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今日、仕事の流れで某ファミレスでミーティングをした。
成り行き上、勘定は私が払ったのだが、店を出ると皆から
ご馳走さまと言われた。
この言葉は現代では、上のような状況で良く使われる。
だか本来「馳走」とは、馬に鞭打ち馳参ずる様を行ったらしい。
いざ合戦の時に大将の元へ、各武将が兵何百を連れ馳走するのである。
その場合、出した兵の食料や糧(かいば)などは馳走した武将が負担する。
こういった事が拡大解釈され、
時と共に使う範囲も広がり、今のような使い方となったのであろう。
この様に言葉の語源は、意外なところから発していることが多く、元来の意味には
その時代や人々の生活や願いもこもっていたのかも知れない。
たとえば料簡(了見)と言う言葉は、元々仏典の中の言葉で料は「考え」
簡は「選択」をあらわしていた。つまり人が考えて選ぶ様のことであった。
しかし、この言葉が日本に伝わりその意味合いが少しづつ変化した。
しっかりした考えを持ち、最良の選択をして国や人をよき方向へ導き、
民を救うリーダーを「料簡の良い人」などと言う様になったのだ。
おそらくその背景には、困窮した人民の願いが隠されていたのであろう。
この様に時代と共に多くの人の願いが込められた言葉には、
魂がありそして力があると考えられないだろうか。
言霊の思想も、本来の語源を辿り変化を見る事により、
薄っすらとだが理解できるような、気がするこの頃である。