狸の金玉八畳敷きについては既に書いた。その記事はすぐ下へ持ってきたのでご高覧いただければ幸いである。今回は、信楽陶狸のそのほかのことについて薀蓄を傾けてみたい。
タヌキは、「他抜き」「他を抜く」ともいい、 商売、金運、開運、勝負事に御利益があるとされる。
信楽の狸は、信楽 初代狸庵 陶芸家 藤原鐵造(三重県槙山生まれ、1876~1996)が若くして京都で修行していたある夜のこと、不思議な大狸小狸が月光に照らされて、ポンポコと腹鼓を打っていたという夢のような体験をした。
親方から『何人に一人しか聞けぬ狸の腹鼓だ』と教えられ、それ以来自分で小狸を飼い、観察してから後、昭和10年(1935年)本格的に縁起物としての狸を作り出したとのことでその歴史は比較的新しいのである。
昭和26年11月15日、昭和天皇が信楽へ行幸された時に旗を持った狸が沿道で歓迎をしたところ、天皇が「幼なとき集めしからに懐かしもしがらき焼の狸をみれば』と詠われ、一躍全国に広まった。
信楽町長野・新宮神社鳥居の横に昭和天皇御製の歌碑がある。
置物狸の原型は、江戸の手まり歌に、『雨のしょぼしょぼ降る晩に 豆狸が徳利もって酒買いに』という一節があり、庶民がお酒を買いに行き始めたころだという。信楽狸の置きものが記録に残されているのは幕末で、門左衛門という陶工の作らしい。
石田豪澄和尚の「信楽狸八相縁起」によると、
笠・思わざる悪事災難避けるため用心常に身を守る笠
顔・世は広く互いに愛想よく暮らし誠をもって努めはげまん
目・何事も前後左右に気を配り正しく見つむる事忘れめ
通帖・世渡りはまず信用が第一ぞ活動常に四通八達
徳利・恵まれて飲食のみに事足りて徳はひそかに我身につけん
腹・物事は常に落ちつきさりながら決断力の大肚をもて
金袋・金銭の宝は自由自在なる運用をなせ
尾・何事も終わりは大きくしっかりと身を立てるこそ真の幸福
と、まあこうなる。
石田豪澄(いしだごうちょう)
1910年愛知県生まれ。父は堪忍堂老年画伯。9歳で天台宗円興寺豪鉄法印の得度を受け、11歳で曹洞宗雲居寺恵光老師の会下に参ずる。20歳で良寛和尚に私淑し四国山中で修行の後駒澤大学に入学、卒業後は名古屋覚王山日泰寺仏舎利泰安塔奉仕殿司、名城大学教授・初代図書館長を歴任。禅画・仏画・書・短歌・俳句に研鑽の傍ら、狸公研究文献蒐集に打ち込み、狸和尚の異名を得る。1973年インドビハール州ブッダガヤインド山日本寺本堂天井画を揮毫し国際仏教興隆協会より日本画僧の称号を賜る。
さて、信楽狸の小ネタを一つ。
皆さん、信楽狸の持っている徳利にはなぜ○に八と書かれているのか、不思議に思ったことは有りませんか?
そこで色々調べてみますと、八は末広がりで縁起が良いとか、八方丸く行くとか、色々なことが言われているのですが、その中で面白い一説が有りますので紹介します。
狸の徳利に○八のマークが有るのは、尾張徳川家の裏紋で(表紋はご存じの葵の御紋)、尾張八郡を支配する意味であり、しかも、徳川家康はタヌキのアダ名があったことから、尾張知多半島にある常滑焼で、○八の紋を入れて造ったのが人気を博し、それを模して、狸の置物には○八と意味も分からないまま造るようになった。
へ~ と言う感じですが、尾張徳川家の裏紋が○八とは勉強になりました。
タヌキは、「他抜き」「他を抜く」ともいい、 商売、金運、開運、勝負事に御利益があるとされる。
信楽の狸は、信楽 初代狸庵 陶芸家 藤原鐵造(三重県槙山生まれ、1876~1996)が若くして京都で修行していたある夜のこと、不思議な大狸小狸が月光に照らされて、ポンポコと腹鼓を打っていたという夢のような体験をした。
親方から『何人に一人しか聞けぬ狸の腹鼓だ』と教えられ、それ以来自分で小狸を飼い、観察してから後、昭和10年(1935年)本格的に縁起物としての狸を作り出したとのことでその歴史は比較的新しいのである。
昭和26年11月15日、昭和天皇が信楽へ行幸された時に旗を持った狸が沿道で歓迎をしたところ、天皇が「幼なとき集めしからに懐かしもしがらき焼の狸をみれば』と詠われ、一躍全国に広まった。
信楽町長野・新宮神社鳥居の横に昭和天皇御製の歌碑がある。
置物狸の原型は、江戸の手まり歌に、『雨のしょぼしょぼ降る晩に 豆狸が徳利もって酒買いに』という一節があり、庶民がお酒を買いに行き始めたころだという。信楽狸の置きものが記録に残されているのは幕末で、門左衛門という陶工の作らしい。
石田豪澄和尚の「信楽狸八相縁起」によると、
笠・思わざる悪事災難避けるため用心常に身を守る笠
顔・世は広く互いに愛想よく暮らし誠をもって努めはげまん
目・何事も前後左右に気を配り正しく見つむる事忘れめ
通帖・世渡りはまず信用が第一ぞ活動常に四通八達
徳利・恵まれて飲食のみに事足りて徳はひそかに我身につけん
腹・物事は常に落ちつきさりながら決断力の大肚をもて
金袋・金銭の宝は自由自在なる運用をなせ
尾・何事も終わりは大きくしっかりと身を立てるこそ真の幸福
と、まあこうなる。
石田豪澄(いしだごうちょう)
1910年愛知県生まれ。父は堪忍堂老年画伯。9歳で天台宗円興寺豪鉄法印の得度を受け、11歳で曹洞宗雲居寺恵光老師の会下に参ずる。20歳で良寛和尚に私淑し四国山中で修行の後駒澤大学に入学、卒業後は名古屋覚王山日泰寺仏舎利泰安塔奉仕殿司、名城大学教授・初代図書館長を歴任。禅画・仏画・書・短歌・俳句に研鑽の傍ら、狸公研究文献蒐集に打ち込み、狸和尚の異名を得る。1973年インドビハール州ブッダガヤインド山日本寺本堂天井画を揮毫し国際仏教興隆協会より日本画僧の称号を賜る。
さて、信楽狸の小ネタを一つ。
皆さん、信楽狸の持っている徳利にはなぜ○に八と書かれているのか、不思議に思ったことは有りませんか?
そこで色々調べてみますと、八は末広がりで縁起が良いとか、八方丸く行くとか、色々なことが言われているのですが、その中で面白い一説が有りますので紹介します。
狸の徳利に○八のマークが有るのは、尾張徳川家の裏紋で(表紋はご存じの葵の御紋)、尾張八郡を支配する意味であり、しかも、徳川家康はタヌキのアダ名があったことから、尾張知多半島にある常滑焼で、○八の紋を入れて造ったのが人気を博し、それを模して、狸の置物には○八と意味も分からないまま造るようになった。
へ~ と言う感じですが、尾張徳川家の裏紋が○八とは勉強になりました。