宇宙へのツイッター

踏まれた足を退けることが出来るまで
.
.
.
URLを残されたコメントは非表示となっております

おかえりなさいの訳

2020-06-28 13:35:51 | 日記
県またぎ移動緩和で さっそく 元気印のママ友が行動開始した

今回は 関東周辺のメンバーのみプチランチ会ということで 都内 都下 神奈川県 千葉県から集まり易い新宿に集合とのメール

新宿でも 地理的に夜の街近辺は避けたいとなってるけれど 小心者の私は新宿というだけで尻込みし 今回は不参加を申し出たところ それなら プチプチランチ会を ということで 住まいが近い元気印の彼女と もう一人の3人で 7月の本番より一足早い26日に集合した

全てを地元の彼女にお任せし 11時半に駅の改札で待ち合わせて まずは彼女が行きつけというレストランへ

私が暮らしていたころ ・・・ については後に語るとして
この辺りは 国道沿いが草むらに覆われた丘になっていたと思うけれど そのころの視界は どこがどうだったかの位置関係を探るにも 記憶とは一致しない街並みに変貌している

こじんまりとしたドアを開けると 明らかに一見さんとは違う対応のスタッフさんに案内されて 着席

すでに彼女が予約済みのコースから それぞれにメインやデザートをチョイス









食事を終えデザートの段階に 彼女とスタッフさんとで何やら再確認する様子を不思議に思ったのであるが やがてオーダー通りに私の前には洋ナシのタルト もう一人の友の前にはチーズケーキが供され そこには なぜか 「おかえりなさい」 の文字



なんで おかえりなさい? と疑問符の私

元気印の彼女は 満面の笑み で 「ね! おかえりなさい!」

久しぶりの再会だけど 何で おかえりなさい? と何秒か考えて そうか! やっと分かった!


私が暮らしていたころ ここは国道沿いが草むらに覆われていて ・・・

そうなのです

夫の赴任先に於いて 息子が通った日本人学校で出会い グループ活動をする中で親しくなるうちに 私は東京から 私は大阪から 私は〇〇市からと個人情報の交換をすることもあって 彼女は日本の某市に自宅があることを聞き 「私も娘が幼稚園のころまで そこに住んでいた」 という話をしたことがあり 10数名の仲良しグループの中でも 特に愛着があった私たちなのだ

もう一人の友のデザートには 今 元気印の彼女が暮らす土地へ 「ようこそ」 と

そして私には 「おかえりなさい」 ってことだったのね

私が ここで暮らしたのは 娘が小学生になるまでの6年間
もう20年以上も慣れ親しみ ここが永住の地になるという彼女の案内で そこもまた彼女が行きつけの喫茶店へ

ピスタチオ何とか というケーキを三つと アイスコーヒーも三つ
しかし 残り二つしかないとのピスタチオを譲ってくれて 彼女は リンゴの何とかケーキ
 



コロナでもなく加齢でもなく 特に何を話したか思い出せることは無いけれど 誰かが何かを話しているうちに日暮れは迫り来て またこのメンバーでのプチプチランチ会を約束し 解散

無事に帰宅した報告メールには それぞれ異口同音に 「時間が過ぎるのが早かった」 とあった

それほどに楽しかったけれど やっぱり新宿に出向くには 勇気がない ・・・


ネームプレートの画像から「どこか違う」と思って HCより連れ帰った株に花が咲いた 



やっぱり どこか違ったアガパンサスの クイーンマム


その人と関わることになった発端は その人のコメントが原因で 私が長く愛読していた「素顔のまま・・・」 のブログが消えたことだった
 
すでに6年か7年前のことになる そのブログへコメントした理由を 先日 ご本人は このように公開しておられる

     (コピーの承諾を得る手段がないので私の言葉になるけれど)


風評被害が心配なので、もう少しその点を配慮して書いてほしいとお願いしただけだった。
(その人は) 広島の被爆者なので、福島の方々のご苦労が身につまされる思いがしてならなかったから。
言葉を選び、丁寧にお願いしたつもりだった。

それがきっかけで大変なことになった。
酷い誹謗中傷のコメントだったと言われた。
誤解を解きたくて弁明したけれど、弁明すればするほど非難がエスカレートした。
人格否定のような言葉を三名の女性から長い間浴び続けた。

それが、体調を崩した原因のようである。





その人は 先日 当時の事を このように公開しておられたけれど その人のコメントがあってから その後の経過を ずっと見て来たという閲覧者さんのコメントを ここに貼っておこうと思う




その人が「言葉を選び、丁寧にお願いしたつもり」 のコメントについて 
閲覧者さんは 「そのコメントの無神経さ、無礼さに驚愕し、このかたは一体どういうつもりなのだろうかと理解に苦しんだ』 と

「誤解を解きたくて弁明したけれど、弁明すればするほど非難がエスカレートした。」 については 
「謝罪にもならない謝罪をし、純粋な質問に気を悪くする方が悪いかのような態度を通された」 との感想を伝えて下さった

そして最後に



このような思いを伝えて下さった

事実を分かる人は 分かってくださる
分かってくださった方々は 本当に有り難いくらい多かったから もう蓋をしようと何度も思った

けど

何の前進もないまま
gooブログのフォローに目を向けると ご本人の意図するところが垣間見えるような気がして やはり 第三者ではなく 貴女ご本人の思い違いに気付いて欲しいと願う気持ちが強くなる




こんなあるある

2020-06-25 10:48:55 | 日記
玄関にそびえる我が家のシンボルツリー オリーブは 風に翻るシルバーリーフの中で無事に受粉した実が見え隠れする季節である

昭和の そんな言葉さえなかったガーデニングが日本に浸透してきたころ 幼い時から見慣れた花を育てることに精いっぱいの私は 多肉愛好家たちの多肉談義を他人事として眺めていたものだった 

そんなこともあったっけと懐かしく思う メタルラック4段に並んだ我が家の多肉たち 

始まりは 桃美人だったか星美人だったか
なんで今まで気付かなかったのかと 多肉愛好家のヤリトリを流し目の如く読み流していた自分を恥じ 悔いを取りもどすように 次々と手の平に乗るサイズの鉢が増えていった

初めて魅せられた桃美人だか星美人とは異なる魅力を見つける中での新発見は ほとんどの多肉に花が咲くということ

今年もまた その時が やってきた 

この花を見ずして 花を語るなかれ



姫星美人


姫星美人 大型姫星美人 は 多肉に魅せられたキッカケである星美人系のせいか ましてや初めて この花を目にした時の喜び
この花が咲いては 「この花を見ずして花を語るなかれ」 と 米粒ほどの葉から生まれた 小ささに似合わない存在感のある花への愛を 今日もまた叫ばずにはいられない


オリーブの木のある家で暮らしたい という私の夢をかなえるために 飛行機とバスと高速船を乗り継いで小豆島へ向かったのは 2014年の春のこと

島の港よりタクシーで辿り着いたオリーブ園で事情を伝えると スタッフさんが選んでくださった 幹はたわみ私の背丈ほどだったミッションとネバティロブランコは 今や両手の指を伸ばしても掴み切れず 見上げれば首が痛くなるくらいの高さに生長した

オリーブにはハート型の葉が見られることがある と教わったのは その日 持ち帰るために 苗の先端を丸めて荷造りするスタッフさんからだったでしょうか 

さほど気になることでもなかったけれど 我が家のシンボルツリーとして育てるうちに 数えるほど何回か見つけたハート型の葉

水槽に散った ハート形オリーブの葉



青いメダカ幹之(みゆき)がハートと戯れる



こんなあるあるを呟きながら 私が 書くことをやめないわけ


あの方の呟きに目を通させていただいて このごろは読み流す技量が身に付いた

関わることが無ければ ネットサーフィンをしながら ふと気になるタイトルをクリックしては楽しむブログの中の一つである

あの日 「心と身体・・・」の文字が目に入って 何かしら深い意味があるように感じたのを 虫が知らせたとでも言うのでしょうか
健康について語られるにつけ 「続きがある」 という言葉の響きに 更に不安が募った 

三日目の事だった

文字を追うにつれて 鼓動が高鳴った
やはり また ・・・ という思いがありながらも 「麦は中傷してない」と分かってくださる閲覧者さんは たくさん居られたことを思い起こして 読み流すことを戒めた

そこまでは良かった

相変らず 誹謗中傷とか 弁明とか非難とか 人格否定とか 
聞き苦しい日本語で ご自分が正しいように構成された文面は これまでに何度も拝見して もう読み慣れた感がある

そこにはコメント欄が無いので 引用の許可を得ることが出来ないから 私の言葉に代えることで微妙な違いが出るかもしれないけれど


数年間続いた 自律神経失調症
その原因が ネットでの中傷によるものだった 
それは 精神面の苦労とストレスによる他愛無いもので
中傷が収まると同時に回復した



そうですか ・・・
「忘れましょう 金輪際 関わりません」 と提案しながらも 相変らず こうして閲覧者の方々に 麦から誹謗中傷を受けたと訴えていらっしゃるのですね
困ったものです ・・・ と 読み流すしかないと思う私になった

しかし その次に続いた1行に目が行ったとき 言いようのない闇に包まれて それまでの戒めが揺らいだ

 
夫は その後しばらくして重篤の身になりましたが その症状は現れませんでした


この行りに目線が届いたときの私の感情を どのような言葉で表せばよいのか

お身内の重篤という 人生における苦痛で高い位置の辛さに身を置かれた状況でも現れなかったという症状

つまり 麦の中傷は お身内の重篤よりも辛いことだった と言いたいわけですね

貴女には 何気ない公開発言だとしても 私には 「身内の重篤よりも辛い中傷をした麦」 という トドメを挿されたようなもの


貴女の思い違いを どうにかしたいです





こんな年の今年の誕生日

2020-06-20 23:44:04 | 日記
第一号は 昨夜のうちに送ってくれたメール友さんより 「少し早いですが お誕生日おめでとうございます」と PCに着信

そして 今日 気付いたのだけど 誕生日を祝ってくれる知友人に ようこさんが3人いた

幼馴染のヨーコちゃんは ガラホからのメールで 「いつの間にか こんな年に ・・・」 と

二胡友の ようこさんは 「ン歳 おめでとうございます」 と 年齢を暗に

私より少し先に生まれた ようこさん は バースディケーキを抱えた ようこの名入りスタンプで 

たまたま今年は スマホに3人からのバースディーメッセージが続いて着信したことで ようこさんが3人いることに気付いたのだった 


実に 自分が こんな年齢になったとは思えないトシになった

親友というのに最も近い友からの 「神様が生きなさいと言う間は頑張って生きましょう」 は 一昨年の誕生日に心配な病名を聞いて どうか来年も 「おめでとう」 と言えますようにと願ったときから 2回目の ひときわ嬉しい「おめでとう」である


こんなときだけど マスク姿で来てくれた (*´▽`*)さんの心づくし



窓という窓を開放し お互いがテーブルの縦長に座して対面し 久しぶりのティータイム





キッチリ纏まった花束を生けようとしたら 壺に入らなくて グッピーを飼っていた小型の水槽に生けた


今 我が家のウェルカムフラワー



ちょうど去年の今頃 外壁の塗り替え工事でフラワーボックスが空っぽになってしまい 満開の花を花屋さんで求めてボックスを埋めた

花後は枯れない程度に手をかけ 無事に越冬しての開花だけど ネームプレートが無くて 名無し
 
帰り際に (*´▽`*)さんがスマホのアプリで 花の名前を検索してくれたところ ヒマワリ ガザニア ガイラルディア ルドベキア などがヒット

これという決定打がないけど 消去法で ヒマワリの仲間かな~?


コロナ太りで3kg増しという(*´▽`*)さんは 9月に4人目のおばあちゃんになるという

今日は おめでとうが 二つ





兆し

2020-06-14 12:24:45 | 日記
ワンの散歩で 南側の庭に いつも鮮やかな花が育つ 一戸建ての前を通ることがある
 
1年くらい前の ある時 フェンス越しの花々に目を向けると ちょうど外にいた家主さんと目が合い 「南向きは良いですね」 と お声をかけるということがあった

昨今の住宅事情で 我が家の周辺ともなると 南向きと言うのは恵まれた環境だと常々思っている私には 目が合った気まずさから 精いっぱいの 社交辞令的お声かけである

そこで家主さんからの 「いや うちにはメダカは居ないから 負けてますよ」 という返事に とっさには意味不明の私
やがて 私の声かけの意味を理解した上での 北向きである我が家に対し南向きという利点はあるけれど メダカを飼っていないことで 私への謙遜らしいことを悟った

どうやら 同じ町内のこと そう離れては無い我が家の前を通り過ぎることもあって 私が飼っているメダカを目に留められたことがあったのでしょう

そんなこんなで その散歩道を通り ご主人に出会うことがあると 今が盛りの花を見ていくようにと 薦めて下さるようになったのであるが ・・・


門扉を入ると 右側の塀沿いはアヤメかカキツバタ系の群れで彩られ 目の前は 今が盛りの柏葉アジサイで こんもりと覆われている

庭の中心は ほぼバラの種類が点在した その隙間で シャクヤクやユリが自慢気に咲き誇り 実に良く手入れが成されている庭であることは一目瞭然

・・・

そうなんだけど ね ・・・

南向きで 色鮮やかな花が咲き乱れる庭は 花好きにとって理想の環境
そこに招かれた喜びは 筆舌に尽くしがたし 

ではあるけれど

美しく振る舞う女性の代名詞ともなる シャクヤクに ボタンに ユリの花の華々しさに 私が 心奪われるようなことはなく 


我が家で咲いた パールグレイ



色鮮やかな香りの強いゼラニュームの中の 楚々とした一種 


控えめに 「やっと咲きました」 と 存在感の淡い花に 「咲いてくれてありがとう」 と 私の思いを込めた



ダブル咲きの ドクダミ



カモミールは使い回しの土の中で (*´▽`*) 



このところ 20人を超える日が続く 東京の感染者
いつになったら 感染者ゼロの日を迎えることが出来るのか もう そんな日が戻ることなく 外出には ブラウスやスカートと同等に マスクが身に付ける衣服の一部になるのかもしれない という不安も拭えない

感染を避けて 夫と二人での生活が続く我が家だけど ご近所では お孫さんが訪ねてきて一緒に夕食とか ご近所さん同士で蜜に談笑する光景を目にして 疑問が沸いてしまう私は神経質すぎるのかな

私に輪をかけたような神経質の娘は 子供たちに 「爺とババは高齢だから気を付けるように」 と 言い聞かせていて 私が届け物で訪ねたりすると ジュニアくんがマスク姿で玄関のドアを開けたりするという気の使いよう

高齢者の感染防止へ重きを置くのも一理あるけれど そうとは限らず私の方が感染源の加害者になる可能性をも考慮して 私は 私サイドからも孫たちとの距離を置いている


これまでに関わってきた中で いつも 「私が被害者」 という意識だけが表立っている あのかたには 私の思いが伝わることは永久に不可能なのかな と諦めざるを得ない気もしたものだ

純粋培養という例えをした人もいたけれど 世間の荒波に揉まれるような苦労もなく今の年齢を迎えたとしたら ご自分が加害者になるという発想が生まれることは無いかも知れず 私の冤罪を晴らすのは絶望的かと思ったり と

しかし
マスクをして外出の道すがら ご近所で お付き合いのあるという高齢の方がマスクをしてないことから ご自分からの感染を危惧し お誘いをお断りした との記述を拝読して 思いがけないのと同時に 希望の兆しを見た気がする

どうか 気付いて欲しい

静かに立ち上げた私の花の記録が 貴女の発言で 「誹謗中傷するの麦のブログ」 と印象付けられたこと

貴女が過去に 相場の掲示板で関わって険悪な間柄が続くNさんに ブログへのコメントをブロックされて書き込むことが不可能になったとき 何の関係もない私のブログに Nさんに宛てたコメントを書き込み 私のブログのコメント欄が汚れたこと

被害者は貴女である ということでなく 私が貴女に被害を被った者であるということを

そして 貴女と関わることになった原点は それまで何の縁もなかった 「素顔のまま」 のブログに 貴女が反論のコメントをしたことで 私が長い間 愛読していたブログが消えたこと

「素顔のまま」 のブログ主さんは 貴女の書き込みが発端となってブログを削除することになった被害者であるということを どうか貴女に気付いて欲しい




2020-06-10 10:56:45 | 日記
少し前に コロナ鬱という病名を聞いたことがあったので もしや私の この症状は? と思い コロナ鬱をググって見た
てっきり精神的な病気だと思っていたら 実際に発熱や喉の痛みが現れるとあったので ホッと一安心

肉体的な症状なら薬で抑えられても 精神的なものだとしたら 私は回復できる自信が無いのだ

ここのところは免疫力アップを心掛けて たっぷりの睡眠時間をとっているし 食欲もあるけれど なんとなく活力が失せ気味なのはコロナ鬱なのかな と思ったんだけど ね

まだ いまほどコロナ禍が厳しくなかったころに蒔いた コリアンダーに花



パクチ―と言われる香菜は 大好き! と 絶対ムリ! の 両極端に別れる独特の香り
料理に使える時期が短いから 花を見ることも楽しみに種を蒔く
浅春に 雑草の中からコボレダネの芽を見つけては胸弾む ハーブである


なんとなくの脱力感で 書くことにも意欲が欠ける今日このごろ
めぐみさんのお父様が亡くなったというニュースには 「会えないままに とうとう・・・」 という思いで胸が詰まり言葉が無かった私であるが

このニュースを知ったときに おそらく大多数の人が 同じように思ったでしょうことが 見事に纏められた文面を拝見した
著者の優しさが溢れる綴りの文字を追うにつれて そうそう そうですね 私もそう思う という共感に 著者の文章力への敬服が重なる

こんなに優しい人なのに ・・・  

なぜ ?
他人の傷みに接して こんなに思いを寄せることが出来る貴女なのに 

ブログの読者から批判されるのは ハイレベルな生活への嫉妬だと分析なさるかたも居られたけれど 私には ときおり拝見する食卓やら タイマーを巧みに利用した計画性のあるお暮らしぶりは 主婦として賞賛されるライフスタイルと お見受けする

ご家族に恵まれ 老いに向かって 不安のカケラもなく豊かな日々を送っていらっしゃるようにも思えるのに 

なぜ?

そんな自覚は全くない私が 何度も訴えているのに 分かろうともしないで私から逃げ回るのか

めぐみさんの お父様の無念さとは比べ物にならないけれど 私は 「他人の体調を壊させるような誹謗中傷をしたという冤罪」 を消すことが出来ないままで この世から去りたくない

パクチーを存分に



スワンラータンもどき


このブログのブログ主が 他人を誹謗中傷したという疑惑 
私には 「誹謗中傷」 という単語すら 安易に口に出せないほど 恐れる行為である

私が予感した 「(麦の)中傷が原因による2年間の体調不良」 という公開記事が発端となって 私には無記名の抗議コメントにより嘔吐と吐き気に見舞われたという 古い経験が蘇った

このところの コロナ鬱という病気に罹ったかな と思うような脱力感に見舞われて書く気にならないでいたとき 「書かずにはいられない」 という衝動に駆られて 今日 書く気になったのは 無記名が明らかになった抗議コメント主のブログの文面に目を奪われたから ・・・

少し前に そのブログを拝読した時 「書き込まれたコメントは姉に伝えれば良い事なので削除します」 と述べられて コメントの公開が事前承認制となっていた

コピーではないので 正しい文章かは分からないけど その説明書きは 私の見間違いでなければ 今は削除されている

他人のブログの取り組み方に 他人の私が とやかく言うことでは無いけれど

今日は 「おねえさま」 へ向けた内容のコメントなのにもかかわらず 妹さんのブログに表示されている

おねえさま宛てなら 「おねえさまへ伝えれば済む事」 だから削除されるはずなのに そのまま表示され 妹さんの好意的な返信も書き込まれて公開されているのだ

「おねえさまへ伝えれば済む事」 という理由では同等のコメントが 一方は表示され 一方が削除されたことの食い違い

削除するのはブログ主の自由かもしれないけれど 一方が公開されている現状を拝見する限り 一方のコメントを削除した真の理由は 「姉に伝えれば済む事だから」 ではないということになる

このような嘘が コメント欄を設けなかったり コメントの承認制という方法で操作され まかり通る世界


私がブログを始めたのは 正直者がバカを見る社会で 嘘つきに惑わされて生きているのが嫌になったからだった

しかし 健康な身体と正常な精神では 地球から消えることも出来ず 神様に 『明日も生きていたいのに 今日 死んでいく人と 私とを代わらせてください』 と祈りながら 世間から逃げるようにネットの世界へ飛び込んだ

事実が証明できないことを事実のように公開してコメント欄を閉じたり コメントの公開を承認制にして コメント欄までも嘘で作り上げるネットの世界

ここも社会の縮図だった





なんか変

2020-06-06 12:22:05 | 日記
母が花好きだったから 私が育った家の庭には 季節の移り変わりに沿って花が咲いていた
その中の 私が大人になってから名前を知ったアガパンサスは 名前を知らなかっただけで見慣れた花だから 花を育てる楽しみを覚えてからも 取り立てて興味を持つことはなかった花である

ところが あれは一昨年の秋だったか 出かけたついでに立ち寄った郊外のホームセンターで アガパンサスには違いないけれど ネームプレートの どこかアガパンサスとは違う画像が気になり 花が終わって処分価格となっていた子を連れて帰った

どこが? と言われれば 集まって咲く小花の数が多いのか 集まり方が雑と言うか なにか秘密のある品種のような気がしたのだ

好みで言うと さほど魅かれることはなく どこでも見られるアガパンサスとは違うというだけの興味だったので あまり手をかけなかったせいか 去年は咲かずじまい

家康よりも信長が好きではあるけれど 咲かぬなら咲くまで待つ気で生かしておいて 再び訪れた今年の花期

ようこそ~!





こんな喜びがあるから やめられない 


ネット上で中傷されたタレントさんが自ら命を絶つという報道があって何日か経過した今も 「ネット上の中傷」 に関するニュースが続いている

いつも 日中は 聞いても聞いてなくても点いているラジオから 新型コロナウイルスの情報に交じって流れたのは 中傷した側の発信元を特定するための対策を進めるというニュースだった

加害者である中傷した側を特定する対策とは 中傷された被害者側を守るための対策であることは 言うまでもない
それなのに 
誹謗中傷した加害者となっている私は逃げも隠れもしないで ここにいて 私に中傷された被害者だと言い続けている人は 「中傷されたという思いは変わらない」 と言いながらも 「このことは忘れましょう」 と言い残して去ることの繰り返し 


5月のある日 「体調・・・」 について述べられるらしいタイトルを目にして もしや? という不安により注目していたところ やはり そのタイトルで綴られた三日目に 私の危惧したことが現実となった

5月23日に公開された その文面を 胸の動悸を抑えながら熟読して 「もうブログなんか辞めよう」 という思いと 「こんなことに負けてはいけない」 という意地のような思いが交差する私の本音はどこにあるのか 自分でも分からない


私は 私自身に自覚のない誹謗中傷の加害者として ここ数年の間 惑わされている

私に中傷されたと譲らない被害者は ときに その辛さを公開しながらも 日常の出来事や日々の思いを閲覧者に向けて公開する様子からは 中傷された事への苦痛があるとは思えず 揚々とブログライフを楽しんでいように伺える

むしろ 加害者とされた私の方が 命を絶とうと考えるほどのことは無いにしても そのつど 「中傷の加害者」としての視線を感じながら 憂いを伴ったブログライフを送っているのだ 
  
弱い立場の被害者を守るための 加害者を特定するために講じた策ならば 加害者とされた私は逃げも隠れもしないで ここにいる私であることを知って欲しい


数年前の事
私が書いたことを正確に読み取れず ネット上で私が他人を傷つけた という 無記名の抗議コメントに怯えた私は 吐き気と嘔吐に苦しむということがあった

他人に成りすました辛口のコメントは 相手の読み間違いだったことから 謝罪の追加コメントがあって 終わった

そのコメントの文面から 私は 過去に関わったことのある人のコメントと一致するものを感じ取り コメント主を特定する行動に出て 他人に成りすました人物を突き止めた
後に このことに触れることがあったとき 相手からの 「謝ったのに これ以上 土下座でもしろと・・・」と 開き直りとも思える言葉に 唖然としたものだった 
 
成りすましを見抜かれた その人は 「(麦の)執念が恐ろしくてブログを続けられなくなった」 という意味の言葉を残してブログを閉じたけれど さほど間を置かず新しいブログを立ち上げ やはり 何事もなかったようなブログライフを楽しんでいるように察せられる



法的に守られるはずの被害者が 「麦に中傷されました」 と 言いっぱなしで逃げるのは 変


春蒔きの種が ビスカリア・ブルーエンジェルを筆頭に次々と開花中

1年草のカスミソウ




ミックスのマリーゴールドから咲いた名無しの珍色



そろそろウェルカムフラワーに昇格ですね

季節外れのコスモス・ピコティ



切戻して秋まで咲かせ続けられるかな





今年のランドセル

2020-06-02 09:19:05 | 

たしかこれは いつだったか旅先で見つけて連れ帰った ウチョウランだと気付くのに時間は要さなかった

間違いなく ウチョウランの芽である

花後に夏の蒸れで溶けたウチョウランを植えた鉢の 山野草用土を処分するには惜しくて なんとなく小さな鉢に盛っておいた土
その中から生まれた緑に 花などの期待は微塵もなく 新しい命を見過ごすことが出来ないだけの事だった

そこに現れた小さな膨らみは もしかして 花芽?

こんな愛しい出会いがあるから 「もう辞めよう」 と思った花の記録に また目覚めてしまう
涙こそ出ないけれど 思いがけない こんな出合いは 蒔いた種から花が咲いた喜びとはまた違っていて 胸の奥に染みる切ない愛しさがある



緊急事態宣言という聞いたことすらなかった言葉が いまや毎日の会話に出て来ない日はない馴染みの日本語となった

毎朝 前の歩道を通る小学生の列に 横断を誘導するホイッスルの音が聞こえなくなって 数か月

久しぶりに 懐かしい その音色が耳に届き 思わず外へ出た

ランドセルが良く似合う幼さには似合わないマスク姿で 数人づつ 何分おきかに我が家の前を取り過ぎる

そうか 密を避けて 分散した登校なのね

やっと日常が戻った知らせの ホイッスルの音色に喜んだのも束の間 
義務教育という普通のことが普通にできない ランドセルを背負った子供たちの後ろ姿が 目の中で滲んだ

久しぶりに聞こえたホイッスルの音色が 懐かしく胸の奥に響いた朝

そんなことも呟いてきた日記帳に 異変が起きた



このブログには 健全とは言えない記録が残っている
不快な事柄は削除なり非公開なりの方法があるけれど そうしたらそうしたで 「都合の悪いことを削除した」 と どこかで公開発言される可能性を否めない

私にとって 不都合な事は何もない
絶対に私は 他人を誹謗中傷したという事実はない と言い切れるから 

見苦しいままに

ネットによる中傷を苦に自ら命を絶ったというタレントさんの報道があったせいか このところPCを開くと 誹謗中傷の文字を目にすることが少なくない

過去に <麦は精神を病んでいるから医学的治療を必要とする> という内容の文面を公開されたことがあった場所で

<麦と※さんは親友> との勝手な思い込みを公開されたので 「※さんは親友ではなく強いて※さんとの間柄を言葉にすれば 師と仰ぐ人 である」と 申し出たことがあった

それが いつの間にか <「弟子」だと本人が言った> と 公開される理不尽
<師と仰ぐ人> と <弟子である> が表す意味は まったく違う

尊敬する人を師と仰ぐことはあっても 私は※さんの弟子だと思ったことは 一度もないのだから

ま このような事は よくあったことで 今はもう 軽く読み流せる訓練を重ねながらも

一つの事柄に自分の主観を交えて まったく別の意味に展開した 事実とは異なる虚言が あたかも事実のように拡散される理不尽 


「このブログを見つけて戦慄が走った 私は このブログ主に誹謗中傷された」 と 名指しで公開された このブログ

一つのブログが消えたことで その原因を作った人へ 私から疑問を投げかけたブログは 相手からの 「このことは忘れ 今後は一切 関り合わない」 という提案を受け入れて 抹消し 私の疑問には蓋をすることで 新たに立ち上げた 「花の記録」である

しかし 相手からの 「このことは忘れ 今後は一切 関り合わない」の提案は いとも簡単に翻されて 「このブログを見つけて戦慄が走った 私は このブログ主に誹謗中傷された」 を皮切りに その後も 何度か私のブログに異論の書き込みをしては その異論の結論が出ないまま 再び三度と 「今後は一切 関り合わない」 の言葉を残して去って行くのだった

結論を見出す努力は見えず コメント欄を閉じて 頑なに「誹謗中傷された」 を前提とした思いを ご自分のブログで蒸し返される理不尽

この人と関わったことで無駄な時間と労力を費やした悔いが そろそろ薄れたころになって また


2年と言う長きに亘り自律神経失調症という体調の不良に悩まされた



その原因が 私との関りによるもの と
それが事実なら 人間の生き方として 私は 私を許すことは出来ない

なぜなら
数年前の あの日 私が公開した文面に対して


あまりにひどすぎる! (Unknown)
2014-03-30 03:14:53
麦さん、私は単なる傍観者、どちらの応援者でもありませんが、今日は我慢がならず一言申し上げます。

今回の記事はKさんに対して、あまりにひど過ぎるのではありませんか。
「貴女へ」はKさんのことであることは明らかです。
「命が消えそう」だとか、「虹の橋を渡る」だとか、「二度と会えなくなるかもしれない」とか、
彼女がこの言葉にふれた時、、どんなに悲しく傷つくか、常識のある方ならばお分かりでしょう。

貴女には失望しました。




このように書き込まれた コメントを目にして
私の公開発言が 他人を傷付けたという恐怖に怯え 吐き気と嘔吐に苦しんだ あのときと同様に 今でも私の生き方は変わってないから


高齢者という年齢でも 持病のある身でもないけれど 先の見えないコロナ禍の中で恐怖に怯える中 冤罪というランドセルを背負ったまま生きるのは やめよう

私の目の黒いうちに
他人を誹謗中傷するような私かどうか あなたに 真実を知って欲しい

関り合うことはない

「忘れましょう」と提案しながら 折に触れては 「ネット上で辛いことがあった」 そして 「2年という長きにわたり 麦のせいで自立神経失調症に悩まされた」 との貴女の重荷を下ろすためにも 黙って 本当の私を見極めて欲しい