雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(122」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/221(2020/12/21/月】このところとても寒くなった。一昨日には短時間だがアラレが降ってきたのには驚いた。昨日もチャリ散歩に出かけたが、枡形城址公園の展望台からの眺めは素晴らしかったものの、冷たい風が強く、鼻水と涙が出て「うー、たまらん」逃げるように帰ってきた。
くしゃみと悪寒もあって何やらヤバ・・・お気に入りの薬(ペレックス)を飲んだが、やせ我慢してもいいことはなさそうなのでエアコン暖房21.5℃で養生した。体力がないから無理できやしない、チャリ散歩もいつまでできるやら・・・なんてちょっと弱気、そのうち病気、やがて寝たきり、あの世行き、軌道に乗って打ち上げ成功、天から眺める地球は・・・
「人間増え過ぎ! 60年前、1960年は30億人、今は77億人、2.5倍増。地球にとって最大の脅威は人間だ!」
増えるのはいいだろう、ただ「過ぎたるは及ばざるごとし」。人が良すぎる、美人すぎる、頭が良すぎる、強引すぎる、偉すぎる、強すぎる、快適すぎる、厳しすぎる、乱暴すぎる・・・人間は増え過ぎだ。
天の配剤、天の秩序から人間は「はみ出し過ぎ」てしまった。想定外の、でたらめな、不健康で、不道徳な、欲望だらけの、奇妙奇天烈で、傲慢な、空っぽの人間、社会が生まれてしまったのではないか。我らの内なる三島は嘆いている。
1960年頃までアマゾン熱帯雨林の中で人間は、時に自然の恵みに感謝し、時に自然の猛威に畏れながら、数千年、数万年生きてきた。今は自然は「人間の善意にすがって」生きさせてもらっている、ほとんど絶滅危惧種、あるいは絶滅移行期。地球にとって人間は最悪最強の「悪性地球破壊動物」になった。
地球動物園で人間だけが異常に増え、他の動植物の生存空間が圧迫され、かつ環境汚染も拡大している、そんな感じ。正論ではないか。
1960~70年、人口30~35億人の頃、公害・環境汚染とか温暖化などほとんど議論されなかった。母が「うるさくて眠れない」と言っていた程の秋の虫は、60年頃に「あれ、いつの間にかいなくなった」・・・世界中の都市圏はみな「沈黙の春」になっていったのだ。
♪あれ 松虫が鳴いている ちんちろちんちろ ちんちろりん
あれ 鈴虫も鳴き出した りんりんりんりん りいんりん
秋の夜長を 鳴き通す ああ おもしろい虫のこえ
やがて鳥の声、セミの声も消えていくだろう。
当時は温暖化ではなく、むしろ「寒冷化」が危惧されていた。原因は「太陽の黒点活動が減少しているから」というのが圧倒的に気象学界の主流だった。ところがそれ以降は違う。なぜ?
寒冷化を唱えても研究開発資金は出ないが、温暖化対策には資金が付いたからだ。カネ、勢いに人は群がる。小生も「日本人は戦前は年間1500万も訪中した、これからは中国旅行だ、それ行け、やれ行け、どんと行け!」と煽って儲けたものだ。気象学者を責められやしないが・・・
<太陽黒点の極小期(黒点が少ない時期)は太陽の活動が少なく、磁場も弱くなるとされています。1645年~1715年の70年間は黒点がほとんど観測されない「マウンダー極小期」と呼ばれ、各地で寒冷化現象が起こる異常気象に見舞われました。
しかし黒点の多い極大期と少ない極小期を比較しても、その違いはほとんどなく、光の放射量が0.1%変動するだけでした。そのため黒点の数と異常気象に関して因果関係は判明していません。
(むしろ)太陽黒点の数は「景気変動」に関わりがあるとされています。確実な説ではありませんが、過去の金融危機が起こった際に黒点の数が異常なほど少なかったのは事実です。
逆に黒点の数が多かった時期は産業革命や明治維新、いざなぎ景気など好況の時期と一致し、黒点の増減は景気変動に影響しているのではないかと考えられています>(Rekisiru)
黒点が多い=太陽光が微増すると、何らかの理由で人間(生物)は「元気、積極的、能動的」になり、黒点が少ないと「弱気、受け身、守勢」になるのか・・・面白い説だ。地球を多くの生物を育む「生命体」と解釈すれば、黒点の少ない今は「地球もイマイチ元気が出ない寒冷気候の氷期に向かっている」という説も成り立つだろう。
逆説があろうが100年200年後の気候なんて誰もチェックできないから神学論争、この際は信仰心を固めた方が勝ち、信心に濁りは禁物、ひたすら現世利益を信じるのが金儲けのコツだ。今のところオッズは温暖化が2倍、寒冷化が7倍あたりか。そのうち逆転するだろう。
現在の地球は長期スパンでは「寒冷化しつつある」と思う。逆に「温暖化しつつある」とすれば、それは自然を破壊、棄損する人間の急激な増殖、パンデミックこそが最大の原因であり、「人間の無謀な増殖を抑え、自然を回復すること」こそが喫緊の課題ではないのか。
人口が急増するとは、住居などの建物が増え、食糧増産のために田畑、牧場なども増えることだ。それは森林、植物、動物の多様性が消えていくことになる。母なる大地、地球にとって耐えられないほどの人災だ。誰かが No More Human Beings と声を挙げなくてはならない。学者はカネと世論に媚びるからそんなことは言わないが、事大主義だから明日はヘンシーン・・・大いにあり得る。
始めの一歩は「増殖=出産を抑える」こと。ただ、先進国はいずこも生産人口減に直面しているから、むしろ増殖か維持が奨励されるべきで、「増殖を抑える」のは基本的に後進国での話になる。自らの力量に合った出生率にしてくれ、ということ。他国の援助なしで育てられる範囲で繁殖するのが当たり前のルールではないか。
「人道」の名のもとに後進国の“可哀想な人”に食糧や医療を提供する・・・各国の自主的な発展を歪める余計なお世話、自己満足の喜捨、あるいは宗教の布教という洗脳(やがて占領)が目的なら邪道だ。エサ不足で山から里に出た熊を殺すくせに、他国に押し寄せた人間は保護する・・・これはインモラルだろう。自然の摂理を侵す身勝手、“私はいい人病”。
地球、生物の最大の敵は人間である。恐ろしいほどの害獣=人間が消えたチェリノブイリは今は「野生の王国」になっている。「カラパイア」2019/5/13から。
<1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所4号炉がメルトダウン。事故直後から除染作業が開始されるも、近隣で暮らしていた35万人以上の住人が避難を余儀なくされ、発電所周辺は立入禁止となった。
このあたりは今日でもなお、立ち入りが厳しく規制されており、かつての住人はいまだ帰還できぬままだ。この悲劇は、史上最悪の原発事故として人類の歴史に刻まれている。あれから33年、この地は野生動物たちの楽園となっている。
この時を生き残った動物もほとんどいないので、一帯は不毛の死の砂漠になってしまったと思われた。放射性物質が分解されるまでに非常に長い時間がかかることを考えれば、何世紀もの間、ここに生き物が寄り付くことなどないだろう、と。だがそうではなかったようだ。
事故から33年が経過した今、ウクライナとベラルーシにまたがるチェルノブイリ立入禁止区域には、ヒグマ・バイソン・オオカミ・オオヤマネコ・モウコノウマといった大型哺乳類や、200種以上の鳥類などが暮らしている。中長期的に見た場合、原発事故よりも人間の活動の影響のほうがはるかに有害だったということである>
原発は1950年代から普及し始めたが、原発の放射線被曝で死んだ人は世界中で累計50人ほど、スリーマイル島原子力発電所事故(米国、1979年3月28日)ではほとんどないとか言われていた。
しかし、この頃から原発反対派が台頭して、因果関係が分からない死者も原発事故死に数えたりすること、またチェルノブイリや福島の事故でも数年後の病死が事故由来かどうかは判断が難しいから、今では実態をとても把握しにくい。原発は科学ではなくまるでイデオロギーのマターになってしまった。
<福島の人々にありもしない放射能問題をぶつける活動家たち『月刊Wedge』大江紀洋編集長
不幸なこととも言えるのだが、福島の人たち、特に浜通りの人たちは、放射線に関して世界で最も詳しくなっている。外部被ばくも内部被ばくも、事故直後に心配したほどの問題はないことをよく知っている。
そんな地元の人たちは、県外から投げつけられる無知・無理解な報道と、お節介を超えてただただ迷惑な声に、疲れ切ってしまっている。
活動家が、自らの存在価値を守るために、意図的に倒錯して騒ぎ立てるのはある意味で仕方がない。問題は、専門家を称する人たちや、報道を名乗る者たちがそれに乗っかって、拡散させることだ。読む側がリテラシーをつけて、これらの記事を排除していくしかない>(イロンナ)
小生は環境改善の一丁目一番地は「人口抑制、人口縮小」だが、ポリコレ病(PC)の一種「自然環境優先症」患者は「原発ゼロ!ゼロ・エミッション!」を叫んでいる。特にドイツ人は「頭が良い、信仰心が強い、信じやすい、正義が大好き、自信たっぷり、そして騙されやすい」、病膏肓、重篤の「私は正義病」で、いささか滑稽になってきた。川口マーン恵美氏「住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち」から。
<(東日本大震災・福島原発事故から間もない)2011年6月30日、ベルリンの連邦議会で「脱原発法」が可決された。30年来の戦いに終止符を打ったのだ。日本がすべてを変えたのだ。
しかし、原発を停止し、電力の不足分を再生可能エネルギーに置き換えることは決めたものの、それをどうやって実現するかが全く考えられていなかった・・・
思い起こすと、ドイツ人はその時が幸せの絶頂だった。EU内で孤立しつつも脱原発に向かって突き進む自分たちの姿に、国民はほとんど恍惚状態だった。脱原発のためなら生活が少々不便になっても構わないと本気で思っていた。
ドイツ人にとっての脱原発は、停電の心配がなく、冬の夜中もベッドの中で震えることなく、蛇口をひねればいつでも熱いお湯が出るのが前提だ。その快適さを手放すことなど想像さえできない。
ヨーロッパ全体で原発建設ブームのよう。特に東欧諸国とロシアが熱心だ。ロシアは、天然ガスは西ヨーロッパに高く売れるので、自国で消費するのはバカバカしい、自分たちの電気は原発で賄おうとしているわけだ。
東欧ではエネルギーでロシアに首根っこを押さえられたくないから原発を建て、そのうちドイツで電力が不足したら原発で発電した電気を売っていく腹づもりだろう。
完全な脱原発と再生可能エネルギーの推進を貫徹しようとしているドイツが、将来、原発の国に囲まれてしまうというのは、何だかとても悲しい図に思えて仕方がない。
今のドイツのエネルギー政策は矛盾が多い。天気次第の風力や太陽光による再生可能エネルギー発電が増えれば増えるほど、バックアップのために安定的な化石燃料による発電所が必要になる。今でも電力の4割以上が石炭と褐炭に頼っているのに、多くの国民はそれは過去のもので、どんどん閉鎖されていると思っている・・・>
知りたくない現実には目を背く「見ちゃダメ!」、都合のいい話は針小棒大に「狼だ、狼の群が来た!」・・・アカの常套手段だ。
地球環境の改善には「人口抑制、人口縮小」が肝腎だと思うが、戦後の日本を見ても目先の経済発展には人口増がとても効果的なことは分かる。ただ、先進国における著しい経済発展、満足感、福祉向上、セイフティネットは、人間の初期設定の「子孫繫栄、増殖の本能」を弱める結果になっている。老後の不安が薄いのだから、子供はせいぜい2人まで、いなくても困らない、結果的に人口減、低成長、やがて人口も経済もマイナス成長になる。
つまり、先進国がそれを成り行きのままに受容していれば、いずこも「老大国」になり、それは国力の低下、賃金の低下、福祉の低下になり、放置すれば二流国、三流国になってしまう。どうすればいいのか。ドイツでは低い出生率を補うために移民を受け入れた。エマニュエル・トッド講演「混迷する世界と日本の針路」2016年1月から。
<ドイツでは(先進国発展の指標の一つである)男子の高等教育の進学率は停滞どころか低下しています。出生率は1.4で、少子高齢化が急速に進んでいる。ドイツを安定した社会とは決して言えない。そういう不安定なドイツに率いられている以上、地政学的にヨーロッパは安定の極とは言えません。
ドイツはパワーを求め、戦略的に絶え間なく労働力人口を獲得しようとしています。南欧に対しれも、東欧に対しても、安価で良質な労働力を求めているように見えます。中東からの大量難民受け入れも表明しました。
現実を客観的に見れば、ドイツによるシリア難民、中東移民の大量受け入れは危険な行為と言わざるを得ません。文化的な差異を簡単に見くびるとしっぺ返しを食う、無視できないものです。
ドイツには大勢のトルコ系移民が暮らしていますが、ドイツ人社会と大きな文化的違いがあり、彼らの社会統合は成功しているとはいいがたい。それにもかかわらずドイツはシリア移民を大量に受け入れようとしています。
人口問題を安易な方法、人口減少を手っ取り早く移民で補う安易な政策によって、自ら危険を引き寄せているのです。
今日、ヨーロッパは非常に不安定な状況にあります。今後の20年は、EUが一体性を強めて堅固になっていく時代というよりは、むしろEUは瓦解していく時代となると思われます>
この講演から4年後、英国がEUから離脱した。人口減少による経済パワーの低下を安易な移民受け入れで補強するという政策は無理筋なのだ・・・庇を貸して母屋を取られる。それでは他策は何か。先進国は出産を奨励しつつ、GDP至上主義を改めてGDP低下を容認するしかないだろう。
先進国がこれまでのような競争を緩め、協調して「GDPを+-1%に抑える」「政治難民以外の受け入れは当面抑制する」というような取り組みが必要ではないか。
資本主義自由経済は1990年代のICT革命以来、技術競争が急速に拡大し、企業や家庭が最新機器を導入しても数年後には時代遅れで修理もできない、保存していたフロッピー、CD、MDなども再生できない、βやVHSの再生機がない・・・一世を風靡した8ミリフィルムは「放送博物館でしか再生できない」とTV屋が嘆いていたものだ。
新製品が津波のように日々押し寄せ、旧製品がどんどんゴミになっていく。リサイクルするにせよ、それはまたエネルギーを消費する。壮大な無理と無駄の連鎖。インモラルそのものだ。こうした狂気的、末期的、無節操な経済システムをいい方向へ導く国際戦略というか地球戦略が今、我らに求められている。
美味しいものをいっぱい食いたい、素敵なものをどんどん買いたい、地球をきれいにしたい・・・そんな旨い話はないで。欲少なく足るを知る、足るを知りて分に安んずる・・・ちっと我慢すれば5年後10年後には地球は結構きれいになる。コロナ禍転じて福となせ、まずはできることから始めよう。わしゃ土葬とかで森の肥やしになってもいいなあ。目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/221(2020/12/21/月】このところとても寒くなった。一昨日には短時間だがアラレが降ってきたのには驚いた。昨日もチャリ散歩に出かけたが、枡形城址公園の展望台からの眺めは素晴らしかったものの、冷たい風が強く、鼻水と涙が出て「うー、たまらん」逃げるように帰ってきた。
くしゃみと悪寒もあって何やらヤバ・・・お気に入りの薬(ペレックス)を飲んだが、やせ我慢してもいいことはなさそうなのでエアコン暖房21.5℃で養生した。体力がないから無理できやしない、チャリ散歩もいつまでできるやら・・・なんてちょっと弱気、そのうち病気、やがて寝たきり、あの世行き、軌道に乗って打ち上げ成功、天から眺める地球は・・・
「人間増え過ぎ! 60年前、1960年は30億人、今は77億人、2.5倍増。地球にとって最大の脅威は人間だ!」
増えるのはいいだろう、ただ「過ぎたるは及ばざるごとし」。人が良すぎる、美人すぎる、頭が良すぎる、強引すぎる、偉すぎる、強すぎる、快適すぎる、厳しすぎる、乱暴すぎる・・・人間は増え過ぎだ。
天の配剤、天の秩序から人間は「はみ出し過ぎ」てしまった。想定外の、でたらめな、不健康で、不道徳な、欲望だらけの、奇妙奇天烈で、傲慢な、空っぽの人間、社会が生まれてしまったのではないか。我らの内なる三島は嘆いている。
1960年頃までアマゾン熱帯雨林の中で人間は、時に自然の恵みに感謝し、時に自然の猛威に畏れながら、数千年、数万年生きてきた。今は自然は「人間の善意にすがって」生きさせてもらっている、ほとんど絶滅危惧種、あるいは絶滅移行期。地球にとって人間は最悪最強の「悪性地球破壊動物」になった。
地球動物園で人間だけが異常に増え、他の動植物の生存空間が圧迫され、かつ環境汚染も拡大している、そんな感じ。正論ではないか。
1960~70年、人口30~35億人の頃、公害・環境汚染とか温暖化などほとんど議論されなかった。母が「うるさくて眠れない」と言っていた程の秋の虫は、60年頃に「あれ、いつの間にかいなくなった」・・・世界中の都市圏はみな「沈黙の春」になっていったのだ。
♪あれ 松虫が鳴いている ちんちろちんちろ ちんちろりん
あれ 鈴虫も鳴き出した りんりんりんりん りいんりん
秋の夜長を 鳴き通す ああ おもしろい虫のこえ
やがて鳥の声、セミの声も消えていくだろう。
当時は温暖化ではなく、むしろ「寒冷化」が危惧されていた。原因は「太陽の黒点活動が減少しているから」というのが圧倒的に気象学界の主流だった。ところがそれ以降は違う。なぜ?
寒冷化を唱えても研究開発資金は出ないが、温暖化対策には資金が付いたからだ。カネ、勢いに人は群がる。小生も「日本人は戦前は年間1500万も訪中した、これからは中国旅行だ、それ行け、やれ行け、どんと行け!」と煽って儲けたものだ。気象学者を責められやしないが・・・
<太陽黒点の極小期(黒点が少ない時期)は太陽の活動が少なく、磁場も弱くなるとされています。1645年~1715年の70年間は黒点がほとんど観測されない「マウンダー極小期」と呼ばれ、各地で寒冷化現象が起こる異常気象に見舞われました。
しかし黒点の多い極大期と少ない極小期を比較しても、その違いはほとんどなく、光の放射量が0.1%変動するだけでした。そのため黒点の数と異常気象に関して因果関係は判明していません。
(むしろ)太陽黒点の数は「景気変動」に関わりがあるとされています。確実な説ではありませんが、過去の金融危機が起こった際に黒点の数が異常なほど少なかったのは事実です。
逆に黒点の数が多かった時期は産業革命や明治維新、いざなぎ景気など好況の時期と一致し、黒点の増減は景気変動に影響しているのではないかと考えられています>(Rekisiru)
黒点が多い=太陽光が微増すると、何らかの理由で人間(生物)は「元気、積極的、能動的」になり、黒点が少ないと「弱気、受け身、守勢」になるのか・・・面白い説だ。地球を多くの生物を育む「生命体」と解釈すれば、黒点の少ない今は「地球もイマイチ元気が出ない寒冷気候の氷期に向かっている」という説も成り立つだろう。
逆説があろうが100年200年後の気候なんて誰もチェックできないから神学論争、この際は信仰心を固めた方が勝ち、信心に濁りは禁物、ひたすら現世利益を信じるのが金儲けのコツだ。今のところオッズは温暖化が2倍、寒冷化が7倍あたりか。そのうち逆転するだろう。
現在の地球は長期スパンでは「寒冷化しつつある」と思う。逆に「温暖化しつつある」とすれば、それは自然を破壊、棄損する人間の急激な増殖、パンデミックこそが最大の原因であり、「人間の無謀な増殖を抑え、自然を回復すること」こそが喫緊の課題ではないのか。
人口が急増するとは、住居などの建物が増え、食糧増産のために田畑、牧場なども増えることだ。それは森林、植物、動物の多様性が消えていくことになる。母なる大地、地球にとって耐えられないほどの人災だ。誰かが No More Human Beings と声を挙げなくてはならない。学者はカネと世論に媚びるからそんなことは言わないが、事大主義だから明日はヘンシーン・・・大いにあり得る。
始めの一歩は「増殖=出産を抑える」こと。ただ、先進国はいずこも生産人口減に直面しているから、むしろ増殖か維持が奨励されるべきで、「増殖を抑える」のは基本的に後進国での話になる。自らの力量に合った出生率にしてくれ、ということ。他国の援助なしで育てられる範囲で繁殖するのが当たり前のルールではないか。
「人道」の名のもとに後進国の“可哀想な人”に食糧や医療を提供する・・・各国の自主的な発展を歪める余計なお世話、自己満足の喜捨、あるいは宗教の布教という洗脳(やがて占領)が目的なら邪道だ。エサ不足で山から里に出た熊を殺すくせに、他国に押し寄せた人間は保護する・・・これはインモラルだろう。自然の摂理を侵す身勝手、“私はいい人病”。
地球、生物の最大の敵は人間である。恐ろしいほどの害獣=人間が消えたチェリノブイリは今は「野生の王国」になっている。「カラパイア」2019/5/13から。
<1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所4号炉がメルトダウン。事故直後から除染作業が開始されるも、近隣で暮らしていた35万人以上の住人が避難を余儀なくされ、発電所周辺は立入禁止となった。
このあたりは今日でもなお、立ち入りが厳しく規制されており、かつての住人はいまだ帰還できぬままだ。この悲劇は、史上最悪の原発事故として人類の歴史に刻まれている。あれから33年、この地は野生動物たちの楽園となっている。
この時を生き残った動物もほとんどいないので、一帯は不毛の死の砂漠になってしまったと思われた。放射性物質が分解されるまでに非常に長い時間がかかることを考えれば、何世紀もの間、ここに生き物が寄り付くことなどないだろう、と。だがそうではなかったようだ。
事故から33年が経過した今、ウクライナとベラルーシにまたがるチェルノブイリ立入禁止区域には、ヒグマ・バイソン・オオカミ・オオヤマネコ・モウコノウマといった大型哺乳類や、200種以上の鳥類などが暮らしている。中長期的に見た場合、原発事故よりも人間の活動の影響のほうがはるかに有害だったということである>
原発は1950年代から普及し始めたが、原発の放射線被曝で死んだ人は世界中で累計50人ほど、スリーマイル島原子力発電所事故(米国、1979年3月28日)ではほとんどないとか言われていた。
しかし、この頃から原発反対派が台頭して、因果関係が分からない死者も原発事故死に数えたりすること、またチェルノブイリや福島の事故でも数年後の病死が事故由来かどうかは判断が難しいから、今では実態をとても把握しにくい。原発は科学ではなくまるでイデオロギーのマターになってしまった。
<福島の人々にありもしない放射能問題をぶつける活動家たち『月刊Wedge』大江紀洋編集長
不幸なこととも言えるのだが、福島の人たち、特に浜通りの人たちは、放射線に関して世界で最も詳しくなっている。外部被ばくも内部被ばくも、事故直後に心配したほどの問題はないことをよく知っている。
そんな地元の人たちは、県外から投げつけられる無知・無理解な報道と、お節介を超えてただただ迷惑な声に、疲れ切ってしまっている。
活動家が、自らの存在価値を守るために、意図的に倒錯して騒ぎ立てるのはある意味で仕方がない。問題は、専門家を称する人たちや、報道を名乗る者たちがそれに乗っかって、拡散させることだ。読む側がリテラシーをつけて、これらの記事を排除していくしかない>(イロンナ)
小生は環境改善の一丁目一番地は「人口抑制、人口縮小」だが、ポリコレ病(PC)の一種「自然環境優先症」患者は「原発ゼロ!ゼロ・エミッション!」を叫んでいる。特にドイツ人は「頭が良い、信仰心が強い、信じやすい、正義が大好き、自信たっぷり、そして騙されやすい」、病膏肓、重篤の「私は正義病」で、いささか滑稽になってきた。川口マーン恵美氏「住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち」から。
<(東日本大震災・福島原発事故から間もない)2011年6月30日、ベルリンの連邦議会で「脱原発法」が可決された。30年来の戦いに終止符を打ったのだ。日本がすべてを変えたのだ。
しかし、原発を停止し、電力の不足分を再生可能エネルギーに置き換えることは決めたものの、それをどうやって実現するかが全く考えられていなかった・・・
思い起こすと、ドイツ人はその時が幸せの絶頂だった。EU内で孤立しつつも脱原発に向かって突き進む自分たちの姿に、国民はほとんど恍惚状態だった。脱原発のためなら生活が少々不便になっても構わないと本気で思っていた。
ドイツ人にとっての脱原発は、停電の心配がなく、冬の夜中もベッドの中で震えることなく、蛇口をひねればいつでも熱いお湯が出るのが前提だ。その快適さを手放すことなど想像さえできない。
ヨーロッパ全体で原発建設ブームのよう。特に東欧諸国とロシアが熱心だ。ロシアは、天然ガスは西ヨーロッパに高く売れるので、自国で消費するのはバカバカしい、自分たちの電気は原発で賄おうとしているわけだ。
東欧ではエネルギーでロシアに首根っこを押さえられたくないから原発を建て、そのうちドイツで電力が不足したら原発で発電した電気を売っていく腹づもりだろう。
完全な脱原発と再生可能エネルギーの推進を貫徹しようとしているドイツが、将来、原発の国に囲まれてしまうというのは、何だかとても悲しい図に思えて仕方がない。
今のドイツのエネルギー政策は矛盾が多い。天気次第の風力や太陽光による再生可能エネルギー発電が増えれば増えるほど、バックアップのために安定的な化石燃料による発電所が必要になる。今でも電力の4割以上が石炭と褐炭に頼っているのに、多くの国民はそれは過去のもので、どんどん閉鎖されていると思っている・・・>
知りたくない現実には目を背く「見ちゃダメ!」、都合のいい話は針小棒大に「狼だ、狼の群が来た!」・・・アカの常套手段だ。
地球環境の改善には「人口抑制、人口縮小」が肝腎だと思うが、戦後の日本を見ても目先の経済発展には人口増がとても効果的なことは分かる。ただ、先進国における著しい経済発展、満足感、福祉向上、セイフティネットは、人間の初期設定の「子孫繫栄、増殖の本能」を弱める結果になっている。老後の不安が薄いのだから、子供はせいぜい2人まで、いなくても困らない、結果的に人口減、低成長、やがて人口も経済もマイナス成長になる。
つまり、先進国がそれを成り行きのままに受容していれば、いずこも「老大国」になり、それは国力の低下、賃金の低下、福祉の低下になり、放置すれば二流国、三流国になってしまう。どうすればいいのか。ドイツでは低い出生率を補うために移民を受け入れた。エマニュエル・トッド講演「混迷する世界と日本の針路」2016年1月から。
<ドイツでは(先進国発展の指標の一つである)男子の高等教育の進学率は停滞どころか低下しています。出生率は1.4で、少子高齢化が急速に進んでいる。ドイツを安定した社会とは決して言えない。そういう不安定なドイツに率いられている以上、地政学的にヨーロッパは安定の極とは言えません。
ドイツはパワーを求め、戦略的に絶え間なく労働力人口を獲得しようとしています。南欧に対しれも、東欧に対しても、安価で良質な労働力を求めているように見えます。中東からの大量難民受け入れも表明しました。
現実を客観的に見れば、ドイツによるシリア難民、中東移民の大量受け入れは危険な行為と言わざるを得ません。文化的な差異を簡単に見くびるとしっぺ返しを食う、無視できないものです。
ドイツには大勢のトルコ系移民が暮らしていますが、ドイツ人社会と大きな文化的違いがあり、彼らの社会統合は成功しているとはいいがたい。それにもかかわらずドイツはシリア移民を大量に受け入れようとしています。
人口問題を安易な方法、人口減少を手っ取り早く移民で補う安易な政策によって、自ら危険を引き寄せているのです。
今日、ヨーロッパは非常に不安定な状況にあります。今後の20年は、EUが一体性を強めて堅固になっていく時代というよりは、むしろEUは瓦解していく時代となると思われます>
この講演から4年後、英国がEUから離脱した。人口減少による経済パワーの低下を安易な移民受け入れで補強するという政策は無理筋なのだ・・・庇を貸して母屋を取られる。それでは他策は何か。先進国は出産を奨励しつつ、GDP至上主義を改めてGDP低下を容認するしかないだろう。
先進国がこれまでのような競争を緩め、協調して「GDPを+-1%に抑える」「政治難民以外の受け入れは当面抑制する」というような取り組みが必要ではないか。
資本主義自由経済は1990年代のICT革命以来、技術競争が急速に拡大し、企業や家庭が最新機器を導入しても数年後には時代遅れで修理もできない、保存していたフロッピー、CD、MDなども再生できない、βやVHSの再生機がない・・・一世を風靡した8ミリフィルムは「放送博物館でしか再生できない」とTV屋が嘆いていたものだ。
新製品が津波のように日々押し寄せ、旧製品がどんどんゴミになっていく。リサイクルするにせよ、それはまたエネルギーを消費する。壮大な無理と無駄の連鎖。インモラルそのものだ。こうした狂気的、末期的、無節操な経済システムをいい方向へ導く国際戦略というか地球戦略が今、我らに求められている。
美味しいものをいっぱい食いたい、素敵なものをどんどん買いたい、地球をきれいにしたい・・・そんな旨い話はないで。欲少なく足るを知る、足るを知りて分に安んずる・・・ちっと我慢すれば5年後10年後には地球は結構きれいになる。コロナ禍転じて福となせ、まずはできることから始めよう。わしゃ土葬とかで森の肥やしになってもいいなあ。目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp