今朝は、下の高校年生の娘と同級生4人を車で城の中にある神社に送って行った。
広島原爆の日の今日、高校の生徒会がボランティアで慰霊祭の手伝いをしたようだ。
まだ人がまばらな早朝の神社前だったがセーラー服を着た5名の女学生が受付に歩く姿を見た。
その時、ふっと62年前、一瞬の閃光に消えていった若い命を見たような気がした。
全てを奪った「原爆」に対し最近、政府閣僚の肯定論や核保有国の抑止論を聞くにつけ、
どれだけの人が普通に生きることを阻害され無念の中で死んでいったか考えたことがあるか
と言いたい。この子供たちのために私は何が出来るだろうと思う、そんな8月6日だった。
広島原爆の日の今日、高校の生徒会がボランティアで慰霊祭の手伝いをしたようだ。
まだ人がまばらな早朝の神社前だったがセーラー服を着た5名の女学生が受付に歩く姿を見た。
その時、ふっと62年前、一瞬の閃光に消えていった若い命を見たような気がした。
全てを奪った「原爆」に対し最近、政府閣僚の肯定論や核保有国の抑止論を聞くにつけ、
どれだけの人が普通に生きることを阻害され無念の中で死んでいったか考えたことがあるか
と言いたい。この子供たちのために私は何が出来るだろうと思う、そんな8月6日だった。