人生の岐路の判断は解釈次第で変えられる
人間は生きていく中で幾度か人生を左右する選択をする
機会がある。それを「人生の岐路」と呼んでいるが、我
々の毎日は決断の連続で、何を買おうか、何を食べよう
か、どんな服を着ようか等、何気なく過ごす毎日の中に
も決断して知らず知らずのうちに実行している。
私もこの年まで、幾度かの「人生の岐路」を経験してき
たが、その決断が間違っていたかどうかは、今でもわか
らない。たとえ間違いだったとして後悔しても意味がな
い。「神は乗り越えられる試練しか与えない」と言われ
るが、結果として現在、こうして生活できていること思
うと結果は良かったと思うしかない。
しかし人間は何故か過去の判断に対して後悔や未練が残
るものがある。当然に過去に起きた出来事は変えられな
いが、その判断に対して自分が感じていた解釈を変える
と過去は変わって見える。過去に最悪だった出来事があ
って良かったと思ことがあるように、過去は自分次第の
捉え方で変えられると私は思っている。