祖父が亡くなってから4日目、全ての式が終了した。
たまたま私の父も母も仏式ではなく、神道(しんとう)なので、いつも身内の葬儀には線香の匂いがしない。
拝む人もお坊さんではなく神主さんが来て、死んで仏になるのではなく、神様になるという考え方だから、葬式も死者を御祭りするという事で一つ一つの行事が、○○祭というように、おめでたい行事として扱われる。
もちろん本心で喜ぶ人は居ないが、でもそういう形式で進められる。
今日で葬式、納骨と全てが終わり、少し安心感があるが、でも本当は終わっていない。
これからもほったらかしにすることなく、きちんと供養することが大切なのだと神主さんが強く言っていた。
その通りだと思った。
神道の場合は、後の親族の供養が、故人に神様としてより強い力を与えていくのだそうだ。
だから、故人が神となり親族を見守るのではなく、親族が神を育てていくという感じになる。
今日、祖母の納骨に祖父の眠るお墓に行った時、その時初めて汚くなっている墓石を掃除していて少し申し訳ない気持ちになった。
予め数日前には、車で20分程度のその場所に行くことは分かっていたのに、掃除しておくことには気が回らなかったこと。
「ほったらかし」
どこまでがそういうのかは私にはよく分からない。
普段なら盆や命日にお墓参りにいく程度で大丈夫なのかも知れないが、汚れた墓石に申し訳なさを感じたということは、やはり放っておいたという気持ちがあったからだろう。
仏も神道も関係なく、先祖に対するそういったちょっとした気持ちが大切なのでしょう。
お墓参りには忙しくてもきちんと行くことにする。
そう思ったのでした。