青空に白い月

ゆったりゆるりと生きましょ~よ

犯罪の歴史

2008-06-20 23:07:35 | 日記・エッセイ・コラム

「くびになった腹癒せにやった」

「むしゃくしゃしてやった」

近頃は刃物男や通り魔的な犯罪が増えていますよね。

犯罪っていうのは、いつの時代も結果的に人が傷ついたり亡くなることに変わりはありませんが、その理由は私が小さい頃の記憶と比べると大きく変化している。

私が小さい頃、バブル期が始まるちょっと前は

「金が欲しくてやった」

そういう動機が多かった。

金欲しさに強盗、窃盗、空き巣などの途中に、誰かに見つかって殺人事件まで発展していたりしたのでしょう。

そしてバブル真っ盛りの時代には、動機も何もない、ただ面白半分に興味本位に殺人事件があったりした。

先日死刑になった宮崎勤容疑者もそんな中の一人だったが、その頃は何も不自由なく、がんばる理由もなく、飽和してしまった人の心が犯罪を呼んだのだろう。

そして今、バブルがはじけ職を失い物価が上がり、

「むしゃくしゃしてやった」

そんな自分勝手な犯罪が多発している。

きっと慢性的に経済状態が乏しく、生活に不自由を強いられて滅茶苦茶な考えが自分の中に生まれるのだろうが、だったらどうして昔のように強盗殺人のような事件ではなく、ただ自分には何の得も無い無差別な殺人に人は走るのか?

私が思うに、そこには”先の見えない将来への不安”

これが大きく関係しているように感じる。

最近の傷害事件を起してしまう人は、多分金銭的に苦を強いられてはいるだろうけど、一昔前の貧乏人と比べれば今の貧乏人のほうが裕福だと思う。

そして傷害事件を起してしまった人達は、ほとんど身なりも住所も持っている。

つまり究極の貧乏になる前に、究極の貧乏になることを想像してしまった人たちだ。

そして一様にそうなったことを世相や人のせいにする傾向がある。

殺人犯罪は、結果的に人の命を奪ってしまうが、そこに行きつくまでの過程が今とちょっと昔とで大きく変化している。

とはいえ、人が人を殺める行為自体、人としてしてはいけない行為だが、無差別に誰でもよかったなんていうのは、世相がどうであるとその個人は許されるものではないと私は思う。

これから自分の行く末を見て、明るい未来が想像できないのは辛い事だけど、暗い未来を想像してしまうことは辛いのではなく、未熟なのだろう。