先週に引き続き、新日本フィル定演を聴いてきた。
今回は、何といってもソロ・コンサートマスターの崔 文洙氏による「シェエラザード」が聴けるということに尽き、楽しみにしていた演奏会。以前新日本フィルのアンケートで、この楽曲をリクエストした覚えがある。この他にも、「英雄の生涯」とか、チャイコの協奏曲とか、「アルペン」とか書いた記憶があるが、少しずつ実現していることに感謝している。でも、実演を真の当たりにして感動を共有すると、不思議なもので、次から次へと聴きたくなるのだから我ながら呆れてしまう。それだけ音楽は深く大きいということなのだろう。
演奏会の前半には、バルトークの作品が2曲演奏された。アントンKには、今まで無縁にすら思えるバルトークだったが、どちらの楽曲も思いのほか聴きやすく驚嘆してしまった。ソリストを務めた豊嶋泰嗣氏の思い入れたっぷりの協奏曲では、神秘的にさえ聴こえた響きの世界が大変美しく、作曲者への偏見が少し緩和されたよう。意外と食わず嫌いだったのかもしれない。しかしそんなひと時の安堵な気持ちも、後半の「シェエラザード」で完全に打ち消されてしまった。
「シェエラザード」を聴くのは、いったい何年振りだろう。昔モスクワ放送響来日時に聴いた記憶が微かにあるが、生演奏では数十年ぶりだろうと思う。ロシア音楽特有とでもいうべき、分厚い低音と管楽器群のアシュラのような雄叫び、そして打楽器群のパフォーマンス。最近の新日本フィルでも、特に今回鳴っていたのではないか。特に終曲にかけての集中力と高揚感は、久々に味わった想いだ。シェエラザードのテーマが、全楽章にわたりVnソロで演奏されるが、ここでのソロ・コンマス崔氏の演奏は、変幻自在。エキゾチックに響かせたと思うと、感情をあらわに音色に乗せてみたり、各ポイントでの響きの伝わり方が違い目が離せなかった。そして第三楽章で、冒頭のD-durの美しい主題とともに、アントンKの前に亡き親父が現れたのだ!もちろん、錯覚に過ぎないのだが、大昔、親父が自慢げにロストロポーヴィチのシェエラザード(1970年代当時、名盤と言われていたレコード。オケはパリ管)のレコードを手にして、一緒に聴いたことが蘇ってきた。こんなこと、とうに忘れ去られていたはずなのに、その時聴いた音色が脳裏でダブったのだろうか、一気に目頭が熱くなり、心は半世紀も前へと遡ってしまったのだ。マエストロ井上道義氏も絶好調のようで、ここでは指揮棒は使わず、指揮台も使わず、全身全霊で、時には躍るような仕草を見せながらの指揮振りに感動を覚えた。決めのポイントではプレーヤーに容赦なく要求し、逆にソロ部分では信頼の絆がみえるような委ね方でプレーヤーに依存する。この辺の駆け引きは実に上手いものだと思わされた。
ソロ・コンマス崔氏による超高音Eが消えると、しばらくの余韻の後現実に引きも出されたが、生演奏から享受したエネルギーは今日も計り知れない。演奏中のほんの一瞬の響きが、明日への活力に代わる。こんな世の中だからこそ、なお更なのだ。
新日本フィルハーモニー交響楽団 トパーズ定期演奏会
バルトーク ルーマニア舞曲 Sz.47a BB61
バルトーク ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ長調 Sz.36 BB48a
リムスキー=コルサコフ 交響組曲「シェエラザード」 OP35
指揮 井上 道義
Vn 豊嶋 泰嗣
コンマス 崔 文洙