従軍慰安婦問題が再び大きな注目を浴びている。
日本維新の会の橋下共同代表の慰安婦発言に対する色々な方面からの反応である。
初めに誤解のないようにお断りしておくが、私は売春を肯定する立場にはないし、歴史は事実をありのままに受け止めたいと予てから思っている者である。
日本という国がかつて李氏朝鮮を併合したのは歴史的事実である。
明治政府は朝鮮総督府を置いて今の北朝鮮と大韓民国に当たる部分を統治した。これには色々な経緯や事情があったにせよ異民族国家を併合したのであるから言葉を変えれば「侵略」だといわれても仕方がないだろうと思う。また日清戦争や日露戦争に勝利して台湾や南樺太を領土として獲得し、満州などにも進出して領土的な野心を露わにしたのも事実である。私の父親は陸軍歩兵34連隊の一兵卒として中国大陸を転戦した者であるし、妻の父親は関東軍通信部隊の獣医として軍馬や軍用犬の世話をしていたそうである。
私が生まれたのは敗戦後の占領下の日本であるが、戦争というものは生まれる直前まで続いていたのであり、身近な存在であった。つまり、空には進駐軍のB29が頻繁に飛んでいたし、街には義手義足の傷痍軍人があふれていたのである。
米英を相手に太平洋戦争に突入した当時の日本は、ちょうど今日における北朝鮮と同じで周辺諸国や欧米各国の鼻つまみにされていたのである。
中国大陸で戦争を続けるためには石油やゴムなどの軍需物資を大量に必要とした日本に対して、アメリカやイギリスやオランダはこれを阻止するために在米資産の凍結や軍需物資の禁輸措置を次々に実施したから、日本は真珠湾攻撃や仏印へ侵攻したのである。
つまり、生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い詰められたから窮鼠猫を噛んだのである。この事態にいたるまでの内政や外交に問題がなかったわけではないだろうが、正義や不正義といったことではなくて国家存亡の危機に陥ったわけである。
こうして米英を相手にした戦争に突入した日本は広島・長崎へ二発の原子爆弾を投下されて無条件降伏したのである。
歴史認識はまずこの「無条件降伏」からはじめなければなるまい。
戦後の日本人はアメリカ軍がくれた脱脂粉乳を飲んでいたではないか。
街にはアメリカ兵相手の売春婦いわゆるパンパンガールが屯していたではないか。
パンツのゴム紐は進駐軍のジープのチューブを細く裁断したものだったではないか。
思い出したくもないかも知れないが、敗戦後の貧しい生活を知っている私にとって、これは一つの体験的歴史認識である。
さて、従軍慰安婦の問題である。
この問題に対して一番敏感に反応するのはいつも韓国である。確かに韓国人つまり当時の半島産日本人であるが、韓国人にも本国の日本人もフイリピン人やインドネシヤ人にも中国人にも従軍慰安婦になった人がいたことは事実であるし、間接的ではあったにせよ日本軍が関与したこともなしとはしないだろう。
韓国は日本から独立したのではない。アメリカから独立したのである。
1945年8月15日、日本の無条件降伏とともに朝鮮は自治権を得た。独立したのではない。
そして朝鮮総督府に韓国旗があがる。
しかし9月8日に米軍が韓国に進駐してくるとその米軍は韓国旗を引き摺り下ろし、かわりに日章旗を掲げた。つまりアメリカは韓国を独立国として認めず日本の一部とみなしたのである。
そして韓国には軍政が敷かれ、米ソ冷戦の中でアメリカの戦略上独立することができたのだ。つまり初期としてはアメリカは韓国を独立させる気はなくその都合上、独立できたのであって日本から独立したわけではないのだ。
韓国の独立記念日、光復節は1945年8月15日と言うことになっているが本当の独立の日は1948年の8月13日である。因みに日本がサンフランシスコ講和条約に調印して国家主権を回復したのは1952年4月28日のことである。
韓国は8月13日が本来の「独立記念日」であるにも関わらず、敢えて、8月15日を「光復節」としたのには、多分に「政治的配慮」が働いていたと言う事です。つまりわざと日本の無条件降伏の日に独立記念日を重ねることによって韓国が日本の植民地支配より開放されたとすることによって愛国心を煽ったのである。この点を知っておかないと歴史問題が重要なキーワードになる日韓関係に大きな過ちを残すことになるだろう。
今日、巷間言われているように、韓国の婦女子を強制連行してあたかも性的な奴隷としてレイプしたというのは事実に反しているのではないか。なぜなら当時は朝鮮半島も日本国だったからです。
ただ、敗戦に伴って日本軍が発行した軍票の類は紙くずと化したし、金銭的な対価が十分に支払われなかったという事実もあったことは容易に想像できる。また、そうしたことに携わった女衒というのか女郎屋のオヤジみたいなのが堅気の人間でなかったことも事実ではないだろうか。貧しい農家の子女が年貢をおさめるために女郎屋に売られるというのは江戸時代からあった話である。
日本では昭和33年に売春禁止法が施行されるまでは厳然として公娼制度が存在した。つまり、売春は公認されていたのである。
韓国ではもっと最近まで、ソウルオリンピック直前まで妓生制度があったものと承知している。韓国で「性売買特別法」が施行されたのは2004年5月、つまり9年前のことである。
私は最初に申し上げたとおり、売春を是認する者ではないが、歴史的事実として日本に限らず売春制度は世界各国に多かれよかれ存在したのである。
ほとんど男ばかりの軍隊が性欲の処理施設を持たずに他国へ侵攻したらどうなるのか。それこそ婦女暴行事件が多発して、現地住民は恐怖に慄くだろう。
あの学者ばかりの南極観測隊でさえも高性能のダッチワイフを南極大陸昭和基地へ持っていったと聞いたことがある。
アメリカあたりからも従軍慰安婦については風当たりが強いが、そのアメリカを中心とする占領軍に対して、日本政府はアメリカ兵向け慰安施設「特殊慰安施設協会・RAA」を設置しているのである。
特殊慰安施設協会の資本金は1億円で、その内の5500万円は大蔵省の保証により日本勧業銀行が融資している。後の総理大臣・池田勇人は資金の調達に関して特に大きく尽力した。建設に必要な資材や、営業に必要な生活什器、衣服、布団、そして約1200万個のコンドームは東京都と警視庁が現物提供した。
いろいろ言いたいことは山ほどあるが、戦後68年を経た現在に至るも沖縄などでは米兵によるレイプ事件が後を絶たないではないか。アメリカは日本の従軍慰安婦問題を非難する前に自国の兵隊の規律を保つ努力をしてもらいたい。
元従軍慰安婦の皆様の過酷な人生に対しては同情を禁じえない。生きている方々もかなりの高齢になっていることと思われる。日本政府としても何らかの対策が取れるのではないだろうか。
日本維新の会の橋下共同代表の慰安婦発言に対する色々な方面からの反応である。
初めに誤解のないようにお断りしておくが、私は売春を肯定する立場にはないし、歴史は事実をありのままに受け止めたいと予てから思っている者である。
日本という国がかつて李氏朝鮮を併合したのは歴史的事実である。
明治政府は朝鮮総督府を置いて今の北朝鮮と大韓民国に当たる部分を統治した。これには色々な経緯や事情があったにせよ異民族国家を併合したのであるから言葉を変えれば「侵略」だといわれても仕方がないだろうと思う。また日清戦争や日露戦争に勝利して台湾や南樺太を領土として獲得し、満州などにも進出して領土的な野心を露わにしたのも事実である。私の父親は陸軍歩兵34連隊の一兵卒として中国大陸を転戦した者であるし、妻の父親は関東軍通信部隊の獣医として軍馬や軍用犬の世話をしていたそうである。
私が生まれたのは敗戦後の占領下の日本であるが、戦争というものは生まれる直前まで続いていたのであり、身近な存在であった。つまり、空には進駐軍のB29が頻繁に飛んでいたし、街には義手義足の傷痍軍人があふれていたのである。
米英を相手に太平洋戦争に突入した当時の日本は、ちょうど今日における北朝鮮と同じで周辺諸国や欧米各国の鼻つまみにされていたのである。
中国大陸で戦争を続けるためには石油やゴムなどの軍需物資を大量に必要とした日本に対して、アメリカやイギリスやオランダはこれを阻止するために在米資産の凍結や軍需物資の禁輸措置を次々に実施したから、日本は真珠湾攻撃や仏印へ侵攻したのである。
つまり、生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い詰められたから窮鼠猫を噛んだのである。この事態にいたるまでの内政や外交に問題がなかったわけではないだろうが、正義や不正義といったことではなくて国家存亡の危機に陥ったわけである。
こうして米英を相手にした戦争に突入した日本は広島・長崎へ二発の原子爆弾を投下されて無条件降伏したのである。
歴史認識はまずこの「無条件降伏」からはじめなければなるまい。
戦後の日本人はアメリカ軍がくれた脱脂粉乳を飲んでいたではないか。
街にはアメリカ兵相手の売春婦いわゆるパンパンガールが屯していたではないか。
パンツのゴム紐は進駐軍のジープのチューブを細く裁断したものだったではないか。
思い出したくもないかも知れないが、敗戦後の貧しい生活を知っている私にとって、これは一つの体験的歴史認識である。
さて、従軍慰安婦の問題である。
この問題に対して一番敏感に反応するのはいつも韓国である。確かに韓国人つまり当時の半島産日本人であるが、韓国人にも本国の日本人もフイリピン人やインドネシヤ人にも中国人にも従軍慰安婦になった人がいたことは事実であるし、間接的ではあったにせよ日本軍が関与したこともなしとはしないだろう。
韓国は日本から独立したのではない。アメリカから独立したのである。
1945年8月15日、日本の無条件降伏とともに朝鮮は自治権を得た。独立したのではない。
そして朝鮮総督府に韓国旗があがる。
しかし9月8日に米軍が韓国に進駐してくるとその米軍は韓国旗を引き摺り下ろし、かわりに日章旗を掲げた。つまりアメリカは韓国を独立国として認めず日本の一部とみなしたのである。
そして韓国には軍政が敷かれ、米ソ冷戦の中でアメリカの戦略上独立することができたのだ。つまり初期としてはアメリカは韓国を独立させる気はなくその都合上、独立できたのであって日本から独立したわけではないのだ。
韓国の独立記念日、光復節は1945年8月15日と言うことになっているが本当の独立の日は1948年の8月13日である。因みに日本がサンフランシスコ講和条約に調印して国家主権を回復したのは1952年4月28日のことである。
韓国は8月13日が本来の「独立記念日」であるにも関わらず、敢えて、8月15日を「光復節」としたのには、多分に「政治的配慮」が働いていたと言う事です。つまりわざと日本の無条件降伏の日に独立記念日を重ねることによって韓国が日本の植民地支配より開放されたとすることによって愛国心を煽ったのである。この点を知っておかないと歴史問題が重要なキーワードになる日韓関係に大きな過ちを残すことになるだろう。
今日、巷間言われているように、韓国の婦女子を強制連行してあたかも性的な奴隷としてレイプしたというのは事実に反しているのではないか。なぜなら当時は朝鮮半島も日本国だったからです。
ただ、敗戦に伴って日本軍が発行した軍票の類は紙くずと化したし、金銭的な対価が十分に支払われなかったという事実もあったことは容易に想像できる。また、そうしたことに携わった女衒というのか女郎屋のオヤジみたいなのが堅気の人間でなかったことも事実ではないだろうか。貧しい農家の子女が年貢をおさめるために女郎屋に売られるというのは江戸時代からあった話である。
日本では昭和33年に売春禁止法が施行されるまでは厳然として公娼制度が存在した。つまり、売春は公認されていたのである。
韓国ではもっと最近まで、ソウルオリンピック直前まで妓生制度があったものと承知している。韓国で「性売買特別法」が施行されたのは2004年5月、つまり9年前のことである。
私は最初に申し上げたとおり、売春を是認する者ではないが、歴史的事実として日本に限らず売春制度は世界各国に多かれよかれ存在したのである。
ほとんど男ばかりの軍隊が性欲の処理施設を持たずに他国へ侵攻したらどうなるのか。それこそ婦女暴行事件が多発して、現地住民は恐怖に慄くだろう。
あの学者ばかりの南極観測隊でさえも高性能のダッチワイフを南極大陸昭和基地へ持っていったと聞いたことがある。
アメリカあたりからも従軍慰安婦については風当たりが強いが、そのアメリカを中心とする占領軍に対して、日本政府はアメリカ兵向け慰安施設「特殊慰安施設協会・RAA」を設置しているのである。
特殊慰安施設協会の資本金は1億円で、その内の5500万円は大蔵省の保証により日本勧業銀行が融資している。後の総理大臣・池田勇人は資金の調達に関して特に大きく尽力した。建設に必要な資材や、営業に必要な生活什器、衣服、布団、そして約1200万個のコンドームは東京都と警視庁が現物提供した。
いろいろ言いたいことは山ほどあるが、戦後68年を経た現在に至るも沖縄などでは米兵によるレイプ事件が後を絶たないではないか。アメリカは日本の従軍慰安婦問題を非難する前に自国の兵隊の規律を保つ努力をしてもらいたい。
元従軍慰安婦の皆様の過酷な人生に対しては同情を禁じえない。生きている方々もかなりの高齢になっていることと思われる。日本政府としても何らかの対策が取れるのではないだろうか。