安倍川に架かる静岡市葵区渡の大河内橋が2020年3月28日開通し、地元自治会ら主催の式典が開かれた。行政関係者や地元住民ら約120人が出席し、待ち望んでいた橋の開通を祝った。
橋は長さ165・5メートルで幅8メートル。梅ケ島・大河内地区と市街地を結ぶ道路として重要な役割を担う。1951年に完成した旧橋が増水による被害を受けてきた教訓を生かし、新橋は河川内に橋脚を作らないニールセンローゼ橋という形式で造られた。
旧大河内橋は、一級河川安倍川に架かる橋梁で、昭和26年に架設され、架設後約70年を経過した高齢橋です。幅員が4.5mと狭く、すれ違いが困難な状況にあることから架替え事業に着手されました。
梅ヶ島温泉昭和線(県道29号)は、安倍川上流の梅ケ島・大河内地区と市街地を結ぶ唯一の道路であり、緊急輸送路に位置付けられています。また、地元住民の生活や通学、奥静岡エリアの観光資源へのアクセス道路として重要な役割を担っています。
旧大河内村は1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、横山村、相淵村、蕨野村、平野村、中平村、渡村、有東木村が合併して発足。
大河内橋を渡ったばかりの地域を下渡、その先が上渡と呼ばれます。下渡には旧大河内北小学校の跡地があり、上渡には渡公民館と地域の寺、臨済宗妙心寺派・大森山全福寺があります。全福寺には「精進料理とどろき」があります。
私は下渡にある林道沢山石津線落石防止工事を二か所施工しております。
日本の食文化を代表する山葵、実は有東木が栽培発祥の地です。山葵は日本原産のアブラナ科の植物で、江戸時代に静岡県安倍郡大河内村有東木(現在の静岡市葵区有東木)で、自生の山葵を採取して湧水を用いて栽培したのが最初と言われています。
旧大河内村出身の著名人といえば長谷川 博(はせがわ ひろし、1948年10月3日 - )氏です。氏は、日本の海鳥研究者。東邦大学理学部動物生態学研究室名誉教授。アホウドリを絶滅の危機から救った人物であり、『アホウドリ』から『オキノタユウ』への改称を主張する第一人者です。画像はFBフレンドの朝比奈玄甫さん撮影。
橋は長さ165・5メートルで幅8メートル。梅ケ島・大河内地区と市街地を結ぶ道路として重要な役割を担う。1951年に完成した旧橋が増水による被害を受けてきた教訓を生かし、新橋は河川内に橋脚を作らないニールセンローゼ橋という形式で造られた。
旧大河内橋は、一級河川安倍川に架かる橋梁で、昭和26年に架設され、架設後約70年を経過した高齢橋です。幅員が4.5mと狭く、すれ違いが困難な状況にあることから架替え事業に着手されました。
梅ヶ島温泉昭和線(県道29号)は、安倍川上流の梅ケ島・大河内地区と市街地を結ぶ唯一の道路であり、緊急輸送路に位置付けられています。また、地元住民の生活や通学、奥静岡エリアの観光資源へのアクセス道路として重要な役割を担っています。
旧大河内村は1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、横山村、相淵村、蕨野村、平野村、中平村、渡村、有東木村が合併して発足。
大河内橋を渡ったばかりの地域を下渡、その先が上渡と呼ばれます。下渡には旧大河内北小学校の跡地があり、上渡には渡公民館と地域の寺、臨済宗妙心寺派・大森山全福寺があります。全福寺には「精進料理とどろき」があります。
私は下渡にある林道沢山石津線落石防止工事を二か所施工しております。
日本の食文化を代表する山葵、実は有東木が栽培発祥の地です。山葵は日本原産のアブラナ科の植物で、江戸時代に静岡県安倍郡大河内村有東木(現在の静岡市葵区有東木)で、自生の山葵を採取して湧水を用いて栽培したのが最初と言われています。
旧大河内村出身の著名人といえば長谷川 博(はせがわ ひろし、1948年10月3日 - )氏です。氏は、日本の海鳥研究者。東邦大学理学部動物生態学研究室名誉教授。アホウドリを絶滅の危機から救った人物であり、『アホウドリ』から『オキノタユウ』への改称を主張する第一人者です。画像はFBフレンドの朝比奈玄甫さん撮影。