無事に金毘羅代参を終え帰途に就いた石松は久しぶりに遠州浜松小松村の七五郎を尋ね一泊の宿を請う。七五郎は石松の父が死ぬときに「七さん、石を頼んだよ」といったほどのしっかり者。七五郎は次郎長の身内ではないが郭縁の間柄で陰に日向に次郎長を支えてきた人物である。
遠州一帯で人望のないくせに狡猾な遺り口で縄張りを広げていた都鳥一家の吉五郎は石松が代参帰りに身に付けていた香典の預かり金三十両に目を附け騙し取る事を画策、石松は、その口車に乗せられて金を貸して仕舞う。約束の日に指定場所に出向くが音沙汰無く却って都鳥の差し金で若い者から闇討ちに合う。
石松の出身は当時の三州半原村にあり、代々庄屋も務めた家柄だったが、父親の代に自宅から火を出し、自宅は全焼、石松の母親(名:かな)と飼い馬は焼死した。父親は幼い次男の石松を連れて炭焼きの仕事をするために遠州森町へ来た。そして天宮神社の祭礼の日に迷子となり、地元の侠客・森の五郎に引き取られて少年時代を森町で過ごす。その石松が起こした喧嘩の仲裁に清水次郎長が割って入るが、仲裁人の次郎長にまで食って掛かった。次郎長は手に負えない石松を引き取り自分の子分とした。
小松村のはずれの閻魔堂の前で都鳥一家など十人に欺し討ちにあった森の石松は血だらけになりながら兄弟分の七五郎の家にやってくる。七五郎は石松を押し入れに隠すと、女房のお民に「石松の代わりに都鳥一家に斬られて死ぬので縁を切る」と語る。しかしお民は「惚れて女房になったんだ。一緒に死のう」と笑って答える。ほどなく殺気立った都鳥たちがやってくるが、七五郎もお民も落ち着き払ってあしらい、都鳥たちの気勢をそぐ。
お民の動じない姿を見た都鳥たちはあきらめて帰って行く。石松が「浜松で医者にかかる」と言い出したので、七五郎は付き添っていこうとする。しかし石松はそれを断り、浜松には行かずに閻魔堂に引き返したところ、「石松は卑怯者だ」と都鳥たちが話しているのを耳にし、我慢がならずに姿を現して斬殺されてしまう。
森の石松を殺した都鳥たちは三日後、天竜川端に住む本座村為五郎を訪ねた。為五郎は石松の死をすでに知っていた。そして都鳥一家の仕業であることを伝えに小松村七五郎が次郎長のもとに向かったと語った。と、その時、次郎長一行がやってきた。為五郎は都鳥たちを物置に隠す。こうして都鳥に味方するのかと思われたが、石松の死を次郎長に語り始める。
以上は浪曲のあらすじである。写真は瀧本美智子さん撮影。
小松村おその
1823-1905 幕末-明治時代の女性。
文政6年生まれ。遠江(とおとうみ)(静岡県)横須賀(よこすか)の博徒小松村七五郎の妻。清水次郎長(じろちょう)の子分、森の石松をかくまったことで知られる。浪曲での名は「お民」。明治38年死去。83歳。
遠州一帯で人望のないくせに狡猾な遺り口で縄張りを広げていた都鳥一家の吉五郎は石松が代参帰りに身に付けていた香典の預かり金三十両に目を附け騙し取る事を画策、石松は、その口車に乗せられて金を貸して仕舞う。約束の日に指定場所に出向くが音沙汰無く却って都鳥の差し金で若い者から闇討ちに合う。
石松の出身は当時の三州半原村にあり、代々庄屋も務めた家柄だったが、父親の代に自宅から火を出し、自宅は全焼、石松の母親(名:かな)と飼い馬は焼死した。父親は幼い次男の石松を連れて炭焼きの仕事をするために遠州森町へ来た。そして天宮神社の祭礼の日に迷子となり、地元の侠客・森の五郎に引き取られて少年時代を森町で過ごす。その石松が起こした喧嘩の仲裁に清水次郎長が割って入るが、仲裁人の次郎長にまで食って掛かった。次郎長は手に負えない石松を引き取り自分の子分とした。
小松村のはずれの閻魔堂の前で都鳥一家など十人に欺し討ちにあった森の石松は血だらけになりながら兄弟分の七五郎の家にやってくる。七五郎は石松を押し入れに隠すと、女房のお民に「石松の代わりに都鳥一家に斬られて死ぬので縁を切る」と語る。しかしお民は「惚れて女房になったんだ。一緒に死のう」と笑って答える。ほどなく殺気立った都鳥たちがやってくるが、七五郎もお民も落ち着き払ってあしらい、都鳥たちの気勢をそぐ。
お民の動じない姿を見た都鳥たちはあきらめて帰って行く。石松が「浜松で医者にかかる」と言い出したので、七五郎は付き添っていこうとする。しかし石松はそれを断り、浜松には行かずに閻魔堂に引き返したところ、「石松は卑怯者だ」と都鳥たちが話しているのを耳にし、我慢がならずに姿を現して斬殺されてしまう。
森の石松を殺した都鳥たちは三日後、天竜川端に住む本座村為五郎を訪ねた。為五郎は石松の死をすでに知っていた。そして都鳥一家の仕業であることを伝えに小松村七五郎が次郎長のもとに向かったと語った。と、その時、次郎長一行がやってきた。為五郎は都鳥たちを物置に隠す。こうして都鳥に味方するのかと思われたが、石松の死を次郎長に語り始める。
以上は浪曲のあらすじである。写真は瀧本美智子さん撮影。
小松村おその
1823-1905 幕末-明治時代の女性。
文政6年生まれ。遠江(とおとうみ)(静岡県)横須賀(よこすか)の博徒小松村七五郎の妻。清水次郎長(じろちょう)の子分、森の石松をかくまったことで知られる。浪曲での名は「お民」。明治38年死去。83歳。