望子のただいま稽古チュッ!

稽古、公演、プライベート
・・・オバサン役者、木村望子の日々。

吉祥寺南病院

2024-09-05 14:49:24 | 暮らし・花・趣味


たまには真面目な話をします。

今から3、4年前、

施設に入っていた母は年じゅう体調を崩して、救急車のお世話になっていた。

ちょうどコロナの真っ最中、必ず発熱もしていたから、
毎回救急車の中で何時間も搬送先を探してもらう生活だった。


その日も突然倒れて頭を打って出血し、救急車をお願いした。

搬送先を4時間以上探してもらって、既に夜中の2時。

それでも搬送先が見つからなくて、
救急隊員の方が「ちょっと遠くなりますけど、いいですか」
と連れて行って下さったのが吉祥寺南病院だった。

はっきり言って、決してきれいな病院じゃなかった。

いつも搬送されるような広々とした病院でもなかった。


でも真夜中の救急で頭を血だらけにして運ばれた母を、

看護師さん2人が笑顔で元気づけながら処置をしてくれた。


そして処置が終わると突然、事務局にいるスタッフさんに、

「こちら救急ですが、そちらにブラシかクシあります?」と電話。

訳がわからずぼーっとしていた私に、

「このままじゃ髪がもつれて、後で痛いから」と、

すぐに来てくれたスタッフさんからクシを受け取り、そっとそっととかしてくれた。

 

既に時間は4時ごろ。もう少しで夜が開ける。

そんな時、96歳の母の髪まで考えてくれた看護師さんたちは、
最後まで元気に明るく対応してくれた。

クシを持ってきたスタッフさんにもお礼を言うと、
爽やかに「いえ、なんてことないですから」と言って去っていった。

 

母のことで、何度も何度もあちこちの病院にお世話になった。

お世話になっていて文句は言えないけど、それはそれはいろいろな病院があった。

母が声をからして「お願いします。どなたかお願いします」
とずっと呼ぶ声を聞きながら、

「あれだけ頼んでるので、お願いします」と泣きながら訴えても、

先生には「さっき説明は済んでるので」と無視されて、

事務のスタッフさんは部屋の奥でお喋りして聞こえないふり。

でもこれ以上こちらが怒って、これ以上母への対応が悪くなったらと思うと、
母が必死で人を呼んでいる声を聞きながら、我慢するほかなかった。

今でもあの母の声は私の耳から離れない。

 

でもここの病院は違った。

結局母は2週間近く入院して、当然あの頃は、私は病室には行けなかった。

その代わり、看護師さんやスタッフさんが消毒したスマホで母の様子を写して、
一生懸命話をさせてくれたり、顔を見せてくれた。

もちろん当時は、他の所でもそういうシステムがあった。

ただ、その親身になり方というか、その違いは人間だからすぐにわかる。

この病院で会った人みんなが、親切で明るくて、そして本気だった。

 

そして退院の日、

最初に持って行った、施設で使っていた山ほどの薬は手つかずで戻ってきた。

そして、
「これが病院で飲んでいたものです」と渡された薬を見て驚いた。

たった2種類。若い人が病院で処方されるレベルの少なさ。

そして母は、その時期はとても元気になって、頭もはっきりとしていた。

薬を減らすのは、それだけ人の手がかかるし、大変なことだと思う。

だから施設にそこまでをお願いすることはできない。

ましてや病院の場合は、それだけ「儲からない」ということでもある。

 

だけどここまでやってくれた病院のことは、今でも感謝とともに忘れない。

本当に嬉しくて、アンケートがあったときには、
裏にまでぎっしりと感謝の言葉を書いたくらい。
いくつも病院を転々としたからこそわかる、特別な病院だった。

その病院が消えてしまう、という記事を新聞で読んで愕然とした。

と同時に、

薬も減らして、スタッフさんがあれだけ手を尽くして働いてくれてたら、

そりゃ儲からないだろうなと思ったことも確かだった。


これが現実。

そう、これが現実なんだよね。



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