日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
人生を大いに楽しむために言いたい放題、書きたい放題!!
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裏金の行方。

2010年02月22日 12時59分30秒 | 日記
建設会社の業務担当といえば少しは聞き前がよいが露骨にいえば談合屋です。
28歳のときから48歳まで20年ほどやりました。
現在、63歳ですから15年前に足を洗いました。と、いうわけでこの間に海外へ渡航していた期間はわずかですから談合罪などは全て時効です。
以前にも談合のことに触れましたが20年間の間に談合金の授受に関して危ない場面が二度ありました。
一度目は海岸の波消ブロックの製作工事に関して談合金をもらったときでした。
工事は5工区に分割して発注されたために全ての工区について多かれ少なかれ談合が行われていたのですが、私が参加した工区では立件されませんでした。
別の工区では入札参加企業の担当者が全員逮捕されて送検起訴されました。
私も次は自分の番だなと半ば観念していましたが遂に司直の手は届きませんでした。
この違いは何だったのでしょうか。
後日談として巷間ささやかれた理由はこうです。
逮捕された連中は仲間で繁華街の風俗店やクラブやバーで豪遊したそうです。川崎あたりの歓楽街まで繰り出して風俗店を梯子したってことも聞きました。
そういう店には必ずといってよいほど警察の犬がいるんです。警察犬ではありません。情報提供者つまりスパイです。
私は談合金といえども会社の収益ですから会社へ入金して売り上げに計上しました。ですから談合に対する罪の意識はありましたが金銭的な後ろめたさは一切ありませんでした。
もう一度は私個人に対する談合金授受の嫌疑です。
同業A社から私に対して30万円の談合金が支払われたという噂が広まったのです。当然、私の会社の社長の耳にも達しましたから私は社長から厳しく糾弾されました。
実は少し前にA社長が会社を訪れて受注のお礼にといって封筒を差し出したのを社長は受け取らなかったというんです。だからお前のところへ渡したんだろうという推量です。
そこで私は社長に対してその話はいったい誰から聞いたのかを逆に質しました。
すると社長は同業者のS社長から聞いたと答えました。私に談合金を支払ったとされたA社の工事部長とは普段から懇意にしていたので二人でS社へ出向き何を根拠で出鱈目をいうのかS社長を糾弾しました。するとS社長はB社の営業担当者から聞いたとあっさり白状しました。
そこで今度はB社へ怒鳴り込んでいって、担当者を羽交い絞めにして二人がかりで取り押さえて詰問しました。
すると意外なことに噂の発信元はA社の女子事務員だったんです。
そこで二人でA社へ引き返し経理担当の女子事務員を厳しく詰問しました。すると女子事務員は間違いなく30万円の現金を私に渡す目的でA社長に渡したっていうんです。
私がそのお金はウチの社長が受け取らずに突き返したっていうと、女子事務員は自分のところへも戻っていないのでてっきり渡したものだとばかり思っていたというんです。そこで今度はA社長に確かめるとやっぱりA社長が着服していたんです。
そこまで確かめてから会社へ戻り事の顛末を社長に報告しました。
社長は己の不明を恥じて詫びてくれましたが私の腸は煮えくり返ったままでした。
その後、私はA社長のことを一切信用できなくなり談合は何度も決裂しました。
しばらくするとA社が白旗を掲げて降参してきました。実力者を介して仲直りの手打ちをして欲しいと言ってきたのです。
そこで市内の高級料亭で手打ち式を行うことになったんですが、その費用のことで又も悶着があったんです。つまり、相手は手打ち式の費用を折半にして欲しいっていうんです。
馬鹿野郎っ。泣きを入れてきたのは手めえっちの方だろう。俺に呉れる積もりだった30万円ありゃァお釣りがくらァ。私がそう啖呵をきったのは言うまでもありません。

さて、この談合金の話ですが下の小沢さんの話に当てはめるとどうなるでしょうか。
水谷建設の経理は小沢事務所へ渡すという名目で間違いなく5000万円を出金処理している。
水谷建設役員はどこかのホテルのロビーで小沢氏の秘書だった石川元秘書に紙袋を手渡している。そこに居合わせた第三者の目撃証言もある。ただし目撃者は紙袋の中身まで確認したわけではない。しかし肝心な小沢氏は5000万円どころか鐚一文も受け取っていないという。
小沢氏が本当に受け取っていないとするならば、私の経験に基づいて推理すれば、水谷建設の役員が大半を着服しておいて、石川元秘書には菓子折りと僅かなお金が入った紙袋を渡したか、または石川元秘書が受け取った5000万円全額を着服したかのどちらかということになるのだが果たして真相はどうなんでしょうか。

小鳩金権政権。

2010年02月22日 09時58分00秒 | 日記
私には捜査権もなければ裁判権もない。だからああであるこうであると断定はできない。これはあくまでも私の独断と偏見であることを初っ端からお断りしておく。

鳩山総理は自身の政治資金報告書の虚偽記載と母親からの12億円以上の生前贈与に伴う巨額な贈与税脱税について一切知らぬ存ぜぬの一点張りで押し通す気でいるようだ。
幾ら金持ちの息子だからといったって少なくとも総理大臣の職にある政治家なんだからここは一つ庶民感覚で常識的に考えてもらいたい。
政治資金報告書は企業でいえば決算報告書である。幾ら経理部長が優れた人材であっても担当重役がしっかりしていたとしても、決算報告書は代表取締役社長の責任において発表されるものである。しかも、鳩山総理の場合は、献金の額が少ないからといって死んだ人の名前まで借りて粉飾したというのだから知らない筈がないだろう。もし仮に本当に知らなかったとしたら、逆に彼には日本国の統治能力などあろうはずがない。その点において既に政治家失格である。知っていても駄目、知らなかったとしても駄目なのである。
母親からの生前贈与についても同様である。弟邦夫氏の証言でも判るとおり兄弟不公平のないように生前贈与が行われていたのだろうから、弟は知っていて兄はまったく知らなかったなんていう言い逃れが通るわけがない。
母親にだって痴呆症や認知症を患っている様子もない。幾ら金持ちだからと言っても億単位の金ともなれば子供相手のお年玉とは違うだろう。お金のことに関して一言の会話もなかったとしたら不思議である。
与謝野氏のいう『平成の脱税王』というのは実に旨い表現である。税務当局も延滞税や重加算税の規定を厳正に適用すべきである。脱税王が行政の長などという国家が存続するはずがない。ここは一つ潔く身を処してもらいたい。

最近の小沢氏は検察当局が起訴できなかったのだから身の潔白は証明されたが如き言いようであるが国民の見る目はそれほど甘くはない。
小沢氏は田中・竹下・金丸の金権腐敗政治の申し子のような人物である、というのが一般国民の見方であろう。潔白だったから起訴しなかったのではなくて限りなく黒に近いが確たる証拠が掴めなかったというところあたりが検察当局の本音であろう。
水谷建設から石川氏に渡った現金5000万円には同席者の証言もあったが物的証拠となる領収書や指紋のついたお札はなかった。つまり、お金には印が付いていないのである。
カジマのガサ入れでも確実な証拠が出なかったんではないか。
田中元総理の公判を欠かさずに傍聴したとされる小沢氏はそこから得た知識を続く竹下・金丸氏らの金にまつわる醜聞と併せて自己防衛の鎧に重ねたのであろう。
つまり、俺は田中や竹下や金丸みたいなドジは踏まないぞってね。

一般庶民の常識というのか疑問というのか、小沢氏には政治資金にまつわる数々の疑惑に対して国会という場で野党議員の質問に答えてもらいたいもんですね。
先ず、あれだけ頻繁に銀行口座へ金の出し入れをしているのに土地購入資金に当てたとする親の遺産4億円だけは箪笥預金としていた理由です。このお金の相続税は払っているのかしら。
次に、岩手県選出の代議士が何で沖縄県の原野を所有するのか、その理由も聞きたいね。政治活動と不動産投資による金儲けを混同しちゃってるんじゃないかしら。
これで5月になったら普天間基地の移転先は結局、自民党政権時代に日米合意した辺野古沖に決めましたなんていう話になったら田中角さんの信濃川河川敷問題と同じだよね。

こんなことを書いている矢先に長崎県知事選挙の結果が出ましたね。自民・公明推薦候補が大勝しました。民主党推薦候補は惨敗です。
このまま鳩山・小沢居直り政権で次の参議院選挙を戦ったらどうなるんでしょうか。
私は政権交代には賛成しました。ですから、民主党には党の体制を立て直して参院選に臨んでもらいたいんです。
鳩山さんと小沢さんには泥をかぶってもらって沖縄基地問題を解決してもらい、それを花道にお二人には潔く引っ込んでもらうというのが私の書いた筋書きなんです。

国母君のゆる褌。

2010年02月19日 08時23分12秒 | 日記
冬季オリンピックのスノーボードに出場した国母和宏選手の服装が乱れていたということで物議をかもした。
一時は出場辞退というところまでいったようだが、入場式への参加を自粛することで決着し、競技には参加して8位に入賞した。
これには橋本聖子選手団長の決断があったようだが適切な措置であったと思う。
私らの商売は鳶職だから職人さんたちは鳶の服装をしている。
ワイドニッカのあの粋なスタイルである。
建設現場では安全が最優先される。安全な作業に必要なのは正しい服装である。
服装の乱れは時として大きな事故につながるから厳しくチェックしなければならない。
頭のヘルメット、腰に安全帯、足元の足袋まで完全な装備が要求される。
ところで国母選手の服装はどうだったのだろうか。
ネクタイをゆるめに結び、シャツの裾がズボンから出ていたというだけのことだった。少なくとも競技をする上での安全面の問題はまったくなかったと思う。
あれは最近の若者たちの間では流行のファッションで、とくにスノーボードやスケートボードをやるような若者たちには何の違和感もないようである。
日本選手団などとまるで軍隊みたいな発想で統制しようとするから気になるだけのことで、お仕着せを着ていないというならともかく、着こなしの範囲では少しぐらいの自由があってもいいじゃないかというのが私の意見です。
国母君もあれでメダルでも取れればいうことなかったのに残念でしたね。
両親が申し訳なさそうに謝り続けていたのが何ともお気の毒でした。

義理が廃ればこの世は闇だ。

2010年02月11日 09時24分58秒 | 日記
ここ三年ほどのあいだ親しく付き合っていた人とついこのごろ交わりを断ちました。愛想が尽きたんです。
事の次第を書きますから、私のことを尻の穴の小さい野郎だと思ったらどうぞ哂ってやってください。

ネットで知り合って親しくしていた男がいました。俳優の菅原文太に似た風貌で名前は伊達智之介。勿論本名ではありませんが苗字が示すとおり仙台在住の好漢で仕事の鬼のように東北六県を駆け巡っていました。
実に気遣いをする男で仙台名物の牛タンやら笹蒲鉾、八戸からは帆立貝、南部煎餅の落花生入りが好きだといえば間髪を入れず送ってくれました。当然、私もこちらの名物やら何やらでお返しをしました。智さんと私は実に良い関係でした。
その智さんが雪の青森のトンネルの中で衝突事故を起こし亡くなってしまったのは丁度今から三年前の2007年2月15日のことです。今日は11日ですから間もなく命日ですね。
その智さんを偲ぶ会で出会ったのが件の人物なんです。年齢は五十代半ばを過ぎたあたりで朴訥とした人柄の決して悪い人間ではないと思いました。
彼の職業は調理師で、旅は好きだけれど静岡へは一度も行ったことがないというから、静岡へおいでの節にはご連絡いただければ私がご案内しますよと応じました。
次の年の春に彼から静岡へ来るという連絡があったので予ての約束どおりに駅まで車で迎えにいって、名所旧跡を案内して巡り、美味いものを食わせ、夜は居酒屋で接待しました。
このときは市内のビジネスホテルへ泊まってもらって翌日も車で市内を案内してから駅で見送りました。
この年の秋に再び静岡へ来るというので、また駅まで迎えに行って、観光とグルメを案内しました。二度目の時は私の自宅へ泊まってもらいました。
彼は健啖家で酒豪です。鮨は二人前ぺろりと平らげて追加のアナゴ一匹を食べ、更に安倍川餅も辛み餅もしっかり食べました。
居酒屋では宵の口から深夜までじっくり腰を据えビールから始まって日本酒、焼酎とつぎつぎに飲むのです。
彼が静岡へ来たときの飲食費をはじめ拝観料や入場料などすべての経費は私が負担しました。往復の旅費とホテル代だけが彼の負担です。
ここまでの話でしたら私がお招きした結果のことですから何の不満もありませんでした。
昨年の秋に今度は私が彼の本拠地へ赴きました。駅まで迎えに来てくれたのまでは私がしたのと同じでした。しかし以後の移動はすべて電車やタクシー利用で費用は飲食費も含めてすべて割り勘でした。
彼には自動車運転免許がなくて、住まいはアパートで鰥夫暮らしをしているために、とても私を自宅へ案内できるような状態ではないということのようでした。
あちらこちらと案内はしていただきましたが結局ラーメン一杯もご馳走になることなく静岡へ帰ってきました。だからといって絶交したわけではありません。
彼は今年になってから急に私の個人的な友人に会いたいなどと言い出したのです。その友人は女性ですが私は相手のご主人とも親しくしていただいております。つまり夫婦同士で行ったり来たりのお付き合いなんです。
彼が俳人にして陶芸家で茶人の彼女とあってどうしようというのか魂胆が解りませんでした。
彼と親しくすることによってまったく関係のない私の友人にまで迷惑をかけるのが忍びないので彼との親交を断ったのです。
今にして思えば、彼女に会いたいというのは口実で、多分、また静岡へ来たいというシグナルだったんだと思います。
私が彼を友人宅へ同道すれば間違いなく歓待していただけるでしょう。しかし、他人の家を訪問するのには気の利いた手土産が必要だろうし、おもてなしに対して後々の義理も嵩みます。
彼はそうしたことに気遣いできるような人物ではないのです。それを証拠に私に対する一宿一飯の義理を欠いた人なのです。私は損得勘定をしているのではありません。損得勘定するくらいなら最初から招待などはしないし、二度も続けて歓待したりなどしません。
私が彼に失望したのはお金の多寡の問題ではなくて一宿一飯の義理を欠いたことに対してなのです。
私には今から三十数年前に一宿一飯の恩義に与かった人がいます。栃木県宇都宮の自宅に泊めてもらって飲食のもてなしをうけました。
相手は私が現場で飯場暮らしをしていた頃の先輩です。私はその恩義に報いるため今でも盆暮れの挨拶をしています。
男同士の付き合いというものは斯くあるべきだと私は思っております。

随句。

2010年02月04日 11時27分34秒 | 日記
私が所属している結社では自由律俳句のことを【随句・ずいく】と呼んでいる。
自由律俳句ではなくて随句と呼称するようになった経緯にはいろいろあるようだが、その辺の事情は半可通な私が軽率に喋らないほうがいいのかもしれない。
私が今の結社に入れてもらったのにはちょっとした事情があって、それまでに所属していた別の結社を脱退したからである。その脱退理由というのが実に滑稽なことで、結社の会員でもない女性との音楽用語の発音に関する言い争いが発端であった。主宰を取り巻くその女性は音楽家であり、ネット上で音楽尻取りというのをやっていて、私の書いた音楽用語のカタカナ表記が違うと他愛もないクレームをつけてきたのである。
これには理由があって、実はその直前に彼女のホームページの漢字の誤りを何箇所か指摘してやったのである。彼女は国語力に劣るのか備考欄を備考蘭と書いていた。他にもいくつかの誤字誤用があった。しかし彼女は視力が落ちてきたのでと言い訳していた。土方風情に漢字の誤用を指摘されたのでは彼女のプライドが許さなかったのであろう。
音楽用語に多いイタリア語をカタカナ表記すると微妙なところで幾つかの表記になる。例えばベートーベンはベートーヴェンだったりヴェート-ヴェンだったりするのである。そのときはスタッカティッシモとスタッカティシモとスタッカーテシモと三通りの表記があった。
私は音楽用語辞典をひもといてスタッカティッシモと書いたのだが音楽家はスタッカートの変化だからスタッカーテシモが正しいと頑として譲らないのである。私のところには某有名音楽大学教授からイタリア語の発音には小さな「ッ」が大切ですよというアドヴァイスのメールがあったからスタッカティッシモにはちょっとした自信があった。
こういう事態になったとき無学な者は悲しい。主宰をはじめ周りの者はこぞって音楽家の言い分を支持してしまったのである。孤立無援になった私は遂に所属していた俳句の結社にもいずらくなったのであるが、そのときの惨めさといったら筆舌に尽くしがたい。相手が女性だからかもしれないが私はよってたかって弄られたのである。この時には石を以って追われた石川啄木の心境がよく解った。
学歴というものが特別に役に立つものとも思わないが、何かあったときに無学であることの惨めさを味わうことがある。
学べる機会のある者は大いに学ぶべきである。

忙中閑あり。

2010年02月03日 08時05分15秒 | 日記
静岡市葵区に所在する資本金1000万円、従業員20名ばかりの会社に勤めている。
業種は土木工事業と仮設資材のリース業であるが従業員の大半は優秀なとび職人で、遠くは鹿児島県阿久根市まで風力発電の風車の組立に出向いたりしている。
私の立場は取締役で経営管理者ということになっているが、実態は事務所の留守番役だと思っていただいて概ね間違いない。

昨日、愛知県津島の職業安定所から一本の電話が入った。話の向きは今春、中学校を卒業する新卒者を受け入れてもらえないだろうかということである。会社には中学校を出て働いている少年が数名いる。だから基本的には新卒者も受け入れることが出来ると回答しておいた。

津島にはネットの交流で親しい人がいる。津島は愛知県とはいっても西隣は三重県という場所である。したがって当然、少年は住み込みで働きたいということである。

とび職の仕事は高所作業で年少者には出来ない仕事であるから、現在働いている16歳の少年たちも現場の手元として働いている。手元というのは職人の助手あるいは介添えをする役目である。もちろん保護者の同意書をとって受け入れているのである。

会社には寄宿舎があるのだが、普通の民家を借り上げて、それぞれの部屋に一人ずつ寝泊りさせている。だから「市橋」が潜り込んだような個室の宿舎ではない。風呂、トイレ、台所など住居としての設備は整っているが、炊事婦がいるわけではないから入居者は各自で自炊している。

さて、件の中学生であるが15歳にして親元を離れ自活しようというのだから相応の覚悟はあるのだろう。それはそれとして受け入れる側の立場としては、やはり素行や学力、家庭環境のことなどが気になる。

職安の人には、前歴があっても構わないといってある。前歴があっても正直に申告してくれてこれから過ちを繰り返さなければ良いのである。現に刑務所から出てきたばかりの人間も保護司から頼まれて受け入れている。前歴の中でも一番困るのは窃盗や婦女子にかかわる性犯罪の場合である。これらの前歴者は再犯率が高い。

学力といっても学校のテストの成績ではない。まあ端的に言えば知能指数の問題である。仕事を覚える上ではどうしても記憶力や計算能力などの基礎的な能力は必要である。
私は凡庸な土木技術者であるが測量には三角関数、面積の計算にはヘロンの公式、堰堤などの体積はオベリスク公式・体積={Ab+aB+2(ab+AB)}×H/6を使っている。私は小学校の算数の成績が5段階評価の「2」という情けない生徒だったが、世の中へ出てからは必要に迫られこれらの計算が出来るようになった。もちろん計算そのものは電卓でやる。

さて、十五の春を夢のある未来につなげてやるために、私に出来ることは何でしょうか?。