私たちが、小さな地域を活性化させるために奮闘している中、日本は不穏な空気に包まれています。
感情が先走った一国の首相が歴史的転換に踏み切ろうとしています。9条の改正議論が活発になろうとしています。
「9条を改正するから国民は今までと同じ平和な日本が続くと思わないでそれなりの覚悟をしてください。」「全国民で悪に立ち向かいましょう。」
「日本も武力で平和貢献する時がきました。」
ということになるのでしょうか。
これまで、武力で平和な世界が取り戻せた過去があったでしょうか。強い国が武力で制圧すれば、それは見せかけの平和で必ずどこかに取り返しうとする分子が生まれてきます。
一体、人々はいつまで同じ過ちを繰り返すのでしょうか。
後藤健二さんが望んできたことと全く反対の方向へ進んでいくことになれば、彼の今までの努力もそして死も無意味なものになってしまうのではないでしょうか。
私のようなものが地方の片隅で、憂いていても仕方ないのかもしれませんが…。
後藤さんが見た紛争地帯の現実。
国の平和や正義いう名のもとに犠牲になるのは常に武器を持たない一般市民、女性、子供たち。
日本も体験してきました…。
日本が学校で近代以降の歴史をすっとばしてきたことが、今の戦争を体験しなかった世代に戦争と平和について考える機会をもたらさなかったことが、
日本を再び武力で世界の平和に貢献(?)できる国にしようとしているのでしょうか。
若い世代には過去に戦争によってどんな人たちが悲しんだり傷ついたりしたか知ってほしいと思います。戦争を始めたときは、誰もがこの日本にいて空襲や、原爆で命を奪われるとは思わなかったはずです。どこか、遠くで自分とは関係のないところでやっていること、くらいの認識だったと思います。
しかし、身近な人たちが兵隊として戦地に駆り出され、戦死し、いよいよ国内にいても空襲で多くの一般の人たちの命が奪われ、そこではじめて戦争の怖さ、悲惨さを知ったのです。
戦争とはお互いの正義のぶつかり合いです。
怒りは決して世界を平和にしません。
感情が先走った一国の首相が歴史的転換に踏み切ろうとしています。9条の改正議論が活発になろうとしています。
「9条を改正するから国民は今までと同じ平和な日本が続くと思わないでそれなりの覚悟をしてください。」「全国民で悪に立ち向かいましょう。」
「日本も武力で平和貢献する時がきました。」
ということになるのでしょうか。
これまで、武力で平和な世界が取り戻せた過去があったでしょうか。強い国が武力で制圧すれば、それは見せかけの平和で必ずどこかに取り返しうとする分子が生まれてきます。
一体、人々はいつまで同じ過ちを繰り返すのでしょうか。
後藤健二さんが望んできたことと全く反対の方向へ進んでいくことになれば、彼の今までの努力もそして死も無意味なものになってしまうのではないでしょうか。
私のようなものが地方の片隅で、憂いていても仕方ないのかもしれませんが…。
後藤さんが見た紛争地帯の現実。
国の平和や正義いう名のもとに犠牲になるのは常に武器を持たない一般市民、女性、子供たち。
日本も体験してきました…。
日本が学校で近代以降の歴史をすっとばしてきたことが、今の戦争を体験しなかった世代に戦争と平和について考える機会をもたらさなかったことが、
日本を再び武力で世界の平和に貢献(?)できる国にしようとしているのでしょうか。
若い世代には過去に戦争によってどんな人たちが悲しんだり傷ついたりしたか知ってほしいと思います。戦争を始めたときは、誰もがこの日本にいて空襲や、原爆で命を奪われるとは思わなかったはずです。どこか、遠くで自分とは関係のないところでやっていること、くらいの認識だったと思います。
しかし、身近な人たちが兵隊として戦地に駆り出され、戦死し、いよいよ国内にいても空襲で多くの一般の人たちの命が奪われ、そこではじめて戦争の怖さ、悲惨さを知ったのです。
戦争とはお互いの正義のぶつかり合いです。
怒りは決して世界を平和にしません。