ブログを書くとか 書かないとか そういうことをブログに書くのはナンセンス と 私は思っている
友達から 「お茶に来ない?」 と電話があって その辺にあった何個かの和菓子を手に 友の家のインターフォンを押して
花が咲いたとか 旅してきたとか 痩せたとか太ったとか の話題で午後のひとときを過ごす
もし その場で 「私は あなたの家に お茶しに来た」 とか 「私は あなたと友達だ」 などと語るのはナンセンスなのと同じ ・・・ と私は思っている
でも ここのところ そんなナンセンスなことばかり書いてる気がする
アサガオ 渓流
日本で大手のSNSに参加して 花や旅の日記を公開しているうちに 友達が増えていった
あるとき オフ会をしましょう という事になって ネットの友達から現実の友達になった
そうしたら それまでは自然体で書いていた記事を なんだか他人に日記でも読まれるような 気になってきた
そこで始めたのがブログ
そして 実社会では会った事の無い人たちの集まりの ブログ村に参加させていただいた
ランキングの上位には拘らないけど 注目されると嬉しい
でも 上位を占めることが続くと 息苦しくなる
たまに 一個の記事がベストテンに入るくらいでちょうどいい
ブログを立ち上げてから 僅かな数字が徐々に増えて 訪問者が50件 アクセスがその2~3倍の数字で 落ち着いていた
そんな感じで 私は静かに私なりのブログライフを楽しんでいた
クリトリア
数日前に 急に訪問者が3倍以上になり アクセスは 各訪問者が繰り返し何度も訪ねている数に昇った
その理由は ?
私の知らなうちに とあるブログで 私のブログ名が公開されたからだった
今現在 いつまでも さほど意義も無く参考にもならない記事が上位に留まり 相変わらずアクセスも多い
何で?
誰のせい?
こんなことの原因は なに?
あなたでしょう?
事の発端は あなたでしょう?
あなたを誹謗中傷するブログ管理人だとして 私のブログ名を明記したから 私のアクセス数が増えたのでしょう?
私のブログ名を明確にして 「戦慄が走る」 と ご自分のブログで公開したことが発端でしょう?
そして なんだか意味不明の事を述べて ご自分は被害者
私は 静かに私の思うことを書き留めて 誰ともなく見えない相手に話しかけていただけですよ
これまでの経緯を知らない第三者から見たら これは実にくだらない言い争いか 弱いもの苛めに見えるでしょう
弱いのは 誰?
本当に弱いのは 誰?
強いのは誰?
弱く見えて 本当は強いのは誰?
苛めているのは誰?
苛められてるのは 誰?
これは 言い争いでも苛めでもありません
あなたの行為によって起きたことの 真実を究明するための発言です
こんな発言なんか したくなかったです
勘違いなさっておられるようですが 私は私の方から あなたと関わるのを求めた事はありません
私のブログは 私の心の中が 不特定の誰かの耳に届き 頷いてくれるのを期待しながらの つぶやきにすぎません
私は 閲覧者を相手にして綴る事はありません
私のブログを 好んで閲覧してくれる人がいるとは限らないから
もしかしたら 「この馬鹿! 何を書いているんだ!」 と思いながら読む人もいるかもしれないから
もちろん あなたが読んでくれるとも限らないから
だから私は 一人で そっと つぶやいているだけなのです
ネットで公開する上でのマナーには 私の常識の範囲で守っているつもりです
したがって 個人を特定できる内容は 一切 書く事はありません
もしも私の常識が 何かの違反に当る場合に どなたかのご教授をいただくためにも コメント欄を設けているのです
メキシカンハット
あなたが ここにいらっしゃるかどうか解りませんが 今日は例外で あなたを意識して書いています
コメントは不要です
ただ 今回の このことの発端が何だったか あなた自身で ご自分のなさった事を振り返って ご確認して頂きたく思います
夏の太陽がフル稼働
そんなときでも アリは働いていました
陽射しが絶えない南側のベランダに置きっぱなしで 気がつきませんでしたが だいぶ前からチョウマメの花が咲いていたようで 既に種が出来ていました
キリギリスの怠け者に対比される働き者のアリですが 実は 一生涯 働かないアリもいるのだそうです
アリと蜂の生態は似ていて それは 人間社会にも共通するところがあります
女王アリや女王蜂と言えば 人間界の社長か上司でしょうか
上からの命令によって 部下が働く社会は 指令が出るやいなや動き出し 効率よく仕事をこなす社員と ノンビリとマイペースな社員がいるように
頻繁に 餌捜しに出かける働き者のアリや蜂の他に いつもコロニーで何もせずにウロチョロしている怠け者もいるのだそうです
よく知られている 蜂の8の字ダンスですが
蜜集めに出かけて花畑を見つけた蜂は コロニーに帰って 仲間の蜂に8の字ダンスを踊って情報を伝達します
ダンスにも2タイプあるようで ダンスする時の体の向きが花畑の方向で 8の字を描く回数が 花畑までの距離を表すのだそうです
花畑において蜜を集めるのに どれくらいの蜂が必要かで 誰が何匹まで導引されるかは それぞれの個体がもつ働き度合いのパーセンテージによるわけで そのパーセンテージは遺伝子によるものです
つまり その個体によって 何処で動き出すかが生まれつき決まっているのです
で 点滴を打ちながら血尿が出るまで24時間体制で続けた この研究結果が新聞で紹介されたとき 読者から 「この研究をした人 ヒマだよね」 という投書があったとか
と 働かないアリの意義の 不確かな記憶ですが
ふむ!
それで?
専門家の地道な研究に 「ヒマだよね」 と投書のハガキを書く その人もヒマそうね
と ベランダで地道に働くアリを見ながら考えている 一番ヒマそうな私の独り言が 他人様に戦慄を走らせている事も知らず
何処かで目にした記事が不快だったよ! と 何処かで目にした記事について語ったら
その文を書いた人に 「私の書いた記事を不快だと誹謗中傷された」 と 言われちゃうのかな ・・・
そんなときでも アリは働いていました
陽射しが絶えない南側のベランダに置きっぱなしで 気がつきませんでしたが だいぶ前からチョウマメの花が咲いていたようで 既に種が出来ていました
キリギリスの怠け者に対比される働き者のアリですが 実は 一生涯 働かないアリもいるのだそうです
アリと蜂の生態は似ていて それは 人間社会にも共通するところがあります
女王アリや女王蜂と言えば 人間界の社長か上司でしょうか
上からの命令によって 部下が働く社会は 指令が出るやいなや動き出し 効率よく仕事をこなす社員と ノンビリとマイペースな社員がいるように
頻繁に 餌捜しに出かける働き者のアリや蜂の他に いつもコロニーで何もせずにウロチョロしている怠け者もいるのだそうです
よく知られている 蜂の8の字ダンスですが
蜜集めに出かけて花畑を見つけた蜂は コロニーに帰って 仲間の蜂に8の字ダンスを踊って情報を伝達します
ダンスにも2タイプあるようで ダンスする時の体の向きが花畑の方向で 8の字を描く回数が 花畑までの距離を表すのだそうです
花畑において蜜を集めるのに どれくらいの蜂が必要かで 誰が何匹まで導引されるかは それぞれの個体がもつ働き度合いのパーセンテージによるわけで そのパーセンテージは遺伝子によるものです
つまり その個体によって 何処で動き出すかが生まれつき決まっているのです
で 点滴を打ちながら血尿が出るまで24時間体制で続けた この研究結果が新聞で紹介されたとき 読者から 「この研究をした人 ヒマだよね」 という投書があったとか
と 働かないアリの意義の 不確かな記憶ですが
ふむ!
それで?
専門家の地道な研究に 「ヒマだよね」 と投書のハガキを書く その人もヒマそうね
と ベランダで地道に働くアリを見ながら考えている 一番ヒマそうな私の独り言が 他人様に戦慄を走らせている事も知らず
何処かで目にした記事が不快だったよ! と 何処かで目にした記事について語ったら
その文を書いた人に 「私の書いた記事を不快だと誹謗中傷された」 と 言われちゃうのかな ・・・
朝晩は過ごしやすいせいでしょうか ここのところ快適な目覚めです
朝から ワンコの大物寝具を洗い 3つに分けてあるメダカの容器の水替えも済ませました
メダカの水槽 パート1 親メダカの棲家
メダカの水槽 パート2 今年になって生まれたメダカの棲家
そこへ最近になって パート3が加わりました
パート1で 根に卵が付いた水草は 見つけ次第 パート2に移すのですが どんどん生まれてくるはずの子メダカが 今年は ちっとも殖えず不思議に思っていたところが どうやら 去年の大きな睡蓮鉢が空いてなかったため 小さな水槽で間に合わせたせいで 今年になって生まれた子メダカが育って あとから生まれた弟たちを食べてしまうようです
そこで 卵の付いた水草用 パート3の設置となったわけです
ピッピッ!と小気味良く水面を泳ぎ回る 糸くずのような稚魚の動きは何とも可愛らしく 見飽きないものです
メダカと カメと レッドラムズホーンとで 水槽と花鉢とが数を競いあっている我が家
早や秋をイメージするキキョウと 同級生が営んでいる園芸店から譲っていただいた名無しの水草が隣り合わせに涼しげです
よく観ると 水草に丸い花茎らしきものが伸びています
もしかしたら水草の花の蕾でしょうか
メダカの幼稚園の庭に 何となく丸くて5弁の 黄色い花が咲きそう
もしも私に絵手紙を描く趣があったなら この季節に持ってこいの図になりそうな予感です
朝から ワンコの大物寝具を洗い 3つに分けてあるメダカの容器の水替えも済ませました
メダカの水槽 パート1 親メダカの棲家
メダカの水槽 パート2 今年になって生まれたメダカの棲家
そこへ最近になって パート3が加わりました
パート1で 根に卵が付いた水草は 見つけ次第 パート2に移すのですが どんどん生まれてくるはずの子メダカが 今年は ちっとも殖えず不思議に思っていたところが どうやら 去年の大きな睡蓮鉢が空いてなかったため 小さな水槽で間に合わせたせいで 今年になって生まれた子メダカが育って あとから生まれた弟たちを食べてしまうようです
そこで 卵の付いた水草用 パート3の設置となったわけです
ピッピッ!と小気味良く水面を泳ぎ回る 糸くずのような稚魚の動きは何とも可愛らしく 見飽きないものです
メダカと カメと レッドラムズホーンとで 水槽と花鉢とが数を競いあっている我が家
早や秋をイメージするキキョウと 同級生が営んでいる園芸店から譲っていただいた名無しの水草が隣り合わせに涼しげです
よく観ると 水草に丸い花茎らしきものが伸びています
もしかしたら水草の花の蕾でしょうか
メダカの幼稚園の庭に 何となく丸くて5弁の 黄色い花が咲きそう
もしも私に絵手紙を描く趣があったなら この季節に持ってこいの図になりそうな予感です
テレビは 万歳 万歳!
その裏で 映画 《八日目の蝉》 を観ました
数年前 同名のベストセラーを読みましたが 邦画チャンネルの予告により 映画化されたそれも見たいと思い 放映日をカレンダーにメモしておいたのでした
映画でのテーマは 原作とは だいぶ かけ離れていたように思います
不倫相手の家庭から 生後4ヶ月の子供を誘拐した野々宮希和子は その子に かおる と名付けて逃亡を続けながら 我が子のように愛情を以って育てます
かおる とは 子供を身ごもった時に 妻とは離婚を考えているという相手を信じ 楽しく食事をしながら提案した名前でした
裏切られて中絶し もう子供の出来ない身体になりながら 相手家族の子供に 失った子と同じ かおる という名前を付ける希和子に純真な愛を覚えますが 現実には複雑な感があります
リンゴ ミカン イチゴ など 言わずと知る名称は リンゴは赤くミカンはオレンジ色で 何とも愛らしいイメージのイチゴは その名の通り愛くるしく
ゾウと聞けばドッシリと カニと聞けば横向きに歩く様子が 実物を見なくても耳にしただけで その姿形が目に浮かぶものです
それを思うと この世に生を受けたばかりの純真無垢な命に名前を付ける者の 責任の重さを考えさせられます
私は 親が付けてくれた名前を気に入ってないわけではないけれど もし私が私の名前を付けることが出来たとしたら いつも楽しいイメージで ♪ドレミちゃん なんて名乗りたい気がします
少し前に 痴漢に襲われたい願望の少女が 自分の服装と乗る電車をネットで公開し 実際に女性が痴漢にあって 犯人が逮捕されたという事件がありました
ネットで公開された服装が似ていて 実際は人違いだったようですが 痴漢遭遇願望の少女が公開したハンドルネームが 最近の若い子にはありそうながらも 実に魅惑に満ちた名であることに感心したものです
今 我が家の玄関で 根元の一枝に咲いたミニバラ 〝グリーンアイス〟
この時期に 薄黄緑色の涼しげな色合いは よくぞのネーミングだと思いますが こうギッシリと咲いては その名に似つかわしくなく 涼を貰えそうにないのが残念です
その裏で 映画 《八日目の蝉》 を観ました
数年前 同名のベストセラーを読みましたが 邦画チャンネルの予告により 映画化されたそれも見たいと思い 放映日をカレンダーにメモしておいたのでした
映画でのテーマは 原作とは だいぶ かけ離れていたように思います
不倫相手の家庭から 生後4ヶ月の子供を誘拐した野々宮希和子は その子に かおる と名付けて逃亡を続けながら 我が子のように愛情を以って育てます
かおる とは 子供を身ごもった時に 妻とは離婚を考えているという相手を信じ 楽しく食事をしながら提案した名前でした
裏切られて中絶し もう子供の出来ない身体になりながら 相手家族の子供に 失った子と同じ かおる という名前を付ける希和子に純真な愛を覚えますが 現実には複雑な感があります
リンゴ ミカン イチゴ など 言わずと知る名称は リンゴは赤くミカンはオレンジ色で 何とも愛らしいイメージのイチゴは その名の通り愛くるしく
ゾウと聞けばドッシリと カニと聞けば横向きに歩く様子が 実物を見なくても耳にしただけで その姿形が目に浮かぶものです
それを思うと この世に生を受けたばかりの純真無垢な命に名前を付ける者の 責任の重さを考えさせられます
私は 親が付けてくれた名前を気に入ってないわけではないけれど もし私が私の名前を付けることが出来たとしたら いつも楽しいイメージで ♪ドレミちゃん なんて名乗りたい気がします
少し前に 痴漢に襲われたい願望の少女が 自分の服装と乗る電車をネットで公開し 実際に女性が痴漢にあって 犯人が逮捕されたという事件がありました
ネットで公開された服装が似ていて 実際は人違いだったようですが 痴漢遭遇願望の少女が公開したハンドルネームが 最近の若い子にはありそうながらも 実に魅惑に満ちた名であることに感心したものです
今 我が家の玄関で 根元の一枝に咲いたミニバラ 〝グリーンアイス〟
この時期に 薄黄緑色の涼しげな色合いは よくぞのネーミングだと思いますが こうギッシリと咲いては その名に似つかわしくなく 涼を貰えそうにないのが残念です
初めての開花で一目惚れし 我が家に住み着いて欲しいと望んだブルンネラは 東北ではコボレダネで育つと聞きますが 夏場の高温多湿は苦手な植物です
何度か夏越しに挑戦しては失敗の繰り返しながら 関東の花屋さんでも家庭用の鉢花として販売されているからには もしもの期待を持ち 種まきも合わせて試みましたが 冬に地上部がなくなるまでは見届けたものの 春になっても新芽が出る事は無く 種のほうも一切 音沙汰ないまま 春は過ぎていくのでした
私の花生活は 欲しい花を花屋さんやネットで探して取り寄せると言うのではなく 苦労して探し出しては 苦労して開花にこぎつけるところに面白みがあります
このところブルンネラの夏越しは諦めの心境でしたが 昨年の秋に出向いたガーデニングフェアにて 改良の新種が並ぶ大手の種苗会社の陰に目を見張らせた葉がありました
これまでのマクロフィラと違って斑入りですが 間違いなくブルンネラのジャックフロストです
保険も考えて ケースの一列に当る4鉢を持ち帰りました
冬を越すのは簡単です
念のため 雪の日には簡単な防寒を施し 年が明けて この春には更に生長した株から 可愛くも華やかに開花した4鉢のブルンネラを堪能しました
これからが問題です
2鉢は 風通しの良いベランダの北側に日除けをして 両手で抱えるほどの大鉢に 鉢ごと埋め込んでみました
コボレダネも期待して 花ガラを付けたままの花茎を支柱で地に抑えました
あとの2鉢は 玄関の木陰に地植えにしました
何日かが通り過ぎた7月の猛暑の気温には いまのところ耐え抜いています
今年は 屋根の上のベランダと玄関の木陰に託した我が子の無事を祈るかのように 朝晩 玄関からベランダへと階段を往復する 忙しい夏になりそうです
何度か夏越しに挑戦しては失敗の繰り返しながら 関東の花屋さんでも家庭用の鉢花として販売されているからには もしもの期待を持ち 種まきも合わせて試みましたが 冬に地上部がなくなるまでは見届けたものの 春になっても新芽が出る事は無く 種のほうも一切 音沙汰ないまま 春は過ぎていくのでした
私の花生活は 欲しい花を花屋さんやネットで探して取り寄せると言うのではなく 苦労して探し出しては 苦労して開花にこぎつけるところに面白みがあります
このところブルンネラの夏越しは諦めの心境でしたが 昨年の秋に出向いたガーデニングフェアにて 改良の新種が並ぶ大手の種苗会社の陰に目を見張らせた葉がありました
これまでのマクロフィラと違って斑入りですが 間違いなくブルンネラのジャックフロストです
保険も考えて ケースの一列に当る4鉢を持ち帰りました
冬を越すのは簡単です
念のため 雪の日には簡単な防寒を施し 年が明けて この春には更に生長した株から 可愛くも華やかに開花した4鉢のブルンネラを堪能しました
これからが問題です
2鉢は 風通しの良いベランダの北側に日除けをして 両手で抱えるほどの大鉢に 鉢ごと埋め込んでみました
コボレダネも期待して 花ガラを付けたままの花茎を支柱で地に抑えました
あとの2鉢は 玄関の木陰に地植えにしました
何日かが通り過ぎた7月の猛暑の気温には いまのところ耐え抜いています
今年は 屋根の上のベランダと玄関の木陰に託した我が子の無事を祈るかのように 朝晩 玄関からベランダへと階段を往復する 忙しい夏になりそうです
オキナワスズメウリ という植物がある事は 名前だけ知っていました
もう何年も前のことです
でも沖縄という土地柄に いい思い出が無いため その名前だけで敬遠していました
他に好きな花は いくらでもあるのだから 地名を聞いただけで あの悲しい事故を思い出す植物を わざわざ育てなくても と思っていたのです
あるとき 偶然に開いたサイトで オキナワスズメウリとして載っていた画像に 私の目と精神とがフリーズしました
リセットするまで どれくらいの時が過ぎたでしょう
それから 私のオキナワスズメウリ探しが始まりました
運良く間もなくして 10個ほどの赤いオキナワスズメウリの実が 第四種郵便により紙コップに入って 私の元に届きました
あれから 何年目の夏になるのでしょう
今年も 可愛らしいオキナワスズメウリが 鈴なりです
沖縄の悲しい思い出も少しずつ記憶から薄らぎ もっと早くから育てれば良かったと 名前にこだわっていたことが悔やまれてしまう可愛らしい実は まるで畑から採ってきたスイカを ドラえもんがスモールライトを当てて そのまま小さくしたかのようです
あまりの可愛らしさに 名前なんて どうでもよくなったこの頃ですが オキナワスズメウリという長々しい名前を口にするのが煩わしく 最近は オキスズ と呼ぶようになりました
オキナワスズメウリの赤ちゃんの先に蕾がついていて やがて西瓜にソックリの黄色い花が咲きます
漢字では 沖縄雀瓜ですから 西瓜と同じ仲間なのでしょうか
沖縄雀瓜をオキスズとしたのは 私の便宜上であって 正しい名前ではありません
この植物を どなたかに差し上げたり ご紹介する際には 正しい名前のオキナワスズメウリでなければなりません
名前とは そのもの独自の名称です
他のものと紛らわしくないよう区別したり 混同しないために それぞれの名前が付けられているのだと思います
解りさえすれば どうでもいいじゃないか という考え方もあるかもしれません
病人の名前を取り違え 手術する箇所を間違えたなどと 大きな問題にさえならなければ たしかに 大したことではないかもしれません
ただ 名前の間違いが気になる私のような者がいても当然なわけで それを悪趣味だとするのなら 他人の人格を悪趣味として一方的に言い放つことに 私は疑問を感じます
もう何年も前のことです
でも沖縄という土地柄に いい思い出が無いため その名前だけで敬遠していました
他に好きな花は いくらでもあるのだから 地名を聞いただけで あの悲しい事故を思い出す植物を わざわざ育てなくても と思っていたのです
あるとき 偶然に開いたサイトで オキナワスズメウリとして載っていた画像に 私の目と精神とがフリーズしました
リセットするまで どれくらいの時が過ぎたでしょう
それから 私のオキナワスズメウリ探しが始まりました
運良く間もなくして 10個ほどの赤いオキナワスズメウリの実が 第四種郵便により紙コップに入って 私の元に届きました
あれから 何年目の夏になるのでしょう
今年も 可愛らしいオキナワスズメウリが 鈴なりです
沖縄の悲しい思い出も少しずつ記憶から薄らぎ もっと早くから育てれば良かったと 名前にこだわっていたことが悔やまれてしまう可愛らしい実は まるで畑から採ってきたスイカを ドラえもんがスモールライトを当てて そのまま小さくしたかのようです
あまりの可愛らしさに 名前なんて どうでもよくなったこの頃ですが オキナワスズメウリという長々しい名前を口にするのが煩わしく 最近は オキスズ と呼ぶようになりました
オキナワスズメウリの赤ちゃんの先に蕾がついていて やがて西瓜にソックリの黄色い花が咲きます
漢字では 沖縄雀瓜ですから 西瓜と同じ仲間なのでしょうか
沖縄雀瓜をオキスズとしたのは 私の便宜上であって 正しい名前ではありません
この植物を どなたかに差し上げたり ご紹介する際には 正しい名前のオキナワスズメウリでなければなりません
名前とは そのもの独自の名称です
他のものと紛らわしくないよう区別したり 混同しないために それぞれの名前が付けられているのだと思います
解りさえすれば どうでもいいじゃないか という考え方もあるかもしれません
病人の名前を取り違え 手術する箇所を間違えたなどと 大きな問題にさえならなければ たしかに 大したことではないかもしれません
ただ 名前の間違いが気になる私のような者がいても当然なわけで それを悪趣味だとするのなら 他人の人格を悪趣味として一方的に言い放つことに 私は疑問を感じます
夏に 我が家で咲く定番の花の一つに ルコウソウがあります
毎年 花の種類が増える一方なので 今年はルコウソウを一つの鉢にまとめて植えたのがかえって幸いし 3種の色が混ざり合って咲く様子が これまでに無く可愛らしさを増しています
つる性の花は 種を蒔くときに 花後の支柱に絡まった蔓の後片付けの苦痛を 思い悩みながらの作業になります
花好きとは言いながら
生活に欠かせない水を得るのを妨げられた朝顔の蔓さえも愛おしんだ 千代女さんのような女性には まだまだ なれそうにありません
毎年 花の種類が増える一方なので 今年はルコウソウを一つの鉢にまとめて植えたのがかえって幸いし 3種の色が混ざり合って咲く様子が これまでに無く可愛らしさを増しています
つる性の花は 種を蒔くときに 花後の支柱に絡まった蔓の後片付けの苦痛を 思い悩みながらの作業になります
花好きとは言いながら
生活に欠かせない水を得るのを妨げられた朝顔の蔓さえも愛おしんだ 千代女さんのような女性には まだまだ なれそうにありません
毎日 母のお世話で大変な家族へ お手伝いが名目で実家へ行きましたが 日常のペースを乱す事にもなりがちなので 積極的に手を出す事は出来ません
実家に着いて まず頼まれたのが 紫蘇の葉を摘むことでした
暑い寒いが最もストレスになると 常々 悩みの種になっている私の姉にとって 照りつける太陽の下での作業は そうとうなエネルギーを必要とするようですが 私には都心から外れた緑の多い地で 薄緑色の透き通った風に扇がれながらの畑作業は 苦どころか 願っても無い楽しみです
スーパーのビニール袋に 1時間ほどで600gの紫蘇の葉を収穫しました
ここに紫蘇の種を蒔いた覚えはないのに なぜか今年 庭の一角に こんなにも紫蘇が育ったのだそうです
人間とは勝手なもので 葉を摘むのは苦労でも お料理好きとなると キッチンで汗だくになりながらの作業は苦にならないようです
紫蘇の葉を煮込んで抽出した焦げ茶色の液体が お酢と混ざり合いながら 見る見るうちに美しい色に変身する瞬間が楽しみの一つでもある 紫蘇ジュース作りです
子供のころには見慣れた花に クロコスミア モントブレチア ヒメヒオウギ水仙 など オシャレな名前があることを知るはずもなく 今でも私には雑草でしかありません
昭和天皇の 「雑草と言う名の植物はない」 という名言が気になりますが
雑草と言うイメージのままでも 何処にでも咲いている この花の名前であるヒオウギのヒは 赤を表す緋である事を知ってから 赤い扇を意味する この花に美しさを覚えるようになりました
私には 日々の思いや花の記録を ブログとして書き綴る事は楽しみの以外の何物でもありません
そして目を通してくださるかたが もしも私の記事から何らかの情報を得るなり 少しの楽しみにしてくださったなら さらにまた私の喜びになります
コメントが無くても 少ないながら お気に入りとして下さっている数字とアクセス数により どなたかが目を通してくださった証拠は心を弾ませてくれます
自分の事を一方的に発信するのでは 自己顕示欲の現れかと批判の的になっても当然と思われ 私の発言に 善しにつけ悪しきにつけ何かしら お感じになったのならと思いコメント欄を設置しております
心おきなく楽しくブログを綴るひとときを得るには こんなことも条件の一つかもしれません
実家に着いて まず頼まれたのが 紫蘇の葉を摘むことでした
暑い寒いが最もストレスになると 常々 悩みの種になっている私の姉にとって 照りつける太陽の下での作業は そうとうなエネルギーを必要とするようですが 私には都心から外れた緑の多い地で 薄緑色の透き通った風に扇がれながらの畑作業は 苦どころか 願っても無い楽しみです
スーパーのビニール袋に 1時間ほどで600gの紫蘇の葉を収穫しました
ここに紫蘇の種を蒔いた覚えはないのに なぜか今年 庭の一角に こんなにも紫蘇が育ったのだそうです
人間とは勝手なもので 葉を摘むのは苦労でも お料理好きとなると キッチンで汗だくになりながらの作業は苦にならないようです
紫蘇の葉を煮込んで抽出した焦げ茶色の液体が お酢と混ざり合いながら 見る見るうちに美しい色に変身する瞬間が楽しみの一つでもある 紫蘇ジュース作りです
子供のころには見慣れた花に クロコスミア モントブレチア ヒメヒオウギ水仙 など オシャレな名前があることを知るはずもなく 今でも私には雑草でしかありません
昭和天皇の 「雑草と言う名の植物はない」 という名言が気になりますが
雑草と言うイメージのままでも 何処にでも咲いている この花の名前であるヒオウギのヒは 赤を表す緋である事を知ってから 赤い扇を意味する この花に美しさを覚えるようになりました
私には 日々の思いや花の記録を ブログとして書き綴る事は楽しみの以外の何物でもありません
そして目を通してくださるかたが もしも私の記事から何らかの情報を得るなり 少しの楽しみにしてくださったなら さらにまた私の喜びになります
コメントが無くても 少ないながら お気に入りとして下さっている数字とアクセス数により どなたかが目を通してくださった証拠は心を弾ませてくれます
自分の事を一方的に発信するのでは 自己顕示欲の現れかと批判の的になっても当然と思われ 私の発言に 善しにつけ悪しきにつけ何かしら お感じになったのならと思いコメント欄を設置しております
心おきなく楽しくブログを綴るひとときを得るには こんなことも条件の一つかもしれません
元気なときに会いにいらっしゃい と 母の面倒を見ながら一緒に暮らしている家族は 口癖のように私に言います
私がお邪魔することにより 寝具や食事など煩わしさも増えることですが 確かに私が訪ねた事を喜んでくれるのは 元気で居るからこその母
たまたま早朝に出かける夫に便乗して実家へ向かうと 首都高で朝日が昇りました
このごろの空の色は 青が少し白んでいるように思います
久しぶりの母は 最低限の自分の身の回りは自分で行い相変わらずのように見えましたが 老人性の忘れっぽい症状は だいぶ進んだように思えました
3人の妹がいる長男に嫁ぎ 舅と姑のもとで嫁としての生活の内に 戦争中には長女を亡くしたりの母の人生は 必ずしも幸せなことばかりではなかったかもしれません
そんな母は
目覚めた時に出来上がっている食事を摂り 思いのままに自分の時間を過ごす今が なによりも幸せのように思います
大変な時代を 精一杯 真面目に生きてきた母に与えられたゴホウビなのでしょう
ブルー エルフィン
私の花好きは 母譲りだと思いますが この頃の母には 花を育てる気力は失せています
帰省のたび とりどりの花色で賑やかだった花壇は 雑草で覆われていました
親孝行 したいときには 親はなし
それなら 今でしょう!
庭に花を植えて良いかと 家を仕切っている姉に尋ねると
「私も花が大好き! 母に代わって私がガーデニングに入門しようと思っていたところだから 好きなようにして! 」 という返事に 2泊の予定を3泊にして まずは雑草抜きから 私の親孝行が始まりました
できるだけ鮮やかな花色を選んで ジニア ポーチュラカ ニコチアナ
物置から 使ってない水盤を出して貰い 小さな池を模倣して水草も浮かべました
あと1ケ月もしたら 草花の脇芽が育って見ごたえのある花壇になる事でしょう
濡れ縁から 目に入った花に小さな悲鳴を上げたかと思うと
サンダルを履いて庭に下り 未完成ながらも とりあえずは蘇った花壇の前で佇んでいる母
争うことも忘れ 必要なくらいの食欲を残しただけの無垢な母の後姿は 薄での夏服が風に翻り 白いエンジェルのように見えました
私がお邪魔することにより 寝具や食事など煩わしさも増えることですが 確かに私が訪ねた事を喜んでくれるのは 元気で居るからこその母
たまたま早朝に出かける夫に便乗して実家へ向かうと 首都高で朝日が昇りました
このごろの空の色は 青が少し白んでいるように思います
久しぶりの母は 最低限の自分の身の回りは自分で行い相変わらずのように見えましたが 老人性の忘れっぽい症状は だいぶ進んだように思えました
3人の妹がいる長男に嫁ぎ 舅と姑のもとで嫁としての生活の内に 戦争中には長女を亡くしたりの母の人生は 必ずしも幸せなことばかりではなかったかもしれません
そんな母は
目覚めた時に出来上がっている食事を摂り 思いのままに自分の時間を過ごす今が なによりも幸せのように思います
大変な時代を 精一杯 真面目に生きてきた母に与えられたゴホウビなのでしょう
ブルー エルフィン
私の花好きは 母譲りだと思いますが この頃の母には 花を育てる気力は失せています
帰省のたび とりどりの花色で賑やかだった花壇は 雑草で覆われていました
親孝行 したいときには 親はなし
それなら 今でしょう!
庭に花を植えて良いかと 家を仕切っている姉に尋ねると
「私も花が大好き! 母に代わって私がガーデニングに入門しようと思っていたところだから 好きなようにして! 」 という返事に 2泊の予定を3泊にして まずは雑草抜きから 私の親孝行が始まりました
できるだけ鮮やかな花色を選んで ジニア ポーチュラカ ニコチアナ
物置から 使ってない水盤を出して貰い 小さな池を模倣して水草も浮かべました
あと1ケ月もしたら 草花の脇芽が育って見ごたえのある花壇になる事でしょう
濡れ縁から 目に入った花に小さな悲鳴を上げたかと思うと
サンダルを履いて庭に下り 未完成ながらも とりあえずは蘇った花壇の前で佇んでいる母
争うことも忘れ 必要なくらいの食欲を残しただけの無垢な母の後姿は 薄での夏服が風に翻り 白いエンジェルのように見えました
梅雨明けが近いはずの関東は 30℃を越える日も多いという この先の予報に そのあとの猛暑が思いやられます
そんな日の朝に 一日花ながら 毎日 絶えることなく花開くツユクサ
花びらの周りが白く縁取られていることから メガネツユクサ という固有名詞があります
高い湿度と乾かない洗濯物と 音もなく降る細い雨とに 不快指数は日ごとに上がる一方の この季節に
忘れそうになる空の色を思い起こさせ
なにかの昆虫に似せた ひょうきんな花姿は きっと 花の神様の仕業にちがいありません
秋の稔りのために この時期に長い雨を降らせないわけにはいきません
そのかわり 雨が続く朝のひとときを 清々しいツユクサの花で心癒されますように と
斑入りツユクサ
ツユクサを漢字で書くと 梅雨に咲く花だから 梅雨草・・・ ではありません
もしかしたら それは 雨上がりの朝 ツユクサの葉に宿る露の美しさにも気付いて欲しい 花の神様の願いなのかもしれません