あきらの稽古日誌~合唱、日本舞踊、ETC

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渡世人

2012-06-28 15:46:09 | 日記
今日は、東京の家で、愛犬とふたりで留守番です。
妻は、親しい仲間と軽井沢で骨休めです。
天気は、まずまずでよかったです。

今、稽古している「番場の忠太郎」は、いわゆる「やくざ」です。
やくざと言っても、完全にワルではなく、イカサマ賭博などの不正は、強く抵抗する義侠心を持ちます。
任侠とか侠客という言葉もありますが、「強きをくじき弱きを助ける」みたいなところが、ワルでも日本人の美意識に合うカッコよさなのですね。
稽古では、私の場合、まだ相変わらず台詞表現から芝居っ気が抜けず、ディレクターからまだ同じ指摘をされてます。(ちょっと稽古に真剣さが欠けてますね。よくないです。)
「台詞にイロをつけずに、感情をそのまま言葉にする。」というのですが、なかなかうまくいきません。
キーワード:低い声、感情を十分持ってしかもその感情を押し殺して、ゆっくり

今日は、渡世人の歩き方、刀さばきについて参考になりそうなUチューブを見ました。
三船敏郎が、やっぱりかっこいいですね。

老人会演芸大会に参加

2012-06-23 15:59:57 | 日記
今日は、私の住んでいるY地区の老人会の、年に一度の演芸大会に参加しました。
私たちの劇団が9月に公演を予定している東部プラザの大ホールが、今日の会場です。
お客様も、地区は異なりますが、9月と同じような老人会の方々です。
プログラムは、9割がたカラオケ、そして、踊り、詩吟などが少しという構成でした。
カラオケが続くと、さすがにお客様も私語が多くなります。
私たちHブロック(Y地区は五つの小ブロックに分かれている)は、ちょっと毛色の違う人形芝居と童謡合唱の二つをやりました。
人形芝居の「かぐや姫」は、ナレーションに合わせて、5人ほどで人形を操作します。
心配しましたが、午後一番の私たちの人形芝居(約10分)は、ものめずらしさもあってか、みなさま真剣に見て頂き、ほっとしました。
合唱は、童謡の「牧場」と「われは海の子」を歌いました。
私が歌詞を先導し、会場からも声が出て、かなり盛り上がりました。
ついでですが、今日は、劇団の9月公演の会場およびお客様の雰囲気を経験する良い機会ともなりました。
なお、今日の会場は、ノンアルコールでしたが、9月はどうなるのでしょうか?
それによって、お客様の雰囲気が変わるかもしれません。

「瞼の母」のキャスト

2012-06-19 21:47:22 | 日記
9月の公演は、お年寄りを対象としたお楽しみ会のアトラクションとして行われるようです。
自らチケットを購入して観に来られるお客様よりも、ある意味でシビアーかもしれません。
このような雰囲気では、人気の“きみまろ“が頭に浮かびますが、ディレクターは、あくまで高度な演技を要求します。
出し物は「瞼の母」になるようで、今日はそのキャストを決めました。(暫定的?)
選出方法は、メンバーがそれぞれ自分の希望する役にノミネートし、その後、若干の調整をして決定する方法です。
私は、もちろん主役の「忠太郎」にノミネートしました。
そして認められました。
「忠太郎」役は、Sさん、Oさん、そして私のトリプルキャストになりました。
私以外は女性の「忠太郎」です。
尊敬する先輩と同じ役を演じられるのは、とてもいい勉強になると思います。
今から楽しみです。

演じない心

2012-06-13 16:01:10 | 日記
「瞼の母」の稽古で私は、ディレクターから「演技しないこと」という意味のコメントを、今回も頂きました。
これについて、ネットを探っていたら、「演じない心」というブログが目に止まりました。
このブログ、なかなか面白いことが書かれていて、現在進行中です。(下記のブログ)
http://blog.livedoor.jp/hardrainopencafe/archives/8007895.html

このブログの初回に曰く:
演技の本質は何かと尋ねられれば、演じない心と答える。
だから、このブログの題名を「演じない心」とした。
ちょっとキザかもしれないと思ったので副題に「演技取扱説明書」とつけた。
ある演劇バカの遺言として綴っていこうと思う。
俳優志望の方の役に立てたら本望だ。
また、俳優志望でない方も「意識」の取扱説明書として、人生のお役に立てていただけたなら、こんなうれしいことは無い。

最近の第16回の記事から気に入ったところを以下に抜粋:
この「観客の権利と俳優の義務」は台本上には必ず存在する。それは現実と演劇の大きな違いの一つだ。俳優はこの条件を満たしつつ、シーンを自分の人生に実際に起こっている事として捉えなければならないのだ。
その為には、的確な思考のあり方と、表現として現れるほどの密度の濃い内面が必要になる。その内面の密度の濃さも現実と演技の違いと言っても良いかも知れない。しかし、それは大げさな表現を指しているのではなく、あくまで高エネルギーで理にかなった精神活動という意味だ。それは「現実より濃い現実感」といっても良いだろう。そのエネルギーの高さが役の存在感を決める。

ブログに出て来た「スタニスラフスキー」の本を図書館で借りてきました。
これから読んでみます。
うちは中央図書館まで歩いて5分、便利です。

古希

2012-06-11 12:29:24 | 日記
今日は、個人的な話です。
私、6月9日をもって70歳になりました。
当日は、妻と子供たちと孫に、近所に開店したトンカツ屋でお祝いしてもらいました。
孫は、手書きと貼り絵の可愛いバースデイカードを作ってくれました。
うちに帰って、皆でこのあいだの芝居公演の写真と、公演の後、妻と参加した南イタリアツアーの写真を見ました。
写真を見ながら、チャレンジャーの女性たちは、みんな可愛いナとしみじみ・・・
そういえば、ツアーでは、一緒に参加していた“多摩プラザのヒト”が気になり、ちょっと付きまとってしまいました。
すみません。
女性たちに囲まれて・・・、たしかに、これは芝居の稽古のスプリングボードになってます。