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雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(119」

2020-12-17 06:27:03 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(119」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/218(2020/12/16/水】隣町の山裾に「帝国臓器」という製薬会社があり、そこは広大な「緑が丘霊園」の入口脇でもある。場所柄もあり、子供の頃から帝国臓器を「臓器で何を創るんだろう、不気味、怖い」と、できるだけ見ないようにしていた。「臓器の病気に効く薬を創る会社」という意味だろうとは最近気づいた。


会社沿革によると「1920/大正9年、創業者山口八十八が 神奈川県横浜市に『帝国社臓器薬研究所』として創業」、今は合併などで「あすか製薬」(山口隆社長は創業家だろう、東証1部)になり、建物を新築、庭園も整備され、何やらセレブの別荘風。入りたいけど警備の人に「シッ、シッ、霊園はアッチ」なんて言われそう。


霊園に向かうと大きな寒椿があり、樹下の歩道は赤いじゅうたんを敷いたよう、あまりにもの美しさに溜息が出る。感動するのはオツムの活性化にも効きそうだ。


読書、作文、工作、散歩、感動・・・アル中で断酒の小生の無聊を慰めるための代謝行動だが、まあ、4年間、酒がなくてもそれなりに面白おかしく過ごせるものだなあと、不思議な感じがする。本音は「ああ、呑みたい」だが。


散歩していると、特に小田急線の多摩川鉄橋下で昼間から呑んでいるヂヂイ(安価な宝焼酎やワンカップ大関が多い)を見かけるが、半年ほどで皆消える。入院か成仏するわけだ。アル中の末期は「呑まないと元気が出ないから・・・」、で朝から呑み始める。その時点では最早断酒は無理、家族が踏んじばってでも入院させないとお陀仏になる。


ほっとけば自滅するが、ワケアリで早目に昇天させたい時は「呑みが足らないんじゃない?」と美味そうな酒を用意しておけばいい。


「断酒」、なかなか難しい。♪幸せだなあ 僕は酒を呑んでる時が一番幸せなんだ 僕は死ぬまで酒を離さないぞ いいだろ


相思相愛、好きおうて一緒になった仲やで、退院してもいっつもお前のことばっかり思っておったんや・・・未練たらたら。


断酒すると、酒に代わる「代償」「置き換え」=欲求の対象を本来のものとは別のものに置き換えて充足することが必要になる。なぜなら人間のオツムと体は「防衛機制」=「不快な感情を弱めて、精神的安定を保つための心理メカニズム」が初期設定されているからだという。


酒に代わる何かがないとアル中に戻っちゃうわけ。呼吸器内科医・山本康博先生曰く「断酒成功率でいうと、退院後の2.5ヶ月以内に再飲酒してしまう患者はおよそ5割、1年以内に再飲酒してしまう患者はおよそ7割に昇るというデータがあります。再入院を繰り返すほど、断酒成功率は低下していく傾向にあるようです」。


2年間断酒を継続できた人はたったの2割で、それ以降は大体病状も安定して2割のままらしい。小生は「断酒歴4年」、バッカスの敵である。まあ只のスカ「バッカスカ」だが、酒に代わる気晴らし、感動があった、あるいは見つけたのは幸いだった。


アル中ほどではないが健常者でも加齢ととともに脳ミソは劣化するが、劣化を多少はあれ抑えることはできるだろう。80歳でも優れた論客、学士、芸人、職人は結構多い。日々、刺激を受け、チャレンジするのは良いことだと思うが、それは急にできることではなく、蝸牛の歩みのような蓄積が必要になる。普通の職能人ならリタイア後になにがしかの分野で一頭地を抜くには10年とか20年はかかるのではないか。


60の手習いでも、山登りと同じで上に行くほど見晴らしが良くなる。小生はようやく尾根に辿りついた気分だが、天下を見晴らすまでにはあと10年はかかるだろう。ところが、さらに高い山が見えるから、永遠にというかクタバルまでチャレンジし続けるわけだ。ま、それがオツムの運動になり、楽しいのだけれど。


ここ3か月ほど「顔面運動」も試みている。鏡を見たら頬が垂れ下がっており、顔面筋肉の劣化だろう。以来、頬を上にあげたり、声を出さないが大声で「あいうえお」から濁音(がきぐげご)半濁音(ぱぴぷぺぽ)拗音(きゃきゅきょ、ぎゃぎゅぎょ)など叫んだり(音量ゼロ!にしないと措置入院になる)、頭を前後左右、さらに左回し右回ししたりする時は鏡でそれを見るようにすると目の運動にもなる。


これは1か月ほどで効果が現れるが、屋外でやるとパトカーが来て“保護”されるから必ず室内でやること。急性期閉鎖病棟で見た統合失調症の人の症状に似ているので注意が必要だ。


医者は「一度アル中、一生アル中だから断酒するしかない」と言う。自由民主の国では、断酒するかどうかは本人次第で、強制力はない。「小料理 おそめ」の女将は「お酒飲む人 花ならツボミ 今日も咲け咲け 明日も咲け」「お酒飲む人 可愛いね呑んでくだまきゃ なお可愛い」なんて煽っていたっけ。酒に寛容な文化・・・アバウトな民族性か?


政治家は「チャイナコロリを蔓延させないよう外出を控えろ、家で大人しくしていろ」と言う。この正論を民は理性では納得しても「もう我慢できない、イライラする、ちょっとだけならいいだろう、ちょっとだけ、堪忍や」となる。


中共のような強権独裁国家なら力ずくで抑えつけるのだろうが、民主主義国では、選挙で民に選ばれる政治家はいくら優れていても民に強制はできない、せいぜい「協力をお願いする」だけだ。


日本人は民度が高いかどうかは知らないが、大体の民は「感染すると村八分になるから・・・まあ仕方がない」と自主規制する。「個」を引っ込めて集団や空気に従う傾向が強いのは「和を以て貴しとなす」以前からだろう。


ところが「自由の国」アメリカでは「俺は俺、アンタはアンタ、余計な干渉をするな」。俺は独立した個人である、自己責任で行動する、政府の方針に唯々諾々と従う義務はない、Leave me alone! ほっといてくれ。


米国人、主に白人は「子供は厳しく育てないとワルになる、俺に従え、一人前になったらさっさと家を出て行け、独立しろ、好きなように生きろ」という価値観が依然として強いようだ。まるで獅子の厳しい子育てのよう。日本人は子供と心身一体化するような愛情で育てるから随分違う。狩猟民族と農耕民族の違いかなあ。


要は日本人は「周囲に合わせる、空気を読む、迎合する」というウエット民族。米国人は「自己顕示、能力主義、競争、闘争、俺こそ正義、我が道を行く」というドライ民族。コロナ禍への対応が180度違うのもムベなるかな。


米国がどこへ行くのか分からないが、日本はこれまでのように米国依存の腰巾着では我が身の安全も得られない時代になったことは確かだろう。当面の敵は中共だ。ボーっとしていると臓器狩りに遭う、言語を奪われる、民族消滅・・・中共包囲殲滅戦へ、イザッ! 目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp