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雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(114」

2020-12-07 17:58:14 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(114」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/213(2020/12/7/月】五輪開催を招致する際は、その国にとっては上り坂、経済もイケイケドンドンの時だが、開催まで4、5年の準備期間に疲れてしまい、どうにか開催に漕ぎつけたものの、その後は「もうわてはあかん」と寝込むケースは多いのではないか。


国威発揚だ!とカネを惜しまずに素晴らしい会場を造ってもリターンは少ない、さらに開催後は多くの施設が無用の長物になり、管理費も結構かかる。「遊び疲れてスッカラカン、後の祭り、どないしょ・・・」、まるで給料日の翌日、呆然自失。


大体、9.11テロから始まった湾岸・中東戦争、さらにリーマンショック、中共コロナ禍などは予測できないのだから世界中が大慌て。経済減速なんて五輪誘致の際は全く考慮していないのだから、「五輪でさらに躍進するんだ!」との巨額投資は大外れ、借金の山で青息吐息、長期の経済低迷になるリスクはつきまとう。


イマイチ信用できない、一流とは言えないなあ、といういささか怪しい国が五輪を無理して開催すると9年後あたりには青息吐息になる「五輪9年ジンクス」というのがあるそうだ。1980年の共産圏初のモスクワ五輪は前年のソ連によるアフガン侵攻で主要国のボイコットを招いたが、1991年にはソ連がギブアップ、なんと消滅してしまった。


プーチン・ロシアの2014年ソチ冬季五輪は、大規模な交通インフラ整備と五輪後のリゾート開発なども含めて空前絶後の5兆円の投資になったが、ロシアがクリミア強奪などでレッドカードを食らっているから大赤字だろう。捕らぬ狸の皮算用、古人曰く「良い予測は概ねはずれ、悪い予感はよく当たる」。


「CREATE BLOG」によると1976年のカナダ・モントリオール五輪は1兆円の赤字、モントリオール市は返済するために増税するなど四苦八苦、返済が完了したのは大会からナント30年後の2006年だったという。行きはよいよい、帰りがこわい、借金五輪地獄。


質素とかシンプルな大会にすればいいと思うが、政府や関係者は「一生に一度なのだから最高の舞台にしたい」とどうしてもゴージャス志向になる。五輪後でも施設が使われているのならまだしも、北京やリオの施設の「今」を見る限りほとんど「兵どもの夢の跡」だ(「まるでゴーストタウン、廃墟と化した世界の五輪開催地10選」2018/4/1)。施設は今や崩壊しかねない「危険物」だが、解体費用がこれまた莫大だから放置されている。


「いいの? 私は Expensive Woman よ」「大丈夫だ、一生、君に不自由はさせない」なんてその場の勢いで言ったりして・・・マルコスの奥さんは靴だけで3000足、JFケネディの未亡人ジャクリーンと結婚した大富豪の“海運王”オナシスもジャクリーンの狂気じみた散財には度肝を抜かれたとか(ビョーキ)。


コロラド州デンバー本社の大企業幹部の自宅を訪ねた際に日系3世のメイドさんが「この部屋は奥様の靴専用です」と見せてくれたが、30畳ほどの広さに1500足ほどあるという。メイドさんの自宅は夫婦のみで狭くて古びた2DKだった。日系人は目立たぬようひっそりと暮らしている感じ。地味・・・幸せなのかなあ。


ド派手な秀吉の度肝を抜くような観桜イベントじゃあるまいし、身の丈を超えるような五輪施設に意味があるのかどうか、冷静に考えた方がいい。我が街にも農家の成金ヂヂババが勢いでお城のような豪邸を造ったものの跡継ぎは同居せず、相続したとたんに城を潰してマンションにするケースは常態化している。ド派手五輪の無理、無茶、無駄、無謀は「環境に優しくない」ぜ、のう、ポリコレ病の皆さん。


ポリコレ、Political Correctness(PC)、政治的正義・・・支那では PC は中共の専売特許で、それ以外は絶対許さない。


小林史憲・テレビ東京プロデューサー著「テレビに映る中国の97%は嘘である」は、「被写体はほとんど中共流 PC のシナリオで語り演技する、バイアスのかかっていない『素』の画像は非常に少ない、裏を知らないと騙されるぞ」という生々しい話である。


小生が担当編集者ならタイトルは「テレビ屋が裏から見た中共の真実」、サブタイトルは「テレビ映像はほとんどヤラセ 騙されるな!」にするがなあ。小林史憲氏とは?


<1972年、東京に生まれる。テレビ東京「ガイアの夜明け」プロデューサー。1998年、立教大学法学部卒。大学在学中に北京第二外国語学院に1年間の語学留学。その際、中国全土を訪問し、外国人未開放地区だった西チベットで拘束される。


1998年、テレビ東京入社。3年間、警視庁記者クラブで、暴力団・暴走族・殺人事件などの取材を担当。その後、「ガイアの夜明け」「カンブリア宮殿」などの番組ディレクターを経て、2008年より北京支局特派員。


日々の中国のニュースを報道する傍ら、より深く取材した内容を、主に「ワールドビジネスサテライト」の特集コーナーで報道。中国すべての省と自治区を訪れ、当局に合計21回、拘束される>。以下はアマゾンのサイトから引用。


<村上龍氏が絶賛――「中国は一筋縄ではいかない。一筋縄ではいかない男、小林史憲がそれを暴く!」


中国すべての省と自治区を取材し、当局に21回拘束された記者が、見て、感じて、触れて、そのなかで泳いだ中国の「内臓」! 共産党政権の厳格な監視は国中隅々まで行き渡り、真実はまるで伝わらない。われわれがテレビで観ている中国は、まったくのニセモノなのだ!!>


小林氏は「騒乱、混乱、波乱! ありえない中国 」も上梓しており、小生は未読だが、こう紹介されている。


<これまで多くのメディアが中国問題を様々に取り上げてきた。しかし中国という国のリアルを客観的かつ正確に捉えたものはほとんどない。本書では当局に21回拘束されたテレビ東京の名物記者が、中国の現状を徹底的に明らかにする。


初の民主選挙を勝ち取った小さな村の闘い、一人っ子政策というジレンマ、弾圧を受け続けるウイグル族の現状など――中国全土、事件の最前線を取材してきたジャーナリストならではの視点で描くルポルタージュ。そこには“日本人の知らない中国の姿”が描き出される>


「拘束」というのは警察から「取り調べを受け、『あんたの安全のため現場から出ていけ』と命令される」こと。まあ一流の記者はそんな脅しに殊勝に従うはずはなく、あの手この手で取材するわけだが、TV番組は事件の表面の刺激的な映像、現場レポートを、せいぜい中2坊主が分かるレベルでちょろっと流すぐらい(3分が限界とか)だから、その後に記者が分析した「事件の裏、真実」が表に出ることは少ないだろう。だから小林氏は「テレビに映る中国の97%は嘘である」と言うわけだ。


TVは面白ければいい、視聴者が見てくれればTV屋は儲かるから「良貨は駆逐される」、ひたすら娯楽道、TVは女子供が見るもので、まともな大人は仕事、酒、女、遊び、勉強、人脈作りで忙しいからまず見ない。TV屋は番組を創るが、まずTVは見ない。そんな暇はない。


TV界の優れた記者はいつまでも現場にはいられなくなる。小生は業界紙の記者だったが、一般的に報道界(マスコミ)では優秀な現場記者ほど早くに管理職に“されてしまう”のではないか。企業としては「現場は卒業して後進を育てろ」ということなのだろうが、「次代の経営者を育てたい」という思いもあるからだろう。


一方で、取材先やスポンサーに嫌われるとか、相性が悪い記者というのもいる。マスコミ媒体にとって取材先(広報部)は財産(大体がお友達)なのだが、記者の中には融通が利かない、忖度しない、しつこい、キモイとか、記者仲間からも「変な奴」と敬遠される記者がいる。この手の問題児的な記者は一般的には異動で静かに排除されるのが常だろう。


小林氏のテレビ東京は日本経済新聞社系列だ。日経はトウ小平の改革開放政策が1980年代に本格化すると「それ行け!」と日中ビジネスを盛んに煽っていたという記憶が小生にはある。日本の経済界はイケイケドンドン、小生まで「中国旅行を売りまくれ!」とはしゃいで、現地取材に出掛けたものだ。


1978年に日中平和友好条約調印のために園田直外相が水垢離(みずごり)までして訪中した折、トウ小平は、日本における中国脅威論について、「この条約は第三国に向けたものではない。覇権を唱えるもの、戦争を進めるものは絶対に反対であり、もしもそれが中国であれば、世界は中国に反対すべきだ」と強調したという(通訳を務めた劉徳有・元中国文化次官の話、出典:日中友好協会)。


小林氏の「テレビに映る中国の97%は嘘である」「騒乱、混乱、波乱! ありえない中国 」はいずれも2014年発行。中共は「8964天安門」の危機を日本に救われ、2010年にはGDPで5兆8000億ドルを超え、日本を抜いて世界第2位の経済大国となった。


力を付けてきた中共はトウ小平の「韜光養晦」どころか、後継の江沢民、胡錦涛政権は隠していた牙と爪を剥き出しにし始め、露骨な「侮日」を煽っていた時期である。表では「古い友人」とおだてながら、やがて「序列好き」の本性が表れたこと、また外敵を創らないと国内の結束を保てないことから、大人しい「小日本」をサンドバッグ、仮想的にし始めたのだ。


こういう時期に「中国に気を付けろ! 嘘八百のゴロツキ国家だ」と小林氏は叫んだわけだが、これだけの優秀な人材なのにその後の報道界での消息も著作もない。銭ゲバ WinWin 教のパンデミック時代のテレビ東京&日経にとって、小林氏は獅子身中の虫になったのかもしれない。2016年の「クリエイターズステーション」による小林氏へのインタビューから。


<――映像でニュースを伝えるために大切にしていることは?


自分が見たり聞いたりしたものを、いかに視聴者に分かりやすく伝えるかに尽きます。そして報道なので「事実を正しく伝える」ことが大事です。「映像は嘘をつける」って言いますよね? 確かに撮影や編集のやり方によって、ニュアンスや印象は変わるし、事実だってねじ曲がってしまう。だからこそ、事実が正しく伝わるように撮影・編集しなければならない。


その上で、視聴者に興味をもって見てもらうための工夫も必要です。例えば記者が現場でレポートしますよね。カメラマンを引き連れて歩いていけば、視聴者を現場に誘導する感じになる。直立不動で固定カメラに向かって語れば、メッセージを強く伝えられる。顔のアップがいいのか、周囲の光景も映す方がいいのか・・・現場の臨場感を伝えるためにどう撮るか、状況に応じて変えなければなりません。


――18年間ずっと報道畑ですが、最近になって「コンテンツビジネス」を担当する部署に異動したと伺いました。これは大きなキャリアチェンジですね。


そうですね。報道局の仕事に未練がないと言えば嘘になりますが、「コンテンツビジネス局に、もっとやりたい仕事がある」と感じるようになりました。


理由の一つは「プロデューサー」という立場になり、なかなか現場に出られなくなってしまったこと。もう一つは、現代におけるテレビ・映像業界の激変です。放送の翌日に出る視聴率を分析すると、50歳以上の視聴者が多い。その層に見ていただいているからこそテレ東は好調なのですが、作り手としてはもどかしさも感じています。


――若者のテレビ離れはかなり進行しています。


はい。例えば私が担当していた『ガイアの夜明け』ですが、バブル崩壊からの失われた10年が経った2002年に、暗い世相の中で「テレビ局として何かできることはないか?」と考えて始まった番組です。


現状ではテレビを見る年齢層が上がり、若年層のテレビ離れが加速している。とはいえ、テレビ局の将来も考えて、優良なコンテンツを作り続けなければならない。そんな中、私自身はソフト作りからハード作りへ移ることにしたんです。元バックパッカーとしては、新大陸に旅に出る気分ですね>


キャリアを積んだ優秀な取材記者が現場に出られない、というのは社会の損失だ。


胡錦涛政権下、2012年の「反日官製暴動」は当時、副主席だった習近平と影響力拡大を図る江沢民派が火をつけた派閥抗争といった諸説あり、実態は分からない。しかし「中共の意に沿わない国には暴動、暴力をお見舞いするぞ」という威嚇、脅迫の手段になったことは確かで、現在の尖閣諸島や南シナ海での中共の戦狼外交はそのひとつなのだろう。


今日、靴下を買ったらカンボジア製だった。ベトナム製はずいぶん増えて慣れっこになったが、中国が「世界の工場」という時代は確実に終わり始めた。習近平・中共は世界のルール、例えば「国際条約は国内法より上位にある」といった規範を「ただの紙切れ」と平然と無視している。自由民主人権法治なども屁の河童、「ガタガタぬかすと叩きのめすぞ、この野郎!」、まるでヤクザだ。


反世界的狂惨党暴力集団の資金源であるシノギを締め上げて自壊させる「中共包囲戦」をじわじわと進めていくべし。トウ小平同志の「覇権を唱えるもの、戦争を進めるものは絶対に反対であり、もしもそれが中国であれば、世界は中国に反対すべきだ」、まことに然り。やらなければ我らはやがて言葉も奪われる「少数民族」、絶滅危惧種になる。目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp