日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

窮屈な…。

2016-06-03 21:43:28 | 日記
 珍しく、「うぉ~、体重い!というか、太ももが重い!」と感じたので、
早朝の仕事後、家に帰ってストレッチをしました。

 太ももの前を伸ばそうと、正座の状態から寝そべると、びっくり!
以前は、普通にぺたりと背中が床について寝そべることができたのに、
今日は低いブリッジのようになり、頭を床につけることも難しい状態です。
なんだか、レスリングの技のような状態になっています

 少しずつ、少しずつ、体勢を変えながら伸ばして、
ようやく、以前のように普通に背中が床につくようになりました。

 毎日のちょっとしたメンテナンスが必要だな、と思い知ったストレッチでした。

 東京のほうで保育園を建てることに反対している、というニュースを見ました。
ああ、また、近所の高齢者の方々が、子どもの声が云々と言っているのかな、と思っていたら、
小学生くらいの子どもさんを持つ保護者の方も反対されていてびっくりしました。

 きっと、数年前にはご自身のお子さんも保育園に通ったのではないかなぁ、
保育園に行っていなくても、同じ年頃の保護者さんが保育園を探すのに苦労してきたのを
見たことはなかったのかなぁ、と思ったり。

 保育園が建つことで、小学生がサッカーなどをするスペースがなくなると、
訴えていらっしゃる保護者さんも子どものことを考えて必死は必死なんだろうなぁ、と
思いながらニュースを見ていました。

 私が見たニュースは、きっと、この問題のある一部分でしかないのだと思います。
でも、色々なニュースの一部分を見ながら思うのは、人に寛容さがなくなっているなぁ~ということです。

 色々な人が居る中で、自分の思いを伝えることは大事だし、
個人の意見が大多数の意見より軽いなどと思ったことはないのだけれど、
相手の思いも汲みつつ、己の意見も言い、それを相手も汲んで…というような、
どちらの思いも大事にするというような視点が、話し合う人たちに欠けていて、
ただただ、衝動的に言葉を返しているような感じを受けるのです。

 思いを汲むなんていうのは、きれいごとかもしれないし、
相手の思いなんて、わかるものではないから勝手な解釈に過ぎないのかもしれないのだけれど、
世の中にあふれる「~である」「~でなければならない」的な狭い感覚の物言いに
辟易としている私は、ニュースを見ながらそんなことを思ったのでした。

 

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