宇宙へのツイッター

踏まれた足を退けることが出来るまで
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不本意ながら

2024-02-26 12:40:15 | ブログ考

もしも 私が 拉致された子供の母なら

どんなに卑怯な手段を使ってでも 来日した選手一人を誘拐して監禁し

[私の娘を返さなければ 返さない]と

そんなことも有り得ると思う

 

若いころ 男女数人で 

愛 お金 健康 理性 の中で最も大切なのは? と言う話題で盛り上がることが有った

私は 愛? 健康? と考えていたのだけれど

迷うこともないように 一人の男子が[理性]を挙げた

それを聞いて 私は 恥ずかしかった

理性ある日本人

日本は 世界に誇れる国なんだと思う

 

もうブログは辞めよう、そう思っていますが、ほとぼりが冷めれば書きたくなるかもしれないので、今のところ[辞める宣言]は、しないでおきましょう。

今日は、思う事があって、一時的な、個人へのメッセージです。

 

G氏のブログにコメントなさった、Unknown (単なる読者) さんへ

M樹さんは終わったと言いながらも、
ブログ外の正直村ではシンパらしき人と、T樹さんブログについて辛辣に糾弾していた。
<正義、正義って叫べばよいってものでもない>とかなんとか、<ここで言ってすっきりした>とか。

このようの書かれていたのを、拝見しました。

私は、このように書かれた主旨を、コメント全体の段落と、文章の構成から、

 

麦は、終わらせたと言ったのに、その後も、別の場所で、<正義、正義って叫べばよいってものでもない> とか <ここで言ってすっきりした>とか。 こんなことを言って、紬さんのブログを糾弾していた。

 

このように解読しました。(もし、私とは異なる解読をなさった閲覧者さんが居られたら教えてほしい)

この件で、私が[終わる]と言う意思を公開したのは、2月20日ですから、その後に、私が、このような発言をしたとは思えません。

100歩譲って、もしかしたら過去に、紬さんのブログが話題になった時、このようなことを私が言ったのか? と、当時のスレを遡って確認しました。

それは、去年の10月ころです。

しかし、どこにも、そのような文言は見当たりませんでした。

そんな時、閲覧者さんから、

<正義、正義って叫べばよいってものでもない><ここで言ってすっきりした> このようにコメントしたのは私です。】

このようなメッセージがありました。

コメントの年月日を確認すると、2月3日 (土) 13時16分 です。

つまり、私が紬さんとの行き違いを正すことに終止符を打ったよりも以前であり、しかも発言したのは麦ではありません。

おそらく、2月3日ころの、私のブログの状態を眺められて、私・麦の心情を思い、ご自身の本音を吐露して下さったと、その時の私は、ありがたく受け入れたのだと思います。

もしも、この書き込みが、どなたかの中傷になり、公開に相応しくないと判断したなら、それなりの対処をしたでしょうし、今も、その考えは変わりません。

 

私は、ネット上に、恥を晒したくはありません。

しかし、それが水面下での恥だとして、私の常識内で間違ってないと思う行為、発言ですから、必要あれば隠すこともなく晒しますし、どこかで晒されることが有っても受け入れましょう。

他人の口に戸は立てられませんから、私の周囲で起きている出来事を、それが事実なら、誰がどこで話題にするのも自由だと思います。

しかし、このように、単なる読者さんの、事実とは異なって解釈される文面で拡散されるのは、許しがたいです。

私への反論があるなら、それが間違いない事実であることを確認したうえで拡散して下さい。

事実かどうか確信が無い場合、また、読み手に対し、正確に伝わらない可能性のある文章の場合は、直接、私自身に抗議してください。

 

いつか、✿さんへ、堪忍袋の緒を切った時に匹敵する、理性を失った今日の麦です。

ブログ主の名誉として、強く申し上げます。

間違った情報を、ネット上に拡散しないでくださいっ!

 

G氏の多忙な日常を考慮し、引用は事後承諾とさせていただきます


自慢

2024-02-05 16:47:47 | 

自慢になるような家で暮らしてるわけではないし

自慢できるほどの学歴もありませんが

自慢です

 

少し前に ❝老害の人❞ のスレで

自分の思いを 一番前に出して生きるのが その人にとっては もっとも人間らしく幸せな人生なのかもしれない

でも その生き方が 他人に害を及ぼす場合があることを 知らなければ

このようなことを書きました

 

最近のこと このブログに

大変な状況にあるのは、わかっていたからブログを開けてくださいと、直接コメントを入れることをためらっていた。

このようなコメントを いただきました

 

コメント主さんの 一番の思いは ブログを開けてください ということ

そして 二番の思いが ためらっていた ということ

なぜ 一番の思いを前に出さず 二番目の思いを 前に出したのか

それは 一番の思いを実行することで 相手のかたに害を及ぼすかもしれないから

言うまでもなく 大変な状況にあるのは、わかっていたから だと思います

 

私のブログに 同意のコメントをくださる閲覧者さんの存在

それが 私のネット活動における 自慢です

 

どうやら 某ブログにて[なりすまし 嫉妬 軽薄なブログ主]と 疑われたのは 私・麦の事らしい・・・

それ以来 書くことと言ったら カテゴリー[ブログ考]だけが 何件か続きました

私が こんなことを書くから 当然ながら 某ブログに関するコメントを頂いています

反論は ほぼ盲目的に某ブログを[善し]とする方々

返信を兼ね 質問を投げかけても お返事はいただけていません

 

先ごろ 茶々さん 一ブログ主さん から頂いたコメントについて  

Tさんに心を寄せる茶々さん、そして、一ブログ主さん、

お二人から私に届いたコメントを、Tさんがお読みになったら、はたして、お喜びになるでしょうか。

このように 申し上げました

 

このところのコメント欄は[ネットの在り方・常識・マナー]について であり

個人を 槍玉にあげているのでも 叩いているのでも バッシングでもありません

 

善しは善しであって当然ですが Tさんご自身に 思うところがあって

非公開のコメントは全て表示しましたので...は、不自然。

未公開、非公開になっているコメントは、ありません、が自然。

嫉妬によるなりすましは誰なのかバレバレだ、の大合唱はほぼ表示し

かたや 読まないで削除したコメントがある ということ

このような疑問を 閲覧者の方々に抱かれる結果になったことは 

Tさんご自身が 反省点としてお気付きになっている と私は思っています

Tさんのお人柄を知るつもりの私だからこそ 真摯な対応をなさるTさんだから こそ です

だからこそ Tさんを応援する方々は Tさんの自慢になる閲覧者さんだと思っていました

 

ここに書き込まれているコメントは

みんなで考えたい ブログの在り方 であって 

けして Tさん個人への批判ではないということ

 

盲目に信頼するTさんのブログを応援し

Tさんを応援したいという気持ちを 一番前に出すことで

Tさんに 余計な心労をおかけすることのありませんように ・・・

 

自分の思いを一番前に出すことで 他人に害を及ぼす場合があるということ

❝老害の人❞ で私が言いたかったことです

 

お正月の寄せ植えから 葉ボタンを外しました

娘に 2月だから葉ボタンは外した事を伝えて

[お隣の玄関にはXmas前からずっと 今でも葉ボタンの鉢植えが飾ってる]と言ったら

[お隣りの花のことなど どうでもいいことでしょう!] と怒られました

 実社会では 自慢の娘です

東大卒ではありませんが

ということで カテゴリーは ✿  

ではまた・・・