アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

安曇野路を往く懐かしの「EF55」

2020-03-12 19:00:00 | 鉄道写真(EL)

鉄研の先輩方のお誘いを受けご一緒した、大糸線の特別運転。思えば印象的な撮影旅行だった。今にして考えれば、アントンKがストレートに影響された、鉄道写真のいろはを教わった尊敬できる方々なのである。当時を思い出せば、とても恥ずかしくなるくらい、この先輩方と張り合い、肩を並べようと背伸びしていたが、何にしても到底敵わず、悔しい想いだけが蘇ってくる。ま、それも当たり前の話で、彼等は全国の蒸機を味わい尽くしている本物の鉄チャンなのだから仕方がない。彼等の写真からは、不思議と鉄道(蒸機)への想いが伝わってきて、こんな写真が撮れるようになりたいと思ったもの。長年の目標としてきたからこそ、今のアントンKが存在している。

SL「あずみ野」号の試運転時の画像。今にも泣きだしそうな空模様で、苦労したことをこの写真から思い出せる。ここ大糸線では、現役時代C56が走っていたが、それに合わせてC56160が遠征し、伴車には地元のロクヨン、そしてサプライズゲストは、ムーミンことEF55だった。EF55と大糸線とは無縁のはずで、こんな私鉄まがいのローカル線にEF55が走ること自体当時は事件だったはず。曇天のなか、何度も撮影している。撮影を通じて、他愛のない先輩方との会話が蘇ってくるが、まだお元気で線路端に立っていらっしゃるだろうか。久しぶりにあの頃にように撮影行きがしたくなる。

1995-11-21  試9324ㇾ EF551+EF6441     12系  JR東日本/大糸線:細野付近


いにしえのEF81~その魅力に迫れ!

2020-03-11 20:00:00 | 10年前の足あと

国鉄型電気機関車の中で、今や唯一の交直流型電機EF81。未だに現役の電機機関車として活躍中である。JR貨物機となり、九州内で余生を送っているカマもあるが、JR東日本にも現役機が存在していて頼もしい限りだ。特に田端区の機関車たちは、一時期後継のEF510にその任を譲り、ヤキモキした時期がある。当時の優等列車だった「北斗星」や「カシオペア」のことだ。専用の塗装機まで複数揃えて活躍していたが、EF510-500番台が一気に登場して取って代わったのだ。しかし現在まで運転されている団体列車の「カシオペア」では、再びEF81が返り咲いたのである。ある意味幸運な機関車とも言えるが、信頼性の高い優秀な電機である証であろう。こんなレアなケースで生き残っているパーイチも、今となってはとても魅力的に映り、多々撮影の構想を練って再びチャレンジしたところだ。

前出の成田線の続きで、成田臨で登場したEF81の雄姿を掲載しておく。JRになり、それまでのローズピンク塗装は赤色に代わってしまったが、再びローズピンクが復活しているのはご存知の通り。アントンKの年代からすれば、この赤は交流機を想像してしまい、やはりEF81には似合わない。ハチマルの後継機であるパーイチは、ローズピンクだからこそ魅力的なのだ。

1996-01-07  9843ㇾ  EF8187     14系9B    JR東日本/成田線:小林付近


最近の流行~MENTATEに想う

2020-03-10 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

鉄道撮影という趣味の分野も、現代社会においてかなり認知が進み、線路端でカメラをぶら下げていても、およそ世間様に理解を得られるまでになってきた。通りすがりの方々に、声をかけられたり、「撮り鉄」「乗り鉄」という言葉も一般生活に浸透し、我々の行動にも、昔とは違った心遣いをする場面が増えたように思う。その反面、ごく一部の心無いファンの悪質な行動のみがクローズアップされ、一緒くたに思われてしまうことは心外極まりないことだ。昔に比較すれば、ファンそのものの人口が圧倒的に増加し、また機材も優秀で手軽に撮影でき、しかも誰でも綺麗に撮影できる時代だから、ここまでメジャーになったきたということだろうか。ファンが集中してしまい、自分の愉しみのための撮影が脅かされることには閉口するが、概して同業者が増えてきていることは心強く感じている。この鉄道撮影という趣味の分野も、さらに発展、継続されていくことが確信できるからだ。

最近は、ネットを通じて他人様の画像を簡単に見られる時代になった。昔は紙媒体からの情報が全てといってよく、特定の方々の寄稿した写真を穴の開くまでよく見入ったもの。しかし今では、リアルタイムな画像がネットを通して閲覧でき、何とも便利な時代になったものだ。印象的な画像も多く、刺激を受けて奮起する場面も多々あるが、その逆の場合も多い。最近お若い方々に流行っている「面縦」という画像をよく見かけるが、ちょっとアントンKには理解できない場合が多いのだ。好きで撮影している趣味の世界のことだから、どう撮影しようと構わないことなのだが、そんな細かな時代の変化に敏感になってしまうのである。

普段は縦構図を好まないアントンKだが、縦アングルの記事なので、また昔のものから掲載しておく。言わずと知れた成田初詣臨の一コマ。毎年どこかしらで狙っていた成田臨だったが、この時はバケペンにカラーポジを装填して正月早々張り切ったようだ。日の出とともに現れたEF5889があかね色に輝く。今一度、この一瞬を感じたいがために、線路端に立ちたい。その繰り返しなのである。

1992-01-12  9833ㇾ EF5889    12系ナノ JR東日本/成田線:下総松崎付近

 

 


夕暮れの金子坂を上るDD51

2020-03-07 10:00:00 | 鉄道写真(DL)

確実に春が近づいていると感じるのに、世の中悶々としてしまい笑顔を忘れがち。こんな気持ちは長い人生でも初めてか・・アントンKの場合、花粉症ということもあるが、いつにも増してすっきりとしない日々を送っている。予定の演奏会もことごとく中止や延期の知らせ。聴衆ならともかく、演奏家の方々のモチベーションは如何なものだろうか。音楽は保存出来ないと考えているアントンKだから、あの限られた特別な空間の中の至福の時間芸術が、今は恋しくて仕方がない。アントンKの心のより所となっているのである。こんな時代だからこそ、今ここで生まれて消えていく響きの中に身を置きたいのだ。

日も随分と傾き、まもなく一日が終わろうとしている、そんな時間帯。上り坂を重連で懸命に上ってくるDD51。暗黒時代に光を求め、デーデーがそれを切り裂くように西日を浴びて近づく。必ず明日は輝くと信じよう・・

1994-05-18  5273ㇾ  DD51886+815       JR東日本/八高線:金子-箱根ヶ崎


行楽列車は花ざかり~101系「みたけ」

2020-03-05 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

現在では、路線をまたいで直通運転することが当たり前の時代。JRだけに限らず、私鉄・地下鉄問わず、直通運転でどこまでも行ける。最近開通した相鉄線の乗り入れ運転。まさか相鉄の電車が、新鶴見機関区の脇を通過する時代が来るとは夢にも思わなかった。こういった傾向は今後も益々各地で進んで行き、移動手段としての鉄道はさらに便利になっていくのだろう。アントンKも、自分自身で乗車する度に便利になったことを実感しているが、何度も乗り換えをして目的地までいくという、鉄道旅の醍醐味も忘れてはいない。毎日の通勤通学ならまだしも。非日常を味わうような鉄道旅ならではのスタンスが失われては寂しく思えるのだ。

現在の青梅線には、毎日定期で都心まで乗り入れる直通電車が多数設定されている。昔と違って、青梅線沿線も宅地化が進み、完全に通勤圏内と化している証拠だろう。JR東日本の誇る代表E233系が幅を利かせて走る訳で、もうすぐグリーン車やトイレまで設置されるというのだから、今後もさらに便利に乗りやすくなることだろう。掲載写真は、まだ国鉄時代の青梅線。ED16の牽く石灰列車が引っ切り無しに走り、その合間を茶色の73系電車がゴトゴトと走っていた時代のもの。週末になると設定されていた、新宿発の特別快速「みたけ」号だ。普段オレンジ色の電車は青梅以西では見られず、ヘッドマークも専用に用意されていたから、特別感が強く当時では青梅線の花形列車だった。優等列車とはいえ、非冷房の101系7連が山へ入ってくる光景は、当時を偲ぶが出来てとても懐かしい。この軍畑の鉄橋も現在は如何なっているのだろう・・

1976-04-18   885H Mc100-60 ほか7連  青梅線:沢井-軍畑にて