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雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(122」

2020-12-22 20:57:39 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(122」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/221(2020/12/21/月】このところとても寒くなった。一昨日には短時間だがアラレが降ってきたのには驚いた。昨日もチャリ散歩に出かけたが、枡形城址公園の展望台からの眺めは素晴らしかったものの、冷たい風が強く、鼻水と涙が出て「うー、たまらん」逃げるように帰ってきた。


くしゃみと悪寒もあって何やらヤバ・・・お気に入りの薬(ペレックス)を飲んだが、やせ我慢してもいいことはなさそうなのでエアコン暖房21.5℃で養生した。体力がないから無理できやしない、チャリ散歩もいつまでできるやら・・・なんてちょっと弱気、そのうち病気、やがて寝たきり、あの世行き、軌道に乗って打ち上げ成功、天から眺める地球は・・・


「人間増え過ぎ! 60年前、1960年は30億人、今は77億人、2.5倍増。地球にとって最大の脅威は人間だ!」


増えるのはいいだろう、ただ「過ぎたるは及ばざるごとし」。人が良すぎる、美人すぎる、頭が良すぎる、強引すぎる、偉すぎる、強すぎる、快適すぎる、厳しすぎる、乱暴すぎる・・・人間は増え過ぎだ。


天の配剤、天の秩序から人間は「はみ出し過ぎ」てしまった。想定外の、でたらめな、不健康で、不道徳な、欲望だらけの、奇妙奇天烈で、傲慢な、空っぽの人間、社会が生まれてしまったのではないか。我らの内なる三島は嘆いている。


1960年頃までアマゾン熱帯雨林の中で人間は、時に自然の恵みに感謝し、時に自然の猛威に畏れながら、数千年、数万年生きてきた。今は自然は「人間の善意にすがって」生きさせてもらっている、ほとんど絶滅危惧種、あるいは絶滅移行期。地球にとって人間は最悪最強の「悪性地球破壊動物」になった。


地球動物園で人間だけが異常に増え、他の動植物の生存空間が圧迫され、かつ環境汚染も拡大している、そんな感じ。正論ではないか。


1960~70年、人口30~35億人の頃、公害・環境汚染とか温暖化などほとんど議論されなかった。母が「うるさくて眠れない」と言っていた程の秋の虫は、60年頃に「あれ、いつの間にかいなくなった」・・・世界中の都市圏はみな「沈黙の春」になっていったのだ。


♪あれ 松虫が鳴いている ちんちろちんちろ ちんちろりん
あれ 鈴虫も鳴き出した りんりんりんりん りいんりん
秋の夜長を 鳴き通す ああ おもしろい虫のこえ


やがて鳥の声、セミの声も消えていくだろう。


当時は温暖化ではなく、むしろ「寒冷化」が危惧されていた。原因は「太陽の黒点活動が減少しているから」というのが圧倒的に気象学界の主流だった。ところがそれ以降は違う。なぜ?


寒冷化を唱えても研究開発資金は出ないが、温暖化対策には資金が付いたからだ。カネ、勢いに人は群がる。小生も「日本人は戦前は年間1500万も訪中した、これからは中国旅行だ、それ行け、やれ行け、どんと行け!」と煽って儲けたものだ。気象学者を責められやしないが・・・


<太陽黒点の極小期(黒点が少ない時期)は太陽の活動が少なく、磁場も弱くなるとされています。1645年~1715年の70年間は黒点がほとんど観測されない「マウンダー極小期」と呼ばれ、各地で寒冷化現象が起こる異常気象に見舞われました。


しかし黒点の多い極大期と少ない極小期を比較しても、その違いはほとんどなく、光の放射量が0.1%変動するだけでした。そのため黒点の数と異常気象に関して因果関係は判明していません。


(むしろ)太陽黒点の数は「景気変動」に関わりがあるとされています。確実な説ではありませんが、過去の金融危機が起こった際に黒点の数が異常なほど少なかったのは事実です。


逆に黒点の数が多かった時期は産業革命や明治維新、いざなぎ景気など好況の時期と一致し、黒点の増減は景気変動に影響しているのではないかと考えられています>(Rekisiru)


黒点が多い=太陽光が微増すると、何らかの理由で人間(生物)は「元気、積極的、能動的」になり、黒点が少ないと「弱気、受け身、守勢」になるのか・・・面白い説だ。地球を多くの生物を育む「生命体」と解釈すれば、黒点の少ない今は「地球もイマイチ元気が出ない寒冷気候の氷期に向かっている」という説も成り立つだろう。


逆説があろうが100年200年後の気候なんて誰もチェックできないから神学論争、この際は信仰心を固めた方が勝ち、信心に濁りは禁物、ひたすら現世利益を信じるのが金儲けのコツだ。今のところオッズは温暖化が2倍、寒冷化が7倍あたりか。そのうち逆転するだろう。


現在の地球は長期スパンでは「寒冷化しつつある」と思う。逆に「温暖化しつつある」とすれば、それは自然を破壊、棄損する人間の急激な増殖、パンデミックこそが最大の原因であり、「人間の無謀な増殖を抑え、自然を回復すること」こそが喫緊の課題ではないのか。


人口が急増するとは、住居などの建物が増え、食糧増産のために田畑、牧場なども増えることだ。それは森林、植物、動物の多様性が消えていくことになる。母なる大地、地球にとって耐えられないほどの人災だ。誰かが No More Human Beings と声を挙げなくてはならない。学者はカネと世論に媚びるからそんなことは言わないが、事大主義だから明日はヘンシーン・・・大いにあり得る。


始めの一歩は「増殖=出産を抑える」こと。ただ、先進国はいずこも生産人口減に直面しているから、むしろ増殖か維持が奨励されるべきで、「増殖を抑える」のは基本的に後進国での話になる。自らの力量に合った出生率にしてくれ、ということ。他国の援助なしで育てられる範囲で繁殖するのが当たり前のルールではないか。


「人道」の名のもとに後進国の“可哀想な人”に食糧や医療を提供する・・・各国の自主的な発展を歪める余計なお世話、自己満足の喜捨、あるいは宗教の布教という洗脳(やがて占領)が目的なら邪道だ。エサ不足で山から里に出た熊を殺すくせに、他国に押し寄せた人間は保護する・・・これはインモラルだろう。自然の摂理を侵す身勝手、“私はいい人病”。


地球、生物の最大の敵は人間である。恐ろしいほどの害獣=人間が消えたチェリノブイリは今は「野生の王国」になっている。「カラパイア」2019/5/13から。


<1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所4号炉がメルトダウン。事故直後から除染作業が開始されるも、近隣で暮らしていた35万人以上の住人が避難を余儀なくされ、発電所周辺は立入禁止となった。


このあたりは今日でもなお、立ち入りが厳しく規制されており、かつての住人はいまだ帰還できぬままだ。この悲劇は、史上最悪の原発事故として人類の歴史に刻まれている。あれから33年、この地は野生動物たちの楽園となっている。


この時を生き残った動物もほとんどいないので、一帯は不毛の死の砂漠になってしまったと思われた。放射性物質が分解されるまでに非常に長い時間がかかることを考えれば、何世紀もの間、ここに生き物が寄り付くことなどないだろう、と。だがそうではなかったようだ。


事故から33年が経過した今、ウクライナとベラルーシにまたがるチェルノブイリ立入禁止区域には、ヒグマ・バイソン・オオカミ・オオヤマネコ・モウコノウマといった大型哺乳類や、200種以上の鳥類などが暮らしている。中長期的に見た場合、原発事故よりも人間の活動の影響のほうがはるかに有害だったということである>


原発は1950年代から普及し始めたが、原発の放射線被曝で死んだ人は世界中で累計50人ほど、スリーマイル島原子力発電所事故(米国、1979年3月28日)ではほとんどないとか言われていた。


しかし、この頃から原発反対派が台頭して、因果関係が分からない死者も原発事故死に数えたりすること、またチェルノブイリや福島の事故でも数年後の病死が事故由来かどうかは判断が難しいから、今では実態をとても把握しにくい。原発は科学ではなくまるでイデオロギーのマターになってしまった。


<福島の人々にありもしない放射能問題をぶつける活動家たち『月刊Wedge』大江紀洋編集長


不幸なこととも言えるのだが、福島の人たち、特に浜通りの人たちは、放射線に関して世界で最も詳しくなっている。外部被ばくも内部被ばくも、事故直後に心配したほどの問題はないことをよく知っている。


そんな地元の人たちは、県外から投げつけられる無知・無理解な報道と、お節介を超えてただただ迷惑な声に、疲れ切ってしまっている。


活動家が、自らの存在価値を守るために、意図的に倒錯して騒ぎ立てるのはある意味で仕方がない。問題は、専門家を称する人たちや、報道を名乗る者たちがそれに乗っかって、拡散させることだ。読む側がリテラシーをつけて、これらの記事を排除していくしかない>(イロンナ)


小生は環境改善の一丁目一番地は「人口抑制、人口縮小」だが、ポリコレ病(PC)の一種「自然環境優先症」患者は「原発ゼロ!ゼロ・エミッション!」を叫んでいる。特にドイツ人は「頭が良い、信仰心が強い、信じやすい、正義が大好き、自信たっぷり、そして騙されやすい」、病膏肓、重篤の「私は正義病」で、いささか滑稽になってきた。川口マーン恵美氏「住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち」から。


<(東日本大震災・福島原発事故から間もない)2011年6月30日、ベルリンの連邦議会で「脱原発法」が可決された。30年来の戦いに終止符を打ったのだ。日本がすべてを変えたのだ。


しかし、原発を停止し、電力の不足分を再生可能エネルギーに置き換えることは決めたものの、それをどうやって実現するかが全く考えられていなかった・・・


思い起こすと、ドイツ人はその時が幸せの絶頂だった。EU内で孤立しつつも脱原発に向かって突き進む自分たちの姿に、国民はほとんど恍惚状態だった。脱原発のためなら生活が少々不便になっても構わないと本気で思っていた。


ドイツ人にとっての脱原発は、停電の心配がなく、冬の夜中もベッドの中で震えることなく、蛇口をひねればいつでも熱いお湯が出るのが前提だ。その快適さを手放すことなど想像さえできない。


ヨーロッパ全体で原発建設ブームのよう。特に東欧諸国とロシアが熱心だ。ロシアは、天然ガスは西ヨーロッパに高く売れるので、自国で消費するのはバカバカしい、自分たちの電気は原発で賄おうとしているわけだ。


東欧ではエネルギーでロシアに首根っこを押さえられたくないから原発を建て、そのうちドイツで電力が不足したら原発で発電した電気を売っていく腹づもりだろう。


完全な脱原発と再生可能エネルギーの推進を貫徹しようとしているドイツが、将来、原発の国に囲まれてしまうというのは、何だかとても悲しい図に思えて仕方がない。


今のドイツのエネルギー政策は矛盾が多い。天気次第の風力や太陽光による再生可能エネルギー発電が増えれば増えるほど、バックアップのために安定的な化石燃料による発電所が必要になる。今でも電力の4割以上が石炭と褐炭に頼っているのに、多くの国民はそれは過去のもので、どんどん閉鎖されていると思っている・・・>


知りたくない現実には目を背く「見ちゃダメ!」、都合のいい話は針小棒大に「狼だ、狼の群が来た!」・・・アカの常套手段だ。


地球環境の改善には「人口抑制、人口縮小」が肝腎だと思うが、戦後の日本を見ても目先の経済発展には人口増がとても効果的なことは分かる。ただ、先進国における著しい経済発展、満足感、福祉向上、セイフティネットは、人間の初期設定の「子孫繫栄、増殖の本能」を弱める結果になっている。老後の不安が薄いのだから、子供はせいぜい2人まで、いなくても困らない、結果的に人口減、低成長、やがて人口も経済もマイナス成長になる。


つまり、先進国がそれを成り行きのままに受容していれば、いずこも「老大国」になり、それは国力の低下、賃金の低下、福祉の低下になり、放置すれば二流国、三流国になってしまう。どうすればいいのか。ドイツでは低い出生率を補うために移民を受け入れた。エマニュエル・トッド講演「混迷する世界と日本の針路」2016年1月から。


<ドイツでは(先進国発展の指標の一つである)男子の高等教育の進学率は停滞どころか低下しています。出生率は1.4で、少子高齢化が急速に進んでいる。ドイツを安定した社会とは決して言えない。そういう不安定なドイツに率いられている以上、地政学的にヨーロッパは安定の極とは言えません。


ドイツはパワーを求め、戦略的に絶え間なく労働力人口を獲得しようとしています。南欧に対しれも、東欧に対しても、安価で良質な労働力を求めているように見えます。中東からの大量難民受け入れも表明しました。


現実を客観的に見れば、ドイツによるシリア難民、中東移民の大量受け入れは危険な行為と言わざるを得ません。文化的な差異を簡単に見くびるとしっぺ返しを食う、無視できないものです。


ドイツには大勢のトルコ系移民が暮らしていますが、ドイツ人社会と大きな文化的違いがあり、彼らの社会統合は成功しているとはいいがたい。それにもかかわらずドイツはシリア移民を大量に受け入れようとしています。


人口問題を安易な方法、人口減少を手っ取り早く移民で補う安易な政策によって、自ら危険を引き寄せているのです。


今日、ヨーロッパは非常に不安定な状況にあります。今後の20年は、EUが一体性を強めて堅固になっていく時代というよりは、むしろEUは瓦解していく時代となると思われます>


この講演から4年後、英国がEUから離脱した。人口減少による経済パワーの低下を安易な移民受け入れで補強するという政策は無理筋なのだ・・・庇を貸して母屋を取られる。それでは他策は何か。先進国は出産を奨励しつつ、GDP至上主義を改めてGDP低下を容認するしかないだろう。


先進国がこれまでのような競争を緩め、協調して「GDPを+-1%に抑える」「政治難民以外の受け入れは当面抑制する」というような取り組みが必要ではないか。


資本主義自由経済は1990年代のICT革命以来、技術競争が急速に拡大し、企業や家庭が最新機器を導入しても数年後には時代遅れで修理もできない、保存していたフロッピー、CD、MDなども再生できない、βやVHSの再生機がない・・・一世を風靡した8ミリフィルムは「放送博物館でしか再生できない」とTV屋が嘆いていたものだ。


新製品が津波のように日々押し寄せ、旧製品がどんどんゴミになっていく。リサイクルするにせよ、それはまたエネルギーを消費する。壮大な無理と無駄の連鎖。インモラルそのものだ。こうした狂気的、末期的、無節操な経済システムをいい方向へ導く国際戦略というか地球戦略が今、我らに求められている。


美味しいものをいっぱい食いたい、素敵なものをどんどん買いたい、地球をきれいにしたい・・・そんな旨い話はないで。欲少なく足るを知る、足るを知りて分に安んずる・・・ちっと我慢すれば5年後10年後には地球は結構きれいになる。コロナ禍転じて福となせ、まずはできることから始めよう。わしゃ土葬とかで森の肥やしになってもいいなあ。目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp



雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(121」

2020-12-20 09:23:48 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(121」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/220(2020/12/20/日】かつて日本の食生活は「米の飯が食えれば御の字」という「粗衣粗食」時代がずーっと続いていた。江戸時代は人口の7割を占める農民は「米=納税物資」で、めったに口にできなかった。生産性が低くて万年食糧難、250年間人口は2500万前後と低迷していた。


1957年に小1だった小生は学校から帰ると、残りメシで「味噌おにぎり」を作って食べ、遊びに出かけた。ごくたまにふかしたサツマイモやトウモロコシがあれば御の字。夕食でさえ、ご飯、味噌汁、漬物、佃煮、メインはガンモドキと野菜の煮物とか。メインはたまにライスカレー、焼き魚(鰯、鯵開き、秋刀魚開き)になったが、煮物が定番だった。


卵は1個10円、コロッケと同じで今なら100~150円あたりの高級品で、病気の時には卵と牛乳が登場した。父が公務員の時は給料日前の3日、4日は金欠で煮込みうどんが続き、子供ながら「またか・・・」と思ったものだ。


庶民は大体こんなものだから「貧しい」なんて思わない。友達の家で豚肉入りのカレー(我が家では肉の代わりに鯖缶!)を初めて食べ、びっくりしたのは小3だった。開きではない本物?の秋刀魚を食べたのは小5で、これまたびっくりした。


庶民とは言え当時でもそこそこ格差はあったので、友達から「君んちはいいもんを食ってる」と言われて、またまたびっくりした。1か月くらいご飯と福神漬けだけで暮らしていたお兄さんもいたが、就職したのだろう、「パリッとした背広を着て挨拶に来た」と母がびっくりしていた。


戦争末期や戦後の食糧難の頃の「ひもじさ」「貧しさ」「惨めさ」はなく、明るい未来を信じられる時代になったのだろう。1960年の安保騒動後に池田総理は「所得倍増計画」を唱えていた。1962年頃には学校給食の、あのまずい脱脂粉乳(スキムミルク)を残す生徒が増え、小生は一升瓶に入れて犬にくれてやったものだ。


1964年の東京五輪前後から食生活はかなり変わっていき、それまでは寄生虫を恐れて生では食べない生野菜サラダが登場、焼きそば、スパゲティ、肉野菜炒め、開きではない丸ごとサンマ、すき焼き、おでん、ステーキ・・・食卓革命、三種の神器の生活革命が凄い勢いで進んだものだ。


「衣食足りて礼節を知る」のではなく色キチ〇イ、肥満、貪欲、拝金主義が蔓延した。まるでポンペイ、ソドム&ゴモラの世界、これが人類の初期設定なのだろう、先進国から始まり、今や後進国もその道を辿っている。その過程で、消滅した大国がある・・・“アカの祖国”ソ連だ。


1968年1月、石油輸出国機構 (OPEC) とは別組織として、クウェート・リビア・サウジアラビアの3カ国(現在は10か国)で「アラブ石油輸出国機構」(OAPEC)が結成された。盟主はサウジである。以下「ロシア・ビヨンド」から要約する。


<1973年10月、OAPECは、第4次中東戦争でイスラエルを支援した国、カナダ、日本、オランダ、イギリス、アメリカに対する制裁として石油販売を停止した。同年12月までに、OAPECの生産高は4分の1にまで落ち込んだ。世界を激震させた「オイルショック」である。


(日本の女にとっては“トイレットペーパー騒動”として記憶されているだろう、それはとても健全なこと。女を政争に巻き込まないことで大事な田畑、油田を守っているわけ。種は不足しない)


OAPEC諸国にとり米国その他の先進国は重要な顧客ではあったが、生産コストが低いため、米英などに販売しなくても国際収支を維持できた。だからこそ制裁可能だった。


この決定は世界的な景気後退と経済危機を起こした。1974年の禁輸措置終了までに、石油価格は1バレル3ドルから12ドルへと4倍にハネ上がり、米国ではさらに値上がりした。サウジ王家は瞬く間に莫大な富を得て、繁栄を謳歌した。


この状況はソ連にとっても非常に有利だった。ソ連は石油・天然ガスの採掘量を増やし、すぐに石油とガスの主要生産国の一つになった。石油・ガスによる収入は国民所得の半分以上を占めるにいたったのだ。


1973年のオイルショックは長期的な結果ももたらした。同じガソリンタンクで2倍走れる日本製自動車が市場をリードするようになり、米国その他の西側諸国は、新しい石油鉱床と原油採掘の技術改良を模索し始める。その間もソ連は依然として原油販売で莫大な利益を上げていた。


1980年代の初めまでに、米国その他の「第一世界」による共同の努力は報われ始める。過剰生産のために原油価格が下がり出したからだ。


1986年、チェルノブイリ原発事故が発生すると、米中央情報局(CIA)長官を務めていたケーシーがサウジを訪れ、ファハド国王と交渉した。ケーシーが帰国した後、サウジは価格がまだ低いにもかかわらず、その採掘量を急速に増やし始めたのである!


4か月の間に、サウジの採掘量は日産200万バレルから1000万バレルに増え、価格は1バレル32ドルから10ドルに急落した。


ソ連経済にとっては、石油による大収入はすでに基盤になっていたため、価格暴落は致命的な打撃になった。1986年だけでも、ソ連は200億ドル(ソ連の歳入の7.5%)以上を失い、早くも財政赤字を抱えていた。


しかし、サウジ経済にとっても低価格は打撃だったはず。ならば、なぜ彼らは急激な増産を敢えてしたのか?


レーガン米大統領の国家安全保障問題担当大統領補佐官だったアレンの意見では、ケーシーがその措置と引き換えに、財政的補償を提案したという。この意見は、1986年にサウジ石油の80%が米国のメジャー、エクソン、モービル、テキサコ、シェブロンを通じて販売された事実で裏付けられる。


ソ連は1985~1986年の石油暴落危機後、不況に陥った。すでに不健全だった統制型のソ連経済が崩壊するには十分なインパクトだった。1986年、ソ連の対外債務は約300億ドルだったが、1989年までに500億ドルに達した。


石油危機は、米国がソ連との冷戦に勝つ上でも大いに役立った。経済不況によりゴルバチョフは非常に不人気な政策決定を下すよう強いられたが、資金不足のためにほとんど希望がもてなかった。ゴルバチョフのポピュリズム的レトリックは、窮乏する国民に受けなかった。


国民は、ソ連政府の「近視眼的な行動」に対する責任を問う。またその頃、エリツィン(後のロシア連邦初代大統領)がソビエト・システム全般を厳しく批判し始める。1980年代末までにソ連の崩壊はほとんど不可避となっていた>


ソ連でも貿易制限されていたとはいえ「石油輸出」という稼ぎ頭=ドル箱が、激安商戦で儲けが吹っ飛ぶどころか大赤字、操業を止めるしかない。国民所得の半分が消えてしまえば「衣食足りずば怒り心頭、政府を潰せ」となる。政府を支えるはずの役人、軍人までが共産党に愛想を尽かし、そしてソ連は消えたのだ。凄いドラマだなあ。


小生は「イスラム・スンニ派の盟主サウジはオイルビジネス上、西側にも東側にもつかないようにしている、でも最新兵器は米国製だ、どうなっているんだろう」と思っていたが、実はサウジの“育ての親、乳母”は米国だったのだ!


<1930年代初め、世界の辺境であったアラビア半島に位置する第三世界の国家として、サウジアラビア王国が成立した。これに先立ち、イブン・サウード王はベドウィンの軍隊を率いて、1926年にヒジャーズ王国(イスラム教の聖地、メッカとメディナを有していた)を制圧し、自身の権威の確立を宣言した。


突然、ソ連は他の国に先駆けて、この新王国を承認する。イブン・サウードとその臣下は、イスラム教内の厳格なワッハーブ派を信奉していた。その彼らがどうしてソ連と良好な関係をもてたのか? ソ連はマルクスとレーニンのみを崇拝し、無神論的な国際革命運動を支援していたというのに?


要するに、それはすべて政治的方便だ。ソ連にとって重要なのは、この地域の「反英的な、独立したアラブ諸国を支援すること」だった。「アラビア半島の重要性は年々高まっている。この地域における独立国家の存在が非常に重要であることは明らかだ」とソ連はサウジに秋波を送ったわけだ。そこで彼らは、無神論と革命については、口を閉ざしておくことにした。


ところがソ連とサウジの関係は、わずか5年後に完全に悪化してしまう。ソ連が自国のイスラム教徒の国民に対し、メッカとメディナへの巡礼を許さないことだった。これは(神マルクス、予言者レーニンというML教の)共産主義国にとっては受け入れがたいことだった。


こうして1938年以来、ソ連とサウジの関係は基本的に存在しなくなった。その同じ年、米国がサウジで主導権を握り(しかも苦労の末に)石油を見つけた。以来、遊牧民に支配されていた砂漠のど真ん中の王国が、戦略的に重要な国に変貌した。(横綱米国の粘り勝ち)


ずっと後の1985年、サウジによる石油増産の決定と価格暴落は石油輸出国であるソ連に大きな損害をもたらした。(横綱露助、本日より休場)


サウジによる石油のダンピングがソ連を終焉に導いたという説は単純化されすぎているが、サウジの政策がソ連経済の状態を悪化させたことは確かだ。スターリンがこんな結末の可能性を知っていたら、彼は多分(サウジとの友好を進めた)自分の外交官を(スパイとして銃殺刑にすることなく)まともに扱っていただろう>


うーん、凄いドラマだなあ、事実は小説より奇なり、「鬼滅の刃」より面白いかも。次は「カネの切れ目が縁の切れ目 中共・習近平 地獄の道行」とか書きたいものだ。目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp



雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(120」

2020-12-18 20:46:31 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(120」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/219(2020/12/18/金】今年の12月はベートーベン生誕250年だ。彼が生まれた1770年にはジェームズ・クックが豪州東岸に上陸しイギリス領と宣言。大航海時代真っ盛りで、武力を背景に「ここは俺の領土だ」と宣言すればいいのだから、中共もそれを倣っているわけだ。時代錯誤というか・・・


1770年、日本は明和7年で、第10代将軍徳川家治の御代。いつの世も人災、天災はつきもので、明和9年2月には江戸三大火の一つ「明和の大火」、目黒行人坂の大火事があった。この年は災害が相次いで起こり「明和九年は迷惑年」などと言われたという。


「災難を 洒落のめすのが 江戸っ子流」、今なら「令和二年は三密年」として記憶されるか。明和、昭和、令和・・・「和」をもって苦難を乗り越えよ、という神意だろうか。 


産経はベートーベンをしばしば取り上げ称賛しているが、小生はクラシック音楽をあまり好まない。よく聴いたのはJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲/フルニエ演奏、次いでヴィヴァルディ の「四季」/イムジチ演奏くらい。


1975年頃にFM東京の入社試験を受けたが、面接で「クラシックは?」と聞かれ「『四季』ぐらいです、ショスタコーヴィチの『革命』を聴いてクラシックは理解不能だと分かりましたから」と答えた。もちろん落ちた。


クラシックへの不信は中学時代に遡る。放送部に所属していたのは「朝礼と運動会に出なくていいから」という、何とも悪賢い不純な理由からだったが、昼の放送でクラシック音楽を流そう、生徒もクラシックに馴染むのではないか、「ついては音楽室のレコードを借りたい」と音楽担当教師(女)に申し入れたが拒否された。


なぜか。1)貴重なレコードを傷つけられたらたまらない。2)授業で聴かせるのは私の仕事、余計なことはしないで欲しい。そういうことだろう。


その代わりに国語教師(女)が朗読してくれるようになった。好きな先生だったが、本は吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」で、最後の方に主人公のコペル君が友を裏切り、それを悩み、やがて友が「そんなことは気にしていない」と言う、何とも現実離れした話で、「男の、いや人間の仁義に背く卑怯は絶対許さない、一生苦しめ!」と思ったものである。


戦後に岩波は日共に乗っ取られたが、吉野はそのボスだったろう、月刊「世界」を創刊し老若男女を洗脳し続けた。コペル君のように自己批判すれば許されるなんて、お伽の国じゃあるまいし、日共自体が党内批判を許さず除名処分していながら正義面する嫌らしさ。この手の輩は“信者”だから何を言っても無駄、まったく厄介、さっさと天寿を全うしてくれ!


この原稿は先日購入したベートーベン交響曲第5番「運命」を聴きながら書いているが、戦争の不気味な予感から始まり、開戦、高揚、困惑、悲しみ、そして勝利、平和を描いているようだ。初演は1808年、フランス革命(1789年)の余波が欧州に押し寄せてきた時代である。WIKIから。


<1804年5月、ナポレオンは皇帝についた。1805年、ナポレオンはイギリス上陸を目指してドーバー海峡に面したブローニュに大軍を集結させた。イギリスはこれに対してオーストリア・ロシアなどを引き込んで第三次対仏大同盟を結成。


プロイセン(後にドイツ帝国が建国され、その一部を構成)は同盟に対して中立的な立場を取ったものの1806年10月にはプロイセンが中心となって第四次対仏大同盟を結成した。


これに対しナポレオンは(速攻で)プロイセン軍に大勝してベルリンを占領し、ロシア・イギリス・スウェーデン・オスマン帝国以外のヨーロッパ中央をほぼ制圧。西南ドイツ一帯を保護国化することで以後のドイツにおいても強い影響力を持った。これらによりドイツ国家群連合(国家ではなく日本の藩に類似)である神聖ローマ帝国(幕藩体制に類似)は消滅した。


ナポレオンは1807年6月、プロイセンの49%の領土を削って小国としてしまい、多額の賠償金を課した。さらにイギリス・スウェーデンをのぞくヨーロッパ全土を制圧し、イタリア・ドイツ西南部諸国・ポーランドはフランス帝国の属国に、ドイツ系の残る二大国、オーストリア・プロイセンも従属的な同盟国となった。このころがナポレオンの絶頂期と評される。


1812年、ナポレオンは対ロシア開戦を決意、同盟諸国兵を加えた60万の大軍でロシアに侵攻する。これがロシア遠征であり、ロシア側では祖国戦争と呼ばれる。


(詳細はトルストイの「戦争と平和」に詳しいが、ロシア軍の地勢と冬将軍を活かした革新的な戦略でナポレオン軍は壊滅する)


ロシアの冬を目前にして、物資の獲得と敵の撃破のいずれにも失敗したナポレオンはフランス軍の撤退を開始。ロシアはコサック騎兵を繰り出してフランス軍を追撃させた。コサックの襲撃と冬将軍とが重なり、ロシア国境まで生還したフランス兵は全軍の1%以下の、わずか5000人であった>


ドイツ民族は1871年にビスマルクによって「ドイツ帝国」に統一されるまで、列強の草刈り場であり、バラバラに統治され、いつも戦争被害者だった。欧州には「優秀なドイツ民族を団結させたら大変なことになる」という畏怖があったのだろう。


現実に2つの大戦もドイツ民族が始めた。今のEUも「とにかく“私は正義病”のドイツ民族を封じ込める」のが主要目的のようで、マクロンはメルケルを、メルケルは国民を大人しくさせるのに四苦八苦している様子がうかがえる。


ドイツ人(神聖ローマ帝国)のベートーベンが「運命」を作曲し、それが初演された時期は、ナポレオン・フランスが大発狂、大奮発した戦争の時代であり、ドイツ民族の心は揺れに揺れていたろう。「運命」はこういう時代背景にあって「平和を求める音楽」として支持されたのではないか。「厭離穢土、欣求浄土」のドイツ版の様。


「運命」を聴き終わったが、小生のオツムでは「この作品がなぜ今なお人気なのか」分からなかった。ネットで交響曲第9番(第九)「合唱付き」も聞いたが、「戦争、不安から平和へ」というメッセージは同じようで、スケールを大きくした「運命」みたい。「合唱付き」の原詞はシラーの詩で、キリスト教徒ではない多神教の小生にはちょっとピンボケの感。


産経はクラシック音楽専門の月刊誌「MOSTLY CLASSIC」(モーストリー・クラシック)を発行していたが、かねがね「産経読者とクラシックはミスマッチだろう」と小生は思っていた。あまりにオタク的で、結局、本年10月1日付で発行元を変更、要は荷を下ろしたわけだ。


産経2020.2.22「指揮者・大友直人さん 役割は聴衆を喜ばせること 衰退するクラシックに果敢な提言」から。


<「本場の音に近づくことにのみ価値基準を置くのなら、極論を言えば、日本人が演奏する必要はないでしょう。本場から演奏家を招けばよい、ということになってしまう」


音楽が社会に果たす役割や日本人がクラシック音楽を演奏する意味について、大友直人さんは若いころから問い返してきた。


「たどりついた答えはシンプルです。いまの時代を動かす音楽を創造すること。かみ砕いて言えば、目の前の聴衆を喜ばすこと。音楽を通して日本の社会を、ひいては世界を豊かにすることです」


「残念なことに、クラシック音楽界は衰退の道をたどっている。ざっくりいえば、社会のなかで音楽が果たすべき役割を、演奏家自身、マネジメント担当者、評論家、音楽ジャーナリストがきちんと考えてこなかったことが、衰退の原因ではないかと考えています」>


音楽が多様化する中でいつまでも古色蒼然としたクラシック・・・後世に伝統を伝えることは結構だが、芸術や娯楽が多様化する中で市場を開拓していく努力を怠ればレッドブック入りになる。同窓生はコンサートホールで「ブラボー!と叫び、拍手を誘導する」バイトをしていたが、「演奏する方々に失礼がないように」という感じで、主客転倒、なんか時代錯誤の感じがする。


いずこの世界でも定番は定番として、新しい商品、スタイルにチャレンジしている。このままではオーケストラ楽師の生活さえ危うくなるだろう。


<オーケストラは演奏会の収入以外に、企業のスポンサー料や地方自治体からの補助金で活動を行っています。しかし、不況によって企業からのスポンサー料が減ったり、地方自治体の補助金が削減・カットされたりして経営状況が悪くなっているそうです。そのため、オーケストラ団員の給料やボーナス、退職金を削減したオーケストラもあります。


また、終身雇用制から契約楽団制に変えたオーケストラもありますので、オーケストラ団員の生活が不安定になっています。


オーケストラ団員は正式団員になるのがとても大変で、なったとしても給料が少なく副業をする必要があるかもしれません。そういった意味では生活は不安定です。でも、子どもに仕事を紹介しているホームページにこう書かれていました。


「生活は不安定。でも音楽を愛していれば満足度は高い」(学研キッズネット 未来の仕事を探せ!)。オーケストラ団員はたとえ給料が少なくても、音楽を愛している人がなる職業です>(ビズパーク)


創意工夫しなければそのうちクラシックは「音楽を愛している人のボランティア、趣味、道楽」になりかねない。自らが変わる努力をしなければ変化著しい時代の趨勢に置いてけ堀を食らい、自滅するのだろう。


中共も自滅してソ連のように大混乱に陥る前に、習近平一派を始末することだ。


<産経2020.12.15「ドイツ国防相、インド太平洋への軍艦派遣を表明」


【パリ=三井美奈】ドイツのクランプカレンバウアー国防相は15日、岸信夫防衛相とのオンライン対談で、独連邦軍の艦船を来年、インド太平洋に派遣する方針を表明した。南シナ海での中国の強引な権益拡大をけん制するため、「自由で開かれたインド太平洋」に協力する姿勢を明確にした。


ドイツは戦後、欧州域外での軍事作戦には慎重な姿勢をとっており、軍艦派遣は極めて異例の決定となる。


クランプカレンバウアー氏は、インド太平洋で自由な海上交通路を守ることは欧州に直結する問題だと指摘。中国を念頭に「安全保障の野心追求のため、他国に負担を押し付けるべきではない」と述べた。ドイツ海軍将校の派遣などを通じて、日本など友好国との防衛協力を進める意欲も示した。岸氏は「強く支持する。緊密に連携したい」と述べ、ドイツの方針を歓迎した。


ドイツは今年9月、「インド太平洋の政策ガイドライン」と題した戦略文書を発表。海洋秩序の維持に貢献する方針を掲げ、日本やオーストラリア、東南アジア諸国連合(ASEAN)との連携強化を打ち出していた。欧州では、フランスが2018年にインド太平洋戦略を策定し、今年になってドイツ、オランダが続いた。


クランプカレンバウアー氏は、「政治経済の中心は大西洋からインド太平洋にシフトしている」と述べ、北大西洋条約機構(NATO)や欧州連合(EU)による関与の重要性を主張した。英国とフランスはインド太平洋で「航行の自由」作戦を行っており、英独仏の欧州3カ国が軍艦派遣で足並みをそろえることになる>


トランプがEUに「安全保障を米国に頼るな、まずは自助努力しろ」とせっついたこと、またバイデンはオバマのように中共に甘いのではないかという疑念が、英独仏の対中圧力を促しているのかもしれない。日本は友好国との絆をさらに強めるべし。目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp



雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(119」

2020-12-17 06:27:03 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(119」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/218(2020/12/16/水】隣町の山裾に「帝国臓器」という製薬会社があり、そこは広大な「緑が丘霊園」の入口脇でもある。場所柄もあり、子供の頃から帝国臓器を「臓器で何を創るんだろう、不気味、怖い」と、できるだけ見ないようにしていた。「臓器の病気に効く薬を創る会社」という意味だろうとは最近気づいた。


会社沿革によると「1920/大正9年、創業者山口八十八が 神奈川県横浜市に『帝国社臓器薬研究所』として創業」、今は合併などで「あすか製薬」(山口隆社長は創業家だろう、東証1部)になり、建物を新築、庭園も整備され、何やらセレブの別荘風。入りたいけど警備の人に「シッ、シッ、霊園はアッチ」なんて言われそう。


霊園に向かうと大きな寒椿があり、樹下の歩道は赤いじゅうたんを敷いたよう、あまりにもの美しさに溜息が出る。感動するのはオツムの活性化にも効きそうだ。


読書、作文、工作、散歩、感動・・・アル中で断酒の小生の無聊を慰めるための代謝行動だが、まあ、4年間、酒がなくてもそれなりに面白おかしく過ごせるものだなあと、不思議な感じがする。本音は「ああ、呑みたい」だが。


散歩していると、特に小田急線の多摩川鉄橋下で昼間から呑んでいるヂヂイ(安価な宝焼酎やワンカップ大関が多い)を見かけるが、半年ほどで皆消える。入院か成仏するわけだ。アル中の末期は「呑まないと元気が出ないから・・・」、で朝から呑み始める。その時点では最早断酒は無理、家族が踏んじばってでも入院させないとお陀仏になる。


ほっとけば自滅するが、ワケアリで早目に昇天させたい時は「呑みが足らないんじゃない?」と美味そうな酒を用意しておけばいい。


「断酒」、なかなか難しい。♪幸せだなあ 僕は酒を呑んでる時が一番幸せなんだ 僕は死ぬまで酒を離さないぞ いいだろ


相思相愛、好きおうて一緒になった仲やで、退院してもいっつもお前のことばっかり思っておったんや・・・未練たらたら。


断酒すると、酒に代わる「代償」「置き換え」=欲求の対象を本来のものとは別のものに置き換えて充足することが必要になる。なぜなら人間のオツムと体は「防衛機制」=「不快な感情を弱めて、精神的安定を保つための心理メカニズム」が初期設定されているからだという。


酒に代わる何かがないとアル中に戻っちゃうわけ。呼吸器内科医・山本康博先生曰く「断酒成功率でいうと、退院後の2.5ヶ月以内に再飲酒してしまう患者はおよそ5割、1年以内に再飲酒してしまう患者はおよそ7割に昇るというデータがあります。再入院を繰り返すほど、断酒成功率は低下していく傾向にあるようです」。


2年間断酒を継続できた人はたったの2割で、それ以降は大体病状も安定して2割のままらしい。小生は「断酒歴4年」、バッカスの敵である。まあ只のスカ「バッカスカ」だが、酒に代わる気晴らし、感動があった、あるいは見つけたのは幸いだった。


アル中ほどではないが健常者でも加齢ととともに脳ミソは劣化するが、劣化を多少はあれ抑えることはできるだろう。80歳でも優れた論客、学士、芸人、職人は結構多い。日々、刺激を受け、チャレンジするのは良いことだと思うが、それは急にできることではなく、蝸牛の歩みのような蓄積が必要になる。普通の職能人ならリタイア後になにがしかの分野で一頭地を抜くには10年とか20年はかかるのではないか。


60の手習いでも、山登りと同じで上に行くほど見晴らしが良くなる。小生はようやく尾根に辿りついた気分だが、天下を見晴らすまでにはあと10年はかかるだろう。ところが、さらに高い山が見えるから、永遠にというかクタバルまでチャレンジし続けるわけだ。ま、それがオツムの運動になり、楽しいのだけれど。


ここ3か月ほど「顔面運動」も試みている。鏡を見たら頬が垂れ下がっており、顔面筋肉の劣化だろう。以来、頬を上にあげたり、声を出さないが大声で「あいうえお」から濁音(がきぐげご)半濁音(ぱぴぷぺぽ)拗音(きゃきゅきょ、ぎゃぎゅぎょ)など叫んだり(音量ゼロ!にしないと措置入院になる)、頭を前後左右、さらに左回し右回ししたりする時は鏡でそれを見るようにすると目の運動にもなる。


これは1か月ほどで効果が現れるが、屋外でやるとパトカーが来て“保護”されるから必ず室内でやること。急性期閉鎖病棟で見た統合失調症の人の症状に似ているので注意が必要だ。


医者は「一度アル中、一生アル中だから断酒するしかない」と言う。自由民主の国では、断酒するかどうかは本人次第で、強制力はない。「小料理 おそめ」の女将は「お酒飲む人 花ならツボミ 今日も咲け咲け 明日も咲け」「お酒飲む人 可愛いね呑んでくだまきゃ なお可愛い」なんて煽っていたっけ。酒に寛容な文化・・・アバウトな民族性か?


政治家は「チャイナコロリを蔓延させないよう外出を控えろ、家で大人しくしていろ」と言う。この正論を民は理性では納得しても「もう我慢できない、イライラする、ちょっとだけならいいだろう、ちょっとだけ、堪忍や」となる。


中共のような強権独裁国家なら力ずくで抑えつけるのだろうが、民主主義国では、選挙で民に選ばれる政治家はいくら優れていても民に強制はできない、せいぜい「協力をお願いする」だけだ。


日本人は民度が高いかどうかは知らないが、大体の民は「感染すると村八分になるから・・・まあ仕方がない」と自主規制する。「個」を引っ込めて集団や空気に従う傾向が強いのは「和を以て貴しとなす」以前からだろう。


ところが「自由の国」アメリカでは「俺は俺、アンタはアンタ、余計な干渉をするな」。俺は独立した個人である、自己責任で行動する、政府の方針に唯々諾々と従う義務はない、Leave me alone! ほっといてくれ。


米国人、主に白人は「子供は厳しく育てないとワルになる、俺に従え、一人前になったらさっさと家を出て行け、独立しろ、好きなように生きろ」という価値観が依然として強いようだ。まるで獅子の厳しい子育てのよう。日本人は子供と心身一体化するような愛情で育てるから随分違う。狩猟民族と農耕民族の違いかなあ。


要は日本人は「周囲に合わせる、空気を読む、迎合する」というウエット民族。米国人は「自己顕示、能力主義、競争、闘争、俺こそ正義、我が道を行く」というドライ民族。コロナ禍への対応が180度違うのもムベなるかな。


米国がどこへ行くのか分からないが、日本はこれまでのように米国依存の腰巾着では我が身の安全も得られない時代になったことは確かだろう。当面の敵は中共だ。ボーっとしていると臓器狩りに遭う、言語を奪われる、民族消滅・・・中共包囲殲滅戦へ、イザッ! 目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp



雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(118」

2020-12-14 20:23:41 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(118」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/217(2020/12/14/月】先日の116号の続き、サムスン/三星電機とサンヨー/三洋電機について。


1969年にサムスン三星は三洋との技術移転協定によって白黒テレビの組み立てを開始して以降、瞬く間に世界有数のIT企業に成長した。ブログ「韓国について世界の人々に問う」2020/5/13は李恵美著『三星の成長と日本』を引用してこう説いている。


<創業者の李秉喆(イ・ビョンチョル)が経営を担当していた1936年から1987年までの期間を対象に、サムスンの形成と成長における日本からの影響を、資本調達、事業戦略、技術移転の3つの面から考察した。


三星が短期間に多数の合弁と技術導入を進めるには巨額の資金が必要だが、如何にして資金を調達したのか。この疑問に対して李恵美氏は「韓国が工業化を進める過程で、日本の資本と産業技術に多くのことを依存してきた」と指摘している。


資本調達過程における日本からの影響は大きかった。三星は、国内資本と自己資金の不足、韓国の後進的な金融制度などの問題があったため、日本の銀行からの借入、日本の企業からの有償援助で上記の問題を解決してきた。


例えば、サムスンは1964年に大規模な新規投資が必要だった韓国肥料工業の工場建設、サムスン電子への投資、重化学工業への投資などで、日本から巨額の資金援助を受けた>


中でも三洋は前のめりのように三星に投資していくが、三星の李秉喆と三洋の井植歳男はまるで「兄弟仁義の義兄弟」みたい、どういう関係にあったのだろう。


李秉喆:1910年、慶尚南道の大地主の次男として誕生。1934年、早稲田大学中退。
井植歳男:1902年生。父親は千石船で大阪、九州、朝鮮で貿易業。


ここに井植の義弟の松下正治(松下幸之助の女婿、1961年、松下電器産業2代目社長に就任)が加わる。彼は三井財閥出身だ。


サムスン李秉喆が三井→松下→井植と人脈が広がることになるのは、多分、以下の事件によるのではないか。WIKIから。


<サムスン財閥は、1964年に韓国肥料(現・ロッテ精密化学)を設立し、国策プロジェクトとして慶尚南道(李秉喆の故郷)に韓国最大の尿素肥料工場を建設することを目指していた。建設にあたっては、三井物産から全面的な支援を受け、韓国政府による支払保証がなされていた。


1966年5月、韓国肥料は、工場の試運転期間に必要な硫黄の脱硫に使う補助資材の名目で、三井物産を介して55トンのオルトトルエンスルホンアミド(OTS)を日本から無関税で輸入した。しかし、韓国肥料はOTSを保税倉庫から政府の許可無く持ち出し、それを加工して製造した人工甘味料サッカリンを市中で販売していたことが明らかとなり、翌月に釜山税関に(密輸として)摘発された。(セコイ!)


同年9月に各マスコミが報じるところとなり、韓国第一の財閥が密輸に手を染めていたという事態が明るみに出ると、世論からサムスンは厳しい攻撃を受けることになった。


その後、自らの再起とサムスンの復興を図る李秉喆は、三洋電機の井植歳男やNEC、住友商事の協力を得て、電子工業への新規参入を主導して1969年にサムスン電子を創業し、後の韓国主力産業の基礎を作った>


災い転じて福となす、李秉喆はサッカリン事件で三井→松下→井植という人脈ができ、さらにNEC、住友にも人脈が広がる・・・勢いがある人物、企業には求心力、オーラがあり、運もカネも人脈も付いてくるというわけだ。転んでもただでは起きない、イケイケドンドン、我が世の春、往年の秀吉、中内㓛・・・お、お、俺の春はまだか、なんて言いたくなるなあ。春は遂に来たらず、されどお迎えが来る、凡夫、笑うべし。


さてさて、習近平のオーラは・・・かなり下り坂のようだが、チャウシェスクみたいに銃殺されるのか。独裁者は権力、人気、求心力があるうちはいいが、落ち目になると墓まで暴かれるから、トウ小平のように「海散骨」がお勧めだ。


<習主席、「報道の自由」は誤り 西側メディアを激烈批判


【北京共同2020/12/12 】中国の習近平国家主席が2016年の国内報道関係者との会合で西側メディアについて、イデオロギー的偏見に基づき中国の政治体制を攻撃しており、絶対的な「報道の自由」などというものは誤りだと激しくののしっていたことが12日までに分かった。中国で先月出版された習氏の発言集で判明した。


発言集は13~20年の発言をまとめた「党の宣伝思想工作を論ず」(中央文献出版社)。習氏は16年2月19日の会合で「西側メディアは(1)他国のマイナス面(2)スキャンダルや暴力(3)針小棒大なニュース――ばかり報じている」と批判した>


習近平は今さら毛沢東流に「百家争鳴」で“腐敗分子”をおびき出して「焚書坑儒」で叩き潰すわけにはいかないから、せめて「モグラ叩き」、それでも「出過ぎた杭」は大っぴらには叩けないから隔靴搔痒、イライラしているのかも知れない。


新華社によると上記の習近平の発言集は「党のプロパガンダとイデオロギーに関する作業」。2020年1月8日、習近平はこう演説している。


「マルクス主義の中国化の最新の成果を用いて、思想を統一し、意志を統一し、行動を統一しなければならない。 我々は、党の革新的な理論をイデオロギー武装の最優先事項とし、新時代の偉大な闘争、偉大なプロジェクト、偉大な促進、偉大な夢の実現へ意識を高めるべきである」


独裁者の偉大な夢は世界の迷惑、我々は思想を統一し、意志を統一し、行動を統一し、中共包囲殲滅の実現へ意識を高めるべきである、のう、同志諸君。


共同通信で労務を担当していた同級生は「うちの労組はアカが多いので大変」とこぼしていたが、以下の記事を見ると、同社は中共やアカと距離を置くようになったのかどうか・・・


【シドニー共同2020/12/14】14日付のオーストラリアン紙は、中国共産党員195万人分の情報が記載された公式のデータベースを入手、分析した結果、各国が上海に置いている公館や世界的企業に多数の中国共産党員が勤務している実態が判明したと伝えた。


データベースは、反体制派の内部告発者から上海のサーバーを通じて外部に提供された。党員の生年月日や民族、党内の地位などが記録されていた。外交専門家は多数の党員雇用で機密情報漏えいなど安全保障上の懸念があると警告している。


同紙調査では、上海のオーストラリアなど約10の総領事館が、政府関連の上級専門家などに党員を雇用してきたという>


豪州は相当、中共に怒りを募らせている。「信じていたのに裏切られた!」という思いなのだろう。日本は大いに同調すべし、ワイン飲むべし、ビーフ食うべし、燃料買うべし。頑張れマッドマックス!


共同通信は、内政と外交で独自取材できない地方新聞社(ほとんどアカ)に影響力を持っているが、徐々にでも除染しないと自分が除染、駆除、消毒されてしまうことになる。共同に比べると時事通信は遥かに信頼性がある。


<情報隠す「悪習」指弾=「武漢日記」の方方さん


【北京時事2020/12/12】中国湖北省武漢市在住の女性作家、方方さん(65)が、昨年12月の新型コロナウイルスの患者発生から1年に合わせ、時事通信の書面インタビューに応じた。都市封鎖下の現状をネットで発信し「武漢日記」を出版した方方さんは、不都合な情報を隠す当局の「悪習」が感染拡大をもたらしたと批判した。


感染拡大初期の1月上旬〜中旬は湖北省と武漢市の人民代表大会・政治協商会議(両会)が相次いで開かれ、同25日の春節(旧正月)に向けた帰省ラッシュも重なった。方方さんは「感染まん延の主な責任は、春節前後や両会期間はどんなマイナス面の情報も報道しないという長年形成された習慣にある」と指摘。「習慣的に覆い隠し、(初動の)遅れを招いた」と述べ、武漢市当局や官製メディアを非難した。


仮に当局の情報提供が円滑だったなら「人々は警戒して春節の集まりがなくなり、死者も減っただろう」と惜しむ。感染拡大初期は、ネット上で警鐘を鳴らした李文亮医師が「デマ」を流したとして警察から訓戒処分を受け、自らも感染して死去。「無実の罪で訓戒を受けた彼の死は人々の悲しみや憤慨を引き起こした」と振り返った。


ブログで方方さんは「何もしなかった官僚たちは人民にどう謝罪するか考えよ!」などと当局を厳しく指弾。書面インタビューでも「コロナ禍が落ち着いた後、調査チームを設けて責任を追及すべきだ。そうでなければ代償を払った全ての人に申し訳ない」と強調した。


中国のテレビ局や雑誌出版社に勤務した経験がある方方さんは「言論空間がますます狭まっている」と懸念を表明。「何を書くか書かないかは記者の選択ではなく、幹部の選択だ」と報道統制の現状を憂えた。


方方さんはブログに、1月23日から2カ月半に及んだ都市封鎖中の記録や当局批判をつづり、1億人以上が読んだとされる。これをまとめた「武漢日記」は日米などで出版されたが、中国では出せずにいる。方方さんは「自国で本を出版できないという懲罰は過酷だ。コロナ禍で閉じ込められた街の人の生活を記録したにすぎないのに」と嘆いた。


方方(ファンファン)さん:1955年生まれ。本名・汪芳。中国の著名女性作家で、湖北省作家協会主席も務めた。武漢を舞台に社会の底辺で生きる人々を描く小説を多く発表。2010年に小説「琴断口」で権威ある魯迅文学賞受賞。「武漢日記」は日本で今年9月、河出書房新社から出版された>


「悪習」・・・悪の習近平? 時事通信、GJ! インドに続いて「脱中国」へ! 目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp