お遍路 K 秋ちゃん・・・きのうの晩ごはん、 おやじの田舎家庭料理・・・

素朴でシンプルな健康晩ごはんです。田舎のおやじが、頑張って毎日作っています。

発心の道場阿波一国参り5日目

2014年08月31日 | 札所巡り

 朝食を終え各自早々に出発していく。とにかく8時に鍵が閉まるので疲れた体にムチ打って出発。五人で出たが一人はバスで行くとのこと、バス停で別れる。鍋岩で遍路道が二つに分かれる。一つは里山を通る番外霊場善覚寺大師堂への遍路道、もう一つは玉ヶ峠を通る鏡大師への遍路道。地図で見ると距離が近いので玉ヶ峠を通る鏡大師を選ぶ。しかし、さっそく上りの急斜面。すぐに汗が出てきて疲れもどっと出る。朝からたいへん。こんなことなら里山を通る道と思いつつようやく峠に。眼下には徳島の山々と集落が、そして鮎喰川が流れている。天空の眺め最高。さっきまで何を言ってたのか・・・

 

玉ヶ峠からの眺望

   ここからは舗装道路で鮎喰川まで下っていく。途中、段ボールに書かれた「お接待です食べてください」と、ミカンと冷たい水が用意されていた。さっそく頂く。汗をかいているのを見て栃木の遍路さんが綿100%遍路白衣は、すぐ汗を吸い乾きも遅いし洗ってもしわになるので、今度購入するときは、速乾性があり洗ってもしわにならないポリエステル入りの白衣をと、教えてもらう。また、二人ずれの遍路さんの一人が、昨日の遍路ころがしで浮石にのって足を捻挫したのでテーピングの巻き直しをするとのこと。ちなみに、焼山寺から一気に下りる道はある意味で鬼門とのこと。下り道を急ぎすぎて足を痛め徳島市内で断念する人が多いとのこと。わかる・・・

 お先にと栃木の遍路さんと出発したがいつのまにか一人で歩いていた。あっちこっち見ながらの遍路なのだ。右に鮎喰川の清流を見たり一本丸太の橋を渡ったりしながら進む。今日は、休息日なのでのんびりと歩くがザックが重たく肩が痛い。阿野の郵便局が見えたのでいらないものは送ることにする。少しは軽くなった。テーピングの遍路さんから「時間があったら番外霊場建治寺(こんじじ)いいですよ」と教えられていたので途中から山中の遍路道へ入ったがいっこうに着きそうもない、ちょうど地元の人がいたので聞いてみたら「まだまだこの先ありますよ」との事、これからのことを考えると無理はしないほうが・・・足も痛いことだし戻ることにする。山の道からテーピングの二人がやすらぎで食事を終え出発するのが見えた。捻挫していても歩くのか同行二人。

  ようやく宿に到着したが、おやじさんに「まだ部屋の掃除が終わってないから、15時くらいまでその辺を歩いてきたら」と言われたのでザックを置いて番外霊場童学寺へ行くことにした。ここのお寺は、大師が16歳の時に逗留して学問に励んだ寺として有名だ。納経所で寺の人(住職ではない)が、会津若松のことを詳しく知っていたのでしばし話をする。学問の寺なので境内には子供を連れた参拝者が多く見られた。学問の寺というので名古屋の孫にと納経を書いてもらう。もう足がパンク。来るとき6㌔の道のり。帰りも同じ㌔数で合計12㌔。足も痛いし風邪気味なので街に出て風邪薬とシップ薬を買うことにするのでタクシーを呼んでもらう。もう足が痛くて歩きたくない。焼山が効いている。16時宿に到着。宿のおやじさんは土方の大将みたいで明るく気さくなおやじだった。

 

 

 

 

 


発心の道場阿波一国参り4日目

2014年08月30日 | 札所巡り

 準備万端で6時出発。昨日打ち終えた藤井寺奥の院の薄暗い階段と、その入り口にある第12番札所焼山寺の看板がくっきりと浮かび上がっている。焼山寺までは約13㌔の道のり。通称「遍路ころがし」と呼ばれている険しい急坂が待っている。

 12番札所焼山寺へ

  気合を入れながら一段目の階段に。急な山道の階段を上り終えて一旦道路と交わった所で地元の人に出逢う。息を切らせていると、「まだまだこの先歩けばわかります、頑張って」と言われまた上り坂に。息を切らせながら「南無大師遍照金剛」「六根清浄」果ては「金畜生」などと口走りながらようやく見晴らしの良いところに出る。

 昨日歩いてきた道や吉野川などが見える。今日は晴れなのでよいのだが、雨の日は大変だろうと思う。雨の日は、道が川になってしまうとのこと。後でわかる。とにかく気合を入れながら3.2㌔先の「長戸庵」まで行く。ここまでの道は悪くはなかったが、その後の遍路道は岩山なので岩がむき出しになっていた。なるほど川になってしまうのもわかる。また、至る所に浮石が。浮石に上がって転び足を痛める人も多い。遍路ころがしとは違う。

 柳水庵を通り浄蓮庵。そして焼山寺までは約10㌔の道のり。途中、山を下って集落に出てまた上る。悪路連続の遍路道「金畜生」だの「六根清浄」だの意味も分からないで声を出して歩く。とにかく誰一人いない山の中だ。突然石段が、見上げると杉の老大木と大きな大師像。「金畜生」などと言って歩いては罰(バチ)があたる。

山中に、突然大杉と大師像が現れる

  こんな所を一人で歩くなんて、ましてや女性一人でも歩いている。普段だったら考えられないのだが同行二人のなせる業か。南無大師遍照金剛・・・などと考えながら険しい上り道を焼山寺へ。ようやく、第12番札所焼山寺の山門へ。遍路最初の難関を…「感謝、感謝」自分でもよくやったと思う。境内で到着の梵鐘を鳴らし、本堂と大師堂に参拝。約5時間で達成。本などでは健脚でも6時間。普通の人でも8時間などと書かれている。それだけ無心になって歩いたということか。

 焼山寺を打ち境内で昼食。おにぎりがうまい。途中、抜いていった二人の遍路さんに逢う。大阪から来た遍路さんは今日の宿を探すが山を下りた所の宿は満室。しかたなく16㌔先の「ペンションやすらぎ」へ早々に出発していった。ご苦労さん。もう一人は山を下りた「なべいわ山荘」で一緒になる。とにかくいい思い出になった。二度とやりたくはないが…時がたてば・・・しかし、この後、鶴林、大龍がまっている。

 本日の宿、なべいわ荘は住友産業の保養所になって夫婦が管理人として雇われている。焼山寺から下ってきてちょうど良い所にあるため満室だった。夕食時、明日は休息日なので13㌔先の「ペンションやすらぎ」を取っているため、ゆっくり10時ころ出発しようと思っていたら、管理人のおやじさんから「8時になると鍵を閉めて誰もいなくなりますよ」とのこと。「わかりました」・・・とにかく疲れたので早めの就寝。

 

 

 


発心の道場阿波一国参り3日目

2014年08月29日 | 札所巡り

 一晩中雨風で荒れていたが朝になったようやく陽が出てきた。良かった。

 奈良の遍路さんが同行二人の地図を持っていなかったので購入をすすめる。購入のため切幡寺へ。ここで別れその後、逢うことはなかった。一期一会・南無大師遍照金剛・・・合掌。

 今日は、11番札所藤井寺を打って宿であるよしの旅館まで7.6㌔のたいへん短い行程である。これには訳がある。明日は12番札所焼山寺まで8時間かかる阿波遍路最大の難所。通称遍路ころがしがあるので大概の人は、この藤井寺近辺に泊まるのである。

 宿を出て1㌔くらい歩くと吉野川の土手に出る。そして、日本一ともいわれる広大な中州を歩き川島の潜水橋に出る。それを渡って対岸へ。潜水橋を初めて渡る。欄干がなく大丈夫かなーと思っていたら軽トラックが結構スピードを出して渡っていった。はた目には、歩いているより車を運転しているほうが怖いのでは、などと思いながら渡る。風情があり良いところである。

吉野川中洲と潜水橋と歩き遍路

 

吉野川潜水橋

 

 12時11番札所藤井寺に到着。境内は藤棚が広がっていたが花の見ごろは終わっていた。時間があったので奥の院を巡って今日の宿へ。昼食がまだなので自転車を借りて街に出かけ明日にそなえ奮発して寿司を食べる。入ってみると、兄貴のバットが、タイガース命のマスターだった。

 明日は焼山。宿はみな同じ考えの人で満室だった。夕食後、明日の弁当をたのんでから就寝。

 

藤井寺奥ノ院・遍路ころがし入口 

 

 


発心の道場阿波一国参り2日目

2014年08月28日 | 札所巡り

 

 坂本屋を7時出発。今日も小雨が降っている。安楽寺までは約5.3㌔の道のり軽快に雨の中を歩く。6番札所安楽寺は、竜宮城みたいな朱塗りの山門である。ここの山号は温泉山。その名のとおり温泉がわく温泉旅館みたいな宿坊がある。安楽・安楽。打ち終え次の札所7番札所十楽寺へ。安楽寺から1.2㌔、すぐの所にある。ここの山門も朱塗りの山門で安楽寺と似ている。ここに来て飲みすぎなのか腹の調子が・・・トイレを借り、身を清めて打つ。ここの宿坊は白亜のホテルと見間違えるような立派な建物。儲かっているのかなー。本来の遍路はこの辺まで歩いて泊まるのだが、初めてなのでどのくらい歩いていいのか分からない。まあ、いいではないか大名遍路で行くことに。

 8番札所熊谷寺へ歩いていると熊谷寺の道路案内板が、それを見てそのまま歩いていくと天然温泉「御所の里」に到着。「アレー間違った」と思い地図を見たら国道を歩いていた。ついつい車の案内板に目が行き遍路案内シールを見落としてしまった。若い遍路さんも歩いてきた。「戻りますか」と聞いたらこのまま行くという。上り坂なので遍路道に引き返す事にする。別にまっすぐ進めばいいのだが、初めてなので臨機応変には行かない。慣れてくればそうすると思うがとにかく戻ることにする。前方に集団で歩いている遍路さん発見。安心・安心。遍路道に戻ったが小雨がまだ降り続いている。ようやく熊谷寺の重厚な山門が見えてきた仁王門と多宝塔は四国最大とのこと。仁王門をくぐったら境内でなく農道に出た。すると先ほどの若い遍路さんが農道の坂を上がって来るのが見えた。そこから境内までは坂道が続き鐘楼の鐘の音も聞こえてくる。本堂から石段を上って大師堂へ。打ち終えて、仁王門の前で自転車に乗った地元のおじさんが手を会わせ「ご苦労様」なんか気が引き締まるような。しばし話をして仁王門で一礼し熊谷寺をあとにする。

 9番札所法輪寺までは田んぼの遍路道を歩いていく。田園風景の中にたたずむ静かな札所だ。お昼時なのに近くに何もない田んぼだけ。昨日の奈良の遍路さんと、先ほどの若い遍路さんがいたので「食事に行きませんか」と声を掛ける。3人で国道に出て食堂を見つけ食事をする。若い遍路さんは仙台から来たという。食事を終え、体調がいまいちで、喉がガラガラ勤行のせいか、はたまた風邪のせいか、念のため薬を買いに、その間待ってもらう。そろってから3人で出発。若者、中年、老年のため足取りがバラバラ。やはり遍路は1人のんびりマイペースがいちばんかも。法輪寺から3.8㌔の切幡寺門前に到着した時にはバラバラになっていた。

 両側に民宿や遍路用品店が立ち並び細い門前道を通って山門へ。ここからが急坂と長い石段の連続。ここに来て初めての修行苦行の体験をするがまだまだ序の口である。山の上の本堂と大師堂を打ち終え。門前で掛軸を作っている店でお茶をいただく。後日、結願したら軸を作ってもらう事にする。今日の宿、旅館八幡屋までは1.9㌔30分くらいで到着した。洗濯をして風呂に入って休んでいたら奈良の遍路さんが到着。夕食は一緒にいただく。夕方から天候が荒れてきて雨風になってきた明日はどうなることやら。

第9番札所熊谷寺仁王門

 

熊谷寺中門

田んぼの中の法輪寺への遍路道案内石柱


発心の道場阿波一国参り道中記

2014年08月27日 | 札所巡り

 よく、四国遍路はなぜするのですかと、聞かれることがある。ただ単に「歩きたいからそれだけです」と答える。しかし、何かしら背負って歩いている人もいる。煩悩を断ち切る。懺悔する。などと歩いている人は皆無に等しい。歩いていると、白、緑、赤、銀、金、錦といって、何回、何十回、何百回と巡ったかの自慢話も聞こえてくる。何も考えないで歩くのが四国遍路ではないか、歩いた後で何かが見えてくる。それでいいと思う。お寺やお墓参りに行ったこともなかったが遍路をしているうちだんだんと感謝の気持ちもわいてきた。そこには、1年365日お寺の梵鐘を毎朝6時について本堂の前に立って勤行している自分がいた。かくして平成22年初夏四国の空に旅立った。あ、それともう一つ、今までいただいた御朱印、どれがどこの寺社だかわからないので、四国八十八ヵ所の御朱印を掛け軸にし家宝にするのも目的の一つだ。

阿波1日目

 先ずは、1番札所霊山寺で遍路用具の白衣、輪袈裟、金剛杖、納経帳、勤行集を購入。その場でお遍路さんに変身。いよいよ四国八十八ヶ所阿波一国参りの始まりである。期待と不安が混同する。

第1番札所霊山寺

 1番札所だけあって賑っていた。初めての勤行はちんぷんかんぷんでただ読むだけ。隣の人はすらすらと唱えていた。大丈夫かなーと思いながら1番札所を打ち終え遍路道へ。ところが急に雨が降ってきたので慌てて雨具取り出しザックカバーをかけ出発。どうなることやら。2番札所極楽寺の売店で「この先店が無いから、弁当いかがですか」と弁当をすすめられ買うことに。2番札所を打ち終え、3番札所金泉寺、4番札所大日寺と打つ。途中の遍路道は昔ながらの風情のある遍路道である。大日寺では雨宿りと昼食をするため納経所でお世話になる。ついでに勤行集の読み方や節など教えてもらう。その甲斐あって何とか声を出して勤行することができたが、まだまだ恥ずかしいという気持ちもある。食事を終えて大日寺を出発。途中、遍路休憩所で布団とダンボールに包まって寝ている人がいた。浮浪者なのかなぁと思いつつ気味が悪いので知らぬ顔で通り過ぎていく。四国遍路にはそういう人が少なくないことも後でわかる。5番札所地蔵寺に着くと雨足が強くなってきた。しかし、雨が降ろうと槍が降ろうと歩かねばならない。そんなことはない・・・地蔵寺には五百羅漢巡りというのがあるが、雨のほうが気になって、本当は余裕がなく見学はしなかった。後で聞いたのだが、名古屋の若者は見学してきたとのこと。打ち終えて今日の宿、森本屋へ。地蔵寺からはすぐの所にある。まだ13時30分。早いのかなーと思いつつ声をかけるが返答がない。ようやく外の気配を感じとったのか宿のおばちゃんがでてきた。「早くても大丈夫ですか」と言ったら「いいですよ、雨具は玄関に掛けておいて金剛杖は洗って部屋に持って行って」と言われ16畳くらいある座敷に通された。部屋には、だいぶ昔撮ったと思われる団体遍路さんの色褪せた写真が掲げられてあり年期の入った部屋である。少し寒い。石油ストーブはあるのだが灯油が入ってない。電気コタツがあるのでスイッチを入れて休み、ついでに濡れた衣服も中に入れ一緒に乾かす。今日の行程は約11㌔強。これは後でわかったのだが1日の行程としては半分以下である。それと雨の遍路は雨具を着るので白衣が汗を吸ってしまいぐちゃぐちゃになるので白衣は着ないで歩く等々いろいろ分かってくる。風呂が沸いたのでいただき夕食までビールは我慢する。17時、若い遍路さんが到着し部屋に通される。ふすまが開いていたので挨拶をする。今日、名古屋から徳島市に着きそのまま歩いきたとのこと。38㌔もよく歩いてきましたねーと言うと、足が痛くて大変でしたとのこと。ザックからいろいろ荷物を出し広げていたが、どれもこれも1番札所前のドライブインで遍路用品を買ってきたとのこと。必要のないものもいくつかあり、肝心の同行二人の地図は持っていなかったので後で購入するといいですよと教えてやった。買ったというより押し付けられたと言っていた。また、長いこと歩いてきたのでマメができて痛いとのこと。イソジン消毒液を持って来たので、針に糸を通し消毒液に漬け、針先を焼いてマメに糸を通し、水を抜いてカットテープを貼ってあげた。また、靴をもう少し良い靴に変えた方が良いのではとアドバイス。何一つ準備しないで来たとのこと。それは後でわかるのだが・・・そんなこんなで夕食の時間になる。夕食は全部で6人。最初は皆さんおとなしかったが酒が入ってきたら口の方も開いてきた。広島から来た遍路さんは何回も来ているのでいろんなことを知っていた。今回は、奥ノ院巡の遍路。福島正則公の話になったらさっそく携帯の写真を見せこれがお墓ですとのこと。歴史と密教、特に密教にはかなり精通しているみたいだ。名古屋の若者に携帯電話がかかってきた。「今、入院しています」との返事。訳があるみたいだ。出立も早くそれ以来逢っていない。奈良から来た70歳代のおじさん遍路はこの後また一緒に同行することに。神奈川から来た夫婦の遍路さんはインスリンを打ちながらの遍路。たいへんに思う。名刺代わりに納札(おさめ札)を交換。いろんなものを抱えての遍路。人それぞれの遍路である。※現在の森本屋は改装してみちがえるようになった。