宇宙へのツイッター

踏まれた足を退けることが出来るまで
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明と暗と

2017-08-02 14:55:20 | 日記


そのブログを書く人と、 話がしたい、と思った。
でも、そのブログにはコメント欄がなく、ただただ、自分が正しいことだけを公開していることに我慢ができなくて、【愚者の戯言】 を立ち上げた。

間違いなく私が立ち上げたブログを、その人は、※moさんが、他人に 「なりすまし」 て書いている、と言った。

何度も否定して、やっと、私・麦のブログである、と納得して貰えたと思っていたけど、
最近になって、また、その人と関ることになって、その点がクローズアップされると、その人は、また、言った。


申し訳ありませんが、今でもその印象は拭えません。
愚か者の戯言の最初の記事は、今でも ※moさんが書かれたのでは、と思っています。
非情に原発に詳しく、専門用具を使い、理論物理学者の婿に迫るような質問でした。
今 ※moさんがしきりに使用されている、うんこもその時の記事に頻繁に出てきました。
麦さんは、原発の事はそんなにお詳しくありませんよね。
 
  

と。

なんてことだ。
私は、「愚者の戯言」に書いた記事の中で、原発について触れたことは、一度もない。

私は、確かに、あらゆる知識に疎く、原発についても無知な人間である。
無知なりにも、被災地の現状を正しく知るために現地へ赴く ※moさんの行動に反論のコメントをした、その人と話し合いをしたかった。

だから、私が知り得る限りの知識で、原発について私が思うことを記したのだ。
しかも、それは、「愚者の戯言」の記事ではない。
「愚者の戯言」の記事で、原発や、※moさんの現実的な行動に触れたことは、一度もない。
「愚者の戯言」は、そんなブログだった。

原発についての発言は、その後の、コメント欄で交わされたことである。

その私の知識を、無知な麦の知識だとは信じられないからと言って、その人は、そのブログが、※moさんの、なりすましだと思い込み、その思い込みは、今でも変わってない、と。

冤罪 

これこそが、私への誹謗中傷ではないのか?

「かもしれない」 を、ネットで公開することの影響を、もっと真剣に考えてほしい。

☆☆さんのガラケーが壊れて、新機種に変更したことは、☆☆さんのコメントから、だいぶ前に伺い知ることができた。
伏字はあっても、よく読めば、すでに、☆☆さんの携帯電話は、ガラケーではないことが分かる。
しかし
「いまだに、☆☆さんがガラケーを使っていると思い込んでいる人がいて、☆☆さんの冤罪が公開されている。」
と、風の噂で聞いた。
風の噂だから、それが事実かどうか、私には分からない。


このブログの存在を、疎ましい人がいる。
その人と関わるたびに、私のブログライフは、一変する。

明と暗。

ご主人を亡くし、お母様の介護やら、お子さんの事でも悩み事が絶え間なかった、当時の知人は、以外にも明るかった。
元気そうに、私と会話を交わす、その人に、「この状況なのに元気そうで、良かった。」 と言うと

生きているんだもの、元気でいるしかないでしょう。
本当は、じっと、リビングの椅子に座っていたいのよ。
食事もせずに、朝から晩まで、何もしたくない。
黙って、背中を丸めて、下を向いていたいのよ、本当は。
でも、そうしてはいられないでしょう。
生きていかないとだから、だから元気にしているの。


と、ポジティブな、その人は、そう言えば、いつもそうなのだ。

心の中の暗と、表面に出す明、との違い。

私の二つのブログも、私の心の、明と暗、と言えるかもしれない。

たかがブログで、朝から晩まで、背中を丸めて下を向いて、考え込んでいるわけにはいかない。
暗を裏に隠し、明で表面を綺麗に飾り立てることは、世間では出来るかもしれない。
しかし、私の心のままの宇宙で、そんなことは出来ないから、このブログを抹消することは、永遠にないような気がする。

私だって、綺麗な私のブログを、一つは欲しいから。