昔々、今からおよそ450年くらい前のことですが、竜爪山の南側の山奥に「道白平」というところがありました。
ここは、人がめったに来られない深い山奥で、ここでは大勢のお坊さんが日夜、仏様の教えを学ぶ修行を積んでいました。
ここには修行のために一宇の庵と七つの洞(ほこら)が作られていました。
庵では道白和尚が仏の道の修行にひたすら励み、修行のかたわら野の草花を愛し毎日お酒を飲みながら暮らしていました。
道白和尚のもとには大勢の弟子がいましたがその中の祖益という若者は和尚さんの教えをよく聞くとても利発なお坊さんでした。
祖益は、ひたすら修行に励み和尚さんは祖益の将来を楽しみに見守っていました。
ある日、祖益は修行のひとつの托鉢に城下町に向かうことになりました。
祖益は「和尚さま、今から府中の城下へ托鉢に行ってまいります」とあいさつして出発しました。
祖益は、遠く離れた今川家の館のある府中の街を目指して深い山の中をひたすら歩いてゆきました。
府中の街の今川家の館には「小萩」という奥女中が奉公していました。
小萩は、田野村、今の牛妻の丹野というところの生まれで、とても美しく優しい心を持った娘でした。
祖益が館を訪れるといつも小萩が出てきて「ご苦労さまです」と手を合わせ、心を込めてお米や野菜などをお布施として手渡してくれました。
祖益は小萩に会うたびに「なんて美しく優しい娘さんなんだろう」と、小萩に強い恋心を抱くようになりました。
道白和尚は。祖益の様子から気がついて、「仏の道を修行している者が女性に恋心を抱いては畜生道に堕ちるぞ」と強く諭しました。
しかし、小萩のことをどうしても忘れることのできあい祖益はそれからもずっと小萩を想い続け、とうとう恋の病にとりつかれ看病の甲斐なく死んでしまい地獄の畜生道に堕ちてしまいました。
恋の病で死んだ祖益は、和尚様のいうとおり畜生道に堕ちて一頭の黒いオス牛になってしまいました。
一方、小萩は祖益とのうわさ話が立ったので今川館を追い出され田野村の実家に帰されてしまいました。
そして、祖益が死んでから三年目のある日、一頭の黒い牛が道白平の和尚様のところに現れました。
道白和尚は、この黒い牛が祖益の生まれ変わりであることを知り、祖益が成仏できるように必死で仏さまにお祈りをしました。
小萩も祖益の一途なやさしい気持ちを知り和尚様と一緒になって祖益の成仏をお祈りしました。
やがて熱心な祈りは仏さまに通じ法力によって黒い牛の祖益は成仏することができました。
小萩の生まれた田野村の人々は、ひたすら小萩のことを思った祖益の哀しい心を思い畜生道に堕ち牛になっても小萩のことを想う祖益を哀れみ、この日以後「田野村」を「牛妻村」と呼ぶようになり、坂下地区の橋に「小萩橋」と名付けました。
牛妻にはこんな悲しく、しかし人を想う美しい物語があったのです。