柴屋寺(さいおくじ)は、静岡県静岡市駿河区丸子にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は天柱山(てんちゅうざん)。雅号は吐月峰(とげっぽう)。本尊は十一面観音。
この寺は、駿河国島田出身で今川義忠にも仕えた連歌師宗長(1448年 - 1532年)が永正元年(1504年)に結んだ草庵(柴屋軒)にはじまり、今川氏親が寺に改めたものと伝えられる。宗長は刀鍛冶・五条義助の出自で宗祇の高弟です。柴屋寺は江戸時代には江戸幕府から朱印状を与えられていた。
吐月峰(とげっぽう)は、静岡市にある山の名で、連歌師 宗長がここに吐月峰柴屋軒を開き自ら移植した竹を使い竹細工をし、灰吹に吐月峰の焼印をして売られたため、吐月峰と書いて灰吹と読むほどになったといいます。
灰吹(はいふき)は、茶道具の一つで、煙草盆の中に組み込み、煙草を煙管で吸い終えたとき火皿に残った灰を落とすための器です。
通常物図解便覧(明治九1876年)には『唾壺 はいふき〔ダコ〕。器財(キザイ)の類(ルイ)にして、多(オホ)く竹(タケ)にて製(セイ)し、或(アルヒ)は青銅(セイドウ)にて造(ツク)るもあり。煙盤(タバコボン)に添(ソ)へ吸売(スイガラ)を入(イ)るる器(キ)なり』と、あります。
灰吹は、茶席では通常竹が用いられ、正式には径一寸五六分の青竹を高さ四寸から四寸五分に切り、一回ごとに新しいものと取り替えますが、油抜きした白竹を用いることもあります。また、一度使った青竹をそのまま保存して名残の席に使うこともします。
灰吹は、使うときに水洗いをしてから、中に少量の水を入れます。
灰吹は、「煙壷」ともいいます。 向井震軒の『煙草考』に「烟壷 俗謂灰吹也。以棄烟燼、俗謂吸殻也。漢人此謂烟糞。且以吐唾。其器用唐金或瓷器。長三寸許、大一寸餘。其形容方圓不同。或用青竹筒。」とあります。 吐唾とありますから元来は痰壺も兼ねていたんでしょうね。
『茶道筌蹄』に「灰吹 宗旦好、青竹は茶会に用ゆ、白竹は常に用ゆ」とあります。
私はバブル崩壊後にリストラにあって失業し丸子にあった建設会社に一年間ばかりお世話になっていました。
この寺は、駿河国島田出身で今川義忠にも仕えた連歌師宗長(1448年 - 1532年)が永正元年(1504年)に結んだ草庵(柴屋軒)にはじまり、今川氏親が寺に改めたものと伝えられる。宗長は刀鍛冶・五条義助の出自で宗祇の高弟です。柴屋寺は江戸時代には江戸幕府から朱印状を与えられていた。
吐月峰(とげっぽう)は、静岡市にある山の名で、連歌師 宗長がここに吐月峰柴屋軒を開き自ら移植した竹を使い竹細工をし、灰吹に吐月峰の焼印をして売られたため、吐月峰と書いて灰吹と読むほどになったといいます。
灰吹(はいふき)は、茶道具の一つで、煙草盆の中に組み込み、煙草を煙管で吸い終えたとき火皿に残った灰を落とすための器です。
通常物図解便覧(明治九1876年)には『唾壺 はいふき〔ダコ〕。器財(キザイ)の類(ルイ)にして、多(オホ)く竹(タケ)にて製(セイ)し、或(アルヒ)は青銅(セイドウ)にて造(ツク)るもあり。煙盤(タバコボン)に添(ソ)へ吸売(スイガラ)を入(イ)るる器(キ)なり』と、あります。
灰吹は、茶席では通常竹が用いられ、正式には径一寸五六分の青竹を高さ四寸から四寸五分に切り、一回ごとに新しいものと取り替えますが、油抜きした白竹を用いることもあります。また、一度使った青竹をそのまま保存して名残の席に使うこともします。
灰吹は、使うときに水洗いをしてから、中に少量の水を入れます。
灰吹は、「煙壷」ともいいます。 向井震軒の『煙草考』に「烟壷 俗謂灰吹也。以棄烟燼、俗謂吸殻也。漢人此謂烟糞。且以吐唾。其器用唐金或瓷器。長三寸許、大一寸餘。其形容方圓不同。或用青竹筒。」とあります。 吐唾とありますから元来は痰壺も兼ねていたんでしょうね。
『茶道筌蹄』に「灰吹 宗旦好、青竹は茶会に用ゆ、白竹は常に用ゆ」とあります。
私はバブル崩壊後にリストラにあって失業し丸子にあった建設会社に一年間ばかりお世話になっていました。