アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

上岡敏之のルビー定演

2017-11-11 20:00:00 | 音楽/芸術

今回は、「ルビー」というシリーズでの定期演奏会に出向いてきた。

今シーズン、アントンKはみなとみらいホールの演奏会が続いていたが、今回は久々のトリフォニー。新日本フィルの本拠地とあって何処となく落ち着きがあり、聴衆にも場慣れした雰囲気が伝わってくる。演奏会前のロビーコンサートも、とても良い空気感を感じ心地よくホール内へ向かうことができた。

さて、今回はまるで「死」をテーマにしたようなプログラムが並ぶ。今までのアントンKならまず出向かない演奏会の部類になるだろう。それは、プログラムによってコンサートに行くか否かを決める事が多く、当然指揮者と楽曲との相性や自分の好みが選択の優先順位の上位を占めていた。指揮者と好きな楽曲との組み合わせ。これはこれで演奏会に接する前は大いに楽しめるのである。実際演奏会に出向き、おおよその場合同調できず、落胆して帰ることが多いが、その逆に期待以上の演奏で迫ってきたときの驚きと興奮はずっと忘れられない演奏会になる訳だ。2015年の暮に上岡の第九に触れ、そのアプローチに興味が沸き、翌2016年10月の崔文洙氏のベートーヴェンで決定的になった。聴くたびに指揮者上岡の独自性が伝わり、聴き終わってもまたすぐに聴きたくなるような不思議な感覚になった。これが、これから少しマエストロ上岡を中心に聴いて行きたいと思った瞬間だった。

そんな中、今回のプログラムは有名なコンチェルトが挟まれて暗いマイナーの楽曲が並んでいた。無知なアントンKには、世界的にみてどのくらい演奏されているのかわからないが、レーガーに関しては、今回初めて聴いた楽曲であったのだ。前半のラフマニノフといい、このレーガーのベックリンの楽曲といい、「死の島」という絵画の印象が音楽になったとのこと。レーガーはこの他3種の楽曲との組曲になっていたが、この「死の島」だけは共通しているようだ。暗くうごめく情感は、どこか息苦しく感じ閉鎖的になるが、上岡のリズムの強調や頂点での爆発は、どちらの「死の島」でも表れていた。ラフマニノフの方は、中間部に第2交響曲の緩徐楽章のようなフレーズが確認できたが、演奏自体の解釈云々は語れない。

後半のレーガーのベックリン、第1曲の「ヴァイオリンを弾く隠者」では、コンマスの崔文洙氏が感性豊かに絵画を示してくれたが、いつもより情の部分は影をひそめ、絵の中の主人公のごとく役に成りきっており、別の一面を感じられて大いに感激した。

最後にチャイコフスキーのピアノ協奏曲について。

数あるピアノ協奏曲の中での最も有名で人気のあるチャイコフスキーの第1番。第1楽章の出の部分こそ雄大にホルンが鳴り出したが、主部に入るとソリストのカティアの個性がさく裂し、指揮者上岡との真剣勝負が始まる。どちらかというと、硬質な音色ではないカティアの音に細心の心配りをしていたオケのメンバーだが、コーダへの上り坂では上岡とともに抑えきれず爆発する。しかしそんな場面でもピアノの音色がかき消されていないのは、上岡の真骨頂だろうか。演奏解釈としては、アントンKの好みではなかったが、数々今まで聴いていたこのチャイコフスキーでも、個性際立つ演奏だったと心に響いている。

しかし今回のような地味なプログラムでも、会場はほぼ満席の聴衆であった。それだけ聴衆も新たな発見を求めているのかもしれない。どこか心が一つに繋がったようで非常に気分が良いものだった。ますます今後もこのコンビに期待を寄せていきたいと思っている。

2017-11-12  新日本フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会ルビー

ラフマニノフ  交響詩「死の島」op29

チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番変ロ短調 op23

レーガー ベックリンによる4つの音詩 op128

アンコール

ドビュッシー  月の光

シューベルト(リスト編曲) セレナーデ

ワーグナー 楽劇「神々の黄昏」よりジークフリートの葬送行進曲

指揮 上岡敏之

ピアノ カティア・ブニアティシヴィリ

コンマス 崔 文洙