今年で中央線を走る特急「あずさ」が50周年だと言う。一言50年とは言うが、半世紀とは随分長く、そこにはすでに老舗特急と呼べるくらいの風格を感じる事が出来る。先週末は、それを記念して団体列車があったそうだが、アントンKには興味はあったものの、現状の車輛で走る姿からは、往年の思い出残る「あずさ」はほど遠いと思い、あえて撮影には出向かなかった。
そんな想いを抱くのも、アントンKには、全く無意識なのだが、この特急「あずさ」には思い入れがあるのかもしれない。中学生の頃、鉄道模型に目覚め、よく三鷹にある「トリオ商会」という模型屋さんで油を売っていたことは、ここでも以前書いた通り。この模型屋さんの目の前にあるのが、今も存在している三鷹電車区だった。当時は、模型屋の中にいても、絶えず中央線の101系の通過音やその振動が身体に伝わるくらいの距離間だから、優等列車や貨物列車が通過すると、いくらアントンKが駆け出しの鉄チャンでも当然ながらその違いがわかった。その中で一番の憧れの想いで眺めていたのが、特急「あずさ」だった。乗車経験はほとんどなく、もっぱらよく使ったのは格下の急行「アルプス」の方だったから、いつか社会人になったら思う存分乗りたいと思ったものだ。当時は、すでに食堂車(サシ181)は組んではいなかったが、朝方の幕張区の183系の1往復を除き、まだ181系で運転していた時代。アントンKにとって、最も早く身近に国鉄特急電車を意識したのが、今考えればこの「あずさ」の181系だったのだ。
そんな昔の自分の事を思い出しながら、やはりその時代撮影したものを今回は掲載。当時まだポジフィルムは、難しいという先入観から使用することはせず、ネガカラーとモノクロフィルムとで撮影に出た。当時の月刊誌「鉄道ファン」の写真を見ながら、一人駅から線路沿いをテクテク歩いたことを思い出す。この時は、思った以上に寒くそして暗くなって、ついには雨まで降り出してしまった。「あずさ」のみならず、貨物列車をメインに撮影していたことがネガを綴っていくとわかる。夕方まで粘り笹子峠をゆっくり上ってきたのは、帯無しのクハ181を先頭にした「あずさ」だった。
現代だったら、すぐにSNSか何かで帯無しは**Mと**Mでと、把握して撮影にいかせる事だろうが、当時はそんな事ができるはずもなく、ただただひたすら列車を待ったもの。もう待つことが辛くなった頃、撮りたかったスカートが長く帯無しの「あずさ」が見えた時の嬉しい想いは、40年以上経った今でも忘れはしない。
1975-11-23 11M あずさ11号 Tc181-11x10B 中央東線/初狩-笹子
Nikomart FT2 105mm TX