処世訓のような立派な物で無くて、何かにぶつかったときの性格的反応のようなもので、私の場合は言葉にすると,たいていなことに「マアいいか」と反応する性格のようです。
これは以前に一緒に仕事をしている人に指摘されたので、自分でも「ああそうか」と自覚したりしましたが、自分ではそれほど悪いとは思ってはいませんが・・・その人にはかなりネガティブな性格に映るようです。
(本当は少し違うと思ってはいますが・・・)
その点についてはそうかもしれないし、そうでないかもしれませんが、他人様の指摘にも「マア好いか」みたいなものです。
良く言えば(ずーずーしく)大陸的スケールの大きさ?何が起こっても動じないような・・・本当は単に鈍いだけで、何かが起こった時にとっさの反応についていけないだけだったり。
そういう意味では、何が起きても一旦はじっくり受け止めなくては次の行動には移れないわけで、この受け入れる際に、起きたことに対して「マア好いか」という段階があるのでしょう。
実際、良くても悪くても起きたことは消せないわけで、その点は現実として受け入れるしかない。
でも本当の性格としては断固血液型B的主張として「嫌なことは絶対にやらない!」・・・どうしてもダメな場合は『女房殿にSOS』。
消極的対策としては「出来たら避けて通りたい」・・・周りと積極的にトラブルを望まないならこの一手?かもしれません・・・ムムッ!今でもダメおやじのままです。
そういう自分の性格を考えてしまうような凄い碁を観戦してしまったのです。
これは素人が素人の碁を観戦した時の雑感であって良い悪いの批評ではありません・・・そういうのはやりたくても出来ないし。
さて対局室に入ると自分とは同じくらいの両者が対局を開始したところ。
黒1天元、白2星、ここまでは少ないけれどたまにはアル進行、黒3白の星に下ツケ、白三3オサエ・・・ここから息もつかせないような戦いの始まりでした。
もうそれは表現として戦いと言うより、出会いばなの殴り合いに始まって取っ組み合いの連続と言うイメージ。
こういう時って不思議と消費時間が少ない。
プロと比較するのは変ですが、例えばプロが結果としてこういう形で戦うとしたら持ち時間を一杯に使うと思いますが、アマの場合はそうではありません。
相手が打った手に、即反応しないと気合いで負けるかのように反射的に打たれる、相手も負けていないわけで恐ろしいほどの戦いが猛スピードで繰り広げられていくのです。
170手辺りでも両者30分以上時間を残している・・・ということは、各85手を15分以下の消費時間で打ってきたという事です。
これは概ね1手平均で10秒以下8,9秒という事です。
マア打てないことも無いとも言えるし、こんな一歩先は真っ暗闇みたいな道をこのスピードでは進めないとも言えます。
ところが不思議なことに、碁が大寄せに入る辺りでスピードが緩んでくるらしい。
だんだん消費時間が増えるのが分かる・・・
勝手な解釈ですが、この辺りになると形勢の指針である地合いが見えてくるし、一手の大きさも数量化しやすくなって来る為ではないのだろうか?。
もうひとつ勝手な想像ですが、序盤の方はそういう形勢判断が難しいし、数量化はしにくいので、打つ手の主テーマは気合い・「それも一局」と言う事で進めていて、終盤近くなると計算機のスイッチが入るのだろうか?。
多分そんなところのように感じる・・・私だって「マア好いか」ですから
もっともあのスピードにはついていけない。
もし対局すると巻き込まれそうな怖さを感じる・・・つまり私だって当事者になればあのスピードで、あの気合いに「負けるものか」と打ちそうな。
そういう意味で私としては非常に危険を感じるので「これは出来たら避けて通りたい」。
その碁の結果は残念ながら見届けていませんが、両者のお名前はしっかりと憶えておいて、今度打つ時は「ゆっくり、ゆっくり」という念仏を唱えるつもりです。
これは以前に一緒に仕事をしている人に指摘されたので、自分でも「ああそうか」と自覚したりしましたが、自分ではそれほど悪いとは思ってはいませんが・・・その人にはかなりネガティブな性格に映るようです。
(本当は少し違うと思ってはいますが・・・)
その点についてはそうかもしれないし、そうでないかもしれませんが、他人様の指摘にも「マア好いか」みたいなものです。
良く言えば(ずーずーしく)大陸的スケールの大きさ?何が起こっても動じないような・・・本当は単に鈍いだけで、何かが起こった時にとっさの反応についていけないだけだったり。
そういう意味では、何が起きても一旦はじっくり受け止めなくては次の行動には移れないわけで、この受け入れる際に、起きたことに対して「マア好いか」という段階があるのでしょう。
実際、良くても悪くても起きたことは消せないわけで、その点は現実として受け入れるしかない。
でも本当の性格としては断固血液型B的主張として「嫌なことは絶対にやらない!」・・・どうしてもダメな場合は『女房殿にSOS』。
消極的対策としては「出来たら避けて通りたい」・・・周りと積極的にトラブルを望まないならこの一手?かもしれません・・・ムムッ!今でもダメおやじのままです。
そういう自分の性格を考えてしまうような凄い碁を観戦してしまったのです。
これは素人が素人の碁を観戦した時の雑感であって良い悪いの批評ではありません・・・そういうのはやりたくても出来ないし。
さて対局室に入ると自分とは同じくらいの両者が対局を開始したところ。
黒1天元、白2星、ここまでは少ないけれどたまにはアル進行、黒3白の星に下ツケ、白三3オサエ・・・ここから息もつかせないような戦いの始まりでした。
もうそれは表現として戦いと言うより、出会いばなの殴り合いに始まって取っ組み合いの連続と言うイメージ。
こういう時って不思議と消費時間が少ない。
プロと比較するのは変ですが、例えばプロが結果としてこういう形で戦うとしたら持ち時間を一杯に使うと思いますが、アマの場合はそうではありません。
相手が打った手に、即反応しないと気合いで負けるかのように反射的に打たれる、相手も負けていないわけで恐ろしいほどの戦いが猛スピードで繰り広げられていくのです。
170手辺りでも両者30分以上時間を残している・・・ということは、各85手を15分以下の消費時間で打ってきたという事です。
これは概ね1手平均で10秒以下8,9秒という事です。
マア打てないことも無いとも言えるし、こんな一歩先は真っ暗闇みたいな道をこのスピードでは進めないとも言えます。
ところが不思議なことに、碁が大寄せに入る辺りでスピードが緩んでくるらしい。
だんだん消費時間が増えるのが分かる・・・
勝手な解釈ですが、この辺りになると形勢の指針である地合いが見えてくるし、一手の大きさも数量化しやすくなって来る為ではないのだろうか?。
もうひとつ勝手な想像ですが、序盤の方はそういう形勢判断が難しいし、数量化はしにくいので、打つ手の主テーマは気合い・「それも一局」と言う事で進めていて、終盤近くなると計算機のスイッチが入るのだろうか?。
多分そんなところのように感じる・・・私だって「マア好いか」ですから
もっともあのスピードにはついていけない。
もし対局すると巻き込まれそうな怖さを感じる・・・つまり私だって当事者になればあのスピードで、あの気合いに「負けるものか」と打ちそうな。
そういう意味で私としては非常に危険を感じるので「これは出来たら避けて通りたい」。
その碁の結果は残念ながら見届けていませんが、両者のお名前はしっかりと憶えておいて、今度打つ時は「ゆっくり、ゆっくり」という念仏を唱えるつもりです。