日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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尻取りの 言葉ひとつが 癪の種

2015年03月18日 09時28分47秒 | 日記


『♯な女』

 最初にお断りしておくが、「♯な女」の♯とは、シャープな頭脳とかシャープな切れ味という際の「鋭敏な」とか「鋭利な」といった賛辞を意味するものではない。勿論、「井桁の女」などは笑止である。ことは音楽に関することであるから、あくまでも嬰記号、すなわち半音上げるという記号である。

 筆者としては「嬰記号な女」から「ええ気な女」と訛って「いい気な女」と洒落てみた積りなのだが、これは程度の悪い駄洒落の範疇と自嘲するべきだろう。半音高い、つまり当該音楽家は少々気位が高く、些か教条主義に偏っていて、少しイイ気になっている、というやや批判的なニュアンスを醸したい意図のあることは否定しない。所謂、揶揄である。いっそのこと『♪の女』と書いて「お玉杓子の女」「杓子の女」と転訛させて「小癪な女」と読ませるのがよろしいのかもしれぬ。

 筆者がこの短い駄文を書くことによって此れまでにもまして軽蔑と嘲笑を蒙ることは既に覚悟の上である。それにも拘わらず恥を忍んでこの一文を掲載するのは、偏に筆者の真情を吐露せんがためである。請い願わくは忙中の寸刻を割いて読者諸賢の一瞥を仰ぎたい。

 さて、日本列島の南端から桜前線の北上が始まった頃のことである。予てより交流のあった音楽家から一通の電子メールが着信した。その内容は「音楽尻取り」に参加しませんか、といういかにも面白そうなお誘いであった。音楽尻取りは、音楽に関する言葉ならば洋の東西、ジャンルの垣根などは一切無視して、何でも可という極めて大雑把なルールであった。早速、案内されたWebサイトを開いてみたが、まだ開設してから間もないとみえて音楽尻取りの遊戯者はいたって僅かな顔触れであった。

 音楽尻取りのページを開いて最初に気づいたのは奇妙奇天烈なことに「投稿欄」の「欄」が「蘭」になっていたことである。その他の説明文にも文意不明な箇所があったので主宰者の音楽家へ訂正を促すべくメールを発信した。誤謬箇所の直ぐ下に連絡事項を書き込みできる投稿欄があったにもかかわらず敢えてメールを選んだのは相手の立場を慮ってのことである。最高学府に学んだ音楽家がまさか「欄」と「蘭」との違いが解からぬ筈はないと思いつつも、「とうこうらん」と入力して変換キーを打てば必ず「投稿欄」と変換されるのにどうして「投稿蘭」なんだろうかという素朴な疑問を払拭できなかった所為である。

 初っ端からこんなジャブの応酬もあったが、筆者は元来この種の遊びが大好きなこともあって喜び勇んで参加した。参加者が少ないのも別の掲示板へ勧誘文を書き込むことで瞬く間に解消された。こうして「音楽尻取り」は和気藹藹の裡に楽しい遣り取りが始まったのである。

 読者の諸兄諸姉には勿論、釈迦に説法であるが、尻取り遊びだから「ん」で終る言葉がでたら途端に負けである。従って、楽聖と称えられるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンも古典派の巨匠ヨーゼフ・ハイドンもピアノの天才フレデリク・フランチシェク・ショパン(フレデリック・フランソワ・ショパン)も、ドイツ・ロマン主義音楽の代表的作曲家ローベルト・シューマンも、『真夏の夜の夢』のフェリックス・メンデルスゾーンも尻取りには使えないのである。勿論、ドイツの作曲家ゲオルク・フィリップ・テーレマンも駄目だし、フランスのアンリ・デュ・モンも忽ち「んの尽き」ということに相成るわけだ。

 尻取り遊びにはもう一つ重要な掟がある。それは一度使った言葉は二度と再び使うことが出来ないという禁制である。このルールを犯さない為には一つの方法がある。つまり、普段は滅多に使われないような特異な言葉を選べばよいのである。これとて然して難しい作業ではない。

 一例を挙げて置く。「誄歌・るいか」というのは倭建命が東征の帰路、伊勢国鈴鹿の能煩野で身罷られたとき、残された后や子供が命の生前の功徳を偲んで捧げた四首の歌をいう。誄歌の誄は「しのびごと」と訓ずる。雅楽の範疇として今日に伝えるが、天皇の御大葬に際してのみ奏せられるという特別な歌である。「久米歌」「高麗楽」「盤渉調」「催馬楽」こんな言葉を尤もらしく書いておけばまずもってお手つきを犯すことはないのである。

 また、これは蛇足だが尻取りであるからにして、当然の如く直前の言葉の語尾につなげなければならない。国語辞書をみれば一目瞭然であるが、「や」「ら」「わ」行の言葉は少ない。従って性急に勝ちを求めるならば「る」とか「れ」とかで終る言葉を連発すればよいということになる。しかし、それではかえって面白くないから、そうした言葉はむしろなるべく使うことを忌避するのである。

 日常、頻繁に使わない言葉の中には音楽の専門用語も含まれる。仮に音楽は毎日のように聴いていたとしても、その曲を書いた楽譜を目にする機会は滅多にないし、それを構成する記号や標語にいたっては更に疎遠なはずだ。筆者はそこへ着目したのである。

 若い頃、多少の虚栄心も手伝って、クラシック音楽を聴くことに熱中した時期がある。それ以来こつこつと集めたクラシックのCDは百枚以上を数える。しかし幾ら名曲と雖もただ漫然と聴いているだけでは全てを鑑賞できよう筈もない。作曲家の経歴やその時代背景、指揮者やオーケストラなどを知るためにはどうしても多少の専門書が必要となる。一番手っ取り早いのは音楽事典の類である。そんな経緯で私の手許にも数冊の音楽専門書籍がある。

 序でのことだからここら辺りで少し自慢話を書いておくことにしよう。実は、音楽は子供の頃から筆者の得意科目である。嘘のような話だが自分の名前を正確に書けたのが小学二年生、掛算九九をすらすらと唱えることが出来るようになったのは小学四年生の頃であった。そんな中で得意科目の音楽だけは何故か三年生の時に早くも通信簿の評価点が「3」であった。その頃の担任教諭は長い教員生活を通じて最も劇的に変貌したのがアキヤマ君だと断言している。何故、音楽だけが「3」だったかという本当の理由は、他の教科ではとても「3」をつけられなかったが、音楽だけは大きな声で元気に歌えたから、楽器の演奏も全くできなかったが、劣等生を励ます意味で「3」を与えたのだそうである。これは近年になって恩師から直に聞いた確かな話である。

 もう一つの自慢話は歌唱力である。筆者が若い頃、各地の建築工事現場で飯場生活を送っていたことには以前にもしばしば触れている。都下北多摩の東大和市立第七小学校の新設工事に携わっていた昭和46年頃のことであるが、浅草鳥越のギター流しの男が食い詰めて、左官の親方の厄介になっていた。彼は砂とセメントをミキサーで練って、壁に塗るモルタルを作る役割をしていたが、毎晩のように私の宿舎へやってきてはギターを弾きながら演歌を歌うのである。「花と狼」「ギター仁義」「男のブルース」などを、歌いながら、聴きながら、その男から発声法や歌唱法を教えられたのである。無論、音楽学校の声楽科出ではないのだから本物ではない。しかし、その後、キャバレーの歌謡大会などでは何回も好成績を挙げることができたのである。これは些か自慢話が過ぎるのかもしれないが、敬老会の余興に友情出演してティシュペーパーに小銭を包んだお捻りを投げられたこともある。

 閑話休題。音楽用語事典があるからといって全部が全部、事典を紐解いたわけでもないのだが、ウン・ポーコ(un poco)などは汚い話だがウンコと音が似ているのが面白くて割かし早い時期に投稿した。ところがである。私が投稿した楽語などについては音楽家のチェックが極端に厳しいのである。尻取りに投稿した言葉には簡単な説明文を添えることが通例だったのだが、そのわずか数行の説明文の言葉尻をとらえてはあれやこれや細々と注文をつけるのである。まるで国文法の考査を受けているような趣さえあった。その理由は主宰者が音楽の専門家だから専門用語には関しては正確を期したいという意図だったらしいのだが、筆者にしてみれば、私にだけ喧しいのは、私が初っ端に余計な世話を焼いたことに対する竹箆返しなんだなという被害妄想さえ脳裏を過ぎったのである。音楽専門用語には殊のほか拘るが、他の言葉に対してはいたって寛容だったという、音楽家の曖昧な判定基準も可笑しなことだらけだった。けれども、そのことはさておいて話を先へ進めよう。ここの場面で冗語を挿し挟む余地はないのである。

 俚諺にも「餅は餅屋」とかいう。だから、これまでの話ならばどんなにチェックが厳しかろうと音楽には素人の私が怒る理由は何一つとしてない。事実、尻取り遊びはその後もこれといった波乱もなく楽しく続いていったのである。その間にも主宰者の音楽家はこともあろうに童謡『うさぎ』の曲名を「うさぎうさぎ」などと平気で書いて投稿している。誰でもそうだが他人のことに対しては妙に厳格だが己のことになると案外と甘いのである。滑稽な話しだがこれも人間の性として仕方のないことであろう。所詮、人間の眼は外向きに備わっているのだ。

 前置きが冗長にすぎた。いよいよ核心部分に入るとしよう。楽語の一つにスタッカート(staccato)というのがある。音符を短く演奏することを指示する用語で、音符の上部に点(・)をつけて示されるほかに、stacc.の略号が使われる。国語辞典の記述に従えば、一音一音を短く切って歌うこと、または演奏すること。断音。断奏。と、解説している。このスタッカート(staccato)あたりを尻取りに書いておけば今回のような不愉快な事態には遭遇しなくて済んだであろう。ところが、尻取り遊びでは尻につく音も大切に扱わなければならない。そこで筆者の悪戯ごころが働いて迂闊にもスタッカーティシモ(staccatissimo)というのを書いてしまったのである。これは音符に(▲)つまり小さな楔形を付記して表すのだが、普通のスタッカートよりさらに鋭く切ってという指示らしい。

 筆者はこれまでにも多少の文章を書いた経験がある。求められて業界紙のコラムを執筆したことも、業界誌に随筆を寄稿したこともある。何かの折には印刷業者の粗相で「柑」と「棺」とを誤植されて赤恥をかかされたこともある。だから、余程の自信がない限り、咄嗟の思いつきで無造作に投稿することは習性としてやらない。必ずといっていいほど下調べは欠かさないのである。

 今度のことで、筆者がスタッカーティシモについて音楽辞典などを検索した結果は次のようになっていた。
① 「楔形を付記した音符の図」 スタッカーティシモ その音の約1/4の長さで演奏する。
② staccatissimo【伊スタッカティッシモ】普通のスタッカートよりさらに鋭いスタッカート。音符に小さい楔形を付記。
③ staccatissimo スタッカーティッシモ 出来るだけ短く音を切って。
④ スタッカーティシモ → スタッカート。音符を短く演奏することを指示する用語で、音符の上部に点(・)をつけて示されるほかに、stacc.の略号が使われる。アクセント記号(>)と併用されることも多い。また、テヌートを表す記号(―)と併用されたもの(・)は、メゾ・スタッカートまたはハーフ・スタッカートといい、長めのスタッカートを指示する。さらに、記号(▲)はスタッカーティシモといい、極端に短い音長を指定する。
 更に念のためヤフーで検索した関連記事の結果は下記のとおりであった。
① スタッカーティシモ    26件。
② スタッカティッシモ    13件。
③ スタッカーティッシモ   12件。
④ スタッカティシモ      9件。
 以上の検索結果を踏まえ、筆者は「スタッカーティシモ その音の約1/4の長さで演奏する」という風に投稿した。端的に言えば多数決の原則に遵ったわけである。

 すると、すぐさま主宰者の音楽家から「スタッカーティシモ」は「スタッカティシモ」の方が正確です。また、意味は「その音を鋭く切って奏する」が良いと思います。なぜならば楽器によってスタッカティシモの長さが異なるためです。と、いう論旨の書き込みがあった。

 ここで賢明な読者は、音楽家が正確だと主張しているスタッカティシモがヤフーの検索結果では一番少数であることにお気づきになるだろう。意味の「その音を鋭く切って奏する」というのも、正確にというならば「歌い或いは奏する」としなければならないだろう。また、挙げ足を取ることで更なる顰蹙をかいそうだが「楽器によってスタッカティシモの長さが異なるためです」という表現にも文法的な錯誤がある。なぜなら、スタッカーティシモは音を鋭く切れという記号・標語であって楽器の音長とはまったく無縁なはずである。つまり、ヴァイオリンでもピアノでもスタッカーティシモで指示する意味はまったく同じな筈であって、楽器によって異なるという理屈は成り立たないのである。楽器によって違うのは、スタッカーティシモではなく、その指示に基づいて奏される音の長さが違うのである。そうは思っても相手は本職の音楽家である。だから筆者は確認のためにもう一度、今度はGoogleで検索を試みた。その結果は下記のとおり極端に偏ったものであった。
① スタッカーティシモ   51件。
② スタッカティッシモ   24件。
③ スタッカーティッシモ  18件。
④ スタッカティシモ    10件。
 ここでも音楽家が正確だと主張するスタッカティシモは少数であったので、筆者はスタッカーティシモと書いた音楽用語事典の名前と、音楽用語が掲載されているWebサイトのURLを音楽家に連絡したのである。すると今度は次のように人を愚弄した内容の書き込みがあった。

 白兎さん。(笑)あのね、これは音楽では無くて、語学の問題です。イタリア語の発音で「スタッカート」は「カ」にアクセントが付くので「カー」と伸びますが、「スタッカティシモ」は「ティ」にアクセントが付くので「カ」は短く発音するのです。多分、イタリア語がよく分っていなかった頃の古い文献では間違えがあるかもしれません。一度活字になると、信用されて、そのまま広まってしまうので恐いと思いますが(笑)、私の回りの音楽家で今「スタッカティシモ」のアクセントを間違えている人は一人もいません。ま~ その時代の語学レベルを考えれば仕方の無いことです。それに大したことじゃありませんが、音楽を勉強している人でここを見た方がオヤッと思ったり、もしくは、間違った発音を覚えてしまったりしては申し訳ないので気が付いたことは書かせて頂いています。直さないでそのままにしておいても構わないかしら、とも思ったのですが・・・(笑) でも、一応音楽の掲示板ですから・・・ ま~ 気楽に続けましょうか。

 筆者は音楽家でもなければ翻訳家でもない。外国語なかんずくイタリア語の素養は皆目持ち合わせていない。イタリア語で辛うじて解かるのはスパゲッティーとマフィア(mafia)という真にお粗末な一介の土木日雇労務者である。だからといって、外国語には全く縁がないのかというと必ずしもそうばっかりでもない。幽かなイタリア語の記憶を辿れば、ヴィットリオ・デ・シーカ監督、ヘンリー・マンシーニ音楽、名優ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが共演した映画「ひまわり」がたちまち脳裏に蘇える。麻雀を楽しむ程度の中国語も出来るし、チョー・ヨンピルの「釜山港へ帰れ」だって韓国語で歌える。ドイツ語を一所懸命に勉強中の鏡(シュピーゲル)女史が講義してくれる「シュピーゲルの役に立つかもしれないドイツ語講座」などはそれこそ皆勤賞ものである。

 確かにstaccatissimoという欧文の綴りをイタリア語だからといって洒落るわけではないがローマ字読みしたとしてもスタッカーティシモと「カー」を長音にのばす風にも思えない。しかし、これは、私の動物的勘に過ぎないのだが、語学の問題としてアクセントや発音を云々するのであれば音楽家のいうスタッカティシモではなくて、むしろスタッカーティッシモ或いはスタッカティッシモの方がはるかに原語の発音に近いのではないかと推測されるのである。これは蛇足であるが、staccatoを「スタッカート」と発音することには異論がないようである。そのstaccatoの男性形形容詞の最上級がstaccatissimoである。この男性形形容詞というのを白兎流に曲解すれば「てやんでーェべらぼうめーェッ」といったような「べらんめえ口調」という解釈になるのだが、無論これは手前勝手なこじつけである。名詞とそれを形容する形容詞が男性形・女性形に分かれるのはイタリア語やドイツ語の特徴らしいが決して「男性言葉」という意味ではないし、発音にも特に影響はないようである。それはともあれイタリア語でも日本語でも威勢よく歯切れのいい啖呵の発音にはこの小さな「ッ」の役割を見落としてはならないのである。staccatoに「とっても」という意味の‐issimoを付けて強調したstaccatissimoのアクセントは(ti)の部分にあって小さな「ッ」の語感が伴うのは容易に想像がつくのである。卑近な例えだが、筆者がしばしば浴びせられる「馬鹿野郎」という卑語も「バカヤロウ」と聴こえるときもあれば、「バカヤロー」と語尾がのびるときもあれば、「バッキャローッ」とか「バッカヤローッ」とか怒気鋭く聴こえる場合もある。これとて一歩、関西地方へ足を踏み込めば、途端に「アホヤナーァ」ということになる。ことほど然様に言葉や発音は多様であって曖昧かつ模糊としたものである。

 それよりもなによりも、音楽家は先ず自分の矮小かつ扁平で教条主義的な甲殻を打ち破って、世の中には一つのことに幾通りもの呼び方があったり表現があったりすることを謙虚に認めるべきだと思うのである。このことは東北岩手出身だという彼女自身が一番よく理解していなければならないのである。なぜならば、彼の地では「牛」と書いてusi(うし)とは発音せず常にbeko(ベコ)と発音するのである。彼女のいうイタリア語がよく分っていなかった頃の古い文献というのが一体何を指すものかは不明だが、どの書籍でもそれを執筆したり編纂している学者や編集者や出版社があって、其々にそれなりに護らなければならない面子というものがあるだろう。その人達が心血を注いだ文献の記述を徒や疎かに扱うべきではないのである。仮に記述の誤りがあるとするならば、何ページの何処がどのように間違えているという論拠を明確に示すべきである。そしてWebサイトの検索結果は常に最新の情報なのである。また、私の周りの音楽家で今「スタッカティシモ」のアクセントを間違えている人は一人もいません云々などという、衆を頼んだ論法は将に権威を笠に着た横暴な物言いの典型なのである。学のあるものは兎角、学に頼って物事を解決しようとするが、学だけでは人を動かせないのである。人を動かし膠着した事態の打開をもたらすことができるのはいつでも真心である。

 こうして、ま~ 気楽に続けられなくなった音楽尻取り遊びであるが、筆者が何を悲憤慷慨しているのか当の音楽家にはちっとも解かっていないらしい。彼女は誤解しないで欲しいと、いとも簡単にいうが、筆者が一体どこをどのように誤解していると言いたいのだろうか。誤解しようにも誤解する余地など全く無い文字で書いた言辞の遣り取りなのである。筆者はイタリア語こそ蒙昧だが日本語に限ったことなら少しは理解もできるのである。散々、小突きまわして嬲っておいて泣きべそをかいたからといって今度は直ぐに旋毛を撫でまわしてよしよしをする。若干、知能は低いかもしれないが当方とて幼児ではないのである。無知蒙昧だと謙遜こそしているが恥も外聞も一通りは心得ている積りだ。

 誤解するなという言辞はこの上もなく傲慢無礼な物言いである。つまり自分の主張は正しいがお前は誤解するなよという一方的な強請だからである。これは自己中心天動説論者の常套句である。こういう輩こそ、他人に誤解をするなよと命ずる前に、先ず己が誤解していないかどうかを省みる必要があるのだ。地球は太陽の周囲を回り、その太陽系は銀河系という渦巻きの中にあるのだ。今の世の中では「地動説」と「相対性理論」が定説なのである。

 国家の威信をかけた外交交渉でもそうらしいが、欲の深い土建屋の談合でもおよそ交渉ごとには必ず「落としどころ」というのがある。双方の論拠となる主張をお互いに述べ尽くしたあとは、どこで折り合いをつけるのかを誠意をもって真剣に調整するのである。白か黒か、ゼロか一〇〇かといった、所謂「屁みち」を完全に塞ぐような遣り方では到底、円満な合意など導き出せないのだ。どこかしらに名誉ある撤退のできる「屁みち」が開かれていなければ退くにも退けないのである。退路を塞いだ檻に閉じこめておいて嬲り物にするから切なまぎれの糞臭い「鼬の最期っ屁」を嗅がされる羽目に陥るのだ。

 ならば、どうせよと言いたいのだときっとで開き直ることだろう。今回の件では、筆者が種本の音楽用語事典を明かし、関連サイトのURLを報せた段階で、両論併記にするか、或いは括弧書きにするか、百歩譲って音楽家の主張に歩み寄るにしても、それは私が先に音楽家へしたように裏で話をすり合わせすればよいのである。さも鬼の首でもとったかのように衆目注視する中で、イタリア語の発音やアクセントまで引き合いに出されて、一方的に遣り込められるような質の話ではない筈である。土台、外国語の発音をカタカナで表記すること自体に無理があるのだ。

 以上が今回の犬も喰わない喧嘩口論のあらましである。大人気ないと嘲われるかもしれないが、売られた喧嘩を買ったまでのことである。それも無学な日雇労務者が己の専門外の音楽の分野で本職の音楽家と互角に渡り合おうという無鉄砲な企てである。見苦しい言辞は何卒お目溢し願いたい。私は最初から一貫して相手の主張が誤りだなどという僭越なことは一度たりとも言った覚えはない。音楽事典やWebサイトの情報に基づいてひたすら自分に都合よく書いているだけである。異論のあるところを拝聴するに吝かではない。加除訂正はその労を惜しまない。忌憚の無い論評を期待する。

 筆者が、心ならずも男の沽券を質草に入れ、屈辱に塗れた代償として、音楽家に猛省を促がしたいのは唯一つ弱者に対する「思いやり」である。一寸の蟲にも五分の魂という。軽輩だからといって侮ってはいけない。無学だからといって蔑んではならない。己の学識を本気で教えたいのであれば真心を尽くせ。誠意には敬意をもって応え、侮蔑には憎悪をもって酬いるのが世の習いだ。況や、私にとって、音楽用語の、それも横棒一つの有無など指先に丸めた鼻糞に等しい些事である。

百古里庵(すがりあん)地域おこしのモデルです

2015年03月17日 15時55分31秒 | 日記
 百古里庵(すがりあん)というのは北遠・静岡県浜松市天竜区横川160に所在する古民家を利用した蕎麦屋さんである。いや日本料理店と呼んだほうがいいのかもしれない。

 女将の山本幸江さんとはフェイスブックのお友達を介して知り合ったフェイスブック仲間である。

 私の住んでいる静岡からは国道362号線を行けば間違いなくたどり着くのであるが、362号線は山間地を通る羊腸のコースだから東名あるいは第二東名で浜松方面から入ったほうが時間的にもはるかに早い。

 私はこれまでに一度しか百古里庵(すがりあん)を訪ねたことがない。その一度というのはお地蔵さんとふくろうの石彫家・土屋誠一さんの作品展を拝見に参上したのである。百古里庵の庭は芝生になっていてそこに作品のお地蔵さんなどを展示してあった。

 また百古里庵の近所の横川364-3には志戸呂焼の陶芸家・鈴木青宵さんの直透窯(じきとうがま)があったりしてこの北遠の隠れ里と称される横川地区はちょっとした芸術家村の様相を呈している。

 最近、『百古里(すがり)を愛する会』というのがフェイスブックに立ち上がった。この会では「北遠の隠れ里・百古里めぐり」(3/28〜29)というのを企画している。

 フェイスブックという媒体を通じて過疎地域の村おこしをしようという企てには大いに賛同したい。他の過疎地域でも嘆くばかりではなくて何らかの行動を起こすべきではないか。


ルンペンになった男が舞い戻る

2015年03月17日 08時26分21秒 | 日記
 2月21日に行方をくらませた男Sが舞い戻ってきた。

 3月13日に保護司のところへ電話連絡があって、16日に保護観察所へ出頭してきた。保護観察処分で執行猶予中の身の上だから、保護司から事故報告が観察所へ上り、観察所が警察へ通報すれば逮捕されて実刑を食らう可能性だってある。

 その辺のことは本人も解っていたようだ。現在の所持金はたったの40円。行方をくらませたときは30万円近くを所持していたはずであるが、行きつけの高級鮨店や居酒屋で豪勢に散財したあとはたちまちにして文無しになり、ここ数日はデパートの食品売り場の試食品を漁り、公園や地下道でホームレス生活をしていたそうである。保護観察所の面談室であったのだがなんとなく臭いような気がした。

 本人にこれからどうするのかと問うと、ご迷惑をかけたから、会社を辞めて宿舎を退去するという。どこか頼れるところがあるのかと問えばどこもありませんという。
それでは身の周りの荷物を持って、この雨の中をどこへ行くのかと問い詰めれば、下を向いてだんまりを決め込む。この男は自分に都合の悪いことは黙秘するのが一番だと心得ているようである。

 同席していた保護監察官も見るに見かねて口を挟んでくる。保護観察のついた人間を役所としては野放しにできないのである。だからといって保護観察所で保護できるわけでもない。なんとか元の鞘に納めようとしているのが言葉のはしはしに見えている。

 結局、所持金40円の男をそのまま放置すれば、いずれは万引きでもして留置所へ逆戻りするのが目に見えているという結論になった。

 会社で引き受けたとしても三度裏切られるのは分かっているが、それを承知で引き受けることにした。馬鹿げた話ではあるが無一文の人間を雨の降る中へ放り出すような真似は人間としてできかねるのである。

 本人は今、宿舎で風呂に入ってルンペン生活の垢をおとしている。まったくいい気なもんである。

病院の飯の不味さが幸いす

2015年03月02日 13時26分15秒 | 日記
 病院の一日は朝の給湯から始まる。助看(看護助手)が大きな薬缶に入れたお茶を配ってくれるのだが、そのお茶の不味さといったら喩えようもない。強いて喩えれば馬の小便を薄めたような液体であるとでもいえようか。お茶の味は全くしないし色もお茶の色とは程遠い。

 病院の隣は静岡茶市場である。裏に静岡県茶業会議所、南に小山園の成岡謹三商店といった云わば茶所静岡の中心地に位置しながらの体たらくにはあきれ返るばかりである。

 そのお茶が冷めて冷たくなるころに朝食が配られる。私の場合は1600カロリーの糖尿病食である。ご飯は160グラム。メインの副食一品に焼き海苔やサラダなどの小鉢が二つ。大体はこんな程度で味噌汁がないことも多い。

 その副食であるが魚が多い。鰆・鯖・鰯などの名前が判る魚だったらまだしもシルバーとかいう南米チリーあたりから輸入された得体の知れない魚ときたら生臭くて食えたものではない。魚は煮るとか焼くとか揚げるとかしっかりした方法で調理しないとだめである。それが病院などの場合はスチームとかいう加熱方法で調理するから生臭みが抜けないのであろう。

 チキンカツが一度だけあった。これは油で揚げてあったからまあまあ食べられた。生野菜のサラダは美味かった。そのほかの野菜はすべて加熱してあるのだがホウレン草にせよインゲン豆にせよブロッコリーにせよ押並べて水っぽくて不味かった。冷凍ものの素材を使っている所為かもしれないが正直なところ真実は判らない。

 私が普段食べている食事と違うところは味噌汁の有無と具の種類である。味噌の香りや味も極端な違いがあった。病院の味噌汁は味噌が粗悪なのか香りがまったくしないのである。出汁の味もまったくしない。具もジャガイモと玉葱などという組み合わせである。これは肉じゃがにしてもらいたい食材である。普通、味噌汁といえば葱と豆腐とか菜っ葉と油揚げとか若布と豆腐とか比較的さっぱりとした材料が多いのではないだろうか。若布とジャガイモの味噌汁というのもあったが乾燥若布を使ってあって味は悪かった。

 私の好物の漬物がないのも不満の一つだ。集団食中毒を恐れるためか刺身も漬物も加熱処理してないものは食膳に載らないのである。生卵もだめでいつも温泉卵になっている。

 病院には管理栄養士がいて厳密に管理している。だから栄養やカロリーに関してはよく管理されているのだと思う。しかし、調理や献立に関してはあまり関心がはらわれていないのではなかろうか。また予算的な制約も多いのだろう。だから魚が多くて肉は少なく、野菜も魚も冷凍ものが多くなるということなのかもしれない。

 病院食が不味いのは糖尿病患者にとっては良いことだ。つまり食欲が湧かないから空腹感も生じないのである。まあ、一ヶ月で8キロも痩せることができたのだから不味いからといって文句をいえた筋合いではないのである。

病院はまこと不潔なところです

2015年03月01日 11時20分12秒 | 日記
 1月26日に入院した部屋は4人部屋だった。私のベッドは南向きの窓際で一番陽当りのよい場所にあった。

 私の前にこの場所にいた患者はヤクザ風の無愛想な男でテレビの音量を大きくしたりして勝手気ままな生活をしていたようである。つまり部屋の皆の嫌われ者だった。その後釜の私は話題豊富な”おだっくい野郎”だから、部屋は一気に和やかな雰囲気になったのである。

 私の西側の患者さんは75歳の穏やかな人物だった。バスの運転手や運行管理をして定年退職後は幼稚園の送迎バスの運転手をして70歳まで働いていたそうである。毎日、ビールと焼酎で晩酌するのが唯一の楽しみで、9歳若いバスガイドあがりの奥さんとの間に4人の子供と8人の孫に恵まれてなに不自由のない生活を続けていた。

 昨年の12月に便の中に大量の出血があり、検査を受けた結果は大腸ガンとの診断で年末年始を自宅で過ごして、正月明けに大腸摘出手術を受けて体外に人工大腸を装着している。もう40日間も風呂に入っていないということであった。手術後もドレインといって手術部位から滲出する体液を体外へ出す管を取り付けている。だから容易に風呂には入れないのである。

 それではどうしているのかというと、午前9時ころに蒸したタオルが二本配られてくる。一本は上半身、一本で下半身を拭けというのである。しかし、昨日は誰かが下半身を拭いたタオルで今日は別の人が顔を拭いているのである。勿論、洗濯をして高温で蒸してあるから大丈夫だというのであろうが、少し臭いもしてあまり気持ちの良いものではない。

 私の隣のベッドの患者さんは70歳の鮨屋のご主人だった。この人は元々糖尿病やリウマチを患っていたが昨年末に胃ガンがみつかって胃を全部摘出したそうである。食道からいきなり小腸へつないであるから一度に多くは食べられない。食事は6回に分けて食べていたが、食べると押出し式に排便することになり夜昼となくトイレに通っていた。この人もドレインの管が出ていて入浴できないでいた。

 もう一人の患者さんは電力関係の企業に勤める59歳の方で病名ははっきりとは聞かなかったがどうやら胆管ガンを切除した様子だった。この人もドレインの管を出していた。

 同室の3人の患者さんとは話をしてみると、共通の知人や友人が多くて、びっくりするほどであった。世間は広いようで実は狭いのである。

 私自身は肛門周囲膿症つまり痔瘻だから入浴はできるのだが、外科病棟に入院中に入浴できたのはたったの3回だけで、1回目と2回目は30分間という短さで垢がふやけた程度であった。3回目は1時間の時間をもらったのでようやく全身を洗うことができた。

 内科病棟へ移ったのは2月17日であるが、同室の患者さんの間断のない咳と洟をかむ音で一睡もできず参ってしまった。それで部屋替えを申し出たら個室しか空いていないというので一日当たり5000円弱の利用料金で移ることにした。個室にはシャワーの設備があったが、あまりにも狭いスペースで使いにくいものだった。それで一日おきくらいに下半身だけを洗っていた。

 内科病棟には10日間ほどいたが風呂に入れたのは一度だけである。風呂は空いているのに入浴させないのは単に看護師が準備や後始末が面倒だからだと私は判断した。

 外科の看護師には緊張感も見られたが、寝たっ切り患者の多い内科病棟の看護師には緊張感が欠如しているように感じた。私が食前に飲む薬を持ってくるのを忘れてしまい、文句を言ったら、貴方だけが患者ではないなどと暴言を吐く始末である。

 27日の10時に退院して帰宅して最初にしたのは入浴である。43度のお風呂にゆっくり浸かっていたら全身の皮膚から垢がふやけて風呂水の表面に白く浮き出した。1時間ほどかけて頭の天辺から足の指先まで丁寧に洗った。

 1か月以上に及ぶ今回の入院で判ったことは看護師には何の権限もないこと。彼女たちは医師の威を借る狐であるということ。病院には風呂場はあっても脱衣所もろくに備わっていないということ。なかなか入浴の機会が与えられないということ。病院というところは意外にも垢に塗れた患者ばかりの不潔なところであるというのが私の率直な感想だ。

激痛の肛門膿症泪した

2015年03月01日 07時48分37秒 | 日記
 年末・年始に体重が増えて血糖値が上昇するのは例年のことである。これは糖尿病患者に共通する悪しき現象のようだ。

 年末・年始には忘年会、新年会などの酒席も多くなり、お雑煮、お節料理などの美味しい食べ物に囲まれてついついカロリーオーバーに陥りやすいのである。情けないことだが生活習慣病の患者は誘惑に弱いのが共通の欠点でもある。

 小生もその例にもれず、年末からのお雑煮、好物の酢蛸などの佳肴をあてに連日の飲酒を続けた結果として体重が3キロ近く増加してしまった。血糖値が上昇すると覿面に免疫力が落ちて化膿しやすくなるのも経験済みのことである。

 正月明けにはJC(青年会議所)の若い経営者の諸君に招かれて麻雀大会に参加して堂々の5位入賞と善戦したりもした。

 しかし、私の悪運もそこで尽きたようである。1月20日のことであるが俄かに肛門に激痛が走ったのである。その痛みは肛門へ竹串を刺されたような堪えようのない痛みである。

 実は32歳のころに切痔で酷く出血したことがあり、外科医院の治療を受けたことがある。その時は薬の服用などで治し、切除手術は受けなかった。

 1月21日に会社を休み主治医のところへ駆け込んだのである。しかし、私の主治医は内科医であり肛門科の外科医ではない。直ぐに総合病院の外科へ紹介状を書いてくれたのだが、先方の都合で入院は1月26日の月曜日ということになった。

 痛みにのた打ち回る私を見るに見かねた家内が薬局へ走って市販の痔の薬”ボラギノール”を買ってきて肛門へ挿入してくれた。ロケット形というのか弾丸というのか白い蝋のような固体である。肛門へ挿入すると体温で融けるようになっているようだ。

 3回目の挿入をしたときのことである。キャーという家内の悲鳴がして、肛門の痛みが少し和らいだ気がした。どうしたのだという私の問いかけに、我に返った家内がいうのには、肛門の”菊のご紋章”の右側1センチくらいのところから大量の血膿が噴出したという。その時に家内のとった行動は実に適切であった。

 10年近く前に不要になった自分の生理用ナプキンを戸棚の奥から引っ張り出してきて傷口へ貼り付けてくれたのである。炎症部の膿が出て圧力が減少した所為か痛みも少しだけ和らいだのであろう。

 それからの一日、一日の長いことといったら喩えようがない。この数日をどうして過ごしたのかもよく憶えていないが、ついに26日の朝を迎えた。タクシーで1200円ほどの農協系の総合病院へ直行した。

 直ちに外科外来の診察台に載って、主治医の診察を受けた。”う~~~ん。これは酷い”主治医の声がした。肛門周囲膿症という病名で、慢性化すると痔瘻になるという。症例は少なくないが自壊して膿が噴き出すのは珍しいという説明であった。

 しかし、化膿した状態では執刀できないという。先ずは痛み止め注射をしてもらって直ぐに病室へ案内された。それからは連日の点滴を受けて化膿が収まるのを待つ、退屈な毎日であった。何もすることはないので邪馬台国関係の本を3冊も読んだ。

 肛門の痛みが和らぐと、同時に両足の親指の巻き爪が激しく痛み出した。そこで看護師に何度も訴えたのだが聴いてはもらえなかった。そこで主治医の巡回の時に直訴したら、その場で診察してくれて、直ぐに手術してくれた。巻き爪も化膿していたようであるが、肉に食い込んでいた爪をカットして、そこの部分の爪が伸びないように薬剤で処理してくれたようである。フェノールフタレインを準備しろという主治医の声が聴こえたから多分、その薬液を使ったものと思われる。実はフェノールフタレインは我々土木技術者にとってもなじみのある薬品である。つまり、この薬品でコンクリートのアルカリ性が保たれているかを判定するのである。

 そして退屈な二週間が過ぎた2月10日、遂に手術を受ける日を迎えた。・・・・続きは次回に。