アユは鮭亜目アユ科の魚で、地球上に出現したのは今から百~二百万年前とされる。
主産地は日本であるが、朝鮮半島の日本海に注ぐ諸川、中国の福建省、台湾の諸川に分布する。
かつては渤海湾にのぞむ遼東半島の川にも生息したと言われている。
亜種として沖縄諸島の一部にリュウキュウアユが分布するが、絶滅寸前の状態で保存が急がれている。
日本人と年魚との関わりは古く、古事記、日本書紀、風土記、万葉集などに数多くの年魚に関する記述がある。
その中で、景行紀、五十一年に「年魚市郡、熱田社」とあって後の尾張国愛智郡つまり今日の愛知は年魚にまつわる地名であることが判る。
古事記や風土記では「年魚」と表記されていたものが「鮎」となったのはいつ頃からか。
それは延喜十一年(九一一)、橘広相が著した『侍中群要』に鮎、鮎魚とあるのが嚆矢とされる。
「鮎」の字は中国ではナマズを表す。京都の妙心寺にある国宝の如拙画『瓢鮎図』は瓢箪アユではなくて瓢箪ナマズである。
年魚の別名を国栖魚(くずいお)というのは、吉野川の川上に住み、贄(にえ)を献じ、風俗歌を奏した国栖(くず)という人々が献じる魚という意味で、日本の建国神話と深いかかわりをもつ。
銀口魚とは、年魚の口辺が白銀色に光っていることによる。
渓鰮とは谷川のイワシの意である。この他にも年魚の別名は幾つもある。
「アユ」の語源に関しては、益軒・貝原篤信がその著書『日本釈名』の中で「あゆる」即ち「おつる」の意からきたとし、谷川士清(たにかわことすが)は『鋸屑譚』の中で、可愛い魚を意味するとした。
飯島茂は『鮎考』で、「ア」は賛嘆の語、「ユ」はウヲ、イヲの短促音だから、アユは佳い魚、美しい魚を意味するとしている。
この飯島説は言語学的にも説得力があるようだ。「年魚」という表記であるが『倭名類聚鈔』一九に「鮎、一名、鮎魚、安由、春生、夏長、秋衰、冬死、故名年魚也」とある。
鮎にまつわる神話として巷間によく知られたものが二つある。その一つは、神武天皇が東征のさい、丹生川で飴を入れた厳甕(いつへ)を沈め、もし魚が木の葉のように浮くなら、自分は天皇の位に就くことができるであろうと神意を占ったところ、アユが浮いたという話。
この神話に基づいて、大正、昭和両天皇の即位の際に、五尾の稚鮎と厳甕をあしらった萬歳旙を使用したことが知られている。
二つ目の、神功皇后の話は『日本書紀』の神功紀、仲哀九年四月の記事である。
即ち、肥前国松浦郡玉島里の小河で、皇后が縫針を曲げて釣針とし、米粒を餌に、裳の糸を釣糸にして「われ西方にある財の国を求めんと欲す、もし事を成すことができるなら、河の魚がかかれ」と神意を占ったところ、細鱗魚がかかった。この故事によって、魚編に占うとつくって「鮎」の字になったという話である。
ところで現在でも鮎を使って占いをする神事が伝わっている。
三重県度会郡大宮町滝原字野後の「おんべ祭り」である。毎年の旧暦六月一日に大宮町漁業組合が主催して豊漁を祈る祭りをしたのち、大滝峡の断崖から川の中にある「お鉢」と呼ぶ大きな岩の凹みをめがけ、生きた鮎を投げ入れてその年の豊凶を占うのである。
ぴちぴち跳ねる鮎は二十四尾、その内の十二尾は伊勢神宮の別宮・滝原宮へお供えして、残る十二尾を町の代表十二名が六メートルほど離れた直径六〇センチほどの「お鉢」へ投げる。
伊勢神宮といえば、大昔から、元旦に鮎の干物を献進する鮎饗神事というのがあり、現在でも一年で最初のお祭りの歳旦祭に塩香魚の神饌がお供えされている。
鮎の漁法には各種あるが、その代表格は鵜飼漁であろう。
鵜飼の歴史は古く、『隋書』の「東夷伝倭国列伝」や『万葉集』の大伴家持の歌などで知ることが出来る。
鵜飼の他にも、張網、投網、追い叉手網、各種の筌、簗、えり、毒流し、夜振り、引掛け、突きんぼ漁、毛針釣り、バリ漁、そして囮鮎を使った友釣りなどがある。毒流しを除く各種の漁法は、昭和二十四年に漁業法が施行されて以降、各都道府県の規則で許可漁法となった。
鮎漁の解禁、禁漁も明示され、違反者は罰せられる。鮎の資源保護の歴史も古く、天武天皇の時代に「遮隙」という一種の簗漁を勅命により禁止した。
嵯峨天皇の弘仁五年には、近畿地方で盛んであった小アユ漁を四月一日以前に行なってはならないとした。
陽成天皇の元慶年間には毒流しを禁止している。
鮎の料理に触れておく。最も一般的なのが塩焼きである。小鮎のフライも美味い。魚田、鮎鮨、鮎飯、鮎粥。生食では、背越し、刺し身。
保存食としては、干し魚、塩漬け、煮びたし、うるか(鮎の腸、または子を塩漬けにした塩辛のような食品)、変わったところでは、塩焼きの鮎を青竹の筒に入れ、熱燗で飲むカッポ酒、或いは骨酒などがある。
私のところへ毎年暮れになると友人が送ってくれるのが鮎の昆布巻きで、那珂川で獲れた子持ち鮎を厚手の昆布で巻いたものである。
話が冗長になってしまったので残りはこの辺で端折っておく。
◆ 役割終えた囮鮎に串を打つ 白兎
主産地は日本であるが、朝鮮半島の日本海に注ぐ諸川、中国の福建省、台湾の諸川に分布する。
かつては渤海湾にのぞむ遼東半島の川にも生息したと言われている。
亜種として沖縄諸島の一部にリュウキュウアユが分布するが、絶滅寸前の状態で保存が急がれている。
日本人と年魚との関わりは古く、古事記、日本書紀、風土記、万葉集などに数多くの年魚に関する記述がある。
その中で、景行紀、五十一年に「年魚市郡、熱田社」とあって後の尾張国愛智郡つまり今日の愛知は年魚にまつわる地名であることが判る。
古事記や風土記では「年魚」と表記されていたものが「鮎」となったのはいつ頃からか。
それは延喜十一年(九一一)、橘広相が著した『侍中群要』に鮎、鮎魚とあるのが嚆矢とされる。
「鮎」の字は中国ではナマズを表す。京都の妙心寺にある国宝の如拙画『瓢鮎図』は瓢箪アユではなくて瓢箪ナマズである。
年魚の別名を国栖魚(くずいお)というのは、吉野川の川上に住み、贄(にえ)を献じ、風俗歌を奏した国栖(くず)という人々が献じる魚という意味で、日本の建国神話と深いかかわりをもつ。
銀口魚とは、年魚の口辺が白銀色に光っていることによる。
渓鰮とは谷川のイワシの意である。この他にも年魚の別名は幾つもある。
「アユ」の語源に関しては、益軒・貝原篤信がその著書『日本釈名』の中で「あゆる」即ち「おつる」の意からきたとし、谷川士清(たにかわことすが)は『鋸屑譚』の中で、可愛い魚を意味するとした。
飯島茂は『鮎考』で、「ア」は賛嘆の語、「ユ」はウヲ、イヲの短促音だから、アユは佳い魚、美しい魚を意味するとしている。
この飯島説は言語学的にも説得力があるようだ。「年魚」という表記であるが『倭名類聚鈔』一九に「鮎、一名、鮎魚、安由、春生、夏長、秋衰、冬死、故名年魚也」とある。
鮎にまつわる神話として巷間によく知られたものが二つある。その一つは、神武天皇が東征のさい、丹生川で飴を入れた厳甕(いつへ)を沈め、もし魚が木の葉のように浮くなら、自分は天皇の位に就くことができるであろうと神意を占ったところ、アユが浮いたという話。
この神話に基づいて、大正、昭和両天皇の即位の際に、五尾の稚鮎と厳甕をあしらった萬歳旙を使用したことが知られている。
二つ目の、神功皇后の話は『日本書紀』の神功紀、仲哀九年四月の記事である。
即ち、肥前国松浦郡玉島里の小河で、皇后が縫針を曲げて釣針とし、米粒を餌に、裳の糸を釣糸にして「われ西方にある財の国を求めんと欲す、もし事を成すことができるなら、河の魚がかかれ」と神意を占ったところ、細鱗魚がかかった。この故事によって、魚編に占うとつくって「鮎」の字になったという話である。
ところで現在でも鮎を使って占いをする神事が伝わっている。
三重県度会郡大宮町滝原字野後の「おんべ祭り」である。毎年の旧暦六月一日に大宮町漁業組合が主催して豊漁を祈る祭りをしたのち、大滝峡の断崖から川の中にある「お鉢」と呼ぶ大きな岩の凹みをめがけ、生きた鮎を投げ入れてその年の豊凶を占うのである。
ぴちぴち跳ねる鮎は二十四尾、その内の十二尾は伊勢神宮の別宮・滝原宮へお供えして、残る十二尾を町の代表十二名が六メートルほど離れた直径六〇センチほどの「お鉢」へ投げる。
伊勢神宮といえば、大昔から、元旦に鮎の干物を献進する鮎饗神事というのがあり、現在でも一年で最初のお祭りの歳旦祭に塩香魚の神饌がお供えされている。
鮎の漁法には各種あるが、その代表格は鵜飼漁であろう。
鵜飼の歴史は古く、『隋書』の「東夷伝倭国列伝」や『万葉集』の大伴家持の歌などで知ることが出来る。
鵜飼の他にも、張網、投網、追い叉手網、各種の筌、簗、えり、毒流し、夜振り、引掛け、突きんぼ漁、毛針釣り、バリ漁、そして囮鮎を使った友釣りなどがある。毒流しを除く各種の漁法は、昭和二十四年に漁業法が施行されて以降、各都道府県の規則で許可漁法となった。
鮎漁の解禁、禁漁も明示され、違反者は罰せられる。鮎の資源保護の歴史も古く、天武天皇の時代に「遮隙」という一種の簗漁を勅命により禁止した。
嵯峨天皇の弘仁五年には、近畿地方で盛んであった小アユ漁を四月一日以前に行なってはならないとした。
陽成天皇の元慶年間には毒流しを禁止している。
鮎の料理に触れておく。最も一般的なのが塩焼きである。小鮎のフライも美味い。魚田、鮎鮨、鮎飯、鮎粥。生食では、背越し、刺し身。
保存食としては、干し魚、塩漬け、煮びたし、うるか(鮎の腸、または子を塩漬けにした塩辛のような食品)、変わったところでは、塩焼きの鮎を青竹の筒に入れ、熱燗で飲むカッポ酒、或いは骨酒などがある。
私のところへ毎年暮れになると友人が送ってくれるのが鮎の昆布巻きで、那珂川で獲れた子持ち鮎を厚手の昆布で巻いたものである。
話が冗長になってしまったので残りはこの辺で端折っておく。
◆ 役割終えた囮鮎に串を打つ 白兎