
昭和から令和まで、自分の鉄チャン人生を振り返ってみると、恵まれた時代を生きて来られたと思えるようになった。国鉄時代の現役蒸機をまともには見られなかった人生だが、その分、その反動でか、残された魅力的な車両たちを味わい楽しむことができたと思っている。現代では見られない、寝台特急や寝台急行列車全盛の時空間の中、その列車に乗車し、また撮影することを体験した。もちろん、こういった貴重な尊い時間は、過ぎ去ってしまったから解ることがほとんどだが、同じことを長年継続してきたことで、少しずつ輝きを増してきているのだと思えるのである。そして、いつの時代もアントンKには、大切な友人がそばにいてくれた。撮影出来たことを皆で分かち合ったり、当てが外れて悔しがったり、いつも同じ気持ちでいてくれた友人達を思うと心が温かく感じる。彼等がいなかったら、こんなにも撮影は続けられなかったろう。これを書きながら、懐かしい友たちを思い出している。
掲載写真は、長年アントンKの撮影の中心に据えていた寝台列車の中から、20系客車を使用した「あさかぜ51号」を上げておく。東海道のブルートレインは、いつでもヘッドマークを掲げていたと思われがちだが、臨時列車についてはマーク無しが基本だった。この「あさかぜ51号」も、多客時に運転されていた列車で、同じEF65P型が牽いていたが、マークが無く、ちょっと寂しく感じたもの。20系客車も波動用のモノクラス編成だったと思われる。
1976-05-05 8012ㇾ EF65502 あさかぜ51号 東海道本線:根府川-真鶴
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