25億2288万
何の数字でしょう?
実は宝くじが当りました!!
なんて言いたいところですけど違います。
私の年齢でも体重でも身長でもありません。
この数字、人生80年生きた時の秒数
閏年は無視して一年365日で計算して、80歳を迎えると
25億2288万秒生きるんです。
でも最初これを見たとき、私の印象は”短いなー”と感じました。
実はもっととてつもない、単位も分からないような数字が出てくることを想像していたものだから、この数字はあまりにも短く感じたんです。
今現在も、刻々と私の1秒は過ぎて言っています。
1秒はとても短い時間ですが、人生80年と言われると、とても長く私には感じてしまいます。
だからこの25億2288万という数字が短いと感じた私にとって、1秒という時間は意外に長いのかもしれません。
逆に80年を短く感じていて、25億2288万秒が十分長いと感じた方にとっての1秒はとても短く感じます。
もしも生まれたときから自分が80歳で死ぬことが分かっている人が居たとしたら、どう思える方が幸せなのか私にはなんとも言えませんが、前者と後者を比べると、80年という時を漠然と短く感じる人の方が、より長く生きたいように直感的に感じますよね。
でも皮肉なもんですよ、長生きしたい人の方が1秒を短く感じるのですから。
長生きしたいのか?時間を長く感じて生きたいのか?
早く死にたいのか?生きている時間を短く感じたいのか?
今自分が思っている生きる長さに対する方向性がなんか見えてしまう。
どうも私は、そんなに長く生きたいとは思っていないが、体感する時間は長く感じるようになっているようだ。
それはつまり、試練多く生きろとそういう風に感じる。
私と全く逆の人は、多分人生楽しいが名残惜しい人生を生きることになりそうだ。
まー私流の勝手な考え方だけど、私に関してはまんざら間違ってもいないようだね。