日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
人生を大いに楽しむために言いたい放題、書きたい放題!!
読者のコメント歓迎いたします。

金谷まで菜飯田楽喰いにゆく

2015年04月30日 12時15分13秒 | グルメ
 金谷宿 (かなやじゅく) は、東海道五十三次24番目の宿場で遠江国最東端の宿場町である。

 現在の静岡県島田市金谷。大井川の右岸(京都側)にあり、牧之原台地が迫る狭隘な場所であるが、増水で大井川の川越が禁止されると、江戸へ下る旅客が足止めされ、島田宿と同様、さながら江戸のような賑わいをみせた。

 この金谷町泉町にある「よし善」へ名物の菜飯田楽を食べに行ってきた。SLで有名な大井川鉄道の新金谷駅近くである。

 お膳の写真を撮る前に碗の蓋を取るのを忘れたが、だし汁で炊いたご飯に大根の葉の粉をふりかけた菜飯に漬物、吸い物、豆腐の田楽、胡麻豆腐、煮物に甘味がついた定食である。

 菜めし田楽は、大変手間のかかる料理だ。大根の葉っぱを湯掻いて冷水にさらし、ざるにあげて切り刻み、厚手の鍋で一時間ほど空煎りしてからご飯に混ぜるのだ。

 菜飯などというものはそもそも先人が米を節約するために考え出した方法である。豆腐の田楽だって鰻の蒲焼とは比べようもない。しかし、こうして整った料理として供されるとそれはそれで十分に味わえるものである。

 金谷宿と日坂宿の間の菊川は、小夜の中山という難所をひかえて急な坂が続くため中世には宿場として栄えたが、江戸時代には「間の宿(あいのしゅく)」とされ、旅人の宿泊は固く禁じられていた。大井川の川留めがあっても、金谷宿の許可がなければ泊めることができず、本格的な料理を出すこともできなかった。そんなことから生まれた軽食が、菊川の菜飯・田楽である。

 菊川名物の菜飯・田楽とは、菜を混ぜた飯へ豆腐田楽を菜としたもので、菜飯は大根の葉または小松菜の湯通ししたものを焙烙(ほうろく)鍋で煎り、粉状にして少し塩味をつけ、炊きあがりの飯へ混ぜこんだものだ。

 田楽は、豆腐を軽く絞って、丸く切って二本の串に刺し、味をつけた味噌にまぶして炉の灰の中に立て、あぶって焼いたものであった。この焼豆腐は、その形が平安時代から田植えおどりとして流行った田楽舞に似ていたところからこの名がでたといい、のちに豆腐の形は四切に切ったまま串に刺したものに変わった。

 田楽に用いた焼豆腐が、江戸時代から当地の名物であったことは、『西遊紀行』や『明暦三年の道中記』など多くの書物に記されている。大永二(1522)年『宗長日記』には、「田楽豆腐の盃たび重なりて」とあり、田楽は酒の肴や飯の菜として好まれていたようである。また、『嬉遊笑覧』に、飯の中に野菜を炊き込み、豆腐でつくった田楽をそえて食べることが記されており、菜飯に田楽を添えた「菜飯・田楽」は、寛永時代(1630~)には食されていたことがわかる。

 この菜飯・田楽は、一度途絶えていたが、最近地元料理人の手によって復活し、伝統食として紹介されるようになった。金谷の郷土料理店「よし善」で食することができる。

郷土料理店
島田市金谷町泉町1806-4
TEL:0547(46)1869 。


原発は無責任です廃棄物

2015年04月29日 11時41分25秒 | 日記
 原子力発電は化石燃料を使わないから炭酸ガスを発生させない。だから地球温暖化防止には極めて効果的である。私は長い間この説明に納得してきた。

 しかし、最近になって、原子力発電によって生じる放射能廃棄物の最終処理方法が未だに決まっていないことを知って愕然とした。中には半減期が2万年以上もあるような放射能物質もあるという。

 2万年といえば最後の氷河期から現在まで・・・人類が石器を使っていた頃からの年月を過ぎてやっと半減するということである。こんな厄介な物を垂れ流ししながらの原子力発電は誰が考えても無責任な話である。

 人類の未来に禍根を残すような原子力発電は早急に廃止して新しいエネルギーを模索するべきである。

 私が少年の頃、つまり昭和30年代までは安倍川に流れてくる流木を拾い集めて炊飯や風呂沸かしの焚き木にしていたのである。

 あの頃からわずか4~50年の間に原子力発電にまで発展したのであるが、はたしてこれが本当に進歩といえるのか、昨今の原発事故をみるにつけて深く疑問に思うところである。

雑学は先ず名数で憶えよう

2015年04月28日 08時35分55秒 | 日記
 年を取ると新しいことを憶えようとしてもなかなか困難である。ところが名数で憶えると案外簡単に憶えることができたりする。

日本三景または三勝・・・陸前の松島、安芸の厳島、丹後の天橋立。
三愛または三友・・・琴、酒、詩。白楽天の北窓三友詩に詠ぜられたもの。
富士の三足・・・東の足柄山、西の足和田山、南南東の足高山(愛鷹山)。富士山周辺の足の字のつく三山。
三育・・・徳育、知育、体育。美育を加え四育という。
三井戸・・・喜左衛門井戸、加賀井戸、細川井戸。井戸茶碗の意で、天下の名器としての三碗。
三大人(さんうし)・・・荷田春満、賀茂真淵、本居宣長。江戸時代、功績の大きかった三人の国学者。
三猿・・・みざる、きかざる、いわざる。
三欠の法・・・事をかき、義理をかき、恥をかくこと。こうしなければ金は貯まらないと蓄財の所業をあざけっていう語。
三加減・・・火加減、味加減、盛り加減。調理における三つの技術。
三箇津・・・薩摩国の坊津、筑前国の博多津、伊勢国の阿濃津。主要な港。阿濃津の代わりに摂津国の堺津を加える。
三関・・・伊勢の鈴鹿、美濃の不破、越前の愛発の関。鈴鹿・不破に近江の勢多をもいう。奥羽の三関は磐城の勿来、岩代の白河、羽前の念珠の関。
三管・・・笙、篳篥、横笛。雅楽に用いる三種の吹物。
三馬子唄・・・碓氷峠、箱根山、鈴鹿峠の馬子唄をいう。
三松原・・・三保の松原(駿河国)、天橋立(丹後国)、千代の松原(九州箱崎)。景勝の松原三箇所。
三名園・・・後楽園(小石川・水戸家中屋敷)、蓬莱園(浅草向柳原・松浦家上屋敷)、浴恩園(築地・松平定信別業)。江戸時代、江戸市中の代表的な庭園。
三名山・・・富士、白山、立山をいう。古くから信仰の対象とされた山。
三老一別当・・・北条時政、和田義盛、畠山重忠の三老と侍所所司兼厩別当の梶原景時をいう。鎌倉幕府創設期の有力武士。
三具足・・・香炉、燭台、花瓶。仏壇を飾る三種の道具。
三つ組・・・水指・柄杓立、蓋置。茶の湯の道具。
三道具・・・捕り物道具は突棒、刺又、袖搦。拘禁の道具は手枷、足枷、首枷。懐中道具は錐、小刀、鋏。農具は鋤、鍬、鎌。船は帆柱、桁、舵。
三所物・・・目貫、笄、小柄。三つの刀装金具。
生花三種・・・生花、投入、盛花。生花の三種の様式。
生花三大流派・・・池坊流(池坊專慶)、小原流(小原雲心)、草月会(勅使河原蒼風)。
寛永三馬術・・・曲垣平九郎、筑紫市兵衛、向井蔵人。寛永年間、馬術の名人といわれた三人。
寛政の三奇人・・・『海国兵談』の著者・林子平、京都三条橋で皇居を拝した高山彦九郎、『山陵志』を著した蒲生君平。
関東三厄除大師・・・川崎大師(金剛山平間寺・神奈川県川崎市)、西新井大師(総持寺・東京都足立区)、観福寺(千葉県佐原市)。厄除大師として有名な三霊場。
九州の三右衛門・・・酒井田柿右衛門(有田焼)、今泉今右衛門(有田焼)、中里太郎右衛門(唐津焼)。
金魚三大名産地・・・奈良県大和郡山市、愛知県弥富市、東京都江戸川区。主要な金魚養殖地。
巾着切の三名人・・・髪結の助、茶屋の栄坊、若衆の藤坊。幕末江戸の掏摸の名人。
上毛三名湯・・・四万温泉(吾妻郡中之条町)、伊香保温泉(北群馬郡伊香保町)、草津温泉(吾妻郡草津町)。群馬県北部にある著名な三っの温泉。
曹洞宗三大祈祷所・・・善宝寺(山形県鶴岡市下川)、大雄山最乗寺(神奈川県足柄郡南足柄町関本)、妙厳寺(豊川稲荷・愛知県豊川市)。曹洞宗の著名な祈祷所。
短命の三大条件・・・米の過食、野菜の欠乏、食塩の過摂。日本人の食生活上の欠点。
長崎三大名物・・・凧揚げ、精霊流し、諏訪神社のおくんち。長崎市の著名な年中行事。
肉弾三勇士・・・江下武二、北川丞、作江伊之助の工兵一等兵。昭和七年二月二三日の上海事変の際、破壊筒もろとも自爆して敵陣への通路を開いた三人。爆弾三勇士ともいう。
日本三奇橋・・・猿橋(山梨県大月市)、錦帯橋(山口県岩国市)、かずら橋(徳島県西祖谷山村)。
日本三大崩れ・・・大谷崩(おおやくずれ)は(静岡市葵区)、鳶山崩れ(富山県)、稗田山崩れ(長野県)。
日本三奇祭・・・なまはげ:(秋田県)、御柱祭:諏訪大社(長野県諏訪市)、島田帯祭:(静岡県島田市)。
日光三名瀑・・・霧降滝、華厳滝、竜頭滝。栃木県北西部の日光国立公園内にある三つの滝。
日本三網代湾・・・伊豆国、上総国夷隅郡、因幡国岩美郡の網代湾。
日本三急潮・・・鳴門の渦潮、早鞆の瀬戸(関門海峡)、井の浦瀬戸。流れの激しい三海峡。
日本三急流・・・最上川(山形県)、富士川(静岡県・山梨県)、球磨川(熊本県)。流れが大きく激しいことで有名な三河川。
日本三虚空蔵・・・村松(茨城県那珂郡東海村・村松山月光寺)、伊勢朝熊山、柳津(福島県柳津・霊厳山円蔵寺)。朝熊山に代え京都の法輪寺とすることもある。
日本三古湯・・・道後(愛媛県)、有馬(兵庫県)、湯崎(和歌山県白浜)。昔から有名な温泉。
日本三護摩・・・成田山新勝寺(千葉県成田市)、秋葉山可睡斎(静岡県袋井市・火伏せ)、威徳院世義寺(三重県伊勢市・柴灯護摩)。
日本三釈迦・・・京都嵯峨の清凉寺、大和の西大寺、出羽の法来寺釈迦堂に安置されている釈迦仏をいう。
日本三大黒・・・出雲大社(島根県)、大神神社(奈良県三輪山)、日吉大社西本宮(滋賀県)。
日本三大不動・・・成田不動(千葉県成田市新勝寺)、目黒不動(東京都目黒区竜泉寺)、木原不動(熊本県益城郡長寿寺)。
日本三大船まつり・・・貴船神社(神奈川県真鶴)、塩釜神社(宮城県塩釜)、厳島神社(広島県)。
日本三名鐘・・・三井寺、平等院、神護寺。日本の代表的な三梵鐘。
日本三薬師・・・日向薬師(神奈川県伊勢原市宝城坊)、米山薬師(柏崎市米山寺)、柴折薬師(高知県大豊村豊楽寺)。古来から霊験をうたわれる薬師如来像をまつる三寺。
文明三大源流・・・ティグリス・ユーフラティス川流域のメソポタミア、ナイル川流域のエジプト、黄河流域に栄えた中国文明。
明治三大名優・・・九世市川団十郎、六世尾上菊五郎、初世市川左団次。明治時代、名優とされた三人の歌舞伎役者。
洛中三念仏・・・壬生寺の壬生大念仏、清凉寺釈迦堂の嵯峨大念仏、引接寺閻魔堂の千本大念仏。京都の三寺の法会で、念仏狂言が催されるもの。

まだまだたくさんありますが今回は「三」に拘ってみました。

タケノコを塩漬けにして保存する

2015年04月22日 19時32分23秒 | グルメ
 サクラの花が散る頃になるとタケノコもちょっと食い飽きてくる。走りの頃には値段も高くてタケノコ飯に炊いて大事に食べるのだが、最盛期になるとタケノコなどはにっこり笑えば幾らでも貰える。

 私の従兄弟はアパート経営などをしていて裕福な暮らしぶりだが、元々は農家だから3箇所ほどの竹林を所有していて季節にはタケノコの販売もしている。

 彼の販売方法は生ではなくて湯がいてアク抜きしてからビニール袋に詰めて販売している。スーパーなどでも茹でたタケノコを販売しているが、固い根元のほうも付いていて、軟らかで美味しい部分は全体の半分以下のこともある。

 従兄弟は別宅の庭に、石川五右衛門を釜茹でにしたような大きな鉄鍋を据えた竈を作ってあって、薪を燃やして米糠でゆっくりタケノコを茹でるから茹で加減も良くて美味しいのである。

 負け惜しみかどうかは知らないがタケノコの固い部分が好きだなどという変わり者も稀にはいる。が、大部分の人は根元の固い部分より先っぽの軟らかいところを好むだろう。私は先端の甘皮の部分が一番好きである。

 従兄弟はそのあたりを心得ているから、彼の商品は固いところは取り除いて軟らかで美味しい部分だけを袋に詰めてある。だから、店先に並べるとたちまち売切れてしまうのである。言い忘れたが従兄弟の奥方は学生相手に焼きソバなどを食べさせる店を開いている。

 そんな従兄弟夫婦から例年通りのお誘いがあったので妻を同道して先日タケノコ掘りにいってきた。

 実は、一昨年は山まで従兄弟と一緒に登ったのだが、竹林の中で滑って転んで危ない目に遭った。竹の落ち葉は滑りやすくて脚力の弱い老人には危険である。去年は幸いにも背負っていた竹篭が竹の間に挟まって転げ落ちずに済んだ。

 今年は従兄弟が既に山の竹林から掘って来てくれてあったので助かった。従兄弟も背負い籠で運ぶのだが、固い根元や皮は掘ったところで切り捨ててくるので、そのまま茹でるだけの状態になっていた。その数およそ50~60本もあったろうか。

 ラーメン屋がダシをとるような大きな寸胴鍋で何回もに分けて一日がかりで茹でた。この寸胴鍋は静岡刑務所前の日吉屋さんという食器屋で購入した。茹でたタケノコは節の方を下に向けて水を切ってから、真っ白になるくらいに塩を塗して漬物樽に漬け込んだ。食酢も入れて重石を掛けてある。

 夏場を過ぎたころから食べ始めるのだが、十分に塩抜きしてから胡麻油で炒めて出し汁で煮ると、メンマのような感じのしんなりした食感でとても美味いのである。

ジェネリック 使っています 朝昼晩

2015年04月20日 20時40分09秒 | 日記
 先発医薬品の特許権が消滅すると後発品がゾロゾロ出てくるので後発医薬品を「ゾロ」「ゾロ品」「ゾロ薬」と呼ぶ事もある。同じ有効成分の薬でも後発品は複数存在し、その商品名は会社によって異なる。医薬品の有効成分は一般名(generic name)であらわす事が出来るので、欧米では後発品を処方するのに一般名を用いることが多い。そのため日本では後発品に対して「ジェネリック医薬品」と云う言葉が使われるようになった。

 先日、健康保険組合から私宛に、ジェネリック薬品をつかうと薬代の個人負担が300円安くなりますというような通知が届いた。社員20名ほどのうちで私だけに届いたので不思議に思った。ちょっと不愉快だったので文書の発送元へ問い合わせてみた。いろいろ回りくどい説明をしていたが、詰まるところ、私だけがダントツに医療費が多いと言いたいようだ。

 確かに還暦を過ぎてからというものは身体に何かと言う事が多くて医者の世話になることも多い。しかし、18歳の時からのサラリーマン生活で少なくとも前半の20数年間は保険料を払っても健康保険を利用したことなどほとんど無かった。

 私が健保組合の担当者に対して苦情を言った要点は次のとおりである。

1.薬代を安くあげようとする意図は理解できるが、その啓蒙活動として特定の個人を狙い撃ちにするようなやり方は不愉快である。

2.患者は主治医の処方によって薬を決められているのであるから、患者に薬の選択を押し付けるやり方は容認できない。薬を換えろというのであれば医師や薬剤師に対して言うべきである。

3.患者には医薬品に対する専門知識は無く、主治医の処方に対して異を唱える根拠は無い。少しくらいの負担なら医師が薦める信頼のおける薬を服用したい。

4.一般論として安い薬より高い薬のほうがより効能があると思われる。昔は、娘を女郎屋へ売ったお金で高価な朝鮮人参を買ったという話もあるくらいだ。

 以上のような苦情をくどくど繰り返していたら、電話の女性が、私たちは健保組合から委託を受けているだけなのでお答えは出来ませんといった。私はそこで、それなら答えられる人のところへ電話を回して欲しいと迫ったが、話の趣旨は伝えておきますということで電話を切られてしまった。

 一昨日、内科の定期健診があったので、この経緯を主治医に話した。
主治医は■■さんのおっしゃるとおりですということで、私の見解に賛同してくれた。ゾロ薬はゾロ薬であって似ていて非なる物であるそうだ。

ネパールの 人を宿舎に 泊めました

2015年04月10日 16時47分44秒 | 日記
 4月3日の昼前に会社の事務所へネパール人が5人訪れた。勿論、彼らだけが来たわけではなくてブローカーのような日本人も同行してきた。

 来訪の趣旨は働き口を探しているということであった。この5人が一体どこからやって来たのかよく分からないのだが外国人登録証明書や在留カードによれば埼玉や千葉など関東方面から仕事を探して流れてきたようである。

 会社へ訪ねて来たのは同業者の紹介があったからなのだが今夜寝泊りするところもないということで一先ずは会社の宿舎の空き部屋に入ってもらうことにした。

 この5人の中には父と息子の親子一組がいた。長い者では来日してから7~8年の人もいれば、最近来日したばかりの人もいた。在留歴の長い人は流暢に日本語を話せるから意思の疎通は十分にできる。

 在留カードによれば在留資格は技術、調理師、投資・経営、家族滞在、技能等々まちまちであった。

 私たち建設業界も年度初めの4月は端境期で仕事が薄い時期である。しかもわが社は官公庁工事の現場も多いから外国人労働者を就労させることは簡単ではない。

 それで資材置き場の片付けなどだったら回せる仕事があると提案したのだが日当12,000円以下では働けないということで話は物別れに終わった。12,000円というのは彼らの手に渡る金額ではなくて半分はピンハネされるだろうことは容易に想像がつく。

 さて、読者の皆さんはネパールという国をご存知だろうか。私が学校で習ったころのネパールはヒマラヤ山脈南麓の王国で勇猛果敢なグルカ兵のふるさとであり、ヒマラヤ登山を先導するシェルパ族のふるさとでもあった。

 北を中華人民共和国のチベット自治区に、西をインドのウッタラーカンド州に、南をウッタル・プラデーシュ州とビハール州に、東をシッキム州と西ベンガル州に接する内陸国である。

 国境の長さは合計2,926km、うち中国国境1,236km、インド国境1,690km。

 中国国境地帯にはサガルマタ(英国呼称エベレスト)を始めとする8000m級の高峰を含むヒマラヤ山脈が存在する。そのため高山気候となっている。一方、インドとの国境地帯は「タライ」「テライ」または「マデス」といわれる高温多湿の平原地帯で、肥沃である。その中間には丘陵地帯が広がる。

 最高所はエベレストで標高8,850メートル。最低所は標高70メートルである。面積は140,800km²。本州を除いた日本(北海道+九州+四国)にほぼ等しい。

 ところが今ではこの国の様子が全く違うのである。

 2008年4月10日に投票された制憲議会選挙でプラチャンダ議長率いるネパール共産党毛沢東主義派が229議席を獲得して第1党となり同年5月ネパール制憲議会が招集され、新たな政体を連邦民主共和制と宣言して正式に王制が廃止された。ギャネンドラ国王は退位し、ここにネパール王国(ゴルカ朝)は終焉を迎えた。現在はネパール連邦民主共和国というのが正式国名のようである。

 IMF(国際通貨基金)の統計によると、2013年のネパールのGDP(国内総生産)は193億ドル。一人当たりのGDPは693ドル(1ドル120円換算で83,160円)であり、非常に低い水準である。2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル(240円)未満で暮らす貧困層は2200万人と推定されており、国民の70%を超えている。国際連合による基準に基づき、後発開発途上国に分類されている。

 そうした国からやってきた5人のネパール人であったが6日後の4月8日に会社の宿舎を退去していった。この間、他所で働いた様子はないから収入はない筈である。家賃・水道光熱費は5人分全部で20,000円を請求するつもりでいる。一人当たり1泊667円は良心的価格と思うがいかがなものであろうか?

静岡県 教育長が 不在です

2015年04月03日 09時57分22秒 | 日記
 静岡県の教育界では不祥事が続発しついに「万策尽きた」と発言した安倍徹教育長であったがその後も教育長の椅子に座り続けた。

 その安倍氏が任期を残して辞意を表明したことにより川勝知事から出された次期教育長人事案が県立大名誉教授の高木桂蔵氏(73)であった。

 この人事案をめぐり、溝口紀子県教育委員長が同氏の過去の経歴に疑義があるとして県議会総務委員長に対し本人聴取を申し入れた。

 県議会総務委は既に高木氏の人事案を可決していたが、溝口氏の申し入れなどを受け再度、委員会を開く異例の展開になった。

 溝口氏は取材に対し「教育長の条件になっている『人格が高潔』に当てはまるのか。県議会は慎重に選ぶべき」などと話した。

 県議会最大会派の自民改革会議は議員総会を開き、高木氏に逮捕歴があったと報告。当局側から「賞罰歴には当たらない」と説明を受けたと伝えた。関係者によると、高木氏は1979年、密入国した台湾人の旅券入手を助けた旅券法違反などのほう助容疑で逮捕され、執行猶予付きの有罪判決を受けたとされる。

 問題になっている逮捕歴というのは、1979年5月21日に、警視庁によって、日本国内の政治・経済や自衛隊活動などの情報を収集した台湾の情報局員と、この情報局員に協力した、当時「香港自由報」東京支局長であった高木氏の2人が、旅券不実記載、出入国管理令違反などの容疑で逮捕されたというものである。

 高木氏は、3月16日の記者会見で、「当時は中国で文化革命が起きていて、知り合いの中国人が友人たちを逃がすため私の家族の名義を勝手に使っていた。」と説明しているが、逮捕の時期も(文化大革命は1966年から1977年)その内容も逮捕時の状況とは異なるものである。

 経歴からみると、高木氏は台湾との関係が非常に深い人物であることがわかる。それは高木氏が、李登輝元中華民国総統の来日支援などが契機となり、日台関係の強化と台湾独立を支持する有識者らを中心に、2002年12月15日に設立された「日本李登輝友の会」の発起人に名を連ねていることにも見て取れる。このような背景から見て、高木氏自身の逮捕歴にかかわる弁明は、その信憑性が疑われても仕方がないと言える。高木氏には判決文によって真実を明らかにする責任がある。

 また、高木氏は台湾独立を支持する傍ら、数々の著作の中で、中国政府や「中国人」に対する辛辣な批判を繰り返している。また著作の中で高木氏は、「『南京大虐殺』はなかった」と明言し、政治的・社会的に問題となっている歴史修正主義的な立場に立っていることもまた明白な事実である。

 静岡県には「静岡県日中友好協議会」を中心に古くから中国との友好交流の歴史がある。昨今では静岡空港を利用した高校生の中国修学旅行など、高校生レベルでの交流事業も盛んになっている。個人としての高木氏がどんな思想や政治的立場・歴史観を持っていようと、私たち県民がとやかくいう筋合いのものでない。しかし、教育的な観点からも政治的な観点からも、そういう立場で活動してきた人が、政治的中立性を強く求められる静岡県の教育長としてふさわしくないのは明白であろう。