妄人妄語 衆議院議員野田聖子さんの選挙公約消去 有権者・国民を愚弄するサイト一時閉鎖に抗議します!「非道」はどっち?

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キャリー・アンダーウッドCarrie Underwoodにしびれた

2006-01-21 22:40:36 | つぶやき

CBSのビデオでキャリー・アンダーウッドという女性シンガーが歌うのを見た。

ピアノの伴奏があったが素朴な感じでよかった。


歌も特にずば抜けてうまいというわけでもないふうにも思えるが、アメリカのポップスってそういう感じのものが多いような気もする。


この人のサイトに行くと自動的に音楽が流れてくる。

CBSではInside Your Heavenを歌っていた。


こちらのサイトです


CBSの方はこちらのページの上の方になります。Carrie Underwoodと書かれてるとこの右下のWatchと書かれたみたいなマークをクリックしてください。

やっぱり大熱唱ですね。素晴らしいです


今日は雪ですか。。。

2006-01-21 01:12:45 | つぶやき

今日は朝から雪が降るらしい

ほんとかどうか知らないが、とにかく図書館から何冊も本を借りてきた。

あんまし関係ないけど。。。

読むぞぉぉおおおお!

と意気込んでいるというか、すでにある程度読み始めた。


関係ないようだけど、今日『たけしの誰でもピカソ』という番組を見てたらいきなり渡辺満里奈が大江健三郎に「本なんか読んで。。。」と言い出した。

大江健三郎は「本なんか読んでとおっしゃいますけどね」と言い出して、たけしが笑い転げていた


「本なんか読んで、なんになるんだ」とお思いでしょうが、別に作家でなくても本を読んでもいいではないでしょうか。

というか渡辺満里菜にしたって本を出してるわけだし。

本を読む人がいるから本を出す人も存在しうるわけで。

自分は図書館から借りることが多いですが。。。


本を読んでばかりいるな!と説教したいわけでしょうが、大江健三郎相手にこんなこと言える人は珍しいでしょうな。

なんとなくこれを書きながらその場面を思い出しましたが、仮に他のことをやったって「そんなことをしたって。。。」ということはなんかしら思うわけであります


他のいやなことを忘れさせてくれることであれば、何でもいいから熱中すればよいのではないでしょうか

あの番組の感想や大江健三郎に関してはまたそれはそれでいろいろ感じることがるわけですが、別に人にどう思われたいから本を読むということでもないでしょうし。


でもそれもあるかも

いずれにせよ読書が趣味といえるほどでもないけど、あんまし格好いい趣味ではないですね


読書は孤独ですよ


もっとも自分は孤独が好きなのかも知れない

もちろんこんなことを書くのは寒さが身にしみるというか、そんなこんながあるわけで


ま、あれこれ考えても仕方ないし、今からさらに寒くなってきそうだから、早く寝よう


といってももう遅いですが


トイレにて

2006-01-19 00:03:31 | つぶやき

今日トイレに行ったら小用のものが二つあって、隣が空いているのに入ってきた人がそこへなかなか行かない。

なぜなんだろう

隣りに人がいるのがいやなのか、それとも自分があまりに怪しいので近づけないのか、などと不思議に思っているうちになんだか尿意がおさまってしまった

おさまってしまうとなんだか、自分がそこを離れるのがななんだかその人に用を足させるためみたく思えてきてそこを離れるのがなんとなくいやになってしまった

でもそんなことで意地を張ってそこにいるのもなんだか馬鹿らしくなって、すぐに手を洗った。

実につまらないことだけど、たとえばそこに行列ができてる場合にはいやでも自分の隣りにこなければならないだろう


もしかしたら自分のがのぞかれるのが嫌なのだろうか


いろいろ想像してちょっとだけ振り返ってみるとその人は便器に体全体を押し付けるようにして用を足していた

相撲を久しぶりに見て解説について少し考えた

2006-01-17 23:59:30 | つぶやき

昨日、一昨日と少しばかりテレビで相撲を見た。

デーモン小暮が解説に出るというので見たのだが、いろいろ相撲に関して持論を展開しているようだった。

それがたしか日曜のことだったと思うのだが、解説の一人に元麒麟児がいて、この人の話し方というか声があい変わらずやさしくきれいで気持ちよく見ることができた。

客足の事に話題が触れたとき、この人も「もぎり」とか言うのだそうだが、切符を切る仕事もしているということも言っていた。

引退して親方になるとどんな人気力士でもいろいろと雑用をこなすようだ。

それになじめないものはでてゆくというと極端な言い方になるかもしれないが、やはりそういう点があることは否定できないのではないか。


もちろん協会をやめて、タレントになったり他の格闘技に道を求めることが一概に悪いとは言えないが、あまり目立たないところで協会を支えている親方がたくさんいることはあらためて言うまでもない。

その麒麟児が昭和60年だったかに初日から8連勝した場所があったようなことをアナウンサーが言ってそのことを親方が覚えているか尋ねると、親方は覚えてなかったようだ。

こういうことは実によくあって、現役の力士でもよくある話であるように思う。

アナウンサーはいろいろ調べてそれを一種の特ダネのような感じでちょっとずつ出すのだろうが、こういう相撲に関するデータというのはとにかくできれば誰でも無料でアクセスできるような形でぜひ整理してほしいと思う。

もっとも最近は全く相撲のサイトは自分は見ていないのだが。

さて、昨日だったと思うが解説は舞の海だった。

この人の解説というのは非情に詳しくて驚くことがある。

それと瞬時の動きなのに取り組みをよく見えるなという感じもする。まるで相撲の取り組みがスローモーションで見えるみたいだとさえ思う。


しかし、スローで見えるとしてもそれがいいことばかりとは限らないような気もする。

昨日は弓取り式をじっくりと最後に流してくれたのだが、自分はその弓取り式はいい弓取り式だと思った。

しかしその最中に舞の海が弓を回すのが遅いようなことを言っていて、それをアナウンサーはフォロ-するようなことも言っていたが、いずれにせよ自分はちょっと考えさせられてしまった。

たしかに専門的な解説は必要だと思うし、弓取り式をやったこともある舞の海なら言いたいことはあるのだろうが、たしか本割の相撲の後だったらしいし、慎重にやっている部分もあるだろう。

もちろんよりよいものを専門的な立場から望むのは必要なことだが、せっかく素晴らしい弓取り式だと思っていたものにすればやや残念だった。

もちろんあれが最高のものだなどとは思っていないし、そもそもああいうものはたぶん主観によってその判断も変わると思う。

解説というのはいろいろ難しい点もあると思った。


200円ぐらい損した!

2006-01-15 00:23:02 | つぶやき

昨日夜遅く歩いていると冷たい雪のような小雨が降ってきた。

近くのスーパーで水を汲もうと思ったら、すでにしまっていた。

スーパーで水を汲めばほとんど無料に近いのにミネラル・ウォーターを買えば200円ぐらいしてしまう。


すごく損をしたと思いつつ、コンビ二の中を歩いていると、アイス・コーヒーのわりかし大きな紙のパックのものがなんと105円と棚の下のところに表示されているではないか。

いい見っけものをした。

普段行いがいいから、神様が救ってくださったのだ、などと大げさなことは考えなかったものの、レジに立つと、500いくらと言う声が。

なにかの間違いだろうと思い、500円玉を差し出して、おつりを待っていると、534円です。と再び言われ目が覚めた。100円ほどのなんかのサンドは間違いなくその値段のはず。

しからば、あのコーヒーか。これいくらなんですか?と訊いたところ、3百うんじゅう円ですという、非情な声が。

いいですか?という確認の声に珍しく?抗議することもできず、とりあえず会計を済ませ、それがあった棚のところへもうダッシュ。

そこでもう一度見ると、たしかに同じ商品が105円と書かれた表示の上に鎮座しておるではないか!

ちょうどそこにいた店員にレシートを見せて「これ105円かと思った」といったところ「すみません」という素直な一言があった。ちょうど夜遅い時間で棚の入れ替えみたいなことをやっていたことが一つと、手前にある値段の表示は必ずしもそこにある商品の値段とは言えないこともあるだろうから自分もやや早計にすぎたこともある。

いずれにせよレジの人もその店員もまじめそうな人だったので怒ることもせず、とりあえずいからずに帰った。

その後別に怒りもしていない。

今日も寒い一日だった。そのアイスコーヒーを鍋で沸かして飲もうかと思ったけれど、結局冷やして飲んでいる。

そんなこんなで午前中からものすごくおなかをこわしてしまった。


よく分からないけどそんなおっちょこちょいの自分が実はかわいかったりする!?


ちょっとしたミス

2006-01-12 23:59:11 | つぶやき
数日前にある通販のサイトにほんの感想文を書いたところ一日かそこらで載った。普通はもっと時間がかかるようなことが書かれていたのだけれど、意外に早く載るものだと思った。
送る前に何度も直したけれどもそれでもやはりちょっとしたことが気になって直すことにした。
直すことにしたのはどういうことかと言えば、直すことができるらしいことに気づいたということに他ならない。
よく分からないままに送ってみた。
送る前に気づいたことだが、その感想文にはすでに参考になった旨の投票が一つあった。それもまた普通より早いものだと思った。
訂正がきちんと反映されるかな、と思っていたところ、きちんと訂正された。
しかし、その大切な一票は失なわれていた。
せっかく投票していただいたものを自ら消してしまうなんて自分はなんてことをしてしまったんだと思う。
しかしそうなることは全く知らなかったので、どうしようもない。

本当はもっと直したかったりする所もあるが、もうほっといたほうがいいのだろう。
実は以前、たぶん自分が間違って操作したせいで消してしまったこともある。
なかなか慣れないものだができればもう少し詳しく使い方のようなものを書いておいてほしものだ。
もしこれが具体的にどの本のことかお分かりになったら、これにてお詫びに変えさせていただきます。
本当はもっときちんとお詫びしたほうがいいのかもしれないけれど。
それとこれは消すかもしれません。

何だか自分でもよく分からないけれど。。。

2006-01-05 00:22:42 | つぶやき

遅ればせながら新年明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。


以下はまた長くて自分でも読みにくいですが、せっかく書いたのでアップします。

今年はもう少し読みやすい文を書けるようになれればいいのですが、ちょっと難しいかも知れません。

新年早々全くまとまらないのですが、年末とか新年とかで少しでも自分の生活パターンが崩されるはあまり好きではないのです。

実は年末から新年にかけて自分の内面においてどでかいこともあったわけですが、そういうことは書いていいのかまずいのか分からないし、自分の中でもよく分からないし、うまく書けそうにないのでよく分からないなどと迷っているうちに他のことを書いたほうがいいやと思いつつ、あれを書こうか、これを書こうかと迷ってるうちに早くも三が日を過ぎてしまい、今さら初夢の話しを書くのもなんだなぁと思いつつ、その内容も恥ずかしくてここに書くのはどうかなと思ってやめました。

それでここからやっと本文が始まるわけですが、よく行く喫茶店の話です。

年末や年始はサテンの営業時間が変わって夕方行ってみるとしまってたりするので、違う店に行ってみると、そこにまたいつも自分がよく行くサテンで見る顔があったりして、逆にそんなときにそういえばあの人はあまり見なくなったな、などと思う顔も思い出します。

実際に口を聞いたことはないけれどたとえば店員さんなんかでもあの人辞めたのかな?とか思うこともあって実際に面識のある人も最近見なくなったりしたのだけれど、一々ほかの人にきくのもめんどくさいなと思う。

逆に自分がいなくなったら気づいてくれる人はいるだろうか?などと昨年は思ったりしたものですが、最近はまったくそういうことはなぜか思わなくなった。

ものすごくありがたいことだと思っている。

テレビのコメントについて林真理子のエッセイに考えさせられた

2005-12-30 00:14:37 | つぶやき

林真理子の『愛すればこそ・・・・』という本をここ数日かけて読んだ。

この人にかんしてはデビュー当時にたしか「有名になりたい」ということを明確に打ち出して脱いだ写真を週刊紙かなにかで見て以来、あまりよいイメージがなく、例のアグネス・チャンとの論争に関してもあまり興味がわかなかった。

あの論争の頃ぐらいから急に文化人的なイメージが強くなってあまりテレビにも出なくなった気がする。

以前表参道のある楽譜売り場でこの人が母親らしき人と一緒にいて領収書をもらうときに「林でお願いします」とわりと大きい声で言ったのを見た。

『愛すればこそ・・・・』を読んでいるとこの人は自分が有名人でいることをすごく意識している人だと感じるが、それでも経済的な面で若い頃に苦労したことなどがつづられていてそれなりに興味深かった。

ちなみにこの本自体もわりと若いころに書かれた本のようだ。

そこに収められた文章の一つにロサンゼルス・オリンピックだったかの開会式の感想をテレ朝で話すように言われたエピソードがのっている。

「面白いかつまらないか正直に言えばよい」ということであったが、最後には「私も行きたいわぁ」と言わされたそうだ。

こういう話を読むと実際にはたとえばテレ朝の人があのエッセイは困ります、などとこの作家に言った場合、「いえあれはあくまで読者を喜ばすためですから」などというのではないか、と自分などは思ってしまう。


つまりテレビというのは虚飾に満ちた世界ではあるが、そうした虚飾を明らかにするような場合でも実際にその人は虚飾を作り上げるのに協力してる人であるから、物書きとしてもまた虚飾を作り上げる可能性もあるし、それをまたどこかで明らかにすることで出演料や原稿料をもらってる可能性もあるとも思えるわけである。

結局その人の意見がどこにあるかなどということは分からずじまいのようなことになるとも思える。

こういう人は人によって話すことを変えるいわゆる八方美人的な人だといっては言いすぎだが、自分にはどうもここで書くことが本当のことです、などという言い方が妙に引っかかって仕方がない。

しかしその一方で、自分はテレビと言うのはあまり好きではないけれど、そういういわば表に出ない葛藤みたいなものを感じることのできないやからでは自分はないつもりである。

できれば言いたいことを言っている人と、必ずしもそうではないとも思える人が一緒にテレビに出て時間をかけて話してるのを見られればそれが理想だなとも思う。

ここ二年ほどだと思うが、年末になるとよく「朝まで生テレビ」のような形でサッカーの討論番組をテレ朝でやっていて、その番組にでてくる植田朝日とか言うサッカーフアンが非常に好きだ。

どこにひきつけられるかと言うと、釜本やラモスなどがいても全く物怖じすることなく自分のいいたいことをきちんと主張しているようであるのが見ていて非常に気持ちがいいのである。

残念ながら自分には議論の詳細についてはあまりついてゆけないのであるが、サッカーというものが非常に奥深いものであることを感じさせてくれるのは非常にうれしいことで、こういう企画が他のスポーツなどについても行われれば非常にいいと思う。

あの番組は今年はいつ放送になるのだろう、ととりとめもなく思っている年末の夜でした。

今調べてみたら今年はなかったのかも知れない。

生のテレビで充分な時間を割いて専門家が言いたいことを言えるような番組がもっといろんあ分野に関して増えれば自分もテレビというのをもう少し好きになれるような気もする。

あの番組にしても釜本はあまり言いたいことは言えなかっただろうなと漠然と思う。

それとは対照的にセルジオ越後はかなり言いたいことを言っていてあからさまな協会批判がすごくて特にストライカーの養成講座のようなものに関して「協会の金余り事業」とか「一体誰が教えるの?」などと批判していた。

こういう場面を見ている時に発言している人たちの表情があまりに対照的であったりするのを見るのが楽しかった。

今年はないようだが、ぜひまたそういう番組を見たい。

今日もまた暗くてごめんなさい

2005-12-28 23:18:07 | つぶやき

数日前から町の中を木の音がこだまするようになった。

今日あたりから注連縄も売り出されるようになったようだ。

そして今日は夕方びっくりするほど空がきれいだった。


そしてまた若い頃に世話になった人の訃報に接した。


人の訃報について書いていると毎日そういうことで終わりそうな気もする。

自分が死なない限りそういうことはおこり続けるのだろう。

こればっかりは仕方がない。

せめて自分は人が死んだときに表面的にでなく心から悲しむことのできる人間でいたいと思う。

そしてその人の死を悲しむことのできるような人とこれからも出会ってゆきたい。

それはすごく難しいけれどそれには自分もいろいろ気をつけなばならないのだろう。


インタビューは難しいのだろう。

2005-12-22 23:06:21 | つぶやき

今日ある店で隣りに座った女性がいろいろなものを机の上で散らかしていた。

自分よりちょっと若いぐらいの人だろうか。

肌は過ごし浅黒くて、女性にしてはがっちりした体格の人だった。

黒くて大きいボストン・バックに散らかした物をしまいこんで立った姿を見るとなにかの制服らしきものを着ていた。

きっとこれから夜勤なのだろう。

それもたぶん女性にとっては少し肉体的にきつい仕事なのだろう。

うちの母の知り合いの娘さんが以前大学生の頃のバイトで、やはり夜のきつい仕事をしていたと聞いたことがある。

でもそれを長く続けられる人はそう多くは無いはずだと思う。

たぶん今日はそういう人のうちの一人とすれ違ったのだろうと思う。

こういう言い方も失礼になるかも知れないけれど、どんな人でもみなそれぞれ自分の世界というものを持っているはず。

一生のうちに出会える人の数はそう多くは無くて、自分が知りえることはこの世の中のほんの一部に過ぎない。

今思い出したが、木村拓也が同い年のいろいろな職業の女性と二人だけで語り合う番組をやっていた。

木村拓也がその女性にインタビューする形で、それぞれの職業の苦労話などを訊いていて、それなりに面白かったが、インタビューされるほうも全くの素人が多かったけれども中にはすでに有名になっている人もいた。

テレビだし、顔と名前も出てるし、短い時間で他人の職業や内面についてどれだけのことがきけるかということはかなり限界があるだろうと思われるが具体的なことは忘れてしまったものの、それなりに面白かった記憶がある。

あるプロバイダのサイトで編集者が有名人と会って、毎回インタビューしてそれをブログにまとめているのがあるがはっきり言ってつまらないことこの上ない。

いかにも役者さんのプロフィールを調べてそれをまじめになぞってる感じでほとんど意外性や驚きのようなものが自分には感じられない。

木村拓也の場合にはいろいろな職業の人にインタビューしている点が面白かったのだけれど、面白かった点の一つはあまり予備知識など無く、なんでもざっくばらんに尋ねている点が面白かった。

もちろん木村拓也が素人の人と話しているということ自体が面白いことこの上ないわけだが、きちんと受け答えしてた人たちもなかなかすごい人たちだったと思う。

だいたいプロフィールや他のインタビューなどを見てからインタビューするのであれば、あらためてインタビューする意義というものがあまり無くなってしまうのではないかと思う。

本当に面白いインタビューというものがあれば、もしかしたらあまり世間の注目をあびない分野で絶対にメディアにでない人にインタビューするのが面白いのではないかと思う。

むろんそういうインタビューのようなものを集めた本もあると思う。でも今日隣り合わせた女性と話すとしたらどんな会話が成り立っただろうかなどと考えてみるのも空想ではあるが面白。

むろんテレビなどで見る実際のインタビューにしても必ずしも真実を伝えてるとは限らないし、一回や二回あったぐらいでその人の考えや気持ちなど本当に分かるわけではないかもしれない。

テレビでもネットでもいろいろ伝えることに関して自分は疑問を抱くことがあるのは、きっとこの人が言ってることには違う部分があるはずだなどと思うからである。

それが本当はもっとこの人は奥深いものをもっているはずだと思える場合と、この人は見かけほど有能な人ではないはずだと思う場合があって、そう思う基準のようなものはほとんど「かん」になっているように思う。

前者は後者に比べ圧倒的に少ない。でもそういう少ない人に自分はどんな形であれめぐりあって行きたいと思っている。

自分がそうでないからこそそう思っていることは断わるまでもないけれどこれも一種のゴーマニズムかも知れない。

インタビューというのはもちろん「される側」だけでなく「する側」もそれなりのものを持ってないとただでさえ表面的なものがさらに表面的なものになってしまいがちだと思う。

インタビューなんて所詮そんなものかも知れないし、インタビューといっても時間などの種類によって千差万別ではあるけれど、ノンフィクションの優れたものの多くは、山際淳司のそれのように理想的なインタビューが元になってできているのではないだろうか。

今日はここを見てくれている古くからの友人ともすれ違って、もしかして話してくれそうだったけれど結局すれ違っただけで終わってしまった。

そういうわけで私は話しだすとやたら長いので、またいつかぜひいろいろ教えてください。

ここなどの反応も最近心配ではあるけれどまた感想聞かせてね。

山田和史「さんだあず」がM-1グランプリ準決勝進出でNHKを退職させられたことについて

2005-12-15 00:43:00 | つぶやき

NHKの職員が退職してお笑いの活動に入るらしい。

こちらのニュースです。

自分はこの番組についてもNHKをやめた山田という人についても全く知らないのだが、芸能活動と仕事を両立させていた人が民間企業に20年ぐらい前にいたはずでそれと比べてNHKはちょっと厳しすぎるような気がしたのであえて書きたい。

このニュースでまずよく分からないののはどうもこの人は「M-1グランプリ」というお笑いのオーディションみたいな番組にでたらしいが、これが民放の番組であるらしいことだ。そして以下のくだりは特に疑問に感じる。

上層部からは「NHK職員として準決勝に出ることは許されない。もし出るなら、処分の対象になる」とくぎを刺されたが、「それならば…」と準決勝出場をとった。

この人はM-1グランプリは第一回から出ていたらしいのだが、どうも準決勝に出ることは許されないとかかれているところをみると、それまでは黙認していたということであろうか。

いわゆる服務規程などでよその局の番組に出演することなどに関して規定はなかったのだろうか。

もっともそれが宣伝になることもあるだろうから、許可を得ればいいということなのかもしれない。

しかしいずれにせよ今まではあまり目くじらを立てられてはいなかったようであるところをみると、もしかしたらそんないいとこまでは行かないだろうから大目にみようということだったのかもしれない。

でもこれは勝ち進んでいけば準決勝に出たり優勝する可能性もあるわけだから今まで民放の番組に参加することを大目に見ていて準決勝に出るならやめてもらわなければ困ると言うのもなんだかおかしな話に思えてならない。

この人はどうも受信料の話題もネタにしていたらしいのでそういったことも関係あるのかも知れないが、いずれにせよ今まで仕事をしながら漫才も頑張ってきたのだから、ちょっとNHKも厳しすぎるような気もする。

少なくとも最終的な結果を見るまでは退職を迫るようなことはしないでむしろ応援するぐらいのことをしたらNHKのイメージアップにつながったのではないか。

もしいい結果が出て、漫才の活動に本腰を入れるとしても、できればせめて1年ぐらい休職扱いにしてどうも駄目だったらまた戻れるぐらいの措置をしてほしいものだと思う。

これを留学などと比較するのは次元が違うかもしれないが、NHKの職員でも採用されてから留学して学位を取得している人もたしかいたはずだ。

それは記者の人で国際関係の分野の人が何人かそういう人がいたと思うのだが、漫才の活動にしてもきっと仕事に役立つはずだしもうちょっと違う対応がNHKにできなかったのかと残念だ。

小さな幸せ

2005-12-14 00:27:53 | つぶやき

具体的にどんなの?といわれると困るけど、小さな幸せが永く続くといいと思う。

むろん今は幸せではないけど、とにかく健康であわてず騒がず、驚かず、自分が驚くようなことも何もなく、できるだけ永く平和に暮らせればそれでいいと思う。

むろん自分の好きな人にも男女を問わず幸せでいてほしい。

嫌いな人にはいずれ一泡も二泡も吹かせてやるつもり。

好きな人でも嫌いになってしまうことはこれまでもあったし、これからもあるかもしれない。

でもできればいろんな人をずっと好きでいたい。

それが一番の幸せかも知れない。

今年をあらわす漢字一文字は「愛」だそうだ。

自分はこういうなんかの標語みたいなものはどこかの宣伝じゃないかと思ってしまってあまり好きではないし、別に愛に飢えてるつもりはない。

でもこんなこと書いてるんじゃやっぱ愛に飢えてるのかな?

見える景色・見えない友達

2005-12-10 23:23:27 | つぶやき

絶対に一生忘れられない人はだれでもたくさんいるだろう。

自分の場合うらみつらみなどで覚えている人が多いのだが、すごく親しかった友人で二十歳の頃に突然死んでしまった友人Yのことも絶対に忘れられない存在だ。

もちろん家族や親戚などで死んでしまった者も数え上げてゆくと忘れられない人の数は多いし、それぞれの人のことを同じ程度に毎日思って過ごしているわけではもちろんない。

生きている人でも疎遠になったり、決定的に別れてしまった人も数え切れない。

Yが死んでからの数週間はとてもつらくて朝も夜も号泣しているような感じだった。

何かにつけ彼のことを思いだして、今彼が自分のことをどう思っているかなどと勝手に想像しながら、笑ってしずかに見守ってくれているような錯覚に陥ることで自分をはげましたりなぐさめたり、そしてもしかしたら自分を甘やかしてきたのかもしれない。

Yのことはできれば自分の実名で書こうと思っていたのだが、今ここで書いているのはなぜかといえば、彼のことを思いだす頻度が昔に比べればあきらかに減ってきているからであって、もしかしたら自分の中から彼の存在が消えてしまうかもしれないというかすかな予感さえあるからである。

Yのことを思い出す資格など自分にはないとも思うが、そんなことに資格などないはずで、自分は彼のことは絶対に忘れたくはない。

今年も自分にとって大切な人をまた一人なくしてしまった。

生きている限り自分の大切な人をなくしてゆくのは仕方がないにしても、うらみ骨髄の人たちがあいかわらずピンシャンしているらしいことだけはどうにかならないかと思う。

といってもそういう人たちは自分より若い人が多いので逆にこっちもそう思われているかも知れない。

この人間だけは許せないと思っている人間の一人は視力が弱かった。

その人間のことは忘れようとしてもとても忘れられるものではなく最近また思い出すことが多くなった。

自分はとにもかくにも五体満足でこのように視力が衰えることもなく上のような写真を撮ってブログを更新したりしている。

これがばれたらきっと彼女はバカにするだろう。

というより全く相手にされてないわけだから、いつか「目にものを見せてやる」などと思うが、そのためにはとりあえず彼女にも長生きしてもらって目も大事にしてもらわないと困るなどとも思う。

というわけで自分はすごく性格が悪いわけだが、性格が悪くなったのにもそれなりに理由があることだけは分かってほしいなどと誰に言うともなく書いておこう。

ただの椅子の写真ですが

2005-12-09 23:02:17 | つぶやき

これは都内某所にあった椅子であるが、こういう椅子を見るとすぐに座ってみたくなる

なぜ座りたくなるかというと、自分は数年来腰痛に悩まされているからである

今日は特にそれがひどかった

家を出る前からいきなり背中全体にまるで電気ショックでもあびたかのような痛みが走って、背中中が固まってしまうような感じさえした



短い時間ではあったけれど、以前にも電車の中でも同じような体験をしたこともある

歩いていてもやはり腰というか背中が痛くてこういう椅子を見るとその上でのけぞってみたりしたくなって実際やってみた


少しよくなった

別に腰はあまり使わないし、わたしというかこのブログが嫌いだけども、いろいろな理由から見てる人もいるかもしれませんが、まだまだ長生きしますんでよろしくお付き合いください