なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

嬉しい発見

2010-07-16 04:53:28 | Weblog
 水曜日は夕方に歯科大での治療があるだけで、息子も新宿だか代々木の学校に出かけているのでド・フリー状態。
 のんびりとTVを見ていて再発見やら、新発見やら嬉しい事がありました。
  先ずは「切り折り紙」素晴らしいですね。
 一枚の紙から作る伝統の折り紙・創作折り紙も素晴らしいですが、ハサミを入れて自由に作る切り折り紙も素晴らしい・・・カエルのシンプルさも良いし、ドラゴンなどは「挑戦してみたい」と思ったのでした。
 私は「紙」に多少の思い入れがあります。
  父の勤めていた会社が製紙会社だったためでしょう。
  父の仕事は原料となる木をパルプに返るところまででしたが、事務所にはいろんな紙の見本帳が置いてあったので、私も手にとって見る機会が多かった。
 和菓子を包むような高級和紙とか、菓子折りの箱にするような板紙・・・こういう紙が好きでした。
  新聞紙などはメーカーが特化していたし、トイレットペーパーなどは作っていなかったようで、板紙が多かったかな?
  子供の頃は紙に絵を描く事より、切ったり貼ったりして遊ぶ事が多かった記憶がある・・・何と言っても材料は回りに幾らでもあるのですから。
 そういう事に起因しているか、今でもスーパーなどの文房具売り場は見て回るだけでも楽しい。
  カラーケントとか、印刷した千代紙とか・・・仕事や観光で和紙の産地に行けば必ず寄って何かしら手漉き和紙のお土産を買うし・・・やはり変なオヤジらしい。

 TVの出演者は本職は耳鼻科のお医者さんだそうで、数年前からネットのページを開設しているとか、、、「切り折り紙の館」。
 私も早速遊びに行ってみようと思います。
  息子にもこれを勧めたいと考えている。
 彼は外国人に日本語を教える事を職業としたいと勉強中ですが、私から見ると「単に言葉を教える」以上に文化を伝える要素も大きいと思うので、折り紙でもスポーツでも日本的な何かを併せて伝達することが良いと思うのです。
 そういう意味で彼は相当に不器用なので、複雑な折り紙よりは切り折り紙の方が向いていそう。

 もう一つの発見は首都圏ニュースで「栃木県の流し雛」のニュース。
  先ず場所が「思い川」・・・ここは懐かしい。
   名前からして故事来歴がありそうですが、一度聴いたら忘れない名前。
 私が30代のころ仕事で月に2回くらいはこの川を渡っている。
  流し雛の材料の下野和紙、、、縮み和紙。
   仕事で通っていた頃、ここの和紙が欲しくて道路沿いの店に注意したものですが見つけられなかったので購入できませんでした。
 紙人形の頭の部分などは黒い縮み和紙が良いように思っていたのですが・・・
  マア、そんな思い出がここの和紙にはある。
  当然と言うか、今でも和紙人形があるのですからそれは嬉しい事でもある。

 もう一つは藍染のニュース。
  私は「aizomechou」の名前を使っていますが、育ったところが「愛染町」に因んでいます。
  但し、当地の古い和歌では言葉にかけて「逢染」と言う言葉も出てきますし、小さな川で「藍染」の布を晒した事に因んだ地名でも良い。
 都合良く「愛染」「逢染」「藍染」どれでも良いと欲張っています。
  ニュースは真壁藍染の展示会の報道。
 「真壁」と言えば第一印象はヤマトタケルか筑波山方面、、、ここもよく走りまわっていたところ。
   何か身につけるもので藍染の物が一つ欲しくなりました・・・必ずチャンスを窺って出かける事にしよう。

 さて今日の一句・・・梅雨の晴れ間と言うか殆ど夏と言うか自分一人分のお昼を買っての帰り道はヤケに日差しを感じました。
 よく顔全体を覆うサンバイザーのご婦人がいますが、私の場合も「隠した方が良い」のかもしれませんが帽子無し。
 帽子をかぶらずに自転車で走って居ながらオテントウさんに文句を言ってます。
 「七月の光まっすぐ頭上から」・・・オソマツ。

猫睨み

2010-07-15 02:49:56 | Weblog
 先日の日曜日、お気に入りの花の美術館奥庭のレストハウス(勝手に命名)の木のテーブル脇の椅子で思いついた・・・
 『ここに来た時は必ず一句作る』
 日陰で風通しの良いゆったりした空間です。
  木と言っても板張りの大きなテーブルで、椅子は同じく木製の長椅子あるいは(おそらく)間伐材で作った椅子ですから、贅沢とは程遠いのですが温かみはある。
 マアそれが味と言えば味ではある。
  私にとって好都合なのはこの花の庭を訪れる人で奥庭まで入って来る人は全体の約半数か。
 更にこのレストハウスに来る人はそのまた3分の1も居ないように思う。
  だから、この空間は穴場と言うか、ここを気に入った人にとってのスポットです。

 さて思いついた事
 まともな俳句など作れる筈は無い・・・しかしNHKの「カシャっと一句」を見ていると自分も作りたくなる。
 幸い先月デジカメを手に入れた事ではあるし・・・
  公共放送の公募レベルには程遠いが、自分だけで楽しむなら出来そうな気がする。
 ”出来そうで”であっても実際にやってみなくては実証できないわけで・・・そういう事で「ここで一句作る」という発案に繋がる。
 元々が「カシャっと一句」が動機なので、俳句の出来がどうと言う事より、常にデジカメ的画像とペアでイメージする。
 家のパソコンのマイフォトに貯めた画像に一句とか、句にピッタリのべスポジを探すとか・・・そういう事で野外活動?の動機付けにもなりそうです。

 初めの一句は猫
  猫は嫌いでは無い・・・むしろ可愛いとは思うのだけれど、公園で野良猫化して増えているのは問題だと思っています。
 公園にキャットフーズ持参で来る人も居れば、そういう事に反対の立場の人もいる。
  公園猫の写真を撮りに来ている人もいる・・・そういう人が撒き餌ではないが猫ヨセに餌を使ったりしているのを見ると流石に邪道のように思います。
 私は・・・今は猫を見ても無視することしかできない・・・無視できないほど増えて来ているので「無視」は本来ナンセンス。
 ともかく意識は猫に向いてはいる。

 猫って家猫であっても犬とは違い、飼い主に飼われていると言う自覚は殆どない生き物だと想像する・・・誇り高い生き物と言うか。
 食べ物をねだるにしてもオモネルわけでなく、必要なものを欲しいと要求しているだけのような。
 従って家で飼われていると言うより、たまたま同居しているに過ぎないと言う感じでしょうから、不意に出て行ったりふらっと戻ったり(私に似ている?)。

 さて公園に猫が住み着いていて、私などがベンチに座るとどこかからかじっと猫の目が光ります。
 「この人間は食べ物を呉れるか?」
 「傍に寄っても危険は無いか?」
 縁起ものの猫の目とは全く違う、生きるための真剣な目なのです。
  食べ物をくれそうな人を見分ける、くれる人を記憶する、危なそうな事もギリギリで避ける(オーバーに逃げたりはしない)、結構したたかに生きている。
 したたかでなくては”ノラ”はやっていけないのでしょう。
  (しかし今の数は”爆発的に増える”直前のような気がする・・・放置して、それなりに餌を入手できるなら増殖するに決まっている・・・この公園で痩せたノラ猫は居ないのだから)
 ともかく愚作「さすがマア公園猫の横睨み」オソマツ。

まるで水上歩行術

2010-07-14 01:38:54 | Weblog
 むかーし昔、少年雑誌だと思うけれど、忍者特集で忍者のテクニックを読んだことがある。
  長期間じっとしている時に食べる栄養補給用の丸薬とか、十字手裏剣とか・・・ジャンプ力をつけるための訓練なども凄いですね・・・科学的な様な少しオーバーな様な事が書いてあったのですが本当の事だとしてですが。
 中でも興味があったのが水上歩行術。
  何故是かと言うと、住んでいたのが製材所が集まった様な街・・・大げさに言うと深川のミニミニ版と言ったところで町内には貯水池が有りまして池の上にはたいてい丸太が並んで浮かべて有るのいで、その丸太の上を水上通路代わりにして遊んでいたものです。
 勿論当時だってもしも池の中に落ちた場合には直接の怪我、あるいは浮上するスペースなどの問題で「非常に危険」だと言う事で禁止されていましたが、町内の子供のとっては危険意識は無かったですね。
 学校では「危険な遊び」と言う事で必ず注意があるのですが、ここの子供たちは泳ぎが達者だったし、丸太の大きさによる乗り方を見に着けていたいたから「あれは他所の町内の子供に対しての警告」だと思っていた。
 ともかくそういう環境だったので、水上を移動する術に興味があったのです。

 忍者の場合は樽のようなフロートを下駄みたいに使って水の上を進む・・・これって本当に出来たのか相当に怪しいような気がする。
 もう一つは円盤状の履物みたいな・・・表面張力を使って水の上を進む・・・これもかなり眉つばに思う。
  科学的な様な、実用としては相当危険な・・・
 マア、落語調の水上歩行術よりは実しやかではある
  落語の水上歩行は、右足を水の上に乗せて、右足が沈む前に左足を出し更に左足が水中に沈む前に右足!
 これを繰り返せば水上を沈む前に歩くことが出来る。
  冗談みたいだけれど、子供の時に一度は試したことはあるのですから、我ながら笑ってしまいます。
  結果は言うまでも有りませんが。
 但し丸太の上を歩くのはこの落語的法則なのです。
  池の上でも太い丸太なら回転させないように乗れば良い、細い丸太の場合・・・少年の体重でも水面下に沈むくらいの丸太の場合、ゆっくりと丸太が沈むのに合わせ<落語的に>足を運ぶのです。
 急いでやるとかなり忙しい事になりますが、ギリギリのタイミングでゆっくりと進めば丸太の揺れも小さくて済むのです。
 このタイミングが地元町内の子供だけしかできなかった。
  池の上の丸太の上で、因幡の白ウサギモドキに1対1のマッチレースなどもやったものです・・・マアそれなりに体重も軽かったのですね。

 ところでネット囲碁の方の点数ランキングを上げる方法もそれに近い。
 「先ずは、連敗をしない事」
 そして「どこかで2勝1敗を実現する」
  現在自己MAXまでにあと4勝勝ち越せば到達できる位置・・・
 従ってこの到達方が出来れば自己MAXには到達可能・・・しかし。
  こういう絵に描いたような必勝法が上手く行く確率は相当に低い。
 「連敗をしない」と言うののが眼目になるのですが、相手がある事、自分の意思だけでやれる事では無い・・・そこが問題。
 これは水上歩行と好い勝負です。

いつの間にか!

2010-07-13 02:53:51 | Weblog
 皆さんはご自分の誕生日は祝っているでしょうか?
  子供時代ですと、自分の誕生がスルーされないように事前にCM活動をしたり、プレゼントに何が欲しいのかそれとなく周知したりしたものです。
 マア誕生日を祝うと言う事は・・・無事に成長している、生活している事への感謝とかお祝いと言う事でしょうし、何才になっても、イヤ高齢になるほど”メデタサ”は増していきますが。
 しかし私の場合・・・イヤ他の人に聴いたことは無いけれど、「毎日を無事に過ごせば誕生日はやって来る」と言う感じで特段祝って貰う事も無いと思うようになった。
 多分誕生日も40回から50回を越すとそういう気分になるのではないかと思うのですが・・・。
  そういう気分になるのには二つの要素がありまして、「誕生日が来たから祝う・・・決まったパターンで・・・」と言うようなマンネリ気分では余り意味が無いような。
 逆に持病持ちの身としては毎月・毎日無事で良かったねみたいな気分(家族には言えませんが)。
  そんなこんなで「誕生日祝いはやらない事にしよう」と言う事になりました・・・私の誕生日には・・・。
 それに誕生日が来るたびに年が増えるので、有りがたい気分は無い。
  減っていくなら有りがたいけれど。

 ところでネット碁で気がついたのですが、いつの間にか1000勝を越えていました。
  900勝を越えたあたりで、間もなく1000だなとは思っていたのですが、もう少し先だと思っていたので気にしなかったのですが、日曜日に私の名前が出ているボードに1001勝となっている事に気がつきました。
 マア勝った分だけ負けるようなものですので、実際はトータルで10勝ち越しに過ぎない。
  そして時間をかけて限りなく勝率50%に近付いて行くとも言える。
 1001勝・・・これは現在のオフィシャルの記録であって、本当はもう少しこのネットで打っている。
  と言うのは数年前にシステムが大幅に変わった時にそれ以前の記録を持ち越さずに、新たにスタートした形になっている。
  私が入会したころは自己申告の段位に上限があったので、県大会とか全国大会の実績が無く、棋力について推薦が無ければ4段からのスタートと言うルールでした。
 従って入会当初は大きく勝ち越したのですが、システム切り替えでそれまでの記録は空白。
  そういう意味では1000勝と言うのも少し「今更」と言う感じも有る。
 こういうのってネット事務局で「おめでとう!祝1000勝」などと言う掲示が出ないものかしら・・・商売っけがない事務局ですネ。
 尤も長くやっていれば誕生日と同じでいつかは通過するようなものです。

 さて他の人はどうなっているのか気になって入場者紹介の掲示を覗くと!!
  何と3000勝などはザラ・・・5000勝だって何人もいる。
  一緒に再スタートした人でもこれだし、私より後から入会したKさんファミリーなど2000勝とか3000勝を越えています
  私などは最古参会員ではないが、マア中くらいですが記録的にはリセット時からの”最”古参ですから、「今頃越えたのですか?」と言われそう。
 ともあれ、あと8局で2000局になる、、、マア無事に楽しんでいると言う事でメデタシメデタシとして置きます。
 アラッ?、やっぱり「目出度い」ものなのかな?。 

ゲーム時の人格?

2010-07-12 00:07:20 | Weblog
 昔囲碁仲間にYさんと言う人がいまして、この方の声が普通の男の人の声より高くて、ヴォリュームも大きめに設定されていましたから、碁会所ではこの方の話声が響く事になります。
 本人はいたって普通に話しているつもりでも遠くまで響いてしまう・・・近所迷惑など意識していませんが、彼の普通は周囲からは迷惑な事も有る。
  だからM病院の院長先生など、「五月蠅いジイサンが隣にいた」などと遠慮なく言うのですが、本人はなんの事か分かっていないので一向にこたえていない・・・そういう意味では案外結果的にせよ精神力が強いと言えるのかも知れませんね。
 強いと言えば彼は良く「先生方は強い」という言い方をする。
  ナニ彼には自分の上手は皆「先生」になるので彼の先生はインフレ状態ではあるが。
  それで「先生方は強い」の続きはこうなる。
 「強い先生方は皆意地の悪い手を打つから強い」、それで彼の論法では「意地が悪くなければ強くなれない」となるわけです。
 マア、結果としてYさん自身は意地が悪くないから上手に弱いと言う事になるようです。

 これは冗談での会話ではあるが、ただ級位の人の中には同じような気分の人もいるようなので、そういう要素はあるのかも知れない。
 私が思うのは普段からの性格、所謂人間性と言う事ではなくて、ゲームの時にそれに適したように切り替えられるかどうかだと思うのです。
 例えば囲碁を打つ時
 [相手の弱みを徹底的に突く][相手の誤りは決して許さない][相手の傷には塩も唐辛子も擦り込][相手が好調で上手く行っていると考えているような時な、やり過ぎを待つし落とし穴を用意もする][場合によっては小さな過ちをいちいち指摘しないで決定的な場面で追及する]・・・言葉にすると相当嫌な性格。
 対局寸前までは「仏の○○」などとおだてられていたとしても、対局が始まると人格をがらっと変えられるかどうかが問題。
 ジギル博士とハイド氏が混在して順繰りに現れるのではなくて、囲碁を打つ時・ゲームに臨む時とその他の時では違うと言う事でしょう。

 良く冗談で「ハンドルを握ると性格が変わる人」がいますが、良い悪いはともかく本人にとっては精神仕様を運転バージョンにしているのかも知れない・・・。
 マア運転は勝負事では無いのでゲーム仕様での運転は怖いけれど。

お気に入りの場所

2010-07-11 00:10:39 | Weblog
 私も若い頃は営業関係の業務についていた時期も有りまして、その当時は営業の研修とか、チームリーダーの管理者研修とか有りました。
 研修内容には大きく分けて二つの面があります。
  一つは極当たり前の常識として絶対に破ってはいけないタブーとかルール。
 もう一つは常識を越えた意志とか営業根性と言うか・・・。
  前者については挨拶のしかた、名刺の渡し方、受け取り方、、、車に乗る場合の順序・エレベーターの場合・会議室の座席・・・『どうでも良いじゃない』と内心思いながらやりましたが、今でもそういう事が残っているところを見ると、体に刷り込まれたとも言えるのかも知れません。
 
 そう言えば昔は家に床の間などと言うものがありまして座敷に上座・下座の位置がはっきりしていました。
 こういうのは今でも結婚披露宴の座席などには生きているかも・・・尤もそういう煩わしさを軽減するために丸テーブルがあるのかも知れません。
 私の兄姉たちの結婚式・披露宴では私は常に一番下座が定位置。
  つまり親族の中で、一番下なわけで常に披露宴会場の出入り口付近が定位置でした。
 その日の主役たちから一番遠いところ。
  
 現在暮らしている現代風集合住宅では床の間は無いし、明確な上座下座は無い。
  入口に近いかどうか、TVが良く見えるかどうか・・・そんな生活に便利かどうかが基準で席と言うかいる場所が決まるようです。
 考えて見れば昔の生活では「お客」の数が違う。
  昔は不意の客があったけれど、今はお客様などは滅多にない。
   父の当時の立場と今の私では全く違うと言えるけれど、それより生活の仕方が変わったようで、たまに来るお客様なども予めファイバースコープ?とかTV画面で確認して置いてから・・・
 ですから家の中の落ち着く場所についても上下で決めるわけではなく、自分にとって落ち着くと感じる場所優先と言う事になります。

 私はリビングに居るより、自分の部屋でパソコンを開いている時が一番落ち着く。
  本を読む時なども自分の部屋以外では長続きしない・・・。
 まるで家庭内引き籠り?。
  イヤそういうキャラのオヤジと言うことですね。

 最近良く出かける公園にもお気に入りの場所はいくつかあります。
  水路の海への出口付近
  ヨットハーバーの出口辺り(ヨットの出入りの光景が好き)
  ウィンドサーフィンやカヌーをやっている入り江
  公園の中で一番東京寄りの場所・・・日によっては東京スカイツリーらしきものが見える、夕陽の奇麗な場所
  そして一番好きなところは花の美術館の奥庭にある屋根付きの休憩施設。
    ここは花に囲まれた静かな場所。
 7×8メートルくらいのスペースですが屋根には採光のために切り取ってガラスがはめられたところが8箇所有るので、明るい日陰と言う感じ。
 板張りの床、木のテーブルに木の椅子と言うのもなんとなく落ち着く。
  周囲のテラスにはツルバラの生垣があって、今は小さなピンクの花がたくさん咲いています。
 マア、ここで思索にふけるとか本を読む訳ではないけれど、ただ座っているだけで好い、ボーっとしているのに向いている。

 ふと思いついたのですが、ここで囲碁対局は出来ないだろうか?
  当然営業活動ではないので出来る筈・・・道具を持参すれば良いだけの事。
  では相手は?
 そこが問題ですね。
  最近ネット碁ばかり打っているし、リアルの場合も碁会所とかコミュニティとか場所が決まっている。
 では、碁盤と碁盤マット、碁笥・碁石を持って来てテーブルに置いて、一方の席に座って待っていたとして、誰か通りがかりの人が座ってくれるだろうか?
 相当怪しい・・・けれどやって見れば面白いかもしれない。
道具を用意して座って待つ・・・易者みたいに。
  黙っていたら単に薄気味の悪いジイサマなので、「どなたかお相手をして下さる方はお座り下さい」と貼り紙をしなくてはいけない。
  問題は違法性ではなく、「変なジイサマ」と思われる事ですね。
 
 

ふるさと三昧

2010-07-10 00:01:09 | Weblog
 ワールドカップも残すところ決勝戦と三位決定戦のみ。
  これは楽しみな対戦で、当事国のファンでは無いので楽しませて戴こ位にうと期待しております。
 さてそうなると、国内リーグも間も無く再開・・・これも楽しみ。
  日本代表で活躍したブルー戦士が何名かは海外に飛び立つらしい・・・これはそれぞれの新チームで活躍を祈りますが、同時に彼らの抜けた穴はやはり埋めるのは大変だろうから、そこのところも(秘かに)楽しみでもある。
  と言う事で贔屓チームのホーム試合を、家族で夏休み帰郷を兼ねて応援・観戦に行こうと計画しまして、仕事の帰りにローソンでチケットを購入。
 今回ささやかに豪勢に指定席を前売で購入。
  実は自由席より多少は高いのですが、試合時間の30分前くらいに入場すれば良いので、遠くから行く場合は時間を有効に使えます。
 自由席だと試合開始3時間前くらいの開場時間と同時に良い席はどんどん埋まってしまうので、この夏の炎天下に席取りをしなくてはならない。
 それを考えれば余裕を多少のお金で買ったと言うところでしょうね。

  と言う事で前売チケットは手配できたので、当日の宿泊。
 試合が夜なので試合終了と同時に新幹線に向かえばその日の内に帰る事は出来ますが、それはチト味気ない。
 ここはやはり試合場から30分で行ける姉の家が狙いですね。
  早速夜に姉に電話・・・お茶とかお花・手芸のお師匠さんなので、必ずしもいつでも良いわけではないのが心配でしたが・・・当日夜お弟子さんが来るが試合が終わるころにはお稽古も終わると言う事でギリギリセーフ。 
 且つ、翌日は姉が暇なのでどこかに案内してくれるという約束も・・・これも楽しみが出来ました。

 さて試合観戦の際には、名物のサクラエビのかき揚げ丼を食べようと思っているので、今回の指定席はそれを売っている売店の直ぐ傍らしい、、、これも楽しみ。
  夜のTV番組で・・・「サクラエビ寿司」なる放送。
 どうも駅弁でサクラエビの乗ったチラシ寿司が売られていて評判が好いらしい。
  レンコンの煮物に錦糸卵に、サクラエビの甘辛味・・・これって懐かしい・・・オフクロの味でもある。
 酢飯の中に細かく刻んで煮た人参、レンコン、牛蒡、シイタケなどが入っていて、その上にいろいろ具を載せる物。
 サクラデンブ、サクラエビの煮物、マグロ、イカ、タコ、貝類などの生ものも有り。
  考えてみると田舎料理ではあるが案外見栄えがするかもしれない。

 ネット碁の方は・・・
  入場すると上手のIさんがリストに載っています。
 この人に隙を見せるとバッサリ斬られる感じの人、、、マア隙を見せるのが悪いのですが。
  このIさん顔は知りませんが私の故郷在住。
  この場合県が同じなだけで市とか地域は分かりませんから、かなり縁の薄い地域かも知れませんが・・・そう、私の出身県は東西に広くて、東海道の三分の一も有る。
 だから昔の国の名前は大きな川を境にして3つ・・・富士川以東方面が伊豆、大井川より西の天竜川流域が遠江、そして真ん中が駿河。
 だから同郷とは言っても身内と遠縁ぐらいの差はあるでしょうね。
  ともあれ今日は故郷に因んだ事のオンパレードでした。

新しい薬

2010-07-09 01:01:28 | Weblog
 水曜日は生活習慣病クリニックで今月の定期検診。
  結果はまずまずで一応安心(イヤ、安値安定みたいなものですが)。
 但し先生から新しい薬を勧められていましたが、今日も詳しい説明がありました・・・どうも熱心さからして試した方が好いらしい・・・。
まさか医学的好奇心から私が恰好の実験材料と言う事でも無いでしょうし、アメリカでのデータから私に向いているかもしれないと言う事です。
 クリニックの待合室では他の患者さんと看護婦さんの話が聞こえてしまうのですが、インシュリンの注射を使用している人の「薬・注射針・脱脂綿」などの注文の話が多い。
 それに比べれば私の場合は御蔭様で飲み薬なのですが、今度の薬は切り替え当初に薬の利き過ぎの心配もあるらしい。
 効果があることは良い事なのに効き過ぎ注意ですから厄介なものです。
  要するに「低血糖症状」・・・これは突然寒気・冷や汗などがあり、体のエネルギー切れ・エネルギー停止?状態になる。
 軽ければ少し休めば元に戻るし、持参の糖類の補給で何とかはなりますが危険もあるとか・・・
  マア一種の電池切れみたいなものでしょうが、数値を下げれば良いと言うものでも無いところが面倒な感じ。
 これは新薬が効果を表わし過ぎる場合と、普段使っていた薬と切り替えた時に現れるかも知れないらしい・・・調剤薬局の薬剤師さんの話ででは「長く使っていると効きが悪くなる事がある」のだとか・・・その反対は「新しい薬が効く?」

 そういうことなので、夕方帰宅後の約1時間の自転車・・・夕方の空腹時は低血糖には危険な時間帯だとか。
  確かにそうかも知れないけれど、そんな事にはひるんでいられません。
 白い帽子に半袖のTシャツ半ズボン、肩からデジカメ・・・前籠に大型のウェストポーチが載せてありその中身は「タオル・ティッシュ・小銭入れ・携帯電話」・・・持病用ミオコールスプレー、ブドウ糖の小袋。
  事前の準備?として、M&Mマーブルチョコレートを少しずつかじりながら走ります。
 何だか矛盾しているような、、、そこまでしてヤル?と言う感じ。
  こういうバカみたいな無駄みたいなこと、大好きなんです。

カレーくらべ!?

2010-07-08 00:55:37 | Weblog
 週に1度の確率で担当地域の事務所立ち入りの仕事があります。
  普段は事務所で業者の配達してくれるお弁当を食べているのですが、外回りの日はやむを得ず外食となります。
 昨年までは公共交通機関を利用するのが基本だったのですが、今年からは車を利用しないと訪問しにくい相手先が多くなったため、逆に車を利用するのが普通になりました。
 そういう意味では少し楽にはなったのですが、常に「駐車」を心配する事になりまして、駐車場完備のファミレスタイプの店、あるいは郊外型と言うか大型のラーメン店なら予算的にも無難ということになります。
 しかしそれでは、やや詰まらない感じもします。
  尤も普段350円のお弁当ですから、一気に超グルメと言うわけにはいきません。
  通常のサラリーマンのランチですから自ずと予算には制限がある・・・その中で店を探すのも楽しみです・・・イヤそういう事を楽しんでいる。

 最近ではタベログと言う便利なサイトも有るので、地域別に料理の種類・値段・評判などを検索することが出来るので便利です。
 ただ全面的に信頼できるかどうかは分かりませんが、それでも行きあたりばったりよりは効率よく行動できます。
 但し私の場合は好き嫌いも激しいので、提供される情報が全部生きるわけではないのが申し訳ない。
 例えば鶏肉関連の料理が有名の店は完全にスルーだし、出来たらラーメンも幾ら美味しくても猫舌のため尻ごみです。
 一番最近では事前に検索して置いた山の中の「手打ちうどん」の店に行きました。
  これも熱いうどんは苦手なので冷たいとろろうどんで・・・
 
 火曜日はファミレスしか無い地域なのでやむを得ず入りまして、食後の話題は「タベログ」。
  話題は市内のインドカレーの店について・・・一緒に行った人が携帯で評価などを検索。
 市内にインド人のカレー店が10店舗以上ありまして、私の知らない店は1軒しか無かったのには自分でも驚き。
 (暇人と言うか、「日本人はカレーが好き」などと言いながら、実は私及び私の息子がもの好きなだけだったり)
  (暇ついでに「海軍カレー」と言うか、明治時代の海軍創始当時の水兵さんの食事の制度の話とか、軍医森鴎外や食事と脚気対策のは話など・・・司馬遼太郎の読み齧り受け売り話。)
 タベログでは値段・店の雰囲気・肝心の味などなど・・・店の評価は3.5以上なら一定評価で合格らしいが、割と評判の店が3.2くらいだったりと、意外と厳しい。
 私の一押しの店を検索して貰うと評価3.8!!で、なんと近所ではトップでしたので、推薦した立場?で妙に安心。
  しかも値段はリーズナブルだし、量も申し分ない。
 普段からこの店のファンで、息子とも「あそこの店が一番美味しいネ」と言っていたのが、大勢の人と同じ評価でした。(こんな事でもマイノリティだと安心?)
  
 ところでファミレスでのランチメニュー
  この日は鶏肉のランチの日だったので、それを避けて私は夏メニューなるランチを注文。
   それはタイカレー・グリーンカレー・ターメリックライス。
 これで週に3回以上はカレーを食べている事になる。
  **水曜日は「タイ屋台料理」の店で「グリーンカレーセット」・・・ココナッツ味でそれなりに美味しかったけれど、鶏肉がたくさん入ってる!。
 これは同行の息子の取り皿にテークアウト、いやテークオフが正しいのかな?。
  いずれにせよカレーが週4になってしまいました。

2子局のススメ

2010-07-07 03:55:08 | Weblog
 今日はネットで2子局の白番。
 2子局までは対局するように条件をセットしてありますから、不思議ではありませんが実戦は久し振り。
 入場者リストから対局待機者を見ると一番近いのがSさんで、点差を考えると2子・・・差が20点近いので概ね向こう2子コミ無しくらい。
 置き石のない碁が好ければ点数の近い人を待てば良いだけですが、『今日はこれで打ってみようか』と言うノリと言うか、そういう気分でオファー。

 2子の置いて打って貰う場合は「教わる」感じはしますが、自分が白番の場合は全くそういう気分は無い。
 むしろトレーナーに調整して戴くような感じです。
  まさか白番で『ご指導よろしくお願いします』とは言いませんが、気分は『お手柔らかに』。
 尤もその表現はヤヤ上から目線的な臭いもしない事も無いので、やはり挨拶はいつも通り「お願いします」になる。

 毎度思うのですが、2子の相手は強さから考えるとサホド差は無いように思う。
  ですから、白番でスタート直後からいきなり追い上げるような・・・駅伝の追い上げ、みたいなスタートダッシュは無理。
 イヤ結果論的にはそういうのも出来ないことは無いだろうが、その場合は追い上げる方が息切れをしたり自滅する事もあるし、逆に黒さんから「乱暴はいけません」とばかりに逆襲も考えられる・・・それが2子の相手との力差だろう。
 だから『ジックリ』『ヒタヒタ』『チャンスがあれば勝負』そんな感じで心に言い聞かて打つ。
  
 そういう意味で自分の調整にもなると思っています。
  互い先で序盤から打ちにくくする碁は2子の時のようなお念仏が足りないのか反対の事をやっているのかもしれない。
 「打ち過ぎ」でつぶされるか、「スロースタート」過ぎて置いて行かれるか・・・。
 2子の場合は相手の背中を見ながらのスタートの感じ。

 Sさんは逆にプレッシャーに負けたか、一気に無理な勝負に出たか?・・・
  自分が2子の黒番の時の事を考えれば理解できる。
 『後ろから白がヒタヒタと来るのでどこかで突き放さないと、終盤の勝負には自信が持てない・・・』
 こういう気分になって戴くのも白番のテクと言えばテクだとは思うが、ともかくSさんが真っ向勝負に来た!
 結果で言えばここで勝負がついたのだけれど、仮に最善だと思われる手などで最後まで打つと(素人なので”最善”が怪しいが)、白番の1目半勝ち。
 と言う事はどう転ぶか分からない状況で黒番が勝負のスパートをかけたとも言えるし。
  ここでは既に”勝負”が遅かったのかも知れないとも言える。
 
 そういう事を考えながら打つので2子局は結構楽しいものです。
 

次の目標はこれかも・・・

2010-07-06 04:01:47 | Weblog
 土曜日曜と梅雨の晴れ間に公園通い・・・これだけ楽しまして戴いていて公園の入場は無料なのは有りがたいですね。
 1週間に5日は行っていますから、仮に入場スタンプみたいなものがあれば相当ランキング上位でしょうね・・・マア暇人ランクみたいな感じもしますが。

 これだけしょっちゅう通っていても毎回新しい発見・・・見る方が新しい気持ちで見ているのかもしれませんが、ともかく毎回同じでは無いのが続く理由の一つかもしれません。
 例えばジョギングとかウォーキングで擦れ違う人で「やあ、また会いましたね」「お元気ですか」と言うような顔馴染みはいない・・・それだけいろんな人が来ているとも言えるし・・・私が人の顔を見分けりのが苦手なので気がつかないだけなのかそこのところは怪しい。
 
 日曜日などはバーべキューコーナーが混んでいましたね。
  ここは公園の売店兼事務所があるところで、朝早くからバーベキュー施設利用の申し込みの人が事務所の外の方まで並んでいる・・・
 これはヤヤ「!?」の気持ち・・・野外で仲間や家族とバーベキューは楽しいだろうが、火を使う・ゴミが出るなどの理由からか場所が指定されている。
  要するに野外ではあるが、花見スタイルと言うか・・・バーベキューの人たちが一区画に集められた形。
 これって、確かにバーベキューは楽しめるけれど、仲間内だけと言うわけにはいかない。
   確かに焼く台に大きな木のテーブルに木のベンチなどセットされているし、あちこちに流し台も有るので便利ではある。
 しかし大勢の混合宴会場みたいな感じでもあるので、自分たちだけで楽しむのは少し無理。
  そこのところがヤヤ微妙ではあるが、手軽に町中の公園で楽しめるという点では仕方無いのかもしれません。

 この日の発見は2つ
 一つは大型のヨットをじかに見ることが出来ました。
  たまにTVで見る程度の、例えばアンリカンカップのような外洋でマッチレースをするタイプ・・・船の前に張った三角の帆の形が特徴のヨットタイプで、一人乗り、二人乗りのヨットとは大きさが全く違います。
 と、もう一隻同じような形のヨットがハーバーに入って来ました。
  こちらはマストに帆を張っていないのに悠々と進んできます・・・驚くことは無い、エンジン付きです。
 甲板の上に大勢、、、10人か11人乗っている。
  初めて見ることが出来ました、嬉しい。
   記念に1枚パチり。

  もう一つは小学生らしき団体が人口の浜の入り江で一斉に沖に向かって漕ぎだした!!。
   カヌータイプのボートで概ね二人乗り。
  材質はどうやらゴムボートのカヌータイプのようです。
  数えると指導者らしきカヌーも入れると20隻以上いる・・・これも見ているだけで楽しくなりますから、やっている方はもっと楽しいに違いない。
 これも持っていたデジカメで遠景・ズームでパチり。
  家に帰ってから「ゴムボートカヤック」(かなりでたらめな感じですが)で検索するとヒット!
   今お買い得商品からやや高級商品まで。
  何と1万円以下の品物も・・・子供たちのカヌーはこれが多かったような気がします。
   一人乗りまたは二人乗りでカヌー+ダブルパドル+エアーポンプ+ライフジャケットがセット。
  これが通常のシーカヤックとは全く値段が違うし、浜まで持って来てからエアを入れれば良い訳で保管・運搬が楽。
   大人の二人乗りで本体重量18キロ・・・お値段3,4で万円買える。
  天気の良くて波が穏やかな夏の日にここまで車で運べば出来るから夏場6~9月の4カ月は楽しめそう。
   専門的な競技スポーツでなくても遊びなら出来そう。
 浜の駐車場から波打ち際まで約200メートル・・・物理的には可能な感じがする。
  問題は体力と健康、それに大蔵大臣の仕分けですね。

 来年は本格的に毎日がホリデイになる事ではあるし、なんとなくやれそうな気がしている。

またまた公園ネタ

2010-07-05 03:11:05 | Weblog
 私の家から自転車で約5分、海岸沿いに市の管理する部分と県が管理する部分が繋がっていますが、私は今のところ自宅から近い「市」の方専門です。
 全体の半分ですが、それでも1周6,7キロありまして・・・お好みで、公園の境部分に流れ込んでいる川沿いの道を遡る事も出来ます。
 もうすぐ夏休みが始まるので公園のプール施設が営業開始するともっと利用者が増えるでしょうが、今のところは嵐の前?。
 イヤ、土日ともなればバーベキュー広場にも結構人がいます・・・これは冬場には誰も居ない。
  通常の公園でのスポーツは・・・ヨットハーバーがあるので土日はヨットの出入りが多くて、見ていて飽きないです。
 ヨットはいつもは陸上で保管されているので、使用するとなると装備の準備が必要で、陸から海に順次下ろしていく。
 そういうわけで大学などの団体でヨットで海に出る場合に通常の船のように一斉にスタートするわけにはいかない。
 準備できた船から順番に下ろして行く、、、先に海に下りたヨットはハーバーの入口付近で円を書くように待機するか、あるいは桟橋にヨットをつけて仲間の応援に戻る・・・。
 こういう動きを見ているのも楽しい。

 ヨットハーバーの隣の入り江はウィンドサーフィンがたくさん走っています。
  これも専用のスーツを着て結構慌ただしく動き回っている。
 何と言っても一番多いのが、ウォーキング、ジョギング、サイクリング・・・これが皆さん結構本格的なスタイル。
 こう言う中で私みたいなママチャリは返って少数派なんですが,マアそこはジイサマのズーズーしさで走りまわっています。
 今日は珍しい発見?2題。

 一つはウォーキング・・・イヤ競技の歩き方でしたね。
  高校生らしき3人と横にコーチらしき人の乗った自転車・・・チョットしたオジサン・オバサンのジョギングより早い!。
 イヤー、こういう地味なスポーツで頑張る若者たちもいるのですね、、、マア当たり前の事に新鮮な感動。

 もう一つは、、、もしかしたらお笑いネタ?。
  ここはサイクリング自転車が多い・・・要するにサイクリングバイクに自転車用の半ズボンにシャツに自転車ヘルメット・・・結構カッコ好い。
 しかし、私の前を走る中年のオジサン!
  自転車用のヘルメットをかぶって半ズボン・・・但しこれはコットンパンツ?
   自転車の後部には・・・アレッ?荷台付き。
 後ろからなので見えないけれど、もしかしたら前籠付き?
  イヤ別に反則でも何でもないのだけれど、そうだとすると私の自転車と同じ。
 私がサイクリング用のヘルメットを被ればこうなるだけの話ですね。
  そう言えば体型も私に負けないくらいメタボ形。
 人は自分と同じくらいの仲間を見ると安心感で癒されるものらしい。

 ともかくいろんな人と出会うので面白い。

公園バギー

2010-07-04 02:26:21 | Weblog
 NHKで「スターウォーズ」の放送があるらしくて、宣伝放送を良く見ます。
  加えて「ローズパレード」のジョージルーカスフィルムの記録とか、NHK「熱中・・・」のスターウォーズ編とか。
 最近そういうもの良く見ていたので、今日は公園の大きな芝広場の作業を見ていてなんとなく「スターウォーズ」を連想してしまいました。
 車は要するに芝刈り機で、家庭用の押して使うものでは無くて、大人の作業員が乗り込んで走りまわりながら芝を刈る(マア芝だけでなく広場の草刈)。
 要するに道端での草刈・肩から掛けた機械では大きな広場の草刈には効率が悪いので、太いタイヤのバギーで走りまわりながら刈って行く・・・こういう機械が2台走り回っていて見る見る広場の草丈が整えられていきました。
 
 ルーカスの方の地上4,50センチを浮き上がって走るバイクみたいな乗り物を連想しましたが・・・もしかしたら農作業っぽいと言う事ではバックトゥザフューチャーのイメージだったかも。
 ともかく大きな広場も2,3時間で奇麗になる筈。
  まるで「床屋さんに行ったばかり」と言う感じのさっぱり感です。
 この広場は多分明日はたくさんの子供連れの家族が訪れます。
  最近流行のキューブみたいな形の派手なテントが並ぶと思います。
   昔だったらカラフルなビニールシートと大きなビーチパラソルだったのですが、芝生の上には立てにくいし、手軽なレジャーテントが流行りらしい(時代は変わる)
 子供にとっては秘密基地みたいな気分も味わえるのかな(この気分は変わらないらしい)。

 ところでこの公園には要所要所にトイレや水道の設備があります・・・加えてウィンドサーフィンの帆を洗う大きなシャワー設備(これは私には無縁ですが)も2カ所。
 自転車で走り回っていて冷たい飲み物を補給するために自動販売機もポイントにある。あ
  そうそう、面白い光景。
 *大きな白いピレネー犬を連れて散歩している人がいまして・・・
  ピレネー犬は毛がフサフサしていて(羨ましい!)いるために暑さには弱そうなので、飼い主のオジサンが犬に水を与えようとしている・・・これがどこかで見た光景。
 『そうだ!、中国のビールの量り売りだ』(TVで見ただけですが)
  スーパーのレジ袋に量り売りのビールを入れて貰い、これを木の枝に引っ掛けて置いてストローで飲む光景を連想した。
 ピレネー犬の場合は・・・飼い主が水道の水をレジ袋にたくさん入れて置いて、地面に置いて飼い主が両方の持ち手を持つと臨時の給水桶みたいになり、ピレネー犬も満足行くまで飲んだようです。
 いずれにせよこの光景は初めて見ました。
  考えてみると犬の散歩は多いけれど、犬に水を与える設備は無かったですね。
 広い公園の中に亀と鯉のいる池とそこから流れ出す小さな水路、それと時々思い出したように水が出る滝のような壁のような設備。
 これ以外はウィンドサーフィンを洗う場所の水溜りしか無かった。
  と、なるとたくさん住みついている猫たち!、やはりしぶとく生きている。

  隣にはアイスクリームの自動販売機も・・・。
 この時期余りに暑いので自動販売機でペットボトルのお茶とアイスを買って、お気に入りのバラ園へ急ぎまして・・・ここは自転車乗り入れ禁止なので、外に駐輪して・・・日影のテーブル・ベンチに腰掛けた。
 マア周囲はバラやアジサイ、ハーブなどに囲まれているので結構な気分ですが・・・ふと気がつくとベンチの横に、飲み物の自動販売機とアイスクリームの販売機がある!。
 遠くでアイスを買って何のために急いで走って来たのだ!。
  何だか(勝手に)騙された気分。

「本」の定義

2010-07-03 01:08:46 | Weblog
 本来こういう分類が必要かどうかは分からないのですが、出版物が溢れていて、本屋さんの店頭には新刊本だけでもたくさん並んでいます。
 その割には「これを読みたい」と言う本は少ないみたいな気はします・・・イヤ余りに本が多いので把握仕切れないのだとは思うが、一方で何でもかんでも「本」と呼ばれるのも少し変だとも思うのです。
 私の学生時代そういう定義がウルサイ時代だったのか、あるいは言葉の定義がやかましい時代・・・マア今よりは細かい事は確かです。
 先輩に教わったことが記憶に残っている。
 いろんな運動が盛んな時代でしたから、議論が始まると白熱するわけで、そういう時に些細な言葉の定義もおろそかにはできない。
 議論の際には共通認識が必要でもあるし、あるいは用法を誤れば議論の論点では無くてもそこを突かれる。
  従って隙が無いように努める必要がある。
 一般的な会話で話すような感じとは少し構え方が違う。
  例えば曖昧な事を「抽象的な・・・」と言う様に表現すると×。
   抽象画=訳が分からない絵と言う事で抽象的は曖昧な事・・・はダメ。
  抽象化=エッセンスを見つけ出すとか一般化の意味で用いるのが○

 マアそんなわけで当時「本」についても使い方によってはかなり突っ込まれた。
  一般的には、紙とか羊皮紙とかを綴じて有れば本という感じ・・・物としてこれは本。
 古代の竹とか木の札は竹札とか木札でそれを紐で綴じて巻いて有れば竹巻・木巻
  要するに材質と形状で本かどうかを指していると思っていた・・・が。
 内容によっても「本」であるかどうかの違いがあるのだそうです。
  その場合「書籍」的な見方が入って来るようです。
  先ず「雑誌」「漫画」「パンフレット」などは体裁は本でも本では無い。
   多分保存する事が第一義では無い事とか、思想性と言うか学問的と言うかその辺りの問題なんでしょう。
 と、言う事で小説も「本」では無くて「小説本」と言うのが正しいのだそうです。
  漫画も「漫画本」・・・要するに漫画が描いてある本形式の出版物。

 従って毎週発行される芸能人ネタなどの週刊誌の殆どに目を通す人も「読書家」とは言わない・・・これは分かる。
 似たような意味で碁の本をたくさん読んでも、多分これも読書家には入らないでしょう。
  そういう意味で哲学書などは間違いなく「書」でしょうが「歴史書」「地誌」とかはどうなんでしょうね。
 余り細かな定義をするとこんがらがって来ます。
  マア、雑誌・漫画・実用書は本では無いと言うことぐらいでしょうか。

 「だからどうだ?」と言う事も無いが、最近「本」を読む事が少なくなっているように感じる。
  活字を目で追う事は苦痛では無いけれど、それでも気持ちの向かう方向が・・・。
   気楽に読める物の比率が高くなっている・・・こういうところにも年令が表れているのでしょうね。
 
  

夏が始まる・・・

2010-07-02 01:17:00 | Weblog
 寒い寒いと言っていた立春から数えて八十八夜・・・私の生まれ故郷はお茶どころなので必ず「夏も近づく八十八夜・・・」と言うメロディが流れる。
 そして梅雨が始まり梅雨明けと夏の始まりは混然としている・・・つまり明確に今日から夏ですなどと言う宣言が無いので、既に夏になっているとも言える。
  あれこれ考えていると余計蒸し暑くなるので「どうにでもなれ」的に開き直るしかないですね。
 先日は北海道でも37度だったとか・・・北でそれならこちらが暑いのは仕方が無い、これは梅雨明けなど関係なくマサニ夏でしょう。
  私にとっては冬と同じくらい苦手な夏が始まる。
   要するに暑がりで寒がり屋なんです。
 尤も持病の関係で言うと寒い場合は注意を通り越して危険な場合はあるけれど、熱い要は水分補給さえ忘れなければ循環器系には危険は無いようです。
 血圧などは冬と夏ではだいぶ違います。

  夏の暑いのは苦手・・・但し、クーラーで涼しくするのも嫌いと言う厄介な性格。
 外から帰ってヒンヤリするのは良いけれど、その環境に長くいるのは嫌。
  要するに自然の風、団扇、扇風機はOKでエアコンは長い時間はダメ。
  そういうことなのでリビング、女房殿の部屋、息子の部屋はエアコン完備に対し、私の部屋だけは夏になると扇風機が登場する。
 そういう事ではオヤジの沽券にかかわるような気もするけれど、マアあっても使わないでしょうから仕方無いのでしょう。

 「夏」と言うと思いだす事があります。
 就職したての頃、この私20代前半の世間知らずの若者時代に大勢の職人さんや年配の女性パート(要するにオバサン)にあれこれ指示をする仕事を担当しました。
 これは、立場を嵩に着て威張っても居ダメだし、逆に変に迎合するのもダメ。
  仕事をきちんとしながら、人間としても受け入れられるような事が大事で、その後の私の人生観に役に立っている経験でした。
  それはともかくその時のあるパートの女性の口癖;「今年の夏を乗り切れるかどうか・・・」
 そこまで弱った老人では無いけれど、要するに(当時の)私の両親の年に近い女性たちですから健康問題に敏感で、疲れが溜まって来るとこういう表現になる。
 マア、本当にどこか悪いところがある老人の場合は厳しい夏を乗り切れるかどうかは問題・・・そして毎年毎年夏が課題になったり・・・。
 勿論「今年の冬を乗り越えて春を迎える事が出来るかしら・・・」も有る。
  つまり夏も冬も心配でアリ、その問題のシーズンを無事に乗り切った時点で緩みが出ると言う事も有る。
 結局は年中問題。
  つまり今の私はほぼこの状態・・・いつだって油断できないのです。
 マア緊張していても始まらないので、夏も冬も囲碁を打っていると言うわけなのでした。
  「心頭滅却すれば・・・」などとの悟りとは程遠いですが、一時暑さを忘れることは出来そう・・・尤も内容によってはますます熱くもなってしますし、寒くもなる。