あきらの稽古日誌~合唱、日本舞踊、ETC

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悔しさいっぱいの自主練習

2013-04-29 20:53:43 | 日記
公演まであと一か月、今日は、Aチームの自主練習がありました。
結果は、私にとっては、いつもの稽古にはない悔しさいっぱいの稽古になりました。
ディレクターがいない稽古では、メンバーから厳しいダメが飛びます。
私も調子に乗って、仲間の演技にちょっとしたダメを出したのですが、これが猛烈な反発にあって、ちょっと気まずい雰囲気になりました。
やっぱり、新参者の私などが人の演技にダメを出すのは、まだまだ早いみたいです。
そのあと、私の演技の場面、「もっと巻いてマイテ」と声がかかります。
私は、気分がむしゃくしゃしていたので、無視してそのまま演技を続けました。
演じながら、再びみんなに気まずい雰囲気が漂っているのを感じました。
ああ、私としたことがなんてことでしょう。
冷静に、冷静に。
帰りがけに、私の尊敬する“先生”、演出助手のOさんに聞いてみました。

Oさんのコメント:
①(私のセリフは)相手へのリアクションになっておらず自分勝手にしゃべっている。
②セリフの調子が、いつも同じで平板である。
③“忠太郎”くさい。(もっと、素直に普通にしゃべれ)
④しゃべる前に余分なアクション(相手のセリフが終わったあと、おもむろに相手をにらんで、それからセリフを言う)があり、このため会話に軽快さがなく、まだるっこしい感じになっている。
⑤ペラペラしゃべるところと、ためてゆっくりしゃべるところのメリハリをつけること。

①は、エ~って感じですが、“先生”の話をよく反芻してみると、どうも④と関連しているみたいです。
④は、私としては、この方がいいと思って意識的にやっているのですが、これが逆効果だと・・・
次回は、少し工夫してみます。
そして、次回、また“先生”に感想を聞いてみましょう。

そういえば、自主練習での厳しさは、去年の「忠太郎」の稽古でもありましたね。
あの時も書いたような気がしますが、やっぱり時々自主練習するのは、とってもためになります。

富士宮のTスタジオでの自主練習

藤の花が満開でした

2013-04-26 06:57:52 | 日記
昨日は日舞の稽古日でした。
今は、六月にある老人会の出しものを稽古しています。
先日の発表会で踊った「千代の寿」を、今度はTKさんと二人で踊ります。
それで、私は男舞になるので、フリが少し変わります。
同じ演目で女舞から男舞へ、すごくいい勉強になります。
稽古が終わったら、先生が「今日は藤の花を見に行きましょう」と提案されました。
午後から、4人で私の車で出かけました。
藤の花の名所として知られる富士宮の「下の坊」、満開の花のいい香りが漂ってました。


どんどん上手くなってます

2013-04-24 15:06:58 | 日記
23日の稽古は、一日ずっと”観客”になってました。
でも、あっという間に終わりの時間になりました。
稽古も、いよいよ深く深く、真に迫ってきました。
何も考えない演技:せんべいを無心に食べている姿を見せる。

デレクターの名言抄:
・ここでは、“無心”で食べることに専念している姿を演じること。
・人間の心理は、刻々と変化していく。
 落胆の中から次第に希望を見出し、その夢がどんどん膨らんで強い確信になっていく。
 このような過程は、役者自身が、本当に自由に舞台に生きて、表現していってほしい。
・泣きながら言うセリフでも、観客席に確実に届くクリアに言う必要がある。
・セリフを信用するな。
 せりふは、言葉通りでないものがある。
 むしろ、そのような表現にこそ、旨く演じれば人の(観客の)心を打つことが多い。
 例えば「なるほど、なるほど」という場合でも、額面の通り「納得した」という意味ではなく、場面によっては「ほんとにそうなの?嘘だろう。」と言うニュアンスになっている場合もある。
 「人間死ぬまで何が起こるかわからないものなのね。」は、「私は、もうどういう事態にもめげないわ。」と言う意味であることを読み取らなくてはならない。
 台本は、頭で読んではダメ、体で細胞で読め。
 役者は、台本を読み通して、セリフの真の意味を理解して表現しなければならない。

最高のアドバイスを受けて、みんな見違えるようにうまくなっていくのが手に取るようにわかります。
ラストワンの演技は、私も思わず涙が出ましたよ。
出番のない「上野」は、何か取り残されていくような気分に襲われます。

てる「諦めたのよ。もう。いくら泣いたって、お金戻ってこないもの」

「上野」苦戦

2013-04-23 07:06:55 | 日記
最近は通し稽古もだんだんスムーズに流れるようになりました
それで19日は、「上野」の登場場面すべての稽古ができました。

ディレクターのコメント
てると上野が語り合う場面:
上野も「血を流す存在」であってほしい。
今(の演技)はまだ、てるに同情的、詠嘆的な表現にしかなっていない。
それは違う。
てるも「はらわたを切り裂かれる」が、上野もまた同じように「血をドクドク流す」存在でいてほしい。
てるに話しているが、どん底まで落ちた自分自身の気持ちが表現されなくてはならない。
激しく、どうしようもない怒りをぶつける、絶叫する、ディレクターの模範演技は真に迫ってます。
(もう一度、繰り返しの演技。ちょっとまだ違うかな)
今日、要求した演技は、一見、メロドラマのような悲劇のような演出に見えるかもしれないが、喜劇と悲劇の違いは、相対化する視点があるかどうかである。

そして、田口と上野が金を巡ってぶつかり合う場面のコメント:
上野が凄む場面のセリフは、演技過剰(“忠太郎”風になっている)、もっとストレートにポンポンしゃべること。
セリフだけで凄むのでは弱い
もっと体を使って田口に圧力をかけるように。
(もう一度、演技を繰り返しましたが、どうも思うように体が動きません。)
次回までにもっと検討しておくように。
ハイ

上野「シラァきるな、このごに及んで。」

デイレクター喝を入れる

2013-04-16 05:45:50 | 日記
いよいよ、稽古にも熱が入ってきました。
それでも、午後の後半になると、みんな、さすがに疲れが・・・
12日の稽古では、ディレクターが、台本を机にたたきつけて、退出する“事件”がありました。
室内に不安と動揺が走ります。
きっかり5分後に、部屋に戻ったデレクター:
演出家をちょっと怒らせたからって、ビビらなくていい。
(稽古は、最後を華々しく飾るファッションショーのステージで、主役の三人のおばあさんがあいさつする場面)
脈動する心の内面が噴出してくるような、どこにも負けない舞台を作りたい。
セリフの内容は、どうでもいい、字面を追っかけるだけではだめ。
とにかく、華やかな、本当に心が浮き立つような感じを出したい。

それから、少しピリッとした雰囲気の稽古が続きます。

そしてディレクターの最後のコメント:
今のは、なかなかよかった。
このような感覚が心に宿れば、特別な演技をしなくても伝わってくるものがある。
それは、私が言う“人間の解放”です。
私たちは、おかれた環境の中で、どれだけ本来の自分を抑制し、すり減らし、忘却していることか。
ドラマというのは、そういう本来の自分をよみがえらせる仕掛けでもある。
人それぞれ、さまざまだけれど、少なくともここに集まったみんなは、心と体を使って、すべてをさらけ出して、夢を得るチャンスを求めてきている。
だから今の演技は、ほんとに心に届いてきています。
特別なことではない。
その姿勢、その気持ちだけです。

ディレクターが席を蹴って退出したのも、どうやら“演技”だったみたいです。
最後の稽古、みんなピリッとしていい感じでした。

ちょっとピリッとして、デイレクターの最後の講評を聞く。