として取り締まっていたようなところがある。
 従って学生同士のささやかなレートはお目こぼしだったが、それでも夜遅くになると風俗営業法で営業は取り締まりの対象・・・店は営業停止になるかもしれないし、客は賭博常習者というレッテルが貼られることになる。(競輪・競馬などで毎週多額の券を買ってもこれは公的機関の主催なので”お客さん”で、私的ギャンブルは”賭博常習者”と言う事になる)
 マアそういう事も遊びのスリルだったかも。

 当時聞いた話では、麻雀の本家中国では「亡国遊戯」という形で禁止されていたとか・・・要するに賭け事は痲薬と同じように常習性が高いし勤勉性が損なわれると言う事が禁止の理由。
 もっとも、何も賭けずに麻雀をやれるかどうか?は難しい。
  (ひところ紹介された禁煙・スポーツ麻雀は「健康的」が売りですが心が動きません。)
 中国では少なくともその時期麻雀そのものが禁止だとか・・・見てきたわけではないけれど「ありそう」な話だとは思いました。

 ありそうな話と言えば、囲碁について、これは韓国の少し昔の囲碁事情(らしいが)。
  誤報・誤認と偏見が含まれるでしょうが・・・割合賭け事が好きなんだそうで、囲碁といえども勝負である以上賭けて打つ人が多かったとか。
 (これも見てきたわけではないから真実は知りません。)
 それと熱くなりやすい国民性とか・・・
  そう言う事で賭け事の禁止の中に囲碁も対象にされたとか。
 なんとなくわかるような気がしますが、そのこと自体偏見かも知れません。
  賭け碁禁止なのか、囲碁で賭け事を禁止したのかは定かではありませんが

 最近見ている韓国の連続物のドラマの中では、普通の家庭で夕食後に花札で遊ぶ場面がよく出て来ます。
  当然家族内でも賭けている。
 ただ、遊び方がチョット分かりません。
  基本的には日本の遊び方と同じだと思うのだけれど、二人でやったり三人でやったりしているのに同じような遊び方・・・。
 三人ならば「馬鹿っ花」二人なら「コイコイ」・・・この違いがある筈なのに俳優はどちらも同じように演じているような気がする。
 そして字幕に「ゴーストップ」と言う言葉がありました。
  もしそれがゲームの名前なら、きっとそれは日本の「コイコイ」なんだろうなと想像は出来ます。

 ところで私は勝負事は嫌いではない・・・小銭の範囲ではむしろ大好き。
  これは若しかしたらオヤジの幼児教育の成果かもしれません。
 5歳で将棋を覚えて、小学生の頃は新聞の囲碁欄を毎日見ていたと話ましたが、父が私に買ってくれた子供むけのおもちゃとしてはほとんどが勝負が決まる遊びで、ルーレットのセット、ゲーム盤のセット、ダイスセット、花札、トランプ。
 他にも買って貰った筈ですがこれだけを並べると、勝負事を覚えて強くなりなさいみたいな気がします。
 
 そう言えばルーレットの当たる率と配当との関係を考えて、どういう賭け方をしたら効率が良いかなどを真剣に考えたり・・・意外と算数・数学の教育的効果があったのかもしれませんね。
 

 
 

歯科大の椅子

2009-09-06 05:05:48 | Weblog
 今日(水曜日)は歯科大での2週ぶりに治療予約日。
  去年の暮れから続いているので、長い治療期間でしたが間もなく一区切りがつきそうです。
 劣化して一部欠けた歯の部分には金属の柱を立てて、それをカバーする形で歯のように見えるもの(仮歯というらしい)を被せるのが終わりました。
 まるで家を建てるみたいに土地に当たる歯ぐきを土壌改良みたいに整備し、土台に当たる歯の根っこを整備して柱を立てて仕上げの外装をする。
  尤も普通の家でも3カ月程度で出来上がるのに、口の中の出来事なのにこちらの竣工予定は9カ月になるのだから、口の中の小さなは歯1本に手間をかけたものです。
 理由は土壌整備に時間がかかったため、つまり軟弱地盤に悩まされた結果です。
  歯の根元の部分が化膿していて、そこの部分だけで半年かかった・・・つまり私の土壌の汚染物質除去・歯の根元の消毒に半年かけた結果。
 私は「もともと退屈男」みたいなものですから良いとして、歯科大の先生も辛抱強く治療してくれたものです・・・これだから町内の開業医の先生には敬遠されるのでしょう。

 ところで歯医者さんの治療台という椅子は子供のころから座り慣れているというか、そこに座ると不思議と落ち着いてしまい、自然に眠くなる感じがあります。
 これは床屋さんの椅子も同じで、どうもこういう形の椅子には私には催眠効果があるらしい。
 もしもベッドで眠れなくなるようなことがあったら、歯科の椅子か床屋さんの椅子を購入すればたちどころに解決しそうです。
 リクライニング機能の付いている椅子は眠りやすいのですがに、それだったら車の椅子でシートを倒したら眠くなるかと言うとそうでもないのだから、何か他にもきっと原因があるはずです。
 思うに、椅子だけでは無いのでしょう。
  もちろん座り心地が悪ければ論外ですが、それだけではない。
 要するに先生に任せて、自分は口を開けている以外はやることが無い状態・こういうときは棋譜並べか、ブログのことを考えるか、何かテーマを決めて自分なりの考えをまとめてみるか、あるいは昔の一シーンを思い出してみるか・・・マアそういう事しか出来ない時間。
  要するに体の機能を最低限に制限している時間帯・・・動物で言えば冬眠期間に近いのかも知れません。
  若しかしたら、意識を制限して最低限に声明を維持して、頭の中を棋譜再生機能だけONにしておけば、案外春までウツラウツラ状態で過ごせるのか・・・

 元に戻って、今の歯科治療は昔と違って痛みが違う。
  昔はベルトが唸るような治療器で削ったりしたものですが、今のはもうちょっとソフトな感じがしますし、昔は抜歯の時以外にはあまり麻酔を使わなかったのが今は薬が進歩したのか使う事が多いので負担が小さい。
 しかも今回の治療は痛みを伴うような治療はほとんどない・・・これはもう歯科台での虫歯治療=昼寝の時間。
 間もなく一区切りとなるとなんだか寂しい。
  次にどこか他の歯を治療しなくてはならなくなった時、今の担当の先生はおそらくどこかの歯科医院に就職しているに違いないので、他の先生になることでしょう。
 腕のほどは、多分悪くは無いのだろうけれど、若さ・経験値としてはこれからでしょう・・・でも性格のソフトさは私との相性は良い方だと思う。
 それに何と言っても、超真面目的な印象が無い・・・むしろ、ほどほどにいい加減らしいところが好感度(真面目すぎる、余り物事に真剣すぎる人は苦手)。

 ここにお世話になってから歯が悪くなる度に通院している。
  担当してもらった先生は7人目くらい・・・悪いところは直せても良いところを悪くしないで維持するのは難しいので、どこか悪くなる度に通っているしこれからも歯があるうちは続きそう。
  続くという事は自分の歯がある!?
 若しかしたら歯でなくて口腔外科?
  いずれにしても9月中には一区切りになりそう。
 

 
 

新型インフル二題

2009-09-05 00:22:19 | Weblog
 仕事をしていて眠くて仕方が無い・・・まるで春先「春眠感覚」です。
 前の日は確かに良く歩いた・・・ウォーキング運動をする人には笑われてしまいますが仕事で4,5キロは歩いているので、私としてはかなりの距離。
 加えて仕事の相棒がスポーツマンなので歩くのが早い・・・この人に遅れてはならじと”さりげなく”頑張らなくてはいけないのですからこれも苦労。
 そう言う翌日なので普段よりは疲れている事は確かだけれど、どうも感覚としては単なる疲労+何やら倦怠感と言うか腰から下に力が入らないような感覚。
 これはもしや今はやりの!?と思ったけれど、おでこに手を当てるとどうも違うような・・・
 マア、私は普段35度チョットしか無いので37度でも大変ですが、どうもそうでも無いらしい。
 結局、どうやらインフルエンザではなくて、夜中に本を読んだりネットで囲碁を観戦して遊んでいたためらしい。
 
 職場の隣の席の若い同僚と向かい側の二人は丁度就学年令の子供と、更に小さな幼児を育ている真っ最中ですから、新型インフルエンザにには相当関心がある。
 病気にかかって重篤化するのはもちろん大変だし、そうはならなくても学校や保育園にいけなくなったら、両親のどちらかが休んで看病しなくてはいけないのですから、まさに生活がかかった綱渡りみたいな毎日でしょう。
 私の場合も、確かに感染→発病して重篤化したら危険と言う事ですから困ってはいますが・・・
 仮に呼吸器系や心臓疾患を持っている場合、発病すると重篤化しやすいのか、あるいは重篤化したら危険なのか今一つはっきりしないのですが・・・どちらにしても危ない、マアかかってみなければ分からないでしょう・・・試してみるわけにはいきませんが、ともかく不安感はある。
 そうは言っても、防御を完璧にして家に閉じこもっているわけにもいきません。
  年金は貰えますがまだ半額ですし、家にばかり居ても退屈です。

 仕事では外に出ることもあります。
 週に1.2回は管内の事務所に立ち入り調査で出かけなくてはいけない・・・これが移動は原則公共交通機関を利用するので不特定多数の人とすれ違う事になる。
  そして息子もまだ学生ですから当然多くの人と会うでしょうし、客相手のアルバイトもしている。
 女房殿に至っては、教員ですから学校が病気のターミナルみたいになるなら、児童同様に教員だって菌にさらされている筈・・・
 従ってこの三人の家族が一軒の家に帰って来る訳だから、家だから安全とも言い切れない。
 だからと言ってひっそりと暮していれば良いという事も無いでしょう。
 そう言う深刻そうな生き方は私では無い。
  最大限の注意は払うにしても「成るようにしかならない」と暮らすのが似合っています。
  一見潔い、実はいい加減というか。
 但し、その道の専門家はそれではそれでは困りますが・・・
  私の場合はもしも最悪のケースをたどったとしたら・・・「いやー、かかる時はかかるものだ」と笑うしかないとは思っている・・・事前にみっともなく取り乱さないように、そう覚悟しているのですからお笑いですね。

 もうひとつ、深刻な感じの中でも、どこかで笑ってしまいそうなネタを探すのが私の性格です。
 火曜日に管内の事務所立ち入り調査に行きまして、その帰り道の話です。
  JRの駅のホームにウェイティングルームという透明な素材で囲まれた小さな部屋がありますね。
 30度を越すような暑い日にはエアコンの涼しくて爽やかな風が流れていてとても助かります。
 その日は30度までは無い日でしたが、でもイメージとしては爽やかなきれいな空気の部屋と言う感じがあったのに・・・そう言う既成概念が。
 ですから同僚を誘ってその部屋に入ってがっかり・・・外と同じ空気・・・イヤむしろ狭い部屋でエアコンが動いていないのでかえって空気が淀んでいるような印象。
 それでも、入ってしまったことだし、ホームの空気よりは好いのかも知れないと思って我慢していると、年配の婦人も入ってきました。
 多分同じような動機で入って来て同じような感想だったと思います。
 更にそこへ若いママが小さな女の子と一緒に入室。
  この場合は空気の清浄さへの期待もあるでしょうが、ホームで子供が危険な事をしないという意味では安心感があるはずです。
 さて小さな部屋に大人4人と子供一人・・・
  その時小さな女の子が咳をした・・・「ゴホンゴホン、ゴホッ」
 その瞬間年配の婦人と私の同僚は何気なく立ち上がり小部屋からホームに出て行きました。
  成程いずれ電車が入線してくるだろうから、立ち上がってホームへ出て行くのは当たり前ではある。
 しかし余りにもグッドタイミングの反射・「君子危うきに近寄らず」でもある。
 おそらく後者の意味が強いご時世なんでしょう。
  これはきっと何かの小話のネタになるような気がするのだけれど、私の力では難しいかも・・・でもこういう場面を何だか楽しんでしまいました。
 
 

二兎は5点差?

2009-09-04 03:27:39 | Weblog
 「二兎を追う者は・・・一兎をも得ず」という諺がありますが、この諺の信憑性確率はどのくらいのものでしょう。
 プロの高度なテクニックと集中力が必要とされる勝負で、しかも1対1の真剣勝負で、その道一筋・その勝負に賭けて調整してきた方が強いであろうとは思う。
 しかし、心のどこかでは本当にそうなのか?、私程度の猟師は下手な鉄砲を数打たなくては命中は望めないし、二兎どころか三兎も四兎も追わなくては一兎も得られないような気が常にしている。
 「勝負は時の運」みたいなところも否定できないような気持ちもある。
 マア、プロの世界とは程遠い私たちのザル碁界では、確かにその道一筋の碁キチも強いけれど、反対にいろんなことに手を出すような多趣味の人が弱いとは言い切れない。
 例えば囲碁しか楽しみが無い人が仮に3段で、囲碁も競馬も麻雀もゴルフも楽しむような人が同じ3段だったとして、多趣味の人が仮に囲碁一筋に衣替えしたら3段を脱して5段くらいまで上昇できるか?・・・さて、大いに疑問の余地ありですね。
 一筋に打ち込む事が良いことではあっても、ベストの選択かどうかは別問題のようで、いろんなことに目を向けて興味のアンテナを広げることが悪いこととは思えません。
 むしろある意味での心の余裕みたいなところが勝負事の場面で気持ちの余裕という意味で好い影響があるかも知れません。

 長々と前振りをしてきましたが、
  7月8月のネット碁の成績とレンタルCDの間で関連があるか無いか?自分で興味を持ったのです。
 面白いレンタルCDのドラマ・・・連続ものですから次々と続きを見たくなります。
 再生機はノートパソコンですから、ドラマを見ると言う事はネット碁は打てない、あるいはドラマの合間を縫って囲碁サイトに接続する。
 それにドラマは見るだけの単純作業ではあるけれど、若しかしたら目とか頭が多少は疲れるかもしれないので、その後直ぐにネットで囲碁を打つというのは、ベストコンディションという意味では最善ではないのかも知れません。
 しかし仮にも仕事を持っていれば、家での自由時間と言うのも制限があるので、ドラマの時間もネット碁もブログも、ネットでの興味のある事の検索も、風呂の時間も食事時間もトータルで○時間の世界ではある。
 
 振り返ると、7月から8月の初めにかけてはかなりの本数の連続ものを見てしまいました。
 レンタル屋さんには2日に1回は通っていたくらいの頻度・・・こうなると完全にお馴染みさんと言えば聞こえはいいけれど、実際は店員さんとしても内心呆れている筈です・・・それを顔に出せないのが可哀そうで、同情したくなるくらい。
 ともかく8月初めには見ていた連続もののCDが9月配給まで新作が無い状態になってしまったので、これは見たくても見ることが出来ません。
 要するにCDのドラマはパソコンでは見れませんから家での過ごし方の選択肢が一つ減ります。
 つまりネット囲碁に集中するしか楽しみが無い状態になったのです。
 それで8月の下旬の成績が4勝0敗・・・もし関連性が大いにあるとすれば、まるでドラマに神経が行っていたのでそれまでは負けていたみたいな言いわけで、それではいつもの囲碁仲間に失礼な感じではある、、、でも関連が全くないのかどうか?・・・単なる偶然で連勝したり連敗したりするのか少し疑問(ただの偶然かも知れませんが)。
  さて全く影響が無いとも言えないでしょうが、大いにあるとも言えない・・・なんだか中途半端な結論ですが、好きなことを好きなように楽しみたいという私流と言う事で、結局はトータルな私にとっての成績。
 仮に今後私がパソコンでやることが囲碁関係のことしかしないとしても、今よりたいして勝率が上がるとも思えないが・・・少しは上がるだろうか?
 CDの連続ドラマをパソコンで見るようになったのがここ半年ぐらいなので、今の点数はその頃よりは少し下がっている筈・・・確かに5点ぐらい・・・するとその差は5点?。
 これは大きいのか、その程度しか違わないと見るべきか。

一種のはめ手

2009-09-03 03:17:32 | Weblog
 私は仕事をしている時、所長だって現役ですから私より年下だから私がほぼ最高齢、あるいは所内のベストスリー・・・。
 しかし、若い人たちと仕事をしているとついつい年令を忘れてしまう事が多い・・・マア彼らの子育て奮戦記などを聞くと「いつか通った道」という感想を持ちます。
 自分が彼らの年ごろには、子育ては初めての経験だったように、彼らも初めての経験をしている最中なのですね。
 こういう時は、何か問題について訊かれない限り黙っている方が良いような気がします。
 私はそれなりに経験者ですから初心者さんたちの初体験のミーティングにベテランが乱入するようなもので、きっと彼らが経験したことを披露しあう意欲を殺いでしまうような気がする。
 逆もある筈。
  多分日常生活、いろんな場面で興味を持つところが微妙に違ったり、感じ方考え方が世代によってずれることは考えられます。
  ですから、若い人たちから見たら私のようなジイサマは放っておいた方が無難だと思っているかもしれません。
 自分からも彼らの興味とか趣味と違和感があったりしますから、無理に話題を合わせるのは疲れる・・・イヤ合わせる努力などしていませんが。

 そういう意味ではネットで囲碁を打ったり観戦したりしてそれなりに満足しているのですから、女房殿としてはお茶さえ出せば良いので手間がかからないジイサマではあるが、見方を変えると孤立している存在にも見えなくもない・・・。
 事実そういう風に遊んでいる時間は当然家族との会話などあり得ない、仮に話しかけられても上の空の返事ですし、何か検索を頼まれても当然後回しに決まっている。
 「一人遊び」は上手ですが、皆と遊ぶのは出来ない人と言うところです。

 話は変わりますが、リースのCDで連続もののドラマを見る場合、家族、とりわけ女房殿と興味が一致しなければ一緒に見るわけではない。
 それにBS,スカパー、ワオワオなどでスポーツ番組などやっていればそちらが優先順位が高いので、オヤジの権威など認められていないから結局自分の部屋でパソコンを使って再生鑑賞と言う事になります。
  画面が小さいけれど気楽ではあるから一長一短です。

 またまた話が変わりますが、先日碁を打っていて、ポピュラーな隅の形。
  星に小ケイマでかかって、一間挟みに3三に入った時の定石。
 当然相手は連絡させない形で打ちまして、3三の石から一本這った時・・・
  すぐ押さえるのは自分で嵌りに行く形に陥りやすい・・・これが有名な形。
 先日のお相手、上手の筈なのに押さえてきた!
  一本下がって様子を聞くと断固押さえて連絡を拒否・・・これは嵌り。
 まさか!
  確かに相手の石を簡単に連絡させないこと、それに3三から這った石の2目の頭をハネたくなる(2目の頭は見ずハネよだし)しある意味では鉄則みたいな感じではあるから、違う二つの鉄則をつないでしまうと・・・。
  しかし上手と言える点数の人なのに。
 私自身は立場を変えるとこの定石の嵌りコースの一歩手目で切られては困るところを継いで、「はまりそうと見せかけて、一歩手目で相手の期待感を裏切る」進行が好き。
 そういう打ち方が良いかどうかは甚だ怪しいけれど、相手の期待を外すというところが好き・・・そう言う性格。
 ともあれ、これほど有名な嵌め手のコースに自分から入ってくれるとは・・・もしかしたら若い人で棋力は高いものの嵌め手の勉強をしていないというか経験値が多少不足しているのかな?などと想像しました。

 ところで再びCDのレンタルに関する話に戻ります。
  近所のレンタル屋さんで会員証を作ったら、自動的にシルバー会員=儲かったような嬉しいような、反面寂しいような。
 ところでこれまでに見てしまったような有名なCDは借りない・・・見たことが無いものから探します。
 それはそれで楽しいのですが、結局は新作物の方に移っていく流れですね。
  レンタル開始から3カ月たてば半額で1週間借りられるのでシルバー会員はの特典が生きる・・・これが一種の落とし穴的な嵌め手みたいなもの。
 仮に、借りた連続もののCDが面白ければ(面白くなければ借りないし)続きが見たくなる筈で、借りた物を1週間かけて見てから次を仮に行くというのんびりした楽しみ方をするかどうか・・・。
 つまり2,3日で見終わって次を借りに行きたくなる。
  丁度良いところで「続きは次回のお楽しみ」になっているし、レンタル料も半額だし・・・。
 そうこうするうちに、旧作扱いで1週間・半額の対象商品は尽きてしまう。
  ここで問題にぶつかる、、、新作扱いの商品を割引無しで借りるかどうか・・・要するにシルバー会員の特典は放棄?。
 旧作扱いになるまで待てれば問題は無いけれど。
  私はこういう風にペースが上がらないように2,3の話を並行して借りていたにも関わらず、ついに”新作の壁”にぶつかってしまいました。

 さて割引無しで高くても、あるいは新作で1泊2日という短期承知で・・・
  どうもわかっていても嵌りそうな気がします。
 見事な嵌め手と言うか、おこずかいで解決をする嵌め手です。
 

封筒と古いホッチキス

2009-09-02 04:52:22 | Weblog
 今は何かにつけエコだとかリサイクルと言うニュースがあります。
  貴重な資源を無駄にしないとか、クリーンエネルギーとかとても大事なことだし、昔からの”もったいない”感覚も見直されています・・・でも皮肉ぽく考えると、実際の生活場面でどれ程切実にそう考えているのか、あるいは実際にそう思って身の回りを見ているのか、少しあやしい事もあると思っているのです。
 いや、人によって感じる対象や感じ方が違う。
  例えば自転車通勤
 昔から自転車での通学・通勤は珍しくないけれど、このごろはサイクリング車に乗った自転車ヘルメットの人も増えてきているように思います。
 ”カッコ好いな”と思いますし、自分でもああいう自転車で、サイクリングパンツにヘルメット、デイバッグで通勤してみたいとは思うのですが、しかし、そうなったらそれなりに早く走らないといけないような気もするし、もう少しスマートな体型にならないと似合わないので踏み切れない。
  それはともかく
 これは個人レベルで出来るエコ活動みたいな感じでもあるから、一応他の人から「頑張ってますね」とは言われるものの、実際は自転車でも通勤可能な条件にあるから出来ることで、マイカー通勤にしろ電車通勤にしろ都合のよい方法を取っているに過ぎない事でもある。
  それにもし、十数年前に自家用車を放棄しなかったら、通勤手段をどうしていたかははなはだ怪しい。
 マア、今のところ住んでいる場所から言って車が無ければ無いで生活出来るのでなんとかなっています。
 病院とか買い物とか多少不便はあるものの全て徒歩・自転車・バスで用が足りる。
 但し、先日みたいな荒れ模様の天気の時は困りますが・・・
  それと将来もう少し年令が高くなった時に、どこかに出かけたいとか、重たいものを運びたいとか言う場面、日々の生活の場面でどうなるかは自分でも未知なのではあるが、マア今から考えても分からないので考えないことにします。
 
 ところで、仕事でささやかではあるがリサイクル的な場面はある。
  3年前に今の仕事についた時、前任者からの申し送りメモに「封筒は捨てないで取って置き、書類など入れる時に使う」と書いてありました。
 要するに”外部”に出す書類は自分のところの名前が印刷された新品の封筒を使うが”内部”向けには送られてきた封筒を再利用しなさいと言う事である。
 確かにこういう事に異論は無い・・・但し送られてくる封筒の数と再利用する数のバランスが取れないのです。
 私が着任した時でさえ既に家庭内での古新聞の山みたいな感じで、”使用済定型外封筒”の山がいくつも出来ていた。
 つまり建前としての「再利用」は大事だが、現実には来る数と使う数のバランスが取れなければ無理ですから、古紙としてリサイクルも必要と言う事になる。
 (送られてくる定型外封筒のほとんどは既に古紙で作られているような感じなので再再利用できるのかどうかも問題)
  マアそうは言ってもいつかは古新聞と一緒に回収して貰わなければ困ることになる筈です。

 ところで、定型外封筒の再利で別の方法を見つけました。
  (定型外封筒はA4サイズの書類を折らずにを入れる大きさです)
 平面的な封筒を折り紙的に四角柱的に換えることで使い捨て紙製のごみ箱に再利用することが出来ました。
 これは簡単にでいる再利用ですが私しかやらない・・・ポリの円筒形紙くず入れを使って、溜まれば大きなゴミの回収袋に移すのと大して意味は変わらないのに・・・。
 そこで、この四角柱を再度細工してキュービック風に折りたたむことに成功!
  自分ではかなりの発見だと思ったのですが、
  これで小物入れ、あるいは卓上ゴミ箱を考案・・・と思ったのですが誰にも見向きもされないのが悲しい。
 折り込み方に工夫をしてメモとか名刺まで挟めるスグレモノなのに・・・
  家に持ち帰って、この定型外封筒再利用紙箱の上に模様のついた千代紙を貼ったり、外国語の新聞を貼ったりしてみると少し見栄えがして家ではそれなりに使っている。
 テーブルの上に置いて細々としたものを入れて置くのには都合がよい・・・いざとなれば捨てれば良いし。
 尤も、手間をかけて見栄えのよいものが出来たので、むしろこれは職場に復帰させたくない。
 褒められても悔しいから他人にあげたく無いし・・・イヤ、若しかしたらこれでも冷やかな目で見られるかもしれないからコワイし。

 もうひとつの利用方法も考えつきましてこれも実行。
  それは至って簡単な事で、、、封筒をカッターで切ってただの紙にしてしまうだけ。
 封筒の表の宛名の方は縦横4つに切って、それを更に二つに折ってホッチキスで留めると16ページの胸ポケットサイズの手帳・メモが出来る。
 これに思いついたことを書きとめると・・・ブログの1回分くらいのものが書けるのです・・・家に使用済みブログ下書きが溜まって来ているので、この素材は溜まる性格があるらしい。
 封筒の裏の方は、こちらは全く白い紙なので再利用しやすい。
  但しノリシロの部分は切り捨てるので変形サイズにはなる
 この紙で手帳っぽく作るとそれなりに利用しやすいし見てくれも再利用とは分かりにくいものが出来る。
 但しホッチキスに工夫が必要。
  これは昔使っていたタイプのものを見つけたので出来ました。
 ホッチキスでべニア板にポスターを貼る時みたいな要領でメモ用紙数枚の真ん中を留めるとノートっぽく出来る。
 これに古いパンフレットの写真部分を切り取って表紙としてつけるとオリジナルの手帳の出来上がり・・・。
 しかし考えてみると暇人だし、貧乏くさい努力のような気がしないでもない。
  こういう事に手間ヒマを使わずに儲かる仕事をしなくてはいけないのでしょう、タブン。

 ところで封筒の裏の変形サイズの紙は大きさとか持った感じの材質から棋譜が出来れば良いのにと考えています。
 問題はきれいに同じ大きさにそろえる事が出来ること。
  もうひとつは、棋譜としての印刷・・・薄い色調で印刷出来ること。
 やはり暇人なんでしょうね私は。
  でも言い訳めいていますが、こういう事をやったり考えることは、仕事と並行して同時にできるタイプなのです。
 決してさぼってはいないのです(言い訳に聞こえます?)。

対局数

2009-09-01 00:19:12 | Weblog
 疲れているのか早く眠ってしまって目が覚めたら9月になっていました(15くらい過ぎて・・・)
 すぐには眠れそうも無いので、ブログを更新。

 さて
 いつものネット碁会所は実名で打ちますから、そう言う事を了解、あるいは賛同している人が入会していると想像しています。
 そして、年とともに興味が移ったり、興味の順位が変わったり、あるいは点数制度というある意味では競い合う事に興味が薄れたりすることはあるかも知れませんし、別のネットで武者修行したいように考えるかもしれませんから、会員の入れ変わりというものはある筈です。
  ですから、古ければ偉いわけでは無いにしても、いつかはネットが続くうちに私も古株の仲間入りし入場者リストの常連あるいは知られている名前になる日が来るかもしれません。
  でも、ネットの事務局でならともかく、会員名簿とか入会年度が記載されたものが会員に公開されていないので、細かな事は分からない筈です・・・尤も古いからと言って「好きだな」「皆勤賞」みたいに思われても尊敬されるわけでもないし、何かの特典もあるわけでもないから損も得も無い事ではあります。
 
 会員としての経歴はともかく、初めての人と打つ時などは思わず住んでいる県とか対局数を見てしまいます。
  何でしょうね?・・・ネットでは顔が見えないのでその代わりなんでしょうか?、それとも、そういう癖は私だけで他の人は全く気にもかけないのでしょうか?。
 会員同士の井戸端会議みたいなコーナーが無いのでどんなことを考えるのか分かりませんが、でも私に関してはそうなんです。
 いかにもセコイと言うか、気の小さな人間のやりそうな事ではあるところが大きい声で言えない引け目を感じます。
  それが分かったからと言って大したことは無いのに、でも気になる。
  (こういう事が「敵を知る」というレベルの話ではないのに・・・)
 第一、対局数が多いからと言って必ずしも年令が高いとかキャリアが長いという比例みたいな事は分からないですから。
 強いて言えば何曜日あるいは平日に出会うのが多いのかとか、一日の内何時頃に打っている事が多いのかなどの方が、少しわかるような気がします。

 癖と言うものは仕方が無いもので、今日もネットに入場して「対局待ちリスト」を見ながら考えました。
 この時リストには3人の人の名前がありました
 ① Aさん:仮に105点 通常の持ち時間で誰とでも打つ
 ② Bさん:持ち点100 通常の持ち時間で上の人とは打たない
 ③ Cさん;95点    早碁のみ希望で誰とでも打つ
  この3人のみがエントリーされていましたが、対局条件でこの方々の条件がかみ合わないので点数が10点以内で、手合いにしたら先の範囲なのにお互いに対局しない形で第4の希望者待ち。
  もし私がここで対局のオファーを出すとすると・・・さて持ち時間45分とするか、あるいは早碁とするか。
 この場合Bさんとは対局のチャンスは無いようです。
  従って私が対局条件を指定しなければ「45分」優先でAさん、早碁を指定すればCさんとの対局になります。
 オファーを入れる前に入場者リストでCさんのところを確認すると○○県、△勝□敗と出ている。
 (当然)勝ち負け差はほとんどないが、それぞれ5000を遥かに超えている!
 もし、1日3局ペースで打ったとしても年に1000局程度ですから単純に考えると10年以上はここで打っていることになる。
 年に1500局ペースでも6,7年は・・・
  それに比べ私は勝ち負けとも700を超える程度で、最近ではペースが落ちているけれど、1日1局としても1万局打つには1万日必要・・・30年?。
 仮に対局キャリアがそのまま囲碁の力になるものの集積としたら対局数に比例する経験値は重要・・・まるでパソコンのゲームのキャラクターですね。
  でも、少なくともアマの場合必ずしもそう言う事は言えないので、なんとか戦う事が出来るらしい。
 イヤ、対局数に比例するようなキャリアの集積に何かしらパワーを感じることもある・・・但し、そのことが若しかしたらマイナスに作用する事だってあるのではないかとも想像できそう。
 そうでなければ、経験値の違う者の戦いは偏る筈ですから。