今回のダイヤ改正で終焉したものの中に、DD51の定期運用がある。今まで細々と関西線で余生を送っていた感が強かったが、とうとうその時が来てしまった。全国にあれほどの両数を誇り、何処へ行っても非電化区間には顔を出していたDD51だったが、このカマの定期運用消滅が与える隔世の感は大きい。
アントンKにとってDD51という機関車は、特に思い入れのあるディーゼル機関車ではなかった。元来凸型機関車があまり得意ではなく、DF50、DD54、DF200などの箱型機関車の方が今でも好みなのだ。それでも、北海道の大地を爆走した青色のDD51重連は、今でも印象的であり好きな被写体だった。現役蒸機を駆逐したイメージは、幸いにもアントンKにはないが、八高線でも気軽に見られたDD51が全国から消えたことは、明らかにまた一つ時代が進んだと思わされるのだ。
今回は、DD51のシーンで思い出深いものの中から1枚掲載しておこう。国鉄時代、春のダイヤ改正で生まれたDD51の定期三重連貨物列車。定期列車だからといって毎日三重連を組む訳ではなく、何度か通ってやっと仕留めた時の嬉しさは今でも忘れない。
1983-03-06 790ㇾ DD51 606+802+807 磐越東線:三春-要田
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