これまでにも、私は、〇桜さんと関わるたびに、伝えて来ました。
コメント欄を設けるか設けないかは、ブログ主さんの自由だと思います。
ブログ主がコメント欄を設けてなければ、よそのブログにコメントしてはいけない、と言うことはないと思います。
ただし、コメント欄を設けてない者が、他所のブログに反論のコメントをすることは、マナー違反だと。
私は、そう思っています。
このたびもまた、私のブログ記事 「終わらないわけ」 に続き 「ふるさと祭り2017 東京ドーム」までに、反論のコメントをした、〇桜さんの行為は、言語道断レベルの違反だと思います。
もしも、〇桜さんのコメントの内容が、
「私の中では終わっていたけれど、あなたには、まだ終わってなかったのですね。」 とか
「東京ドームでお祭りが行われているのですね。」 とか
そのような内容のコメントだったら、コメント欄を設けてない、〇桜さんのコメントでも、拒否することはありませんでした。
勝手な思い込みをしている、あなたへ。
零点!
もう一つ
私は、「終わらないわけ」 から 「ふるさと祭り2017 東京ドーム」まで、「今日も、また・・・」 と、ブログを開くたびに、〇桜さんのコメントが目に入っては、やりきれない日々が続きました。
私の力で、コメントを阻止するのは限界を感じました。
去年の事だったと思いますが、〇桜さんは、の〇子さんのマイナンバーの記事にコメントをなさいました。
そのとき、え〇〇すさんに、「惚れた」 と言う言葉で、え〇〇すさんへの信頼の気持ちを表していたことを覚えています。
私は、生理的に、「惚れる」 と言う言葉を好まないので、印象深かったのです。
このたびの、〇桜さんの、コメント攻撃を阻止できるのは、え〇〇すさんしかない、と思いました。
〇桜さんの妹さんと交流のある、の〇子さんですので、個人的なメッセージで、〇桜さんに伝達していただけるのではないかと思ったのです。
これは、私が甘かったのですね。
「〇桜さんのコメント阻止」 さえできれば・・・という私の独りよがりの依頼を、今は、反省し、ここまで尾を引いたことを、お詫びいたします。
ただ、なんで、ここまで尾を引いているのか、原因を探りたいと思います。
私が、の〇子さんに、ブログのコメント欄で、私事メールを送って良いかをお尋ねしてのち、私の依頼を引き受けてくださる返信メールが届いたのが、
1月19日 00時19分20秒 です。
そして、「もう終わりましょう。」 と、私の依頼に対して、終止のケジメを付けるメッセージをいただいたのが
1月19日 17時02分46秒 です。
つまり、私の依頼が生きていたのは、この、ほぼ17時間のみです。
私が予測した、妹さんを通してのアドバイスの方法は、絵空事に終わり、の〇子さんのブログで公開されました。
私が、勝手に思い込んだことでしたので、ブログに挙げられたことへの苦情は申しません。
しかしながら、17時間の間にどのようなことが起きたのでしょう。
私からの依頼に関わり、ka〇moさんの名前が登場しました。
ka〇moさんの名前が出た時点で、私は、この依頼は間違っていたことに気付きましたが、後の祭りでした。
その後の時系列は、もうこんがらがっていますが、1月19日 17時02分46秒 以降は、丁重にお礼の気持ちをお伝えした上で、その後は、〇桜さんとはもちろん、え〇〇すさん、の〇子さんとの関りは絶って良いものと思いました。
それなのに、依頼を引き受けてくださった17時間を過ぎたあとも、お二人は、私の、今後の私のブログ記事に書く内容に関しても、指示なさいました。
そのことが納得できない私は、「達者で留守の日」を、綴りました。
ご姉妹の過去の非を封じて、「ご姉妹が正しく、麦が悪い」 としたい、の〇子さんは、ご自分たちの思い通りにならない私に、苛立たれたのでしょう。
「仲裁なんてするものじゃない」 という記事も拝見しました。
ポイントは、ここです。
私は、仲裁をお願いしたのではありません。
妹さんを通じて、静かに、〇桜さんへ、「コメント欄を開けてないのだから、麦のブログに反論コメントを書くべきではない。」 と言う、マナーをお伝えして欲しい・・・それだけでした。
それを、ご自分の思い込みで、の〇子さんは、仲裁を頼まれたけれど、頼んだ麦の態度がなってない? みたいな方向に広がり、収拾が付かない状態の、今。
私は、〇桜さんと、理解し合うのは不可能であることを身をもって経験しましたし、仲裁によって交流したいなどと微塵にも思っておりません。
その私が、第三者に、仲裁をお願いするはずがありません。
「仲裁」 と言う言葉が出るたびに、苦々しく思い、時には、どなたかのコメント返信にも書いたと思いますが、の〇子さんは、故意に、仲裁を頼まれた形にしたかったのでしょうか。
麦から仲裁をお願いされたと勘違いした、の〇子さんの勝手な思い込みが、そのまま閲覧者さんに浸透していったように思います。
お互いのブログで、賛否の両者が、この件への疑問を吐露し合うことに、問題はないと思っています。
コメント欄を閉じたままの、〇桜さんの行為については、これまでにも疑問を抱いてかたが居られたようで、私のブログでのコメント欄は、ちょうどよい機会を得た場所だと思っています。
そこで語られる内容が、〇桜さんへの批判だったとしても、の〇子さんが介入することではないと思います。
なぜなら、私は、貴女に仲裁は、お願いしていませんので・・・。
著名な作家さんの小説が 国語の教科書に登場するのはよくあることで 当然ながら試験の題材になることもある
遠藤周作さんは ご自分の小説が取り上げられた入試問題を解いてみることがあったらしい
主人公の心理を問う問題で 選択肢は4つ
ご自分が著した小説でありながら 遠藤周作さんは 4つともが正解に思えたという
人間の心理は そう単純なものではないから 色んな捉え方があるということらしいのだが その一方で 心理とは別に 読解力の優劣も関わってくると思う
某ブログで公開された以下の文面を 一般的レベルの読解力では どのように捉えることができるか
http://news.yahoo.co.jp/feature/511
脳の機能低下が書かれています。
ハワイへ家族で旅行に行った時、義父の怒りようが書かれていますが、
その文中にこんなことが書かれています。
「執拗なまでに謝罪を求め、一人で怒りを増幅させていた。」
これ、麦さんを連想しました。
そして、麦さんに加勢した人たちも同じように見えました。
あまりにもこだわりが強すぎて固執すぎると、精神や診療的なものも感じてしまいます。
麦とは 前後の状況から 限りなく100%に近い確率で 私の事だと思う
その麦が 今や 精神の診療を要する状態にある と 私は捉えた
過去に
・ 麦に誹謗中傷された と言う発言
そして
・ おおよその閲覧者は 私の書いた文章を私の心理のままに理解してくださった中で 1組の姉妹だけが ご本人の読解による勘違いで読み取り 他人を装った書き込みの後に 複雑で不快な展開となったことがある
この2点に於いて 私が被った苦痛は 時という薬での解決を待ちながらも ときには 鮮明に蘇ることもあった
一通のコメントにより 即座にブログを閉じ 数日後に すぐまた新たなブログを立ち上げるという行為の是非は 私には分からないけれど
自分の思いを伝えたいときは 心の中で 10 数えてから口にしろ
自分の思いを実行したい時は 三日間 考えてから行動に移せ
この教えの 10 か 三日かの数字は定かではないが 感情に任せた短絡的な言動で 失敗を引き起こさないための戒めと心得て 私は生きて来た
しかし
このたび 私のブログに書き込まれた 終わりのないコメントに対する 私の対応を
「あまりにもこだわりが強すぎて固執すぎると精神や診療的なものも感じる」 と言うのなら いますぐに この言葉を風化させることないよう ここに記すことで 私は いつでも 過去の2件 及び この発言における相手方の責任を問う覚悟であることを 宣言しておきます
時間はかかるかもしれないけれど 精神病扱いされてまで 相手に合わせて やむを得ず終わらせることはできませんから
これら3件の事柄に関係して ご自分が正しいという反論なり主張なりがあるのなら その根拠を明確にして お申し出いただきたいと思います
出勤前のハタラキバチさん 曰く 「木曜日に ★★さんが飲もうって言ってたから 遅くなる」 と
なにしろ 自由時間がたっぷり取れるのが嬉しい
特に今日は行きたいところがあったから 時間を気にしないでユックリできるのが ありがたかった
帰ってきたら17時を回っていて ダイエットがてら一人食事は手を抜き 傍らのPCはONにしたけど 二胡に没頭
今 ここで 「断交」 を成立させてくださったかたに 心より感謝します
私が お願いしたかったのは
① 私のブログにコメントをしないこと
② 相手様にコメント欄を設けることのアドバイス
この2点でしたが 2つ目をお願いする前に 「もう辞めましょう」 とのことで 2番目のお願いを伝えることもなかった そのあとが 思いがけず長引いてしまいました
結果が 万事円満でなかったことについて 私が お二人に依頼しなければ 不快な思いをなさることもなかったわけですから お詫びしなければなりません
申し訳ありませんでした
ここに 目を通してくださるか分からないけど
もう 関わらない方が良いと思いますので ありがとうございました と言う気持ちを この場に記します
きっと 「断交」 は 今後も守られることでしょう
ありがとうございました
私は 断交によって 過去の出来事を終わらせる と言うことではなかったのでしたが 事前に細かい決め事をした上での 断交ではなかったので 食い違ってしまったようです
私は どなたをも 誹謗中傷したつもりはありませんが 麦に誹謗中傷された という発言は消えることがありません
また ご自分の読み違いにより 他人を装って 無記名の 辛辣な書き込みをされた事実も残っております
その件で さらに勝手な思い違いをされて 目の手術後というお身内を擁護され さすがに限界となった私が 「貴女ってバカじゃないの」 と発言する結果を生みました
これを
過去の出来事として 忘れること
過去の出来事として もう終わらせること
としたら ?
働きかけた側 と 受けた側との記憶は 同様ではないと思います
他者は関係なく 私に限ってのことですが 麦に誹謗中傷されたという記憶が いつまでも消えないようでしたら その屈辱を ご自分のブログで書き綴っていただきたいと思います
私は これまでも これからも 私から関りを持つことはありませんが 過去の闇が蘇ったときは 呟くことがあるかもしれません
私がブログを書く理由は そこですので
コメント欄は開ける 承認制は取り入れない と言うポリシーは持ち続けるつもりなので 私の呟きに反論があったら書き込んでください
「断交」 のかたには どうぞ ご自分のブログで 自由に綴っていただくことで フェアかと思います
ただし これは 私 麦に限ってのことですので 他の方と ひとからげにすることは おやめいただきたいと思います
今日 双方に なんら縁のない位置に於いて 長い時間をかけて得た 私の結論です
子供のころだったか 若いころだったか 待合室だったか 治療中だったか それらは記憶にないけど そこが歯医者さんだったことは しっかり覚えている
BGMで流れていた カノン
緊張をほぐす いい選曲だと思った
そんな事とは関係なく 娘がビオラを弾きたくて バイオリンの先生に師事することとなった
全てが そのようなのかは知らないけれど ピアノと違って バイオリンは どの生徒も親子でレッスンを受けなければならない
子供が 1週間に1度の1時間では無理があるバイオリンのノウハウを レッスン中に親が聞き取り 自宅で子供と復習して 次週のレッスンに臨むという決まり
そういうことから 私もアマリリスくらいは独奏できたことで ある年 ほぼ強制的に 何かの文化祭で お手伝いをすることになった
そこで与えられた合奏での2曲が <主よ人の望みの喜びよ> と <カノン> だった
そのころからだったか カノンは 私が好きな曲になった
日本を離れて暮らすとき 荷物の中に カノンのCDがあった
本帰国のとき まだ帰国は先になりそうな現地の友人に カノンのCDを置き土産にした
今も好きな曲ではあるけれど そこそこの思い入れが薄れたのは 二胡で弾くための中国曲に気が向くようになったからかな
先生には
高度な技で 色んな曲を弾けるようになりたいとは思わない
易しくていいから 聞く人を ウットリさせるような曲を弾けるようになりたい
と 伝えてある
そして 去年のクリスマスコンサートに選ばれたのが < 詩る ~江紀行~ > だった
とりあえず マスターしたとして コンサートを終えたあとの最初のレッスンで 先生から与えられた楽譜が カノンだった
楽譜をいただいてから 一カ月余り
メロディーを知る曲は練習しやすくて 指運びは ほぼマスター
あとは 速度だ
ブログなんか辞めちゃって 二胡の練習に時間をかけたらいいと思いながら 二胡を弾いているうちに 胸に詰まる思いを書き綴りたくなる私の脳のサイクル
がんばるシニアで 1位の座にある ブログ
一緒に管理する人はいないけれど 一人で完璧に成り立っているブログ
管理人も 閲覧者も 博識な方ばかり
傍で 読ませていただく私も そう思った
コメント欄に名を見る閲覧者さんを博識としたのであって 常識ある一般人が ご自分を博識者とするはずがない
それは あの方も分かっておられるはず
私が思うに
あの方は 書かれていることを 正確に把握する読解力があるはず
しかし もしも
あのかたは 読解力が乏しいのね
自分が博識なのではなくて 管理人さんもブログに集う皆さんも みんな博識ですね! って書いてることが読み取れないんだわ
あのブログって 既に決まったことを 「法案」 って書いたりしても それを補佐する共同管理人までが読解力がないのでは 補佐の役目を果たせないじゃない!
と
本心でなくて良ければ 文章も 人の心も いかようにもなるのだ
私は 私を擁護してくれる人を求めてはいない
中立の立場で 正しい判断ができる人を求めているだけ
抗議でも反論でもない 私が思うことを呟いているだけだから コメントは要らない
私のブログは 私の心を書くことで 安らぐためにある
二胡で奏でる カノンの音色も けっこう 私を和ませるに役立っている