宇宙へのツイッター

踏まれた足を退けることが出来るまで
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麦の種

2020-07-05 23:01:46 | 日記

今日は勇気を出して美容院へ行く と決め 早めに投票を済ませた

数年前のこと 投票する際に用紙を折るか折らないかが世間で話題に上ったとき 開票作業での煩わしさを避けるために折らないのがマナーということになり それからは 投函口に入る大きさにクルクルと丸めている私

投票から戻ると まだ家でノンビリしている夫に 開票作業をする方への気遣いを強調して そのことを話すと 頷きながら「今日は鶴にしようかな いつもは兜を折って投函するんだけど 」 だって (*´▽`*)

現実には 投票用紙は特殊な素材で作られているため 二つ折りにしても時間が経てば自然と開くらしい ・・・ 


小池さん
予想通りでした


パイナップルリリー 




ひょんなキッカケで 去年から駅前の美容院に行くようになっていたけれど そこはスタッフの多いチェーン店であることが気になり 今日は 以前から行きつけになっている近所の美容院へ

こちらの店主さんは 何で知ったのか私の花好きを承知しておられ 以前に ガラス製の筒で根を出しているパイナップルリリーの葉挿しを 「あなたなら どうにかしてくれるのでは?」 と託されてから 今年で2回目か3回目の花の季節になる 

特に魅かれる花でもなく もちろん育てたことも無い花を 葉から根が出た状態で受け継ぎ その後 水中で 根の部分から球根が育った時の驚き
所有権は譲られたから結果は気にすることでもないのだけれど 「★になりました」 という報告は避けたいので 初めての花を手探り状態で育てた

そして 今年
半月ほど前に ロゼットの中心からパイナップル状の先端が見えた時は 久しぶりに花作りの醍醐味を実感

それから 日に日に伸びる花茎を眺めては いよいよ玄関にお披露目する日と 開花報告の日が訪れた

好ましく思う花姿でなくても 自分で育てて開花まで辿り着いた花は 他所で咲いた花よりも何よりも愛おしい という 今日の花の記録である



今年は花を咲かせるに及ばななかった3株




この「花の記録」は ある時期から訳アリのせいか 「終わり」として閉じたあとも サラッと見逃せない数字の閲覧数がブログサービスから報告された

もう抹消したいという思いと並列して 過去に 今となっては貴重な記録となるブログを削除してしまったことで 二度と同じ間違いをしてはいけないという思いが重なる

適切ではない言い回しになるけど もし抹消してしまったら 過去の事実を他人から どのように捻じ曲げられても 「死人に口なし」 となる恐れ

つい先日も 案の定 ・・・ ということがあって 抹消しなかったことに安堵したばかりだけど

けれど

このごろ 
無作為に遡った花の記録に目を通すと こんな花もあった こんな出合いもあった との 当時の私の呟きが愛おしい

そんな私は どこに行った?
コロナのせい?
加齢のせい?

私が 誹謗中傷した?

勝手な 貴女の勘違いによる思い込みでしかないですよね


貴女と私の 大きな違い

貴女が趣味とするガーデニング

私が大好きな 花作り

花を育てること一つとっても 貴女と私の大きな開き


もう 貴女に分かって頂けるのは 不可能だと思う


私は あの頃の私に戻りたい


コロナコロナの報道で 私の息が詰まっていたのは確か

もう貴女に分かって頂くのは諦めようという気持ちが お腹の底に疼いていたのも確か

どんなに頑張っても 貴女に私を理解して頂くのは絶対に不可能だと思える


私にとって ガーデニングのテーマは 好感度が高い

こよなく愛すとのパンジーへの思いを 拝読したことがある
好きな花は マーガレットだとの行を目にした時は 貴女らしいと思った
お庭で咲くクリスマスローズを 愛しいとする行も私の記憶にある

最近に至っては フユシラズが 最も好きな花だと

ガーデニングがテーマの公開記事に和みながらも お好きな花がコロコロと変化することに違和感も覚えた 


ガーデニングに お金がかかることを悔やむなどとの感覚は ブログから浮き出る貴女のライフスタイルから思えば 有り得ないと思う私


お金がかからないガーデニングが 種を蒔く発想に繋がるのは あまりにも 心貧しい  


どうか 種を冒涜しないで欲しい ・・・


もう 

「過去の事は忘れましょう」 という貴女の提案に同意しようと思う私になった

「誹謗中傷」が表す意味の受け取り方にも 貴女と私では大きな違いがあるのでしょう

誹謗中傷発言の発端は 
初めて この花の記録を目にされた貴女が 「このブログを見つけて戦慄が走った。 私は、このブログ主に誹謗中傷された。」 という内容を 貴女のブログで公開した事でした

何が誹謗中傷だったのかをお伺いしたり どんな言葉で誹謗中傷したのか を貴女に問いかけるスレッドもありましたが 「これ以上 お答えすることはありません」 と逃げてしまう事が繰り返され 最終的に 貴女は妹さんのブログを通して 「誹謗中傷された気持ちは変わらない」との回答を下さいました

それに対して 私は

 

このように 公開しています
ここには 
どのように誹謗中傷したのか?  という質問に対して

≪私が一番辛かったのは、「愚か者の戯言」だと思いますが、あまりにいろんなことを言われ、今具体的には思い出せませんが。≫   

このように、貴女は お答えになっています

つまり 「このブログ主に誹謗中傷された」 という発言の根拠を 今は思い出せないということですね

要するに 「愚者の戯言」 の中には 貴女が忘れられないほどの誹謗中傷とする言葉は無かった ということが証明されたということですね

ただ 貴女の心の中には コレコレこういう言葉というのでなく 「誹謗中傷された状態」 であったことの意識が消えないのだと思います

その意識が 貴女と私の 「誹謗中傷」 に対する 食い違いなのだと思います


私は貴女に 話し合いを求めただけの事です

その話し合いは 当然ながら貴女への反論になります

貴女にとっては 貴女を肯定することが一般常識であり 貴女に対する反対意見は 「誹謗中傷」 になるのだと思います

つまり 「愚者の戯言」 を立ち上げたこと自体が 貴女にとっては 「誹謗中傷」 だったのでしょう

現実に 私は「愚者の戯言」を立ち上げました
この事実がある限り 貴女から 「麦に誹謗中傷された」 という意識を取り払うことは不可能だと思います

貴女が 貴女への反対意見を 「中傷」 と捉えている限り 私の冤罪は消えないということですね


最後に 若輩者ではありますが 貴女に提言いたします


自分が一般常識として正しいと思っていても 必ず自分が正しいとは限らないのではないでしょうか

その言動について 「間違っているのではないですか?」 という意見は 中傷ではなく 己の間違いを気付かせてくれる場合が多いと 私は思います

「愚者の戯言」 については 貴女への誹謗中傷ではなく 貴女の言動に疑問を感じた私が 貴女との話し合いを求めたに過ぎないブログでした


貴女へ

さようなら