日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
人生を大いに楽しむために言いたい放題、書きたい放題!!
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色紙(いろがみ)に春蚓秋蛇俳句書く

2017年11月23日 21時18分15秒 | 日記
鶴嘴に石跳ね返る冬はじめ
(読み)つるはしにいしはねかえるふゆはじめ
鶴嘴は旧陸軍や自衛隊では十字鍬と云い代表的な土工具です。固い土を掘り返すために使いますので小石が飛ぶこともあります。季語は「冬はじめ」で初冬。


棕櫚を剥ぐ梯子に祖父の墨書あり
(読み)シュロをはぐはしごにそふのぼくしょあり
棕櫚の皮の繊維は耐久性があって棕櫚縄や棕櫚箒に使います。祖父が梯子を新調したときの年が書いてあったという小さな発見。季語は「棕櫚を剥ぐ」で初冬。



日雇の見目好き寡婦も頬かむり
(読み)ひやといのみめよきかふもほおかむり
工事現場にもうっとりするような美人が働きにきます。寡婦は後家さんです。
季語は「頬かむり」で冬。

冬涛の砕けて岬また尖る
(読み)ふゆなみのくだけてみさきまたとがる
岬の突端に大波が押し寄せて砕けると更に尖ったように感じた。
季語は「冬涛」で冬。

訥々と雪の嵩云ふ羽後訛り
(読み)とつとつとゆきのかさいふうごなまり
秋田県から出稼ぎにきた人から積雪のことなどを詳しく訊いた。北国の人は概して寡黙な人が多い。
季語は「雪」で冬。

養蚕の神は馬鳴大明神

2017年11月22日 16時56分07秒 | 日記
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建穂神社(たきょうじんじゃ)。祭神:保食神。
場所:静岡市葵区建穂271。
国道362号線(通称:藁科街道)沿い、「陽光堂」(株式会社西村商店)という仏具店のところの交差点を北に入る。交差点から直進、約800m。この道が当神社参道で、社殿は正面にある。
社号の「建穂」は、タケホともタキョウとも読むらしいが社前案内板の「建穂寺」の説明には、「タキョウ」と書かれていた。
かつては、馬鳴(まなり)大明神とも称されていた神社。
元は、藁科川に近い羽鳥の明神森に鎮座していたともいい『式内社調査報告』では、羽鳥の宮は、当社の里宮であり、現社地の宮は、奥宮ではないかという。


当地には、天平年間に建穂寺が建てられており、建穂寺が当社の別当であったとも考えられ、寺社一体の信仰形態であったのだろうと思われる。

当神社の創建時期は不明。当神社については、長く神仏混淆が続き、「建穂寺」抜きには語ることができない。元々、この地区は帰化人秦氏の一団が入植し、特に養蚕や機織に深い関わりがある土地であった。現在、「建穂」の南は「羽鳥(はとり)」という町名になっているが、本来は「服織」で、小中学校や郵便局にはその名が残っている。「類聚国史」(寛平4年(892年)成立)によれば、天平7年(735年)に藤原武智麻呂(不比等の長子で、藤原南家の祖)が私田5町歩を建穂寺馬鳴大明神に寄進したとあり、貞観元年(859年)には建穂馬鳴神社に正五位下が授けられた、という記事があるという。延喜式神名帳(延長5年(927年)成立)では、単に「建穂神社」となっているが、いずれも同じ神社とみられている。


秦氏が信奉したのが「馬鳴明神」とも「馬鳴菩薩」ともいう養蚕機織の神で、そこには神仏を分ける意識はあまり無かっただろうと思われる。「馬鳴(めみょう)菩薩」は、古代(2世紀頃?)インドの仏教僧侶で、説法が巧みであった。カニシカ王が深く帰依し、インド以外への周辺諸国に仏教が広がる契機ともなった。王の命により、飢えさせた馬に対して説法したところ、馬でさえ、餌を食べるのも忘れて説法に聴き入ったといい、馬が法を解したときにあげた声から「馬鳴」と呼ばれたともいう。しかし、これでは養蚕機織との関係が明らかでない。実は、馬と蚕が結びついたのは中国においてであり、詳述はできないが、日本の「オシラ様」のような伝説が中国にあり(「捜神記」など)、中国の俗信として「馬鳴神」は養蚕機織の神となったらしい。仏像としての「馬鳴神(菩薩)」は、二臂または六臂で、桑の木の枝や生糸の束を握り、白馬に乗っている形に作られる。そこでは、(超人的ではあるが)生身の人間ではなくなり、神として祀られることになったのである。
こうして、当神社も、神仏渾然一体とした社であったはずが、仏教の隆盛とともに「神」の部分が次第に衰退していった。しかし、「吾妻鏡」(1300年頃?成立)の承元4年(1210年)の条に、駿河国建穂寺の鎮守である馬鳴大明神が戦乱を予言したという記事が見え、都にもその名は知られていたようである。

土方です下手な俳句を詠んでます

2017年11月09日 07時41分37秒 | 日記
若いころから建設業界に身を投じ昨年の8月まで働いてきた。現在私の年齢は70歳と8か月である。


若いころ建築現場の飯場で暮らしたことがあります。



樗の木は古く獄門のさらし首の木に使われたとされ平家物語にもそのことが記述されています。



日本坂トンネルの管理道の草刈りをしたときの句です。



土方殺すにゃ刃物は要らぬ雨の三日も降ればよい。



工事現場では杭をたくさん使います。測量杭や丁張をかけるためです。



煩悩や魔障一切の悪魔を降伏退散させ、災難を除く 呪力があるとされる修法が、九字である。「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」を唱えながら 、刀印(とういん)を結んで九字を切るか、諸印契を結印しておこなうものである。



『孝経』に身体髪膚これを父母に受く,あえて毀傷せざるは孝の始なり、身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以って父母を顕わすは、孝の終わりなり。と、いいますから私は親不孝者でした。



アウトドアの仕事は雨が降ると休みになります。



汗は乾くと白い塩に結晶しました。



酒はほぼ毎日飲んでいました。



閻魔詣では7月です。



私は仕事に行く先々で大事にしていただきました。生シイタケを背負い籠一杯いただいたこともあります。



葛はマメ科の植物で荒地でもよく育ちます。肥大した根茎に蓄えられた良質な澱粉が葛粉です。



鶴嘴は代表的な土工具です。



日雇婦には別嬪さんもおりました。



現場には色々な人間がおりました。教え子と駆け落ちしてきた元代用教員の男。近所の人妻と駆け落ちしてきた男。若気の至りで人を殺してしまった男。焚火を囲んで根掘り葉掘り聞きだすのが私の役目でした。







一見労務者風などと土木労務者を犯人扱いするような新聞記事などには強い憤りをおぼえます。私が付き合ってきた現場の人たちは皆気立ての良い人ばかりでした。
私は紳士然とした怜悧狡猾な人よりも髭面の恐いような人の方が実は心は優しいことを経験的に知っています。