青空に白い月

ゆったりゆるりと生きましょ~よ

続・そこに愛はあるか

2008-02-18 20:58:59 | 日々思うこと

ぷろぱさんのブログからハートプラスの事を知り、何気なしに
車椅子 駐車場 ハートプラス
と入力してグーグルで検索したところから、「そこに愛はあるか」という記事が出来ました。

何故かと言えば、私は単に車椅子マークは障害者用という解釈でいいのかと思って調べただけだったのに、意図しない文章がゴロゴロ検索されたからです。

いろいろ遠まわしにオブラートに包んで書かれていたり、率直に書かれていたりもしますが、多くの車椅子の人にとっては、ハートプラスは勝手な行動として捉えられている場合が多いように感じられました。

車椅子マークが付いた駐車場は車椅子専用で、広くなっているのはドアを全開にしないと乗り降り出来ないからであり、そこしか止める場所がないのに、内部障害の人がそこに車を停めるようになると、自分たちは停める場所がなくなるということで、それはそれでごもっともな意見です

つまり、内部障害者は歩けることは歩けるのだし、必ずしも車椅子用のスペースに停める必要はないということです。だからそこに停められるようにする活動は、単に煙たい存在であると見受けられる書き方が結構多いのです。
ですから内部障害の場合、近ければいいので広いスペースは必要ないのだから、停めるならそれはそれで区別するべきとの意見も見られました。

そして一方内部障害を持つ人は、自分だって辛いのだから近くに停めたいし、車椅子のマークは障害者を表すもので、車椅子専用と言う訳ではないという反論ももちろんあります。

お互いに辛さも不便さもあるでしょうが、どうでしょう?

例え健常者であっても、お年よりも、どんなに具合の悪い人も、我慢している場合が多いです。

病院に行く時も、バスを降りて手押し車を押して病院に通う人だっているし、私も吐きながら駐車場の端っこから歩きますが、かといって障害者用のスペースに停めさせて欲しいと思ったこともありませんでした。

だってそれが当たり前だったから、気付くこともなかった。

今でも変わりません

何処に行っても障害者用のスペースを使うという意識すらありません。

誰もが自然に空けるようになればいいとは思いますが、なかなかそうもいかないのは、そこに優しさがないからでしょう。

”人は皆平等”

それは健常者も障害者も、見た目ではわかり辛い障害者も皆平等という事ですが、これを勘違している人だっています。

皆平等なんだったら障害者だけ特別扱いする必要はないだろうと・・・

そこに愛はありません

前に男女平等と言われたときも私は感じましたが、男女共には権利を平等とすればよかったのだと私は思いますが、何を勘違いしたのか女性も平気で残業させられ、遅い時間まで働かされるようになってしまった。

こういうのは馬鹿馬鹿しい

男性と女性はどうしたって違う。

元々体のつくりが違うのだから、女性の方が力だって弱い場合が多いし、男性が女性のように家事をすることだって、習慣の上で難しいことも多いしね。

男女平等としてそう決めた時、そこに愛がなかったのでしょうね。

とても貧しい考えだ。

そして同じように障害の違いでアピール合戦している。

片方が不便だと言えば、もう片方はズルイと言う

そこに愛はあるか