現代俳句協会のインターネット俳句会一般の部会員名簿G2に大方宗太氏の名前を見つけた。NO.321 会員番号は711である。氏は10数年前すでに亡くなっている。俳句協会の騒動で私が槍玉に挙げられたときは私の強力な支援者であった。大方宗太は言うまでもなく”おおかたそうだ”の洒落である。
春来るらしプピと音するからだかな 大方宗太
ネット検索してヒットした彼の定型俳句作品は現代俳句協会インターネット俳句会に投句されたこの句一句のみであった。
「77歳になっちゃいました。やだねえ。子犬と暮らしています。俳句はやったことがある程度です。」と、会員名簿のコメントには書いてある。
このコメントはかなり謙遜しているのであって、氏は島田市に本拠を置く自由律俳句『主流』の会員であり、島田市史編纂委員でもあった。
「主流」は田中波月が昭和二十一年五月に創刊した。
「俳句も文学である限り、手法以前の人間的心構えが重要だ…私は、俳句に心身をぶち込んで、そのジャンルにおける「文学」…「哲学」を探り出したいと懸命になっていた」とある。
哭くはうつくし八月十五日の夜の花火だ 波月
霜の夜の皿はかさねて寝てしまう 〃
波月没後、子息の田中陽が継いで今日に至っている。
その主流社が1991年(平成3年)発行の『主流俳句選集 Ⅱ』の【自選作品】の中に赤堀碧露、植田次男、漆畑利男、加藤太郎(元島田市長)、田中 陽、津田正之、山本芒原各氏に並んで松下三郎氏の名前が見える。ただし、この本が私の手元にあるわけではなくネット検索で得た情報である。したがって大方宗太こと松下三郎氏の自由律俳句作品をここで知ることはできない。
氏はまことに正体不明の老人であった。コメントにある子犬というのは彼がそれまで飼っていた犬を大井川堤防の上で交通事故で失ったために新たに飼った犬である。ところが、77歳の老人が子犬を飼っても飼い主のほうが先に死んでしまうのではないかと、お節介なネット仲間からクレームをつけられて、悩んだ末に出した結論は10万円の持参金をつけて新しい飼い主を探すということであった。新しい飼い主は直ぐに見つかって子犬は持参金10万円とともに引き取られていった。私が松下老人と知り合ったのは丁度この子犬騒動の最中であった。
島田市の自宅を訪ねたことも数回あるし、我が家へもお招きしたこともある。77歳にしては極めて壮健であり健啖家でもあった。松下老人は若いころに大井川上流の南アルプス山麓から材木を運び出す仕事に従事していたそうである。このあたりの顛末は『青柳新太郎随筆集・犬の系譜』に記述がある。
郷土史に造詣が深く、特に弓道に関する研究は熱心にされていて、ご本人も弓を引いていたそうである。
私の手元に平成17年9月発行の『主流』No.601号がある。その28ページに「波月40回忌句会」の作品があるのでここに記しておく。
呼ばれるまでの時間は蝉を鳴かせておく 松下三郎
山頭火を真似て蜘蛛の巣にひっかかる 松下三郎
また、2006年(平成18年)2月、口語俳句協会発行の『俳句原点』No.117号44ページに、
木の橋の長さだけ俳句を考える 松下三郎
の句を見ることができる。ここでいう「木の橋」とはギネスブックにも載っている世界最長の木橋『蓬莱橋』のことであって、大井川河川敷にある田中波月の句碑にも近い。
生前の大方宗太こと松下三郎氏には奇行めいたエピソードも数々あって話題はつきないのであるが、氏の名誉にもかかわることなのでこの辺で止めておく。
春来るらしプピと音するからだかな 大方宗太
ネット検索してヒットした彼の定型俳句作品は現代俳句協会インターネット俳句会に投句されたこの句一句のみであった。
「77歳になっちゃいました。やだねえ。子犬と暮らしています。俳句はやったことがある程度です。」と、会員名簿のコメントには書いてある。
このコメントはかなり謙遜しているのであって、氏は島田市に本拠を置く自由律俳句『主流』の会員であり、島田市史編纂委員でもあった。
「主流」は田中波月が昭和二十一年五月に創刊した。
「俳句も文学である限り、手法以前の人間的心構えが重要だ…私は、俳句に心身をぶち込んで、そのジャンルにおける「文学」…「哲学」を探り出したいと懸命になっていた」とある。
哭くはうつくし八月十五日の夜の花火だ 波月
霜の夜の皿はかさねて寝てしまう 〃
波月没後、子息の田中陽が継いで今日に至っている。
その主流社が1991年(平成3年)発行の『主流俳句選集 Ⅱ』の【自選作品】の中に赤堀碧露、植田次男、漆畑利男、加藤太郎(元島田市長)、田中 陽、津田正之、山本芒原各氏に並んで松下三郎氏の名前が見える。ただし、この本が私の手元にあるわけではなくネット検索で得た情報である。したがって大方宗太こと松下三郎氏の自由律俳句作品をここで知ることはできない。
氏はまことに正体不明の老人であった。コメントにある子犬というのは彼がそれまで飼っていた犬を大井川堤防の上で交通事故で失ったために新たに飼った犬である。ところが、77歳の老人が子犬を飼っても飼い主のほうが先に死んでしまうのではないかと、お節介なネット仲間からクレームをつけられて、悩んだ末に出した結論は10万円の持参金をつけて新しい飼い主を探すということであった。新しい飼い主は直ぐに見つかって子犬は持参金10万円とともに引き取られていった。私が松下老人と知り合ったのは丁度この子犬騒動の最中であった。
島田市の自宅を訪ねたことも数回あるし、我が家へもお招きしたこともある。77歳にしては極めて壮健であり健啖家でもあった。松下老人は若いころに大井川上流の南アルプス山麓から材木を運び出す仕事に従事していたそうである。このあたりの顛末は『青柳新太郎随筆集・犬の系譜』に記述がある。
郷土史に造詣が深く、特に弓道に関する研究は熱心にされていて、ご本人も弓を引いていたそうである。
私の手元に平成17年9月発行の『主流』No.601号がある。その28ページに「波月40回忌句会」の作品があるのでここに記しておく。
呼ばれるまでの時間は蝉を鳴かせておく 松下三郎
山頭火を真似て蜘蛛の巣にひっかかる 松下三郎
また、2006年(平成18年)2月、口語俳句協会発行の『俳句原点』No.117号44ページに、
木の橋の長さだけ俳句を考える 松下三郎
の句を見ることができる。ここでいう「木の橋」とはギネスブックにも載っている世界最長の木橋『蓬莱橋』のことであって、大井川河川敷にある田中波月の句碑にも近い。
生前の大方宗太こと松下三郎氏には奇行めいたエピソードも数々あって話題はつきないのであるが、氏の名誉にもかかわることなのでこの辺で止めておく。