たまには真面目な話をします。
今から3、4年前、
施設に入っていた母は年じゅう体調を崩して、救急車のお世話になっていた。
ちょうどコロナの真っ最中、必ず発熱もしていたから、
毎回救急車の中で何時間も搬送先を探してもらう生活だった。
その日も突然倒れて頭を打って出血し、救急車をお願いした。
搬送先を4時間以上探してもらって、既に夜中の2時。
それでも搬送先が見つからなくて、
救急隊員の方が「ちょっと遠くなりますけど、いいですか」
と連れて行って下さったのが吉祥寺南病院だった。
はっきり言って、決してきれいな病院じゃなかった。
いつも搬送されるような広々とした病院でもなかった。
でも真夜中の救急で頭を血だらけにして運ばれた母を、
看護師さん2人が笑顔で元気づけながら処置をしてくれた。
そして処置が終わると突然、事務局にいるスタッフさんに、
「こちら救急ですが、そちらにブラシかクシあります?」と電話。
訳がわからずぼーっとしていた私に、
「このままじゃ髪がもつれて、後で痛いから」と、
すぐに来てくれたスタッフさんからクシを受け取り、そっとそっととかしてくれた。
既に時間は4時ごろ。もう少しで夜が開ける。
そんな時、96歳の母の髪まで考えてくれた看護師さんたちは、
最後まで元気に明るく対応してくれた。
クシを持ってきたスタッフさんにもお礼を言うと、
爽やかに「いえ、なんてことないですから」と言って去っていった。
母のことで、何度も何度もあちこちの病院にお世話になった。
お世話になっていて文句は言えないけど、それはそれはいろいろな病院があった。
母が声をからして「お願いします。どなたかお願いします」
とずっと呼ぶ声を聞きながら、
「あれだけ頼んでるので、お願いします」と泣きながら訴えても、
先生には「さっき説明は済んでるので」と無視されて、
事務のスタッフさんは部屋の奥でお喋りして聞こえないふり。
でもこれ以上こちらが怒って、これ以上母への対応が悪くなったらと思うと、
母が必死で人を呼んでいる声を聞きながら、我慢するほかなかった。
今でもあの母の声は私の耳から離れない。
でもここの病院は違った。
結局母は2週間近く入院して、当然あの頃は、私は病室には行けなかった。
その代わり、看護師さんやスタッフさんが消毒したスマホで母の様子を写して、
一生懸命話をさせてくれたり、顔を見せてくれた。
もちろん当時は、他の所でもそういうシステムがあった。
ただ、その親身になり方というか、その違いは人間だからすぐにわかる。
この病院で会った人みんなが、親切で明るくて、そして本気だった。
そして退院の日、
最初に持って行った、施設で使っていた山ほどの薬は手つかずで戻ってきた。
そして、
「これが病院で飲んでいたものです」と渡された薬を見て驚いた。
たった2種類。若い人が病院で処方されるレベルの少なさ。
そして母は、その時期はとても元気になって、頭もはっきりとしていた。
薬を減らすのは、それだけ人の手がかかるし、大変なことだと思う。
だから施設にそこまでをお願いすることはできない。
ましてや病院の場合は、それだけ「儲からない」ということでもある。
だけどここまでやってくれた病院のことは、今でも感謝とともに忘れない。
本当に嬉しくて、アンケートがあったときには、
裏にまでぎっしりと感謝の言葉を書いたくらい。
いくつも病院を転々としたからこそわかる、特別な病院だった。
その病院が消えてしまう、という記事を新聞で読んで愕然とした。
と同時に、
薬も減らして、スタッフさんがあれだけ手を尽くして働いてくれてたら、
そりゃ儲からないだろうなと思ったことも確かだった。
これが現実。
そう、これが現実なんだよね。
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