前出した485系のボンネット型電車。最もオリジナルに近かった当時の車両を展示用に当てたのだろうから、今でも鉄博内でその姿を拝めるはずだ。しかし当時をよく思い出してみると、国鉄時代には、同じボンネットでも多種多様な形状を持った車両が存在していた。今でいう東日本を走っていた485系は、左右にヒゲについたスタイルで東北地方を中心にを行き来していたが、国鉄時代も晩年になると、九州から遥々やってきた車両たちが入り乱れ、趣味的見地からみると俄然面白くなったのであった。
掲載写真は、その九州から転属してきたクハを先頭にした特急「ひたち」号。すでに僚友だった特急「ひばり」は、新幹線開通により消滅していた時代、常磐を走る「ひたち」が孤軍奮闘していたことを思い出している。ヒゲなし、赤スケートの九州仕様でやってきた「ひたち」は、当時違和感が強く、しかし魅力的に思えたもの。今ならネットの力で、運用まで簡単に把握してしまう案件だろうか。もちろん当時では、偶然の産物であり深追いすら出来なかった。また「ひたち」には、ボンネット車のみならず、貫通車の200番台、非貫通車の300番台と、先頭車だけでも色々なお顔を持ち、線路端で気を許せなかった思いが蘇る。現代がつまらないとは言いたくないが、在り来たりの列車たちでも、今にして思えばかなり個性があり、魅力的に映っていたことを再認識できるのだ。
1985-08-15 特急「ひたち」 常磐線:佐貫-牛久
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