そしてやはりココ、三島-函南、通称「竹倉」は外せない。
何回この雑木林に足を踏み入れたことだろう。ある目的のため、何度も何度もここの富士山バックの位置に通ったものだ。ある目的とは、当時の東海道ブルトレではない。もちろん、65PF時代からここでの「あさかぜ」から「さくら」までは定番であった。しかし、当時の最大の目標は、「学生時代にここでロクイチ富士山バックを決める!」ということだった。「決める」ってことは、どういうことか?「雪を頂いた富士山がすそ野まで完璧に見え、朝の上り列車で順光線を浴びたロクイチを撮影すること。」だった。思い描くことは簡単に誰でもできるが、これがどうして結構難しいことだった。まず富士山が綺麗に見える時期は、12月から3月くらいまでの冬場となり、そして、この時期にロクイチが東海道線をブルトレ時間帯に交じって上る列車に登板される日ということになる。運よくロクイチ起用の日程が事前にわかっても、当日の天気が最大の難所となる。冬型の気圧配置となれば、まず関東地方は晴れで、富士は見えると思いきや、そう上手くはいかないのだ。「ロクイチ」・「快晴」・「富士山」・「順光」、この4つの条件をクリアするのは思いのほか苦労した。今日は完璧な天気だと確信しながら現地に向かっても、通過までに雲が出てきて富士山が隠れたり、また、富士山は綺麗に見えていても、列車に光が入らなかったり・・列車が遅延して、順光線でなくなったり・・上げれば切りがないほどだ。再三こんなことが続くと嫌気が指して、撮影地を函南側へ移動したこともしばしばあった。そんなこんなで、アントンKにとっては、思い入れの大変多い撮影地の一つなのだが、この学生時代の目標は、卒業式の前日に奇しくも達成できたということにも、何か特別な感慨が残る撮影地なのだ。もう何年も行っていないが、現在はどうなっているんだろう。快晴の日には、雑木林が三脚の林となったこの丘は、その後区画整理され、別荘地かなにかになったと聞いている。機会があれば訪ねて、当時を懐かしく振り返ることもしてみたい。
写真は、そんな思いで通っていた竹倉だが、卒業してから数年たちJR化される直前の2月に行った時のもの。日本の大動脈である東海道線を行くEF66フレートライナー。カマの次位には、福通のトラックが乗っている。福通の専用列車が走る現在、やはり20年以上の時の流れを感じる瞬間だ。
==========
1987(S62)-02-28 EF6628 東海道本線:三島-函南 (竹倉)
PENTAX 67 SMCタクマー200mm f/4 PKR
(三脚使用)