アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

ただの止まり写真・・けど思い出満載😆~EF58

2021-04-19 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

車両にカメラを向け出した頃、まだ走行写真にはハードルが高く、駅の止まり写真で満足していた時代がある。まだ鉄道模型に一番時間を費やしていた頃で、じっくり本物の車両をまじまじと見ては、カメラを向けていた。

以前にも書いたが、よく行っていたのは埼玉の大宮駅。母方の親戚が近隣にあり幼少の時代から馴染みだったことが大きい。今回は、そんな時代の中からEF58の臨客の画像を掲載。写っていればそれで満足だったから、今さら見ても古い写真以上の感慨は湧いてこないが、テレコを担いでホームを駆け巡った思い出が、こんな画像からも蘇ってくる。ゴハチが入線してきても、当時ならがっかりでゴーナナを懇願していたアントンKが目に浮かぶ。小窓のすっきりした井出達のゴハチ。これはこれでカッコ良い機関車だと思える。次位の客車は、10系の軽量客車ナハフ10あたりか・・10系座席客車は早々に引退してしまったから今見ても珍しく感じる。

1975-08-19  9408ㇾ  EF58114    急行「津軽51号」    東北本線:大宮駅


渾身の「シェエラザード」に感動!~井上&新日フィル

2021-04-18 17:00:00 | 音楽/芸術

先週に引き続き、新日本フィル定演を聴いてきた。

今回は、何といってもソロ・コンサートマスターの崔 文洙氏による「シェエラザード」が聴けるということに尽き、楽しみにしていた演奏会。以前新日本フィルのアンケートで、この楽曲をリクエストした覚えがある。この他にも、「英雄の生涯」とか、チャイコの協奏曲とか、「アルペン」とか書いた記憶があるが、少しずつ実現していることに感謝している。でも、実演を真の当たりにして感動を共有すると、不思議なもので、次から次へと聴きたくなるのだから我ながら呆れてしまう。それだけ音楽は深く大きいということなのだろう。

演奏会の前半には、バルトークの作品が2曲演奏された。アントンKには、今まで無縁にすら思えるバルトークだったが、どちらの楽曲も思いのほか聴きやすく驚嘆してしまった。ソリストを務めた豊嶋泰嗣氏の思い入れたっぷりの協奏曲では、神秘的にさえ聴こえた響きの世界が大変美しく、作曲者への偏見が少し緩和されたよう。意外と食わず嫌いだったのかもしれない。しかしそんなひと時の安堵な気持ちも、後半の「シェエラザード」で完全に打ち消されてしまった。

「シェエラザード」を聴くのは、いったい何年振りだろう。昔モスクワ放送響来日時に聴いた記憶が微かにあるが、生演奏では数十年ぶりだろうと思う。ロシア音楽特有とでもいうべき、分厚い低音と管楽器群のアシュラのような雄叫び、そして打楽器群のパフォーマンス。最近の新日本フィルでも、特に今回鳴っていたのではないか。特に終曲にかけての集中力と高揚感は、久々に味わった想いだ。シェエラザードのテーマが、全楽章にわたりVnソロで演奏されるが、ここでのソロ・コンマス崔氏の演奏は、変幻自在。エキゾチックに響かせたと思うと、感情をあらわに音色に乗せてみたり、各ポイントでの響きの伝わり方が違い目が離せなかった。そして第三楽章で、冒頭のD-durの美しい主題とともに、アントンKの前に亡き親父が現れたのだ!もちろん、錯覚に過ぎないのだが、大昔、親父が自慢げにロストロポーヴィチのシェエラザード(1970年代当時、名盤と言われていたレコード。オケはパリ管)のレコードを手にして、一緒に聴いたことが蘇ってきた。こんなこと、とうに忘れ去られていたはずなのに、その時聴いた音色が脳裏でダブったのだろうか、一気に目頭が熱くなり、心は半世紀も前へと遡ってしまったのだ。マエストロ井上道義氏も絶好調のようで、ここでは指揮棒は使わず、指揮台も使わず、全身全霊で、時には躍るような仕草を見せながらの指揮振りに感動を覚えた。決めのポイントではプレーヤーに容赦なく要求し、逆にソロ部分では信頼の絆がみえるような委ね方でプレーヤーに依存する。この辺の駆け引きは実に上手いものだと思わされた。

ソロ・コンマス崔氏による超高音Eが消えると、しばらくの余韻の後現実に引きも出されたが、生演奏から享受したエネルギーは今日も計り知れない。演奏中のほんの一瞬の響きが、明日への活力に代わる。こんな世の中だからこそ、なお更なのだ。

新日本フィルハーモニー交響楽団 トパーズ定期演奏会

バルトーク   ルーマニア舞曲  Sz.47a BB61

バルトーク   ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ長調 Sz.36  BB48a

リムスキー=コルサコフ 交響組曲「シェエラザード」 OP35

指揮    井上 道義

Vn                  豊嶋 泰嗣

コンマス  崔 文洙


国鉄時代の残照より~形式「クモニ13」

2021-04-17 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

昔はカメラを持って都内を散策していると、偶然に出会う車両たちも案外多かったことに気づいている。もちろん、カメラ持参で動くからには目的ははっきりしていたが、それに付随する「おまけ」のような被写体も、これだけの時間とともに熟成され想いが募り懐かしくさえ思えるようになる。そんな画像から、今回は都内を走る「クモニ13」の掲載。

当時はまだ東海道ブルトレも、EF65P型けん引の時代。親父の持っていた一眼レフにネガカラーを入れて、ダイヤ改正後の都内を廻っていたようだ。鉄道写真も、雑誌に載っているものを見よう見まねでカメラを構え、友人にアドバイスを受けながらシャッターを切っていた。どこにピントを合わせるのか?、動く被写体にはどのくらいのシャッタースピードが必要なのか?、その時の絞り値は?と、今では意識から遠のいてしまった撮影技法が、アントンKに次々に襲いかかったものだ。撮影した直後に画像の確認など出来ないから、きっちりフィルムを撮り切り、街のカメラ店に現像を頼み上がってくるまでは、期待と不安の日々を過ごしたもの。今のこの時短時代にはもう考えられないのかな?そう思うと時間がゆっくりだったその頃の方が、アントンKには合っていた気がする。

釣り掛け音を響かせ姿を現わした荷物電車クモニ13。もちろん単行だ。浜松町4番線は、京浜東北南行のホームだが、いつ出会えるのかよく分からず、分からず仕舞いで消えてしまった電車の一つになっている。背景に写っている0系新幹線も懐かしいが、ホームで新聞紙を広げている乗客、今にしてみれば簡素なホーム、多々お世話になった駅長事務室など、アントンKには昭和時代満載の画像となっている。

1975-03       クモニ13013            京浜東北線:浜松町にて

 


顔が命のEF58 !?

2021-04-16 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

サイドからバックにかけてがゴーナナ(EF57)のベストショットなら、ゴハチ(EF58)は正面こそ最大の魅力か?当時は確かに、顔が命とばかり正面窓の大きさやヒサシ形状にウンチクを言い、人それぞれ拘りを唱えて、それはそれで楽しかった記憶が蘇る。大所帯のEF58だからこその魅力にも思えるが、EF18を含めた175両全て現役の時代から撮影を意識できたことが今にすれば幸せに感じる。振り返れば、一番懐かしく楽しかった思い出は、ゴハチの機番を追い、仲間と張り合って撮影したことよりも、仲間内で普段ゴハチを語り合った日常の方が何倍も思い出深いのだ。

ここでは、尾久に進入する宇都宮機関区のEF58 70の牽く普通列車。小窓ヒサシ付きのお顔立ち。まだHゴム改造はされていない。上越型とも違うこのスタイルも、アントンKは好きだった。まだEF57現役時代、何と次位にはそのゴーナナが繋がっていて撃沈している。事前情報があれば、ここでは撮らなかったはず。まあ当時はこんなこと、よく遭って悔しい思いは尽きなかった。

1975-08-16  48ㇾ   EF58 70+EF57 9          東北本線:尾久


バックショットこそゴーナナの魅力!~EF57

2021-04-14 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

フィルムカメラが当たり前だった昭和時代。撮影も長く続けていると、昭和時代のもうすでに記憶から遠のき忘れてしまった画像が多々残っていて、昨今のデータ化作業によって発掘され、息を吹き返す画像も多く、個人的にはとても嬉しく思っている。まだ駆け出しの当時の画像を今見ることで、全く印象が違ってしまうとこも多いのだ。これは、音楽についても同じことが言えて、当時は自分にとっての名盤でも、時間とともに印象が変化することがしばしばある。だからこそ、どちらの趣味も魅力を感じるし奥が深いと言えるのだ。

苦し紛れのゴーナナバックショット!いきなりのゴーナナ登場に慌てふためき、ファーストショットは敢え無く失敗。あわてて振り返りざまにシャッターを切ったコマがこのコマだ。狭窓の旧客は高崎に残っているはずだが、EF57の次位に繋がったスハフ32 2359の雰囲気は今もっても最高だ。写真のように、窓を開けながら身体を客車に委ねて乗車する、夢のような一時をまた味わいたい。

1975-05-05   48ㇾ  EF57 7    東北本線:尾久付近